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その夜の寝床は確保できた。かつてスズマリアネが所有していた高級宿だ。部屋に落ち着いてからカッチーが、
「そうだ、ここ、宿賃払ったのに泊まってなかったんですよね」
と笑う。
「あの時は下見に来てたんだって噂を、村中で信じてくれたみたいね」
クスクス笑うのはマデル、ラクティメシッスが、
「そうしないと、わたしたちを覚えている人がいないとは限りませんから」
こちらはいたって真面目だ。
ピエッチェたち五人は寝室三つの部屋を占領している。他は二人か三人ずつで部屋を取った。
「えっと、なんでしたっけ?……そうそう、グリンピレ菓子店! 震えながらですけど、ちゃんと金を受けとったそうです。渡された額を見て『多すぎる』って呟いていたとか」
村長の家での出来事だ。ピエッチェに耳打ちされたラクティメシッスが部下を呼び、呼ばれた部下はグリンピレ菓子店に行って支払いを済ませていた。
もっとも、
『おいっ! 俺たちは物乞いじゃねぇんだよ!』
と怒鳴りつけ、叩きつけるように金を台に置いたらしい。
『多いだと? ふん! 恵んでやらあ。怖い思いをした代償だとでも思っとけ』
そして
『だがな、このことは口外するなよ。他のヤツからも恵んでくれって言われたら堪んねぇからよ!』
と言い捨てて店を出た。
それを聞いたときピエッチェは盗賊と物乞いって、どれくらい違うんだろうと感じていた。まぁ、無理やり奪うのと、自主性に任せるのでは大きく違うか? 物乞いだって正当な理由もなく他人の金品を自分のものにしようとしているんだから、大差ないように感じる。もっとも、どうにもならない事情があれば仕方ないとも思う……盗賊よりよっぽどマシ、それは間違いなさそうだ。
十七人分の食事は、間借り人として先行潜入したラクティメシッスの部下が手配した。だから村長を脅すまでもなかったのだが『ピエッチェ盗賊団』を印象付けるために、できる限り村長を怖がらせることにしていた。
もちろん、この宿に部屋を確保するのも計画のうちだ。村のほうからここを提供するすると言い出させる、そのうえで宿に入りたかった。この宿に入り込んだ一番の目的は、トランぺセスがトロンパに集めた有志とコンタクトを取ることだ。村人たちが不審に思っている間借り人たちが、その有志なのは言うまでもない。
だが、宿の秘密がすでに敵に知られていないとは限らない。だから単純に宿に押し掛けるよりも、村に提供されたのだと口実を作りたかった。
「今さらなんですが」
ラクティメシッスが言い難そうに言った。
「トランぺセスが集めた中に、敵の間者がいるってことは?」
少しだけ間をおいてピエッチェが答えた。
「さあな……もし居たなら、向こうのほうが上手だってことだ」
「あっさり負けを認めるのですか?」
「それだけで負けたと思うのは早計だ」
いつだったか、戦う前に負けた気になるなとクルテが言ったのが不意に脳裏に浮かんで笑ってしまった。あれはコゲゼリテ、ヤギ男の大きさにピエッチェがビビったと思ったクルテが叱責したんだった。あの時はかなりの余裕があった。
大きさを話題にしたのはピエッチェにしてみれば冗談だった。付いているところを見るとオスだと言った直後だ。そうだ、あの時は余裕があった。敵はネネシリスただ一人、どうにかなると思っていた。
ローシェッタ国王を頼れとクルテに言われて、よく考えもせずそれに従った。ローシェッタ王の権威だけで、どうにかなると考えていた。それがどうだ? 両国が軍を動かす事態、下手をすれば戦争になるだろう。それに加え、信用していた家臣が内戦を企てていた。
これと言って何もしないうちに、これっぽちも余裕のないところに追い込まれている。もしクルテが居なければ、こんな事態になってしまったことも知らず、街の噂に神経をすり減らすだけで、未だにどこかでウロウロしていたことだろう。
それどころか、クルテが居たからこそ命を永らえられた。あの森の中で、本物だか偽物だかはっきりしないネネシリスと討ちあい、敗れ、命を落としていた。ヒョイッとクルテが顔を出してくれたから、足を滑らせて転落した結果、命拾いした。
カテルクルスト王は娘を贄に魔物を封印した――カッチーから聞いた物語を思い出す。あの娘はクルテ、魔物と一緒に封印された娘……カッチーはどこに封印されたかまでは判らないと言っていた。けれどピエッチェには予測がついていた。グレナムの剣だ。
戴冠式の直前、刀身を見ようと鞘から剣を抜いた時、柄の房飾りをつける輪がなぜか外れてしまった。慌てて抜けた輪を差し込んだ。カチッとうまく嵌ったから、それ以上は何も考えなかった。でもきっと、あれでクルテとゴルゼの封印が解けたんだ。剣は今まで何度も鞘から抜かれている。だから封印されていたのは鞘の中ではない。
クルテがサックに入れて持ち歩いている黒い革袋、あの中身がグレナムの剣の鞘を飾る宝石だというのは判っている。あの中の見覚えのある指輪、あれは柄の先端に付けられた飾り房を通す輪だ。
娘は封印石、だとしたら、あの輪はクルテの化身か? それともクルテがあの輪の化身か? どちらにしろ、クルテはグレナム、ザジリレン王を守り、ザジリレン王に助言し、ザジリレン王を導くもの……
笑ったと思ったら、今度は難しい顔で考え込んでしまったピエッチェに
「その場合の策を何か考えているのですか?」
とラクティメシッスが探るような顔を向けた。
「いいや? 向こうがどう出るか判らないのに、考えようもない」
「あれ? 何か企みがあって笑んだんじゃないんですか? それにそのあと考え込んだのは?」
これも苦笑で誤魔化したピエッチェだ。
ソファーでぐったりしていたクルテがマデルに聞いている。
「ねぇ、夕食はまだ?」
窓の外はすっかり日が暮れている。
「もうお菓子、全部食べちゃったの? わたしには一つもくれなかったのに?」
マデルが呆れている。
「お菓子? わたしだって食べてない」
「村長さんに言われて、村の人が買ってきてくれたじゃないの」
「あぁ、あれ? 若い村長だったよね。まだ小さな子どもが三人、奥のほうで震えたた」
「あぁ……わたしも気付いてたわ。可哀想だけど仕方ないよね」
「だから、村長の家に置いてきた――こんなの食べたくないって言って村長に渡したから、怪しまれてないと思う。きっと家族で食べたよ」
ラクティメシッスがニヤリと笑う。
「あれ、菓子店に代金を払ったのはわたしなのになぁ?」
ピエッチェがやはり笑う。
「あの時クルテに握らされた金、ポケットに入ってるから渡そうか?」
「ところで夕食ですが、先にこの貸間に入り込んだわたしの部下たちが調理したものなんです。申し訳ありませんが、今夜と明日の朝はそれで我慢してください――果物は忘れず用意するよう言ってありますからご安心を」
「気を遣わせて申し訳ないな」
なるほど、飲食店に十七名分頼むより、そのほうが人目に付かないか。部下たちと言っているところを見ると調理係に抜擢されたのは複数名、手分けすれば食材を少しばかり多く買い込んだって、そうそう不審がられはしない。
村長には『十七名分の食事と言ったがやめておく。こんな田舎じゃロクな食事も出せないだろう』と言った。自分たちが持っている食材を料理したほうがマシだとボヤキもした。きっと村長は、食事の用意をしなくてよくなったことに少なからずホッとしただろう。
「しかし、ジジョネテスキがこの宿を買い込むとは想像してなかった」
ピエッチェが言えば、ラクティメシッスが
「まぁ、渡りに船だったんじゃ? ジジョネテスキがチュジャバリテに頼んで買い取らせたって話だけど、トロンペセスがジジョネテスキに強請ったってところなんでしょうね」
ニヤニヤと言う。
「トロンペセスは有志を募ったのはいいものの、拠点にする場所がなかった。スズマリアネの悪事が発覚し、宿も空になる。これだ! と小躍りしたことでしょう」
「どちらにしろチュジャバリテが金持ちで良かったな。買い叩くと言っても飴玉を買うわけにはいかない。そしてジジョネテスキは今、大金を動かすわけにはいかない」
「必要なものが、人もそのほかも、なぜかあなたのところに集まってくる。これが人徳ってヤツですね」
「あなたって俺のことか? 全部偶然、幸運だとは思うけど、俺に人徳があるわけじゃない」
俺に人徳なんかあるはずがない。
するとラクティメシッスがフフンと鼻で笑った。ピエッチェをバカにしたわけではなく、どこか楽しそうな笑いだった。
「お嬢さんと話したことがあります。ピエッチェの周りには才能が集まってくるってね――その時は『才能』と言いましたが、具体的には、お馬さんのことでした。魔物と言うのは憚られたんで才能って言ったんですけどね」
ラクティメシッスがピエッチェを真っ直ぐ見た。
「あなたはもっと自信を持つべきです。あなたは紛れもなくザジリレン国王で、臣下の多くがあなたを慕う。でもそれ以前に魅力的な人物で、身分を知らない人でもあなたの人柄に触れればあなたを慕う――それを自覚しなくてはね」
自覚? ラクティメシッスにそう言われ、真っ先にピエッチェが考えたのは王としての自覚が足りなかったということだ。クルテの助けがなければ何もできなかったと思った時に、そう感じていた。
王としての自覚が足りないかあら、王としての資質が足りないから、臣下に王家打倒を考える者が出てきた。たとえ魔物に憑依されていたとしても、付け入るスキがなければこんな事態にはならなかったはずだ。
あぁ、そうか……その家臣に憑りついているのは唆魔、封印石のクルテが柄から外れ解放されたゴルゼはネネシリスではなく、正体不明の首謀者に憑りついた。
あれ? ゴルゼも確か精神体だとクルテが言っていた。だとしたら、何か物に化身するか憑りつかなければ移動できないはずだ。柄飾りが取れた時、部屋には誰もいなかった。だとしたら、何かに化身したはずだ。
あれは俺の執務室、大したものは置いていない。何か増えれば判るはずだ。何か小さなもの? あ……蟻とか? クルテはスズメに化けたって話して――
いや、待て。何かが矛盾している。そうか、ゴルゼだけじゃなく、同時にクルテも解放されている。だったらゴルゼはすぐさまクルテを狙うはずだ。でもそんなこと、クルテから一言も聞いてない。それとも、グレナムに封印されていた事すら俺の思い違いか?
ふと視線を感じ顔をあげると、視線の主はクルテだった。クルテはふいっとピエッチェから視線を外した……今の視線はなんだ? 俺の心を読んでた? 女神の祝福が強化され、俺の心は読めなくなったはずだ。
嘘は吐かないって約束はどこに消えた?




