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ザジリレン国外周の集落で、ここから一番近いのは? そうピエッチェに訊いたクルテがニマッと笑う。
「そんなことを訊いてどうする気だ?」
嫌な予感にピエッチェが訊き返す。フフンと鼻を鳴らしてクルテが答えた。
「カッテンクリュードの前に、最低でもコッテチカには行きたい」
「コッテチカ!?」
コッテチカはローシェッタ国との国境の街、ザジリレン国が軍を集結させている地だ。すでにジジョネテスキは現地入りしていて、兵が足りないことなどを理由にザジリレン国軍のゼンゼンブ侵攻を遅延させている――ゼンゼンブはローシェッタ国、コッテチカと隣接する街だ。
「それと、レシグズームにも行きたいな」
「何を言い出す?」
ピエッチェがさらに驚く。ラクティメシッスが
「レシグズームって、スットイッコ国との国境でしたっけ?」
ポカンとクルテを見た。
ジェンガテク湖の封印の岩は、かつて地下水脈の出口だった。地震による大規模な隆起で、現ザジリレン国は険しい山々に囲まれることになったが、その際、地下を通ってスットイッコ国から流れ込んでいた水脈も分断されたと考えられている。ジェンガテク湖・封印の岩が置かれているのは、その水脈の出口だったと言うのが定説になっている。もっとも、本当に水脈があったのか、スットイッコまで続いていたのか、調査されたわけではないので真偽は不明であり、単なる伝説と言えなくもない。
何しろザジリレン国の国境付近はどこも険しい山岳地帯だ。国境の大部分はローシェッタ国だが、コッテチカからゼンゼンブに向かっては両国で談合して建造した谷あいを通る街道がある。コッテチカ・ゼンゼンブを繋ぐ緩衝地帯を通るこの道は『同胞街道』と名付けられている。両王家の関係性を示しているが、ザジリレン国軍はここを通ってローシェッタに攻め込もうとしているのだからなんとも皮肉だ。他にも山を抜ければ国境を超えられなくもないが、どれも人道として整備されたものではない。
ザジリレン国の隣国はローシェッタともう一つ、それがスットイッコ国で、こちらはザジリレン国レシグズームから峠越えの細道があるだけだ。こちらもほぼ整備らしい整備は行われていないが、商業目的の荷馬車の往来もある。が、レシグズームにもスットイッコ側ボワカテナにも関所が置かれ、手形がなければ通れない。
「だって、俺たちはカッテンクリュードに行くんだぞ?」
驚き過ぎたのか呆れているのか、力が抜けてしまったようなピエッチェの声、クルテに訊いているというよりは、独り言に聞こえる。そんなピエッチェをクルテは見詰めている。同意してくれるのを待っているのだろうか?
少しばかりクルテの顔を見ていたラクティメシッスが『ふむ』と唸った。
「コッテチカやレシグズームに、なぜ行きたいんです?」
何か思いついたのかもしれない。ところがクルテはその質問に答える気がないのだろう、ピエッチェを見たままだ。
ピエッチェはピエッチェで、クルテを見ていた。カッテンクリュードに行くんだぞ、と言ったきり黙っている。はたから見ると睨み合っているように見える。マデルとカッチーはどうしていいか判らずに、やはり何も言わずに成り行きを見守っていた。
先に視線を逸らしたのはピエッチェ、ふぅと小さな溜息を吐いた。
「コッテチカと聞いて、おまえがジジョネテスキを気にしているのかと思ったが違うようだな」
ジジョネテスキと連絡を取りたいのなら、ラクティメシッスが作ってくれた魔法具がある。
「レシグズームと聞いて、いったい何を、と思ったが……」
ゆっくり立ち上がったピエッチェをクルテが目で追う。
寝室に入っていったピエッチェに、慌てたのはマデルだ。
「ちょっと、クルテ! ピエッチェがどんな思いでカッテンクリュードに向かっているか知ってるよね?」
ところがクルテは今度も答えない。ピエッチェが消えた寝室を見ているだけだ。
「ちょっと、クルテ!」
言い募るマデル、するとラクティメシッスが
「マデル、心配しなくていいよ」
と微笑んだ。
「だって、ラスティン!」
「よく見てごらん。ピエッチェは寝室のドアを閉めていない」
「えっ?」
ハッと振り返るマデル、ラクティメシッスの言うとおり開け放された寝室から、ピエッチェが姿を現し居間に入るとドアを閉め、元いた席に戻った。
「ジジョネテスキ? それともトロンペセス?」
ラクティメシッスがピエッチェに訊いた。ピエッチェは寝室に『日記帳』を取りに行ったらしい。
「トロンペセスだ――アイツが集めた兵の潜伏先がどこなのか確かめる」
「トロンパだけじゃないと見込んでいるのですよね? 確かに、あの兵数で王都を落とすと企むにはいささかお粗末すぎます」
「それを聞いてから、ワッテンハイゼに進ませた兵をどんなルートでカッテンクリュードに行かせるかを決めよう」
するとラクティメシッスが考え込んだ。
「えぇ、もともと合流させて増やしていく予定でした。だからそのことに異論はないのですが……コッテチカやレシグズームに行軍させるのはどうかと思います」
これにはピエッチェがニヤリと笑う。
「そんな無駄な動きをさせるものか」
「うん?」
思わずクルテを見るラクティメシッス、クルテはピエッチェを見るのをやめてブドウを一粒ずつ口に運んではニンマリしている。薄切り肉のソテーはもう食べる気がないようで、自分の前から追いやっていた。
ピエッチェは日記帳に何か書き込み始めた。マデルがラクティメシッスに問う。
「どういうことなの?」
「そうですねぇ……」
少し考えてからラクティメシッスがカッチーを見た。
「判るかい、カッチー?」
「俺に判るはずないです」
憮然と答えるカッチーをラクティメシッスが笑う。
「いや、その顔は気付いたってことだろう? 遠慮しないで言ってみなさい。違ってたってバカになんかしませんよ」
「そんなこと言って……ラスティンさんは判ったんですか?」
「もちろん、気が付きましたよ」
ニヤッと笑んでラクティメシッスが言った。
「コッテチカやレシグズーム、そのほかにいる同志を動かす口実のためです」
「やっぱり、そうだったんですね」
カッチーが嬉しそうに言った。
「トロンパだけじゃない場所にもピエッチェ盗賊団が出没すれば、国内のどこからでも行軍できるってことですよね?」
関心がなさそうだったクルテが、ブドウの最後の一粒を口に入れてニマッと笑った。
「でもクルテさん。レシグズームはともかく、コッテチカは危険すぎるんじゃないんですか?」
カッチーに目を向けるとオレンジジュースをごくごくと飲み干してからクルテが言った。
「コッテチカにはザジリレン国軍がいる」
「そうですよね? 十七人じゃ一網打尽にされるんじゃ? そうなったら元も子もありませんよ」
「別に戦をしに行くわけじゃない」
「それじゃあ、何をしに?」
カッチーの疑問にニヤッとクルテが笑う。
日記帳を睨みつけていたピエッチェが、
「ラスティン。ちょっと頼まれてくれ」
と声をあげれば、カッチーの注意も逸れた。クルテは『眠い』と目を擦り、書き物を終えたピエッチェに撓垂れかかる。
「ワッテンハイゼからどう動くか、決まりましたか?」
「うん――歩兵は当初の予定通りワッテンハイゼを出てギスパとレンレンホで宿を取り、キャッテクからジョネルテ街道を使ってカッテンクリュード方面に。騎兵はワッテンハイゼからクリント峠に向かうよう指示してくれ。そこから山を越えてデリッサにいる兵たちと合流し、ムスケダムに向かう。ムスケダムからはスナムデント街道になると思うけれど、とりあえずムスケダムで待機して欲しい」
「うーん……土地勘がないと辛いものがありますね。言われた意味は判るけど、具体的なイメージがさっぱり浮かんできません――なぜムスケダムで待機?」
「兵数がどれくらいになるかトロンペセスも把握しきってないらしいんだ」
「トロンペセスのような人物が他にもいると?」
「ケッチャジョって男だとトロンペセスが言ってた。俺もよく知らない男だ」
「信用できるんですか?」
「チュジャバリテやジャルジャネの例もある。トロンペセスを信じるしかない、ってところだな。まぁ、ケッチャジョは現役軍人らしい」
クスッと笑ったラクティメシッス、
「少しは警戒してるんですね」
とピエッチェの顔を覗き込む。ムッと気難し気に顔を背けると、怒ったようにピエッチェが言う。
「判断を間違えれば、多くの命が奪われることにもなりかねない。ラスティン、あんたの部下だって含まれてる」
ラクティメシッスがさらに笑い、
「えぇ、その通りです……歩兵と騎兵を分けて行動、歩兵は予定通りで、騎兵はえっと、クリント峠からデリッサに向かう――で、あってますね?」
地図を見ながら確認し、連絡してくると言って寝室に向かった。
ムッとしたままのピエッチェにマデルが、
「あの人ね、もともと皮肉やだから」
とラクティメシッスを非難する。
「でも、言っても大丈夫な相手にしか言わないのよ。好きな相手を揶揄うって言うのか、お子さまなの――ごめんね」
これにはピエッチェも苦笑するしかない。
「気にしてないよ。いい加減慣れたしね」
「アイツ、ピエッチェのこと、大好きみたいよ。自分と違って捻くれてない、だって。笑っちゃうよね、自分は捻くれてるって判ってるみたい」
「俺が大好き? それってちょっと微妙だなぁ」
「有難迷惑って顔してる」
クスクス笑うマデル、聞いていたカッチーが、
「俺もピエッチェさんが大好きです。有難迷惑ですか?」
ビクビクしながら訊くと、マデルがますます笑う。
ピエッチェはチラリとカッチーを見て、
「判らないのか?」
と言うだけにとどめた。下手に言い繕うとカッチーがまた誤解しそうな気がした。それでよかったらしい。一瞬、戸惑ったカッチーだったが
「はい、頑張ります!」
と嬉しそうに笑んだ。
有難迷惑かどうかを考えるのを頑張るのか、それとも有難迷惑にならないよう頑張るのか? そう受け取れないこともないが、信頼に応えると言ったのだと思うことにした。同時に、カッチーには嫌われたくないと思っていた。でも……
「ふむ……」
つい唸ったピエッチェをクルテが見上げる。
「今、笑うか唸るか迷わなかった?」
「笑う気はなかったぞ?」
「そうなんだ? カッチーに嫌われないためにも自分を磨こうって思ったように感じたんだけど?」
「なんで、それで笑うんだ?」
「カッチーに嫌われるのは辛いなって思ったついでに、『だったらラスティンには嫌われてもいいのかな?』って考えなかった?」
って、図星だ。
「でさ、ラスティンにも嫌われたくないなって思ったでしょ? 皮肉を言われようが笑われようが、自分だってラスティンが好き。それが可笑しかった。違う?」
ピエッチェがクルテに微笑む。こいつには判ってしまうんだ。たとえ心が読めなくたって――




