16
木立の中に張った結界内部でラクティメシッスが呟いた。
「そろそろですね」
取り巻く魔法使いたちも視線をコッテチカの街に向けている。すぐそこを走り抜けていく歩兵、騎兵はさっき行ってしまった。
すでに全員騎乗している。ピエッチェたちがリュネに乗っていったから、カッチーはラクティメシッスに同乗させて貰っている。ピエッチェ・クルテが使っていた馬があるのだからそちらにとカッチーは言ったが、却下された。
「リュネ以外の馬に乗ったことはないんでしょう? これは練習じゃないんです」
街中を疾走する自信がありますか?――そう言われて同意したものの、王太子に抱きつくようなもんだ。コチコチになるカッチーだ。
「もっとリラックスして。そうじゃないと、わたしでもフォローしきれませんよ」
ラクティメシッスの苦笑い、すみませんとますます恐縮するカッチーだった。
ピエッチェとクルテの馬は、馬の扱いを得意とする魔法使いに任せた。手綱を牽いて連れてきてくれる。もともと馬群に遅れずついてくる訓練を施してある馬だ。必ず目的地に辿り着くだろう。
歩兵隊がコッテチカ門へと駆けていく。今の部隊がこの道を通る最後の部隊、後続の気配はない。
「カッチー、わたしにしっかり掴まって!――行くぞ! 全速力!」
ラクティメシッスが愛馬を走らせ、コッテチカの街に躍り出る。
十六頭の馬が続々と駆け抜けていく。そのうち二頭に騎手がいないなど、誰が気付く? いや、気が付かれても構わない。むしろそのほうが印象に残る――
コッテチカの街人たち、特に軍本部に指定された宿の周辺の住人たちがほっと息を吐く。行軍していたと思ったら、罵声が聞こえた。何事かと外を見ると、矢が飛び交い、剣が振り回されている。慌てて窓を閉め、家族で抱き合い震えていた。
やがて遠ざかる軍靴の音、誰かを追っていったらしい。そうだ、最初に聞こえたのは若い男の声、ジジョネテスキを呼び、名乗っていた。確か、ピエッチェ……
するとまた蹄音が聞こえてきた。今度はこちらに向かってくる。誰かの叫び声、
「ピエッチェ盗賊団だ!」
盗賊団? 好奇心に勝てなかった何人かが窓を開ける。走り抜ける馬群、先頭の男は金色の髪をなびかせている。
「ピエッチェ盗賊団だ! キャルティレンぺスの山に入るつもりだ!」
どこかで誰かが叫んでいる。そしてまた別の叫びが聞こえた。
「ローシェッタの盗賊団よ。きっとキャルティレンぺスの山沿いに自分の国に逃げ込むつもりだわ!」
「軍がいて、なにをしてるんだ!?」
ジジョネテスキが窓を開けて外を見る。ドロギャスも別の窓から外を見て唸る。大通りを走り抜ける馬群が目の前を通過するところだった。
「兵が追っていったんじゃないのか?」
ジジョネテスキがフンと鼻を鳴らす。
「どうやらさっきのは囮だったようだな」
「囮?」
「あぁ、単騎でわたしたちの気を引いて、ローシェッタへ帰る道を作ったんだ――ドロギャス、山狩りの準備を始めろ」
「はっ! 今すぐに!」
ドロギャスが司令室を出て行く。
(王は巧く追っ手を振り切ったんだろうか?)
カテロヘブなら心配いらない。そう思い直す。何しろあの馬は、空を飛ぶって言ってたじゃないか――
ふと床に落ちた花びらが目について拾った。あのバカ、とうとう矢が落ちていないことに気が付かなかった。ま、そのほうがこっちにとっちゃあ、好都合だ。
最初に矢が床に刺さった時は、本気でわたしを射る気なのかと肝を冷やした。だけど花びらでできた矢なら射られてみるのも悪くない。今度こそ、心おきなくニヤニヤ笑うジジョネテスキだった。
ラクティメシッスの一団は計画通りコッテチカの街中を通り抜け、ローシェッタ寄りの場所からキャルティレンぺス山に分け入った。建物の窓から顔を出した街人が、
「アイツら、あんなところから山に入ったぞ!」
叫ぶ声が聞こえていた。もちろんラクティメシッスが潜伏させていた部下、打ち合わせ通りだ。
なるべく馬に踏み荒らさせ、山中通過の痕跡を残した。山狩りするヤツらを誘導するためだ。が、それもローシェッタの国境付近まで、そこから先は九十度方向を変えてピエッチェとの待ち合わせ場所に向かう。
フィリングに被せたパイが取れてしまったアップルパイを食べながら、ピエッチェが笑った。道が通れないなら屋根を行く。コッテチカなら、リュネが居るなら、それが可能だ――ピエッチェは予定通りコッテチカ街道口まで行けただろうか?
軍の大部分をコッテチカ街道口に誘き寄せ、できればキャルティレンぺスの街に向かわせる。ピエッチェはそう言っていたが向こうにだって兵が集まっている。
『どうするかは様子を見て決める。街道への出口に集めたところで、『本隊』がコッテチカを抜けられなきゃ意味がない』
本隊とは、ラクティメシッスたち十五人のことだ。
『いざとなったら見えず聞こえず魔法を使って空を行く――そっちこそ巧く走り抜けろ。全部の兵を誘導できるわけじゃない。まぁ、ジジョネテスキも何か手を打ってくれるだろう』
山中では見えず聞こえず魔法を使って進み、ジャムジャンヤ街道に出る。そして街道に出たところで術を解き、街道ではバラけて行動する。待ち合わせはレシグズームと山を隔てたジャムジャンヤだ。
ピエッチェとクルテとはジャムジャンヤ街道で落ち合う約束だ。ラクティメシッスの金髪を目印にするとピエッチェが笑った。
『上空を行くんだ。すぐに見つける。だからラスティンたちは怪しまれないよう気を付けて、街道を行くだけでいい』
でもそれも、無事にザジリレン国軍を出し抜けたらの話だ。
ピエッチェとの間にも魔法の連絡具を作っておけばよかった……キャルティレンぺス山中を進みながらラクティメシッスが思う。その連絡具は二枚貝の物がいい。耳に当て、口元に持って行って話せばいいだけだ。書き込むよりずっと手っ取り早い。次の街で二枚貝が手に入るだろうか?――
ラクティメシッスたちがキャルティレンぺス山に入り込んだ頃、リュネに乗ったピエッチェとクルテはコッテチカ街道への出口近くにいた。
「門はしっかり閉ざしてあるな」
ピエッチェが苦笑いする。軍関係の出入りの利便性を考えて、開門していると見込んでいた。
「どうする?」
胸元でクルテが見上げているのを感じる。周囲に気を張り巡らせ、飛んでくる矢を叩き落とすのに忙しいピエッチェにクルテを見る余裕はない。
それでなくてもクルテの存在は隠しておきたかった。だから姿を現してリュネに乗って以来、一度もクルテを見ていない。見れば怪しむヤツもいるだろう。隠したい理由は二つある。一つは見えず聞こえずの結界内ならクルテの安全が担保できること、もう一つはピエッチェの〝個人的〟都合だ。
いつか必ず人間にする。その時、今と同じ魔法が使えなかった場合、言い訳をどうするか? だったら最初から、魔法が使えると迂闊な相手に知られないほうがいい。それにごくごく個人的な感情、クルテを衆目に曝したくない、女を頼りにしていると思われたくないなどなど、バカバカしいとは思うものの、感情は自分でもどうにもできない。
結界なんか要らないと言うかと思ったがクルテは
『空中から矢が飛び出しら、みんなビビるね』
と乗り気で、ピエッチェをほっとさせた。
「どうするかなぁ……」
そんなわけで、クルテを見ずにピエッチェが小声で答えた。
コッテチカの街は森以外はぐるりと高い塀で囲まれていた。門は格子木、石造りの塀の上部に取り付けられた滑車を使い引き上げる形だ。そしてその塀は森の端まで続いている。
「同胞街道の関所もあんな感じ?」
「いや、格子木じゃなくって扉になってる。通常は二・三人が通れる幅、軍を進めるなら十五人程度の幅で開けられる造り」
「で、どうする? 向こうの建物の屋根にも兵が上った」
もちろん後ろの建物にも、左右の建物にも、それ以外の建物にも兵が居る……そして今、この建物のハッチも開いた。すぐに屋根に軍兵がひしめき合うだろう。
「いいか、よく聞け」
ピエッチェがますます声を潜めた。
「斬りかかってくる前に、一斉に矢を放ってくる。それが合図だ」
ピエッチェがニヤッとする。きっとクルテはニマっとした――
ジャムジャンヤ街道が見える位置で馬を止めたラクティメシッス、人目がないのを確認して、数名ずつ部下を先に行かせた。すでに十二人の部下は街道を進んでいる。残るのは自分とマデル・カッチーそして四頭の馬、木立の中に潜んでいるが見えず聞こえずの結界を張っている。木立に四頭も馬が居れば目立ってしまう。
「盲点でしたね」
馬に水を与え、自分たちは湯を沸かして茶を淹れた。これも結界を張ったからできることだ。
「街道を行くのに騎手のいない馬が二頭、そしてわたしとカッチーが二人乗りってのは、少しばかり奇妙に思われそうです」
ちょうどいい休憩とばかり、ホッとしているのはマデルだ。
「崩れたアップルパイを見て、ピエッチェがあんなこと考え付くなんてね」
見る影もなくなったアップルパイを食べながら笑う。コッテチカを走り抜け、クッキーもケーキも、もちろんパイもぐちゃぐちゃだ。
「もうこれ、全部食べちゃってもクルテさん、文句言いませんよね?」
ラクティメシッスとの密着から解放されて、カッチーにも笑顔が戻っている。
「ピエッチェさんたち、いつ合流してくるのかなぁ? 合流してから出発すれば問題解決ですよ、ラスティンさん」
どうにも気楽だ。ピエッチェたちが無事だと信じているらしい。無事を信じているというよりも、計画が失敗するなんて思いつきもしないのだ。ラクティメシッスが軽く笑う。
でもそうだね、カッチー。あのピエッチェだ。しかもお嬢さんが付いている。そのうえお馬さんも一緒だ。ピエッチェの計画に失敗なんてあるはずがない。あの堅実な男が、失敗するような計画を立てるはずがない。
「とうとうわたしには一切れもなしですか?」
菓子の袋を覗き込んで、ラクティメシッスが笑った。
――いつの間にか(と言うより、こうなるよう仕向けたのだが)、軍兵に追い込まれたピエッチェ、立っているのは屋根の端、前面には同じ屋根に立つ兵たち、道を隔てた背中側の建物の屋根の上にも兵、左右の建物にももちろん兵たちがいる。そして前線の兵たちは弓を構えてこちらを狙っている。じりじりとした緊張、この数の矢を一斉に射られたら、避けきれる自信はさすがにない。
「放て!」
雨のように降り注ぐ矢に視界が遮られ、兵たちからもピエッチェが見えなくなった。が、その矢も尽きる。そして静寂……
「なっ!?」
放てと言ったのと同じ声が茫然とする。
「どこに消えた?」
屋根の上から馬もろともピエッチェは消えていた――




