17
飛び降りるのは造作ないが、よじ登るのには苦労しそうな高さの窓だ。玄関から入ったほうが楽なのは間違いない。窓を閉めたラクティメシッスが、部屋の中に声をかけてから寝室を出て行く気配がした。ピエッチェたちからは見えなかったが、マデルも起きてベッドに居たのだろう。
「どこまで話す気だ?」
庭を玄関へと向かいながらピエッチェがクルテに小声で訊いた。
「ジランチェニシスの父親がローシェッタ王家の人間だってことだけ」
「どうやって証明する?」
「証明する必要なんかない。夜香花の魔物が言ってたって言うだけ――ローシェッタ王家の内部事情はわたしたちには探れない。せっかく王太子と知り合いなんだ。利用しないでどうする?」
「なぁ、夜香花のことなんだけど、ノホメは森の女神って言ってたよな? なんで魔物だなんて言ったんだ?」
「ラスティンが女神なんて信じる? それにできる限り女神には触れたくない」
「でもクルテ、ノホメの話はマデルも聞いてる」
「あっ?」
クルテが不意に立ち止まる。
「あの時、マデルもいたっけ?」
「あぁ、ノホメの話を一緒に聞いた」
「なんで?」
なんでって言われてもなぁ。
「だったら魔物だなんて言わないで、最初から女神って言っときゃよかった――そっか、思い出した。ピエッチェと二人だったのは人魚に会いに行った時だね」
うん、正解。
「なにしろ、ラスティンとはわたしが話す。ピエッチェは黙ってて」
うーーん……
なんとなく今回はクルテに任せるのが不安だ。役に立つかは不明だが、いざとなったら口出しするか。
玄関のドアは開錠されていたがラクティメシッスの姿はなかった。暖炉の居間を抜け、キャビネットの居間に行くとソファーに腰を下ろして待っていた。
「マデルがお茶を淹れてる――カッチーはどうしますか?」
暖炉の居間を通る時、カッチーの鼾が聞こえていた。
「いや、寝かせておこう」
ラクティメシッスの対面に腰を下ろしてピエッチェが言った。王家に関する話だ。カッチーに聞かれるのをラクティメシッスが躊躇うかもしれない。
マデルがお茶を配り終え、腰を落ちつけるのを待ってラクティメシッスが言った。
「それで、ジランチェニシスの父親が誰か判ったのですか?」
いつになく表情が硬い。もしかするとある程度の予測がついているのかもしれない。いや……まさか知っている?
クルテがラクティメシッスを見てフフンと鼻を鳴らした。
「まぁ、そんなに慌てない」
ムッとするラクティメシッス、クルテは気にすることもなくティーカップに手を伸ばす。
一口啜ってから、
「まず最初に訂正しておく。夜香花の魔物と言ったが事実は魔物じゃない。ベスクの森の女神だ――マデルは知っているよね?」
そう言ってマデルに同意を求めた。が、マデルが何か言う前に、
「それならなぜ、魔物だなんて言ったのかな?」
ラクティメシッスがクルテを見詰めた。
「信じて貰えないと思った」
「それはわたしに、ってことですね。でも、なんでここで訂正する気になったんですか?」
「それこそ、魔物が語ったことなんか信じて貰えそうもなかったから」
「可怪しいなぁ。存在すら信じていない女神より、魔物のほうがずっとマシなんじゃないですか?」
じっとクルテを見詰めるラクティメシッス、クルテが一瞬きょとんとする。が、すぐに
「そっか……そんなもんなんだね」
呟くように言った。
「そんなもん?」
訝るラクティメシッス、クルテが、
「信じて貰おうと思って嘘吐いちゃダメだって、なんか判った気がする」
溜息をついてから、キッと顔をあげて見たこともないくらい真面目な顔でラクティメシッスを見た。
「今、ラスティンが疑っているのは夜香花が魔物だってこと? それとも女神だってこと? それとも夜香花が言った言葉を疑ってる? あっ! 夜香花が語ったってこと自体? もうさ、何も信じられなくなっちゃった?――ねぇ、どうしたら信じて貰える?」
なんか、尋常じゃないくらい必死だ。って、あれ? 涙ぐんでいないか?
「いや、いや、ちょっと待って、お嬢さん!」
クルテがこう出るとは想定外だったのだろう、ラクティメシッスがいつもの落ち着きはどこへやら、腰を浮かすほどタジタジだ。
「判った! 判ったから、泣かないでください。マデルに叱られます!」
隣でマデルが不愉快そうにフン! とソッポを向いた。
ピエッチェは呆れるばかり、明らかにクルテの涙は芝居だし、ラクティメシッスだってそうだ。マデルに叱られるなんて言うのはとっさに思いついた言い訳に決まってる。
きっとラクティメシッスはクルテの正体を暴くチャンスと判断し、夜香花にかこつけてクルテを攻めた。だがクルテのほうが上手だった。
夜香花の正体を疑えば、その言葉だって疑うことになる。ならば夜来香が何を言ったのかなど聞く必要はない。だが、ラクティメシッスは聞きたいはずだ。その矛盾点を突き、なおかつ逃げ道を用意したのはクルテだ。
ラクティメシッスに矛盾点を気付かせるため必死に訴え、涙ぐむことで引き際を与えた。そしてラクティメシッスもそれに気づいた。
「もう……まぁ、たまに思わず嘘を吐くことだってありますよね」
溜息交じりに言うラクティメシッス、クルテの正体を暴くのは、とりあえず諦めたようだ。
「それで? ベスクの森の女神は何を教えてくれましたか? どんなに昔のことでも、森の女神なら鮮明に覚えていそうですね」
ふぅん……今はやめておくけれど、諦めたわけではないと宣言したか。ラクティメシッスはかなり手応えを感じたのだろう。どんなに昔のことでも覚えている、それはきっとカテルクルストに関連していると言いたいんだ。
ヤツは何を掴んだ? カッチーから借りた本には何が書かれていた? クルテがカテルクルストとなんらかの関係があることしか俺は知らない。カッチーから本を借りよう――今度こそ本気でそう思うピエッチェだった。
夜香花は森の女神ということで納め、話しが本題に戻って行く。
「ローシェッタ王家の者が魔物に支配されている?」
さすがにラクティメシッスが顔色を変えた。
「いや、しかし、そんなことが可能なのか?」
マジマジとクルテを見るラクティメシッス、するとクルテがピエッチェを見た。
「夜香花はそう言ったよね? で、どう思う? 可能なのかな?」
なんで俺に訊くんだよ!? 黙ってろって言ったくせに!
「確かに俺も聞いた。聞いたって言うのも微妙なんだけど、夜香花は頭の中に直接話しかけてきた――で、魔物が人間を支配するかどうかだが」
ピエッチェがチラリとクルテを見る。が、クルテは無関心、澄ましてお茶を飲んでいる。
「ザジリレンの昔話にこんなのがある」
ピエッチェが話そうとした時、急にクルテが
「あっ? 昔話ならカッチーが詳しいんじゃない?」
と急に立ち上がった。
「起こしてくる。何も話さないで待ってて」
「確かにカッチーって伝説やらに詳しそうですね」
ラクティメシッスが苦笑する。すると、
「最近は歴史にも凝ってるみたい」
マデルが笑う。
「最初は女神の娘に夢中だったのよ」
「なぜ女神の娘に夢中になったのかが気になります」
「お芝居を見に行ってからだわ」
ギュリューで見た芝居のことをマデルが話すと、
「へぇ、そうだったんですね」
ラクティメシッスが意外そうな顔でチラリとピエッチェを見た。
なぜ俺を? そう思ったピエッチェだが、下手に訊くのは藪蛇だと黙っていた。
漸く戻って来たクルテ、
「まぁさ、こんな時刻だもん。カッチーがなかなか起きてくれなくても怒っちゃダメだよね」
と笑う。マデルがラクティメシッスに、
「そうなの!」
以前は寝坊ばかりだったと話しているところに、カッチーが目を擦りながら入ってきた。
「えっとぉ……魔物が人間を支配する話を聞きたいって、クルテさんに言われたんでしけど、どうしたんですか? みんな揃って」
「いいから、気にせず話しなさいよ。本で読んだ話がしたくって、いつもうずうずしてるじゃないの」
カッチーのためのお茶を淹れながらマデルが笑う。
「えっと、俺の知ってるその手の話って幾つかあるけど……一番有名なのはハァピーですよね」
「ん?」
と、ラクティメシッスがカッチーを見る。
「ハァピーは支配するというより、惑わせるって感じなんじゃないのか?」
「えぇ、そうも言われてますけど、カテルクルストを誘惑したハァピーは彼の命を吸い取るのが目的ではなかったんです」
「何を目的にしたと?」
「カテルクルストを思いのままに動かし屈強な男を集めて、それを餌食にする。そんな感じでした」
「それでそれは成功した?」
「成功してたらザジリレンの英雄王って言われてません――カテルクルストは森の女神から多数の祝福を受けていました。それがハァピーの魔力を弾いたんです」
「えっと、カッチー。それじゃあ支配されなかったって話ですよね? 支配されることがあるのかってのが知りたいんです」
「支配された話もあります。ハァピーではないけれど、カテロヘブ王の家臣の一人が未知の魔物に精神を乗っ取られたって話です」
「それで、その家臣はどうなったんだ?」
「自覚もなく、普通に過ごしていたようです。そしてカテロヘブ王も、その家臣がそんなことになっているなんてなかなか気が付けなかったんだとか」
「それじゃあ、なんの問題もなく?」
「まさか! なんの問題もなければ昔話になんかなりません――やがて魔物が本性を現す時が来ます。カテルクルストの娘を自分の妻にしたいと言い出したんです」
「その家臣は王女を妻にできるような身分ではなかった?」
「それがですね、カテルクルストには王子が二人だけなんです。だから自分に娘はいないと答えました。ザジリレン王宮の誰もがその家臣のことを『夢でも見たんじゃないか』と嘲笑したそうです」
「ほう……さてはカテルクルストには隠し子がいた?」
「えっと、あくまで伝説で、本当のことかどうかは判らないんですよ? その物語では、カテルクルストには森の女神との間に設けた娘がいて、でも女神が人間の子を産むなんてことはないはず。だから秘密だったんです」
「うん? なんか今の話は辻褄が合わないような?」
「はい、人間の子を産むはずのない女神が娘を産んでいるというところですよね。だけど、カテロヘブが森の女神に頻繁に贈物をしているのは誰もが知っている事でもあった、物語にはそう書かれています――王女を妻にしたいと言った家臣はその贈物を森に届ける役目を仰せつかっていて、そこでカテロヘブの娘を見てしまったんです」
「それだったらカテロヘブだって『娘はいない』なんて言えなかったんじゃ?」
「カテロヘブ王の指示は、森の指定した場所に贈物を置いたらすぐに立ち去れというものでした」
カッチーの話は続く。




