9
モーモターマはすぐ見つかった。ラクティメシッスが『ラスティンの名で部屋を確保してあるはずだ』と言うと
「あぁ、夕食と、朝もルームサービスってお客さんだね」
受け付けの、初老の女が愛想笑いした。
「代金は貰ってるよ――いやさ、部屋を頼みに来たのはモサい男だったんで、こんな綺麗なおニイさんが来るとは思ってなかった。あんた、いい男だねぇ。見惚れちまうよ」
どうやらお世辞抜きで言っているらしい。ほんのり頬を染めている。
すぐにお茶が欲しいと言うラクティメシッスに、
「そうだ、甘いものは好きかい?」
トレイにポットとカップを用意しながら訊いてくる。
「茶菓子は付けないんだけど、特別サービスだ」
好きも嫌いも答えていないのに、皿を出して焼菓子を盛りつけた。ラクティメシッスの分だけかと思ったが、さすがに五切れ乗っていた。
「あんたたち、どこから来たの?」
ポットに湯を注ぎながら女が訊いてくる。が、やっぱり返事も聞かずに
「トロンパじゃ大騒ぎだって話だよ」
と続けた。
「なんでもローシェッタから来た盗賊の一団が村を襲ったんだってよ――このところ恐ろしいことが立て続けさ。まったく、この国はどうなっちまうんだろうねぇ」
「あぁ、トロンパの盗賊の話は聞いた……恐ろしいことが立て続けって?」
盗賊がトロンパを襲ったと、ラクティメシッスの部下がザジリレン各所で噂を流す手筈だ。でなければ、こんなに早くキャッテクに伝わることはない。
「うん? だってさ、カテロヘブさまが居なくなって以来、お偉いさんが投獄されたり左遷されたり、病気になったり。近いうちにローシェッタと戦争になるらしいしさ――あれ? トロンパを襲ったのは盗賊じゃなくってローシェッタ兵? ってまさかね。軍があの山を越えられるはずもないさねぇ」
「病人ってのは初耳だなぁ」
「それがさぁ、あんた。戦争が始まるってのに、国軍の一番偉い人、総督だとかが寝込んじまったんだってよ。で、誰を代わりにするかで揉めてるんだって。二人の息子のうち、どちらかってことになるだろうねって話だね」
「おネエさん、それ、誰から聞いたんだい?」
「あら、おネエさんだなんてヤだよう、オバちゃんでいいよ――カティングリュートから来た行商人だよ。まぁ、王都じゃいろんな噂が飛び交ってて、どれが本当か判らないとも言ってたね」
「ほかにも何か聞いた?」
「王都での噂かい? ひょっとしてこれから王都に行く予定なのかな? やめといたほうがいいよ。なんでも殺伐としてるって話だ――そうそう、噂って言えば王女さまも体調がすぐれなくって寝込んだって話だね。食べても戻しちまうからげっそり痩せたとか……やっぱり、ザジリレンは終わりなのかね」
ラクティメシッスを押し退けて前に出たのはクルテ、
「食べても戻すって、悪阻じゃなくて?」
と訊けば、女が笑う。
「王女さま、旦那に愛想尽かして別居中だって聞いてる。お嬢ちゃん、悪阻ってどうしてなるか知ってる?」
「それぐらい知ってる。妊娠したら――」
「ひいっ! なんだい、あんた、その口!」
クルテに最後まで言わせず、女が悲鳴を上げた。宿に入る前に口元はハンカチで拭いて、マデルが『うん、きれいになった』と言っていた。
へっ? と首を傾げるクルテ、ピエッチェが回り込んで見てみるが可怪しなところはない。
「わたし、どうかした?」
不思議そうなクルテ、それを見たピエッチェとラクティメシッスが笑いだす。クルテの口の中は歯まで真っ赤に染まっていた――
部屋に入るとクルテは真っ先にバスルームに行った。口中を綺麗にしてくるのだろう。
「しかし、心配ですね」
ラクティメシッスが静かに言った。傍らではマデルがカップにお茶を注いでいる。
溜息交じりでピエッチェが答える。
「受付の女も言っていたが、噂だの憶測だのの枠を出ない」
心配しても無駄だ。そもそも王都に居るならともかく、こんな遠い場所に居るんじゃ何もできない。
そうだ、真実とは限らない……クリオテナとネネシリスの不和は他でも聞いた。でも、クリオテナがネネシリスから離れるとは考えにくいし、この状況でネネシリスが王女を手放すはずがない。
父王の反対を押し切って結婚したのだ、クリオテナの性格を考えると意地でもネネシリスから離れないだろう。そしてネネシリス、王女の夫と言う立場を今、手放せば自分の首を絞めるようなものだ。
「あ……?」
つい、小さな悲鳴を上げたピエッチェ、
「どうかしましたか?」
ラクティメシッスが心配する。
「いや、ゴランデ卿がクリオテナを妻にするとかふざけたことを言ってるって話を思い出した」
「なるほど、王女さまが別居中って件ですね」
ラクティメシッスが、カップに手を伸ばす。すでにマデルは五人分のカップをそれぞれの前に置いていた。クルテの分はピエッチェの隣、クルテはまだバスルームから戻らない。
「ゴランデ卿のやり口は、弱みを握って従わせるんでしたよね? クリオテナさまやグリアジート卿が弱みを握られるとしたらどんな?」
「もしネネシリスに弱みがあるとしたらクリオテナだと思っていた。従わなければクリオテナに危害が及ぶ、そう脅されればゴランデ卿に従うんじゃないか?」
「王女さまに弱みはない?」
「それも同じだよ。ネネシリスに危害が及ぶとなればあるいはって感じかな? でも、向こうっ気が強いからね、やれるもんならやってみろ、是が非でもネネシリスを守るって啖呵を切りそうだ」
「ご両親は他界、弟は行方不明……そうなると頼れるのは夫だけってことですね」
「うん、そうな――弟?」
「何を不思議そうな顔をしてるんです? 弟って、ピエッチェ――あっ?」
ピエッチェとラクティメシッスが顔を見合わせる。
「ゴランデ卿がもし、カテロヘブの身柄を預かっているなんて言い出せば、ネネシリスもクリオテナも言うことを聞かざるを得ない」
「えぇ、わたしもそう思います。でも、そう簡単に信じるでしょうか?」
「魔物の魔法を使って、偽カテロヘブを作り上げ、それを見せればいいだけだ」
「なるほど……ってピエッチェ、その手で従わせられるのは、なにもクリオテナさまやグリアジート卿だけじゃありませんよ?」
「うむ……」
そうだ、国王を人質に取ればザジリレン国の全てを従わせられる。王に取って代わる存在になれる。でも、
「そうなるとローシェッタ国に戦を仕掛ける口実は?」
ピエッチェが考え込む。
が、これはすぐにラクティメシッスが答えを出した。
「こうは考えられませんか?――ローシェッタ国に言い掛かりをつけて戦争を起こすため、カテロヘブは表に出さないとか」
「なるほど一石二鳥か。カテロヘブを人質にして政治を思いのままにし、さらにローシェッタに濡れ衣を着せて戦争を起こす――ザジリレンに勝ち目はない。が、国王を取られているんだ、宣戦布告には充分な理由になる」
「そしてローシェッタがザジリレンを亡ぼせば、残るはローシェッタ。だがこちらも戦争で国力が衰える」
「狙いは両王家を滅亡させること」
「さらに現国王は倒れ意識が未だ回復しない――ローシェッタ国でこの悪巧みを画策しているヤツはわたしの所在を躍起になって探していることでしょうね」
「ふむ……」
ピエッチェが腕を組む。
「一番難しいのは糸を引いているのが魔物だってことだ」
「人間が魔物を利用しているんではなく?」
「あぁ、そうも考えられるのか……でも、なぜだろう、魔物に思えて仕方ない」
ピエッチェの念頭には唆魔ゴルゼの存在がある。ゴルゼなら人や物の姿を変える魔法が使えるだろう。そもそも唆魔だ、人を唆すのはお手のものだ。
「しかしピエッチェ、もしも首謀者が魔物だとして、なぜ王家や国を滅ぼそうなんて考えたんでしょう? そんなことをしたって、魔物に得があるように思えないのですが?」
「さぁなぁ……でもさ、こっちが気付かないうちに、魔物の恨みを買ったってこともない話じゃない。なにしろ人間は魔物を駆除対象としてるからな」
「なるほど、向こうからするとその駆除を指示しているのは王家ってことですか」
何を恨んでいるか、それには心当たりがある。七百年の長きにわたり封印されれば恨みに思っても不思議じゃない。だが、それでも説明できない部分がある。ザジリレンはともかく、なぜローシェッタを巻き込むのか? 封印したカテルクルストの子孫に恨みを晴らすのは理屈も通る。まさかカテルクルストの生家がローシェッタだからなのか?
そう言えば、ゴルゼが憑りついたのは実はネネシリスではなさそうだと判っているが、では誰なのか? クルテに訊けば教えてくれるだろうか? 条件がクリアできていれば案外あっさり言うかもしれない。だが、まぁ、ラクティメシッスたちの前でできる話じゃない。それにしてもクルテが戻って来ない。なにしてるんだ?
「アイツ、遅いな。なにしてるんだろう?」
「ついでだから入浴でもしてるのかしらね?」
ピエッチェの疑問にマデルが笑う。
「なんだったら見に行けば?」
「な、なに言ってる!?」
そう言いながら顔が熱くなるのを感じるピエッチェ、ラクティメシッスが
「なんだったら、一緒に入っちゃえ」
さらに揶揄う。
ちっと舌打ちし、
「そろそろ食事も来る頃だ――マデル、呼んできてくれないか?」
ピエッチェが言う傍からドアがノックされ、カッチーが応対に出る。さっき受付に居た初老の女だ。皿を乗せたワゴンを押している。
「うぅんとサービスしておいたからね」
配膳しながら女が、嬉しそうにラクティメシッスに言う。ダイニングテーブルに並べられた料理は確かに予想よりずっと豪華だ。居座りはしないかと危ぶんだが、配膳が終わると『空いた食器はワゴンに乗せて廊下に出しとくれ』と言って、女は部屋を出て行った。
「さすがに遅すぎるよね」
やっとクルテの様子を見に行く気になったマデルがバスルームに向かう。ここの宿は寝室ごとではなくバスルームは一つ、そのドアは居間にある。
「クルテ?」
ノックしながらマデルが呼ぶが反応がない。
「開けるわよ」
どうせドアの向こうは洗面、脱衣室とトイレのドアがあるはずだ。開けたところで問題はなさそうだけど、居るのが判っているのだから遠慮もする。
それでもマデルはもう一度クルテの名を呼んだ。耳を澄ましているのは……中から物音がしないのか?
「マデル? どうかした?」
ラクティメシッスが心配そうに声をかける。振り向いたマデルが
「クルテ、居るのかな?」
蒼褪めた顔で答える。すっと立ち上がったピエッチェ、ラクティメシッスもそれに倣う。
バスルームのドアの前でピエッチェがクルテを呼んだ。やはり答えはない。耳を澄ますがマデルが言うとおり、何の音もしない。
「クルテ!?」
ピエッチェがバスルームのドアを開けた――




