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鳥たちの〝第一声〟が聞こえた。けたたましい鳴き声がして、それに続けとばかりあちらこちらから他の鳥たちの声も聞こえ始めた……朝の挨拶か。東の空に太陽が顔を出したんだ――なんてことを虚ろに思う。
ピエッチェの身動ぎに、抱き込んでいた柔らかな生き物がもぞもぞと動いた。うっすらと目を開けるとピエッチェを見て、ニマッと笑んで目を閉じた。起きる気はないらしい。起床予定の時刻にはまだ余裕がある。もう一眠りしておくか。ピエッチェも目を閉じる。その時、ぱっと明るい光が差し込んだ。そして一瞬、身の内に熱を感じた――女神の祝福? いいや、きっと朝陽が差し込んだんだ……そのまま眠りに引き込まれたピエッチェは気付かない。周囲は高い木立、朝陽は差し込みようもない。やがて光は朝もやの中に消えた。
国境の街コッテチカは隣国ローシェッタから訪れる商人も多く、活気のある街だった。朝早くから開く様々な店、狙いの店が開くのを待つ商人たち、商談は店先で始まって――それが今では溢れそうなほどの軍兵を迎え、殺伐とした空気が漂っている。
「花屋、なさそう……」
クルテのそんな呟きは無視された。
サースレンの山の頂を少し過ぎたあたりからコッテチカを見降ろしているのはピエッチェとクルテ、そしてラクティメシッスの三人、他は山頂付近で待機させている。ピエッチェとラクティメシッスの二人でと思っていたのに、一緒に行くと言い張るクルテ、面倒なので『好きにしろ』と言ったらついてきた。まぁ、そりゃそうか。
予定の時刻に起きだして朝食を摂ったら、すぐに出立した。まだ昼にもなっていない。それどころか、そろそろ街が動き出そうかと言う早さだ。だが、商店らしい建物に人の動きは見られない。この時刻なら、開店準備を始める人影や、気の早い商人が出てきていても可怪しくないのに? 店を開ける気はないのだろう。
「トロンパのように昼過ぎまで寝てるんでしょうか?」
ラクティメシッスが『違うんでしょうね』と言いたげに呟いた。ピエッチェはそれにも答えない。聞こえてくるのは、軍兵が朝の鍛錬をしている声、上官が部下を叱る声、兵たちが踏み鳴らす軍靴の音……それらが街の広場や大通りのみならず、細い路地裏まで埋め尽くしている。これでは店を開けたところで、商売相手が訪れることはないだろう。
「……兵たちの宿舎は足りているのか?」
やっとピエッチェが声を出す。ラクティメシッスがチラリとピエッチェを見たが、やはり答えなかった。独り言だと思ったのだろう。
「もう戻りましょう」
ラクティメシッスがピエッチェの肩を軽く叩いて言った――
少し考えれば判ることだった。ローシェッタを侵攻するために軍兵をコッテチカまで進めているのだ。追加で更に徴用もしている。そのうえ、いろいろ理由をつけてコッテチカに留め置いている。たまる一方の兵士たちで街は飽和状態だ。
「あれじゃあ、街を走り抜けるのは無理ですね」
ラクティメシッスが苦々しげに言った。
周囲では手持無沙汰の魔法使いたちが、ピエッチェとラクティメシッスの様子をそれとなく窺っている。山頂に着くとすぐ、ここに結界を張った。そのうえで『コッテチカ側の斜面と街を見て、次の行動を決める』と言って、ピエッチェとラクティメシッスは結界から出て行った。
怖い顔で戻ってきたピエッチェは何も言わず考え込んでいる。ラクティメシッスも『いない間、魔物は?』と訊いただけで、次の指示を出すこともなくピエッチェのそばに居る。相談しているのだろうが、ピエッチェは何も言わないし、ラクティメシッスの口数も少ない。
魔法使いたちはそんな二人に近寄り難さを感じて遠巻きにしていた。ついでに、勝手に着いていったクルテにも近づかない。が、これは摘んできた花を見てニマニマしているのが気味悪かったからだ。
野営地からここまでの行程は順調だった。結界を張った時は、この分だと夕刻にはコッテチカを駆け抜けられるだろうと思っていた。二人が結界から出た理由はコッテチカへの潜入ルートを検討するためだ。戻ってきたらすぐにでも動くと予測して、準備万端整えて待っていたのに、指示は出そうにない。
今日はまだ、一体も魔物が出てこない。いや、出るには出たがこちらに気が付くとさっさと逃げて行った。ピエッチェたちがコッテチカを見に行っている間も結界の近くに姿を見せたが、すぐ逃走してしまった。昨日は九体の魔物を始末した。それを知って恐れているのかもしれない。ならばこれは好機、今なら襲撃を邪魔する魔物は居ない。明日になればこちらの存在に慣れ、再び魔物に襲われるかもしれない。なのに何を迷っているのだろう? 魔法使いたちは困惑の視線をラクティメシッスに向けている。
ピエッチェたちから少し離れたところで、マデルとカッチーが声を潜めて話している。クルテも一緒だ。が、話すのはマデルとカッチーだけで、クルテの反応は薄い。話しかけられてもキョトンとした顔で首を傾げ、花束に視線を戻してニマニマを再開させる。
「何かあったんでしょうか?」
心配そうにカッチーがマデルに訊いた。カップにお茶を注ぎながら、マデルが答える。
「そんなの判らないけど、言い争いになったとかってことじゃなさそう――お茶が入ったよ、クルテ」
ありがとうと微笑んでカップを受け取るクルテ、
「お菓子は?」
いつも通りだ。カッチーが紙袋からドライフルーツ入りの型焼きケーキを出してクルテに渡す。
嬉しそうにケーキに嚙り付くクルテに、性懲りもなく訊くのはマデルだ。
「ねぇ、クルテ。ピエッチェ、なにか言ってなかった?」
モグモグしながらマデルを見て、お茶を啜ると
「花屋はなさそうだねって言ったのに、返事してくれなかった――ってマデル、同じこと訊くのはこれで何回目?」
つまらなそうに答えた。
「しつこく聞いても、返事が変わるはずないじゃん」
「コッテチカで何かあったようでしたか?」
こちらはカッチー、ムッとクルテが答える。
「カッチーもさっきから同じこと訊いてる――街まで下りてったわけじゃない。ここより少し先から見ただけ。何かあったとしても判らない。これは五回目」
「クルテも一緒にコッテチカの様子を見てきたんでしょう? どう思った?」
「兵隊がいっぱいだなって思ったよ。マデル、これは三回目」
「クルテさん、コッテチカには国軍が来てるんです。兵隊が大勢に決まってます」
「マデルぅ……当たり前のこと言うなって、カッチーが虐める」
「虐めてなんかいませんっ!」
慌てるカッチー、クルテは平然と残りのケーキを口に入れた。
「チーズケーキもあるよね? ちょうだい」
「どうして判ったんですか?」
クルテの催促に袋を覗き込むカッチー、
「マデルさんも食べますか?」
マデルの顔を見る。
「今のケーキ、微かにチーズの香りが付いてた」
「あぁ……ケーキもクッキーもパイも一緒くたに入ってるんです。紙袋が不足がちだって、菓子屋さんが言ってました」
ピエッチェたちのほうを見ていたマデルが視線をカッチーに向ける。
「わたしはいいわ。食欲ないから――紙不足ってなんでだろう? まさかレンレンホでは紙を徴用?」
ギスパでのことを思い出しての言葉だ。
「それはなさそうですよ、マデルさん。なんか、納品が遅れがちだって」
「物流が滞ってるってことね」
「食べないならマデルの分も食べていい?」
「クルテ、あんたそんなに食べられないでしょ?」
「うーん……頑張りまっす!」
「クルテさん!」
口癖を真似されて赤くなるカッチー、
「そんなこと、頑張らなくていいから」
マデルはつい笑う。
重苦しい雰囲気の結界内での笑い声、周囲の魔法使いたちの顰蹙を買いそうだ。軽く溜息を吐いたピエッチェが組んでいた腕を解き立ち上がる。
「いつものことでしょう? お嬢さんを叱っちゃダメですよ」
ラクティメシッスも慌ててピエッチェを追う――ピエッチェはクルテを目指していた。
自分の横に立ったピエッチェをクルテが見上げる。
「ピエッチェもケーキ食べる? フルーツケーキはチーズの風味、チーズケーキはお酒の匂い。ドライフルーツに染み込ませてあるのかな?」
ピエッチェはここでも何も言わず、どっしりとクルテの隣に腰を下ろした。慌ててカッチーがカップを二つ用意して、お茶を注いだ。ラクティメシッスはピエッチェが座るのを見て、マデルの隣に腰を落ち着けた。
ピエッチェにお茶を渡しながらカッチーが訊いた。
「何か食べますか? アップルパイもありますよ?――って、あれ?」
袋を覗き込んで小さな悲鳴を上げる。
「あぁ~あ……パイは粉々です。下のほうに入れたらそうなりますよね」
クルテが食べかけのチーズケーキをピエッチェの口元に差し出す。
「食べて」
チラリとケーキを見たピエッチェ、なにも言わずに口を開けた。クルテは当然、口の中にケーキを押し込む。ラクティメシッスとマデルが見交わし、カッチーは目を丸くする。仲間内だけならともかく、周囲には十二人もの魔法使いがいるのに?
「大丈夫なの?」
マデルがそっとラクティメシッスに耳打ちする。聞こえているだろうに、ピエッチェはなんの反応も示さない。
もちろんクルテも気にしない。
「袋、ちょうだい。なにが入ってるか見たい」
とカッチーが手にしている菓子の袋に手を伸ばす。
受け取るとすぐに中を覗き、
「ふふん……粉々になってるのは上だけじゃん」
と袋に手を突っ込んでアップルパイを一切れだした。
「ねぇ、見て。上にはなんにもない。リンゴが剝き出し。これってフィリング食べ放題?」
またもピエッチェの目の前にアップルパイを差し出した。が、今度はピエッチェ、チラッと見るだけではなく、じっとパイを睨みつける。
「もう、クルテったら……ピエッチェの口の中はまだケーキでいっぱいよ」
マデルが窘めるがクルテはパイを差し出したままだ。やめさせようとするマデルをラクティメシッスが
「放っておきなさい」
と止める。
パイを睨みつけるピエッチェ、ニコニコしているクルテ……ゆっくりケーキを咀嚼し飲み下したピエッチェが、パイを受ける。それでもパイを見続けている。
「ね、美味しそうでしょ?」
クルテがニヤッと笑ってピエッチェを見る。クルテをチラッと見てから茶を口に含んだピエッチェ、パイを下から覗き込むと、
「あぁ、旨そうだ」
ニヤッと笑った――
決行は夕刻、見えず聞こえす魔法を使って街のすぐ近くまで進んだ。昨日、野営の相談をしていた時に思いつき、ラクティメシッスに頼んだ通りの行動だ。その時は、コッテチカの街中まで見えず聞こえず魔法で進み、いきなり姿を現そうと考えた。魔法使用の頻度が少ないザジリレンではさぞかし印象に残る。
だが企みは、変更を余儀なくされていた。




