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せっかくあるのだからと、風呂を使うことにした。
最初に入ったマデルが
「お風呂も大きいよ。三人一緒に入っちゃえば?」
と言うので、ピエッチェとカッチーは一緒に入ることにした。クルテは
「誰かと一緒の風呂って慣れてない」
と、一人で入ると言った。
確かに広い。浴室は寝室と同じくらいの広さ、そこに大きな浴槽、しかも浴槽にはどんどん湯が足され続けている。カッチーは大はしゃぎで
「泳いでもいいですよね? 泳ぐの、久しぶりだなぁ」
泳ぐには少し狭い浴槽を行ったり来たりしていた。
「コゲゼリテの大浴場は、もっと広いんです。この二十倍はあるかな」
「泳ぎはそこで覚えた?」
「ピエッチェさん、なんでもお見通しですね」
それくらい誰だって想像つくぞと苦笑したが言わずにいた。
「旅に出るのは大浴場が復旧されてからにすれば良かったですね。一度くらい大浴場を使って欲しかったです」
「そうだな。でも待ってたら、今でもコゲゼリテに居そうだ」
「そうですよねぇ……まだ何日も経ってないんですもんね」
カッチーが指を折ってコゲゼリテを出てからの日数を数えた。まだ十日も経っていない。
「コゲゼリテは観光地だ。いつかみんなで行くのもいいな――コゲゼリテが懐かしいか?」
「そりゃあ生まれ育ったところですから。だったら帰れ、だなんて言わないでくださいよ」
「帰れなんて言わないけど、カッチーが帰りたければ帰ったっていいんだぞ?」
「いいえ! ピエッチェさんとクルテさんについていくって決めてますから!」
「俺とクルテ、なんだな」
「だって、二人はこれから先もずっと一緒でしょう? いいコンビですよね」
「マデルはおまえのことも数に入れてた。三人はいい取り合わせだって」
「はい、雑用って言われました」
カッチーが楽しそうに笑う。
「でも、そのうち雑用だけじゃなく役に立てるようになります」
そう言うとカッチーはザバッと湯の中に潜り込んだ。言われた時には反応しなかったが、マデルに『雑用』と言われ悔しい思いをしていたようだ。
風呂から出ると居間にはクルテだけだった。マデルは自分の部屋に行ってしまったらしい。
「おまえ、また顔色が悪いぞ」
ソファーでぐったりしているクルテをピエッチェが気遣った。
「あんまり疲れているようなら、風呂はやめて寝たほうがいいんじゃないのか?」
するとカッチーが
「ゆっくり浴槽に浸かって身体を温めるといいですよ。疲れなんか一発で飛んでいきますから」
と、元気な声で言う。
「風呂って疲労回復の効果もあるってコゲゼリテの大浴場に書かれてました。それじゃあ、お先に休ませて貰いますね――どっちのベッドを使おうかなぁ」
独り言を言いながら、嬉しそうに寝室に入ってしまった。
立ち上がったクルテが
「カッチーもああ言ってるし、僕も入浴してくる」
と言う。止めようとしたピエッチェの頭の中に、
(風呂って初めて。ちょっと楽しみ)
と聞こえてきた。いつも憎まれ口を叩いてばかりのクルテだ。可愛い面もあるじゃないかと、ピエッチェが微笑んだ。だけど、初めての入浴? まぁ、そりゃあそうか、もともと身体なんかない。消えれば更新されると言っていた。つまり汚れも落とせるってことだ。だけど、風呂の使い方が判るんだろうか?
(大丈夫か? 溺れるなよ?)
(わたしが? 緊急事態には姿を消せるわたしが?)
(コイツ……)
嘲笑されて面白くないピエッチェだ。まぁ、いつものことか。ニヤッと笑ってクルテは浴室に行ってしまった。
居間にいると『まるで待っている』みたいだなと思い、寝室に行った。やることもないので横になるかと思いベッドを見ると、クルテのサックがベッドに放り出されたままだ。こっちのベッドを使うぞとでも言うんだろうか?
(あの中にグレナムの剣の宝石が……)
迷いはした。他人のサックの中身を見るなんてよくない事だ。でも誘惑には勝てなかった。他は見ない。宝石だけを見よう。そもそもあれは俺のものだと、クルテだって言ったじゃないか。だったら見てもいいはずだ。
クルテが帰って来ないかと、ビクビクしながらサックを開ける。革袋がいくつか入っていた。宝石を入れていたのは黒の革袋、金を入れているのは赤だった。袋は全部違う色だ。クルテのヤツ、色分けして間違えないようにしているんだな、と思いながら黒い袋を出した。巾着を開けて中を見ると間違いない、宝石がごろごろと入れられている。自分のベッドに戻って、掛け布団をどかして袋の中身を出してみた。
ほとんどが黒瑪瑙、形は様々だ。それに大粒の金剛石と紅玉・蒼玉……
グレナムの剣を思い出す。この宝石のほとんどは鞘に使われているものだ。
鞘の表面はオニキスで埋め尽くされ、ダイヤモンド・ルビー・サファイヤが配置されていた。裏は黄金で、精霊の彫刻があった。初めて見たのは五歳くらい、父が即位したころだ。子ども心に『なんて素晴らしいんだろう』と見惚れたのを覚えている。
中でも印象に残っていたのは鞘の裏面の彫刻だ。精霊はすらりと細い肢体、腕を頭上にゆったりと伸ばし、俯き加減に微笑んでいた。幼いカテロヘブは、こんな人が妻になってくれたら幸せだろうと思った。ある意味初恋だったかもしれない
父も祖父もグレナムの剣を身に付けてはいなかった。大切なものだからと、普段は鍵のかかる宝物庫に仕舞っていた。だから儀式や何かの祝事の時にしか目にすることはなかった。
父の急死で即位することになり、戴冠式でグレナムの剣を身に着けた。そして強く思った。やはり素晴らしい……仕舞い込んで、たまにしか見ないのは惜しい。
ピエッチェ――カテロヘブ王はグレナムの剣を常に身に着けておくことにした。お陰でネネシリスに奪われずに済んだのは巡り合わせなのだろう。
見れば見るほど美しい剣、中でも鞘の裏面の彫刻に魅せられていた。これほどの彫刻は他にない……毎晩、眠りにつく前に剣の手入れを怠ることがなかったが、中でも念入りに彫刻を磨き上げた――
「あれ? 指輪がない」
剣の柄の先端についていた房飾りを通す穴だと思った指輪、金貸しの器量を見るためにマデルに貸したあの指輪がない。
まさか盗まれた? いや、クルテに限ってそんなドジは踏まない。だとしたらクルテが持っている? クルテに訊けば早いが、勝手に見てしまった後ろめたさから訊くに訊けない。どうしたものかと思いながら、宝石を全て袋に入れてサックの中に戻した。
クルテは長湯だった。様子を見に行ったほうがいいだろうかと心配になる頃やっと戻ってきた。
「大丈夫か?」
「何が?」
「おまえ、さっきより元気がないぞ?」
濡れた黒髪をタオルで拭きながら、気怠げにクルテがピエッチェを見た。
ピエッチェを見詰めたまま髪を拭くクルテ、目を逸らすタイミングがつかめずに気まずさを感じながらピエッチェは、ベッドに腰かけたままクルテを見ているしかない。
「んー、髪ってなかなか乾かない」
クルテがタオルを背凭れに掛けて、ドサッとソファーに腰かけた時はホッとした。ピエッチェから視線をソファーに向けたからだ。これでピエッチェもさりげなく視線を外せる。
だが、ホッとしたのも束の間、
「オニキスの指輪ならここだぞ」
と言われて慌てる。
「オニキスの指輪?」
「わたしのサックを見たね。隠しても無駄だ」
「イヤ、その……」
そうだった、コイツは他人の心が読める。うっかり忘れてた。
「別にピエッチェならいつ見てもいいよ。秘密にすることもない。クソ不味い秘密を持つな」
「いや、でも――って、不味いのか?」
「味見する気にもなれないほど。そもそも秘密の数にも入らない……わたしはカテロヘブのもの、だからわたしの持ち物もカテロヘブのもの。わたしの持ち物が気になるなら、いつでも勝手に見ればいい。所持金が気になるか?」
「金は俺のものじゃない。いくら持ってようと気にもならないし、関係ない――ただ、足りなくなったら必ず相談しろ……おまえが俺のもの?」
「路銀が足りなくなることはないから安心していい。おまえ、本当に色々忘れているな」
「えっ? えぇ?」
「まぁ、そのうち思い出す、多分」
「思い出す?」
「そんな事より、指輪が気になっているのだろう? 見たいのか?」
「イヤ、単純に、どうしたんだろうと思っただけだ」
「ふむ……」
と、突然クルテが消え、瞬時にピエッチェの隣に現れた。
「うわっ!?」
「そろそろ慣れたらどうだ?」
クスッと笑ったクルテ、ピエッチェにくっつきそうなほど近くに腰かけている。むしろ、その近さに驚いたピエッチェだ。
「ほら、よく見るといい。おまえが思っている通り、柄の先端の、房飾りを通す穴だ。台の飾り掘りや石の形や留め方に見覚えがあるんじゃないのか?」
クルテがピエッチェの目の前に自分の手を翳す。例のオニキスが薬指にあった。クルテの言う通りだ。手に取って見なくても判った。
「それにしても、なんで指に嵌めたんだ?」
クルテの指に指輪は一つきりだ。
「ピエッチェがしてるからさ」
ピエッチェは、表面をずらすと内側に紋章を掘り込んだ指輪をしている。
「指輪なんかしたことないから、どんな気分なんだろうと思った。で、なんとなく嵌めたら抜けなくなった」
「え、えぇ?」
「しかも、姿を消しても抜けてくれない。一緒に消えて一緒に現れる。物に姿を変えると出て来ない。どこに行ってるんだろう?……困ったな」
「抜けないって、どうするんだよ? グレナムは必ず元通りに直すんじゃなかったのかよ?」
「まぁ、修復するまでにはなんとかする」
「な……なんとかなるのか?」
「グレナムの精霊次第」
「精霊の仕業なのか? おまえ、宝石を外したりして精霊の怒りを買ったんじゃないのか?」
「んーー、そうではないだろう。多分」
「また〝多分〟なのかよっ!?」
「ま、心配するな――いったん消えたからだな、髪が渇いた。寝る」
「ん? あぁ、オヤスミ」
けれどクルテは座ったままだ。じっとピエッチェを見ている。
「なんだよ?」
「ピエッチェはまだ寝ないのか?」
「イヤ、おまえこそ寝るんだろう? さっさと自分のベッドに行けよ」
「うん? このベッドで寝るぞ?」
「なんだよ……じゃあ、俺がそっちに行くからサックを退けろ」
「サックはあそこに置いとく。ピエッチェもこのベッドで寝ろ」
「なにぃ?」
「前より横幅もある。二人で寝ても充分だ」
「ちょっと待て!」
思わずピエッチェが立ち上がる。
「同じベッドに寝る気なのか?」
「おまえが右、わたしが左だ」
「いや、そうじゃなく」
「今さら何を言っている? 毎晩わたしが横にいることに気が付いてないとは言わせない」
「いや、いや、そうなんだけど」
「どうしてわたしがいつもおまえのベッドに潜り込んでいるのかを訊こうと思ってたんだろ? 話してやるから座れ」
そうだった、コイツは秘魔だった。こちらの考えている事なんかお見通しだった。再び思い出すピエッチェだ。舌打ちしたいのを抑えて腰を降ろす。
「それで?」
「うん……以前、眠ったことがないと話したが、クルテの身体でいるようになって、眠ることをわたしは覚えた」
「やっぱり生身の身体だと眠る必要ができたってことか?」
「コゲゼリテでは夜通し監視する必要があったし、おまえと二人きりだったから精神体に戻っても問題がないと考えた。だがデレドケではカッチーも同じ部屋だ。それで眠っているクルテが必要と考えたのが最初だ」
自分のことをクルテと呼ぶのがちょっと不自然に感じたがピエッチェはわざわざ言わなかった。
「で、試しに眠ってみた――うん、おまえもカッチーもよく眠るが、眠りとは心地よいものだな。でも、恐ろしいものでもある」
「恐ろしい? 精神体が眠ったら存在が無くなるようなことを言ってたっけ?」
「うん、未だ精神体の時は眠ったことがない――そうじゃなくって〝夢〟ってのが恐ろしい」
「怖い夢でも見たのか?」
「消滅する夢とかピエッチェがいなくなる夢とか」
「なんだよ、俺がいなくなるのが怖いのか?」
「いけないか?」
「いけなかないけど」
「で、藻掻いて目が覚めた。きっとわたしは魘されていたんだろう。気付かなかったか?」
「うん、気付かなかった」
「冷たいヤツだ。わたしはおまえが魘されていればすぐ気づくのに。まぁ、カッチーの大鼾でも滅多に目を覚まさないから仕方ないか」
不満そうなクルテ、なんだか納得いかないが、言い訳しても罵倒されるだけだとピエッチェは何も言わずにいた。
「目が覚めてすぐに考えたのはちゃんとおまえが無事かってこと。見に行ったらよく眠っている。安心したけれど、心配は消えない。夢の中で感じた事って、目が覚めても暫くは消えてくれないものなのだな」
「あぁ、そんな時もあるな」
ナリセーヌの夢を見て、なかなか治まりがつかないことがあったと思い出す。チラッとクルテに見られ、慌てて思い出すのをやめた。
「それでだ」
少しクルテの機嫌を損ねたか? 僅かにクルテの口調がかたくなった気がする。
「眠る時もおまえを守ることにした」
「うん?」
「おまえの弱点は左腕、だからおまえの左に眠る……カッチーと同じ部屋の時はカッチーが眠ってからにして、起きる前には自分のベッドに戻った。誤解されたくないんだろう?」
「いや、そりゃそうだけど」
「おまえは気が付いていてもわたしをそのまま寝かせていた。つまり、いやがってはいない」
「いや、それは違う」
「イヤなのか?」
「イヤって言うか」
「ほら見ろ、イヤではない――だからこの先は毎晩おまえと同じベッドで寝ることに決めた」
「決めちまったのか?」
「なんか支障があるのか?」
「あるような、ないような?」
クルテがじっとピエッチェを見詰める。心を覗かれているようで、少しいやな気分だ。なんと言われることか……だがクルテの次の言葉は意外なものだった。
「頼んだら、許してくれる?」
「えっ?」
「ピエッチェと一緒に眠るとイヤな夢を見ない。温かいし安心する――いつも『あやふや』な自分って存在がちゃんとここに居るって実感できる。だから頼むよ……ダメ?」
自分を見詰めるクルテをピエッチェも見詰めた。
精神体って自分の存在さえもはっきりしないのかもしれない。それこそ雲を掴むようなもんだろう。
俺って甘いよな、と思いながら、
「判った、同じベッドに寝てもいい。寝相は悪くなさそうだしな。でも、あんまり強く腕にしがみ付くな。眠り難い」
そう答えるピエッチェ、クルテが嬉しそうに笑む。その笑顔にどきりとし、慌ててピエッチェが言い足した。
「だけど、もう一つ質問に答えろ。その答えによっては許さない」
「うん、何が知りたい?」
「おまえ、最近疲れ過ぎだよな? 生身の身体じゃ疲れるんじゃないのか? 精神体のほうが楽なら、夜は精神体に戻ったっていいんだぞ?」
「その事か……」
クルテがピエッチェの腕に掴まり凭れかかってくる。
「消化不良を起こしてる。秘密の食らい過ぎだ」
「秘密の食らい過ぎ?」
「あちこち行って、おまえが話しを訊いてる間に相手の心を読んでる。知りたい秘密だけを食えればいいんだけど、必要のない秘密まで食っちゃう。そのほとんどが質の悪い秘密――だからピエッチェは心配しなくていい。カッチーとマデルの前では二人にあわせて心配してるフリをすればいい。判った?」
「おまえ、それって無理してるってことなんじゃないのか? 調査は俺たちに任せておまえは宿で待ってろよ」
「イヤだね。ピエッチェと一緒にいる」
「イヤだなんて言わずにそうしろ」
「秘魔のわたしが居れば相手の隠し事も読み取れる。おまえにもマデルにも、もちろんカッチーにもできないことだ。ただ、重要な秘密を持っている人物にはまだ遭遇できていないだけだ――判ったか? 判ったらさっさとベッドに入れ。眠いよ」
「こんな話をしててよく眠くなれるな? てか、なぁ、おまえも眠れば疲れが取れるのか?」
「そうだよ。だから疲れれば眠くなる。いいからさっさと寝ろってば」
話し足りないピエッチェだが、それでもベッドに横になる。右側だ。するとすぐにクルテも潜り込んできて、しっかりピエッチェの左腕にしがみ付く。
「だからそれじゃあ寝にくいって」
ピエッチェの苦情、だけどクルテは反応しない。すでに寝息を立てていた。




