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ミテスク村までは陸路を行くと決めていた。リュネが空を行けば二日で行ける距離だがラクティメシッスの部下と合流することを考えれば、そんなに早く行っても待つことになる。
もう女装の必要もなくなると言っていたラクティメシッスだが、ミテスク村を出るまでは女装を続けるしかなくなった。ローシェッタの王太子は、公式発表では所在不明なままだ。体調不良によりクラデミステ卿の屋敷で療養中という〝嘘〟は使えない。その嘘が言えるのはラクティメシッスが元気な姿で公衆の面前に立てるようになってからだ。国王が病床にあるのに、ここで王太子まで病となると民の不安をあおるだけになってしまう。
王宮に忍び込むことだってできるだろう? と言うピエッチェに『父に会って来いと? 意識不明なのです。会っても何も話せません』ラクティメシッスは涼しい顔でそう言ったが、顔を見れば声を聞くまで傍を離れられなくなると言う意味だとピエッチェは感じた。
夜間の嵐の痕跡を残したララティスチャングの街――あちこちに小枝やどこからか飛んで来たバケツやホウキなどの小物やゴミ、それを片付ける人々、それらを見送ってカタール街道口を出る。
交代したらしく昨日とは違う門兵だった。同じだったら送ってきたはずの二人がキャビンにいることを怪しんだだろう。出るときは大して調べられもせず、以前のようにほぼ素通り、警戒すべきは王都への潜入、まぁ、そんなものだ。
最初の宿はゴイングウッド、クルテが『あのレストランにまた行こう』と言ったからだ。くし形に切ったレモンが食べたいとピエッチェを見上げた。揶揄うつもりのマデルが、クルテにレモンを食べさせた魚介類の店だ。レモンを付け合わせにしている店なんかたくさんあると思ったが、言わなかった。クルテが魚好きのラクティメシッスに気を使ったのだとピエッチェは察していた――
ゴイングウッドの次はモリモステ、ここもクルテが『桃の瓶詰』を買っておきたいと言ったから、言われるまで裏手に桃の木畑があるから安価で買える菓子店の事なんか忘れていた。忘れっぽいと思っていたが、案外クルテ、物覚えがいいんじゃないのか? 待てよ? 食べ物限定かもしれない。一度に少ししか食べられないから、却って食への執着が強いなんてこともありそうだ。
クルテがカッチーを連れてココット菓子店に行った。目的は桃の瓶詰、けっこう重量がある。重い物を持つのはカッチーの仕事とクルテは決めているようだ。しかし、すぐにカッチーだけ走って戻ってきた。
「ラスティンさん、全部で何人ですか?」
生の果実も売っていたから一人に一つ渡るように買いたいとクルテが言っているらしい。クルテが知りたがったのはラクティメシッスの部下の人数、一人に一つは彼らも含まれるのだろう。
「食料や飲料を持参するよう言いました。気遣いは不要ですよ」
「でも、クルテさんの気持ちですし……」
「ミテスクの森に来るのは代表者だけ、十人ちょっとです。もし、全員にと言うならトロンパで。部下は全部で百二十三人、そんな数の桃、貨物台に載せたら他の物が載せられなくなるんじゃないかな」
暫くするとカッチーが桃の瓶詰を、クルテが紙袋を幾つか抱えて戻ってきた。カッチーはそのまま貨物台に向かったが、クルテはキャビンに寄ってから御者台に戻った。手には小さめの紙袋、中身はおそらく菓子、他の袋はきっとキャビンだ。
「桃果は?」
カッチーが乗り込むのを待ってリュネを歩かせる。
「十個買った。一人二個ずつ。宿に着いたらすぐ食べて、明日も出発前に食べる」
案の定、紙袋の中は切り分けられた型焼きケーキだった。
クルテが菓子を口元に差し出してくる。仕方なく口を開け、一口齧ると桃の匂いが口中に広がった。干した桃果を練り込んで焼いてあるのだろう。クルテがニンマリ満足そうに笑み、ピエッチェが齧った残りを自分で食べた。アイツの口の中も、同じ匂いで満たされている……心が熱くなるのを感じたピエッチェだった――
モリモステで一泊したあとはカテール街道を下ってグリュンパに入る。が、グリュンパは素通りしてすぐにシスール周回道に入った。
周回道と言うが途中までは一本道、クサッティヤで分岐した道がぐるりとジェンガテク湖を周回する。つまり、分岐点でどちらを選んでも封印の岩のあるミテスク村に行ける。しかし、どちらを選んでもミテスク村までは一日では行けない。行けなくはないが、ミテスク村に宿はない。
どこかで宿を取り、昼過ぎにはミテスク村に到着したい。そこでクサッティヤの分岐では、ベスク村方面に進路を取った。反対方向に行くと、クサッティヤを出た後に宿があるのはソノンセカ村だ。しかしソノンセカ村の唯一の宿は謎の崩壊を遂げ、未だ再建されていない。
「部下が調べたんですが、原因は判らずじまいなんです」
ソノンセカの宿はローシェッタ国営、ラクティメシッスは部下に原因究明と再建の手配を命じていた。
「まぁ、既存の建物に欠陥があったんでしょうね。跡地に不審な点もないってことなので建設工事を始めています――基礎が出来上がる頃じゃないかな?」
地下にあるはずの隠し部屋は発見されていないようだ。ソノンセカの森の女神の魔法で隠されているのだろう。『人間』の魔法使いに検知できるはずもない。
つまり、ベスク村に宿を取るしかないのだが、少しばかり別の思惑もあった。ジランチェニシスが幼少期を過ごしたあのコテージをもう一度調べてみよう。母親の身上を知った今なら、また新たな発見があるかもしれない――大丈夫だとは思ったけれど、目的のコテージに先客が居ないことを祈りながらリュネの手綱を握るピエッチェだった。
「やぁ、いつだったかぶり! カッチー、なんだか逞しくなったなぁ」
コテージがある宿の主人デッセムは変わらず陽気だ。祖母ノホメが行方知れずだというのに、ホンの少しも沈んでいるようには見えない。もっとも客商売なのに暗い顔なんかできないのだろう。
「お嬢ちゃん――じゃなかった。えっと……もう結婚したのかい?」
クルテに話しかけようとしてから、慌ててピエッチェを見た。旅の途中で一行の間柄を訊かれた時にいつも答えるようにこの宿でも、マデルはピエッチェの姉、カッチーは弟、クルテは婚約者としていた。
デッセムは初見のクルテを子どもだと思い、子ども限定でのサービス品『クマのぬいぐるみ』をくれた。当時ピエッチェはクルテを十八だと思い込んでいたし、クルテ自身が子ども扱いされるのを嫌がっていた。だからデッセムに苦情を言った。実際には、クルテは十四なのだから今思えばデッセムの目は確かだったと判る。どちらにしろ『お嬢ちゃん』なんて呼べばピエッチェを怒らせるとデッセムは思っている。
「いいや、まだだよ……それより、例のコテージは空いてるかな?」
「あぁ、あんたら以外、あのコテージに泊まりたいなんてお客は来ないさ――ご利用は何日?」
「明日の朝には発とうと思ってる」
「そっか。そりゃあ残念――こないだのお礼ができると思ったのに」
「お礼?」
「あのデカい虫のことだよ。ありゃあ、アリジゴクだった。あれを退治してくれたのはあんたたちだろ? あれ以来、森に穴ができることはなくなった。あの穴、アリジゴクが作ってたってことなんだよね?」
うーーん、これを否定するのは難しい。だって事実だ。
「ってことで、今夜はできる限りのご馳走を出す。そして宿泊代も無料――おっと、遠慮されたら俺が困る。受け取ってくれ」
それからデッセムは一行を見渡した。そして
「そっちの新顔の別嬪さん、何か苦手な食べ物、ある?」
とラクティメシッスを見て訊いた。
マデルの後ろに隠れるように立っていたラクティメシッスだが、マデルよりもずっと背が高い。隠れきれるもんじゃない。クルテが
「えっとね、姉さんはお魚が好き」
と、ラクティメシッスの代わりに答えた。
「姉さん? あの別嬪はお嬢ちゃんのお姉さんなのか? ご近所で、美人姉妹だってさぞ騒がれていそうだね」
楽しそうに微笑むデッセムにピエッチェが苦笑する。なぁ、デッセム。結局『お嬢ちゃん』って呼んでるぞ? それにしてもクルテ、兄弟姉妹で旅行ってことにしちまったか。まぁ、いろいろ考えるより単純で、却って怪しまれそうにない。
案内するというのを断って、自分たちだけでコテージに向かった。
「ここの主人は、どんな出自なんですか?」
暖炉の居間のソファーに腰を下ろすなり、ラクティメシッスが言った。
「わたしを王太子だと、見抜くんじゃないかって冷や冷やしました」
「いや……それほど警戒する必要はないんじゃないか? 生まれも育ちもミテスク村って言ってたと思うぞ」
「ニコニコしてべらべら喋って、だけどしっかり相手を観察してる。油断ならない相手だと感じました」
ラクティメシッスの対面にピエッチェ、もちろんクルテはその隣、マデルはお茶を淹れると言ってキッチンに行った。カッチーはリュネの世話をしていてまだ建屋の外にいる。
ラクティメシッスの深刻な顔をクルテが笑う。
「確かにデッセムは見通し魔法が使える。だから嘘を全部見抜いてる」
「えっ?」
「お嬢さん、見通し魔法って?」
同時に驚くピエッチェとラクティメシッス、
「本人もきっと知らない、生まれたての頃に与えられた魔力。与えたのはベスク村の森の……夜香花の魔物」
さらっとクルテが言った。
「森に魔物が居るんですか?」
ラクティメシッスの問い、答えるクルテ、
「どこの森にも魔物くらい居るよ。まぁ、夜香花の魔物は満月の夜にフラフラ森を彷徨うだけで悪さしない。ほっといてあげて」
大したことじゃないと言わんばかりだ。
「どう思います?」
ラクティメシッスがピエッチェに話を振る。
「ん……悪さしないなら放っておけばいいと俺も思う。今は魔物に構ってる場合じゃない」
俺の顔はきっと強張っている。それをラクティメシッスに不審に思われないだろうか?
「ま、そうですね」
ラクティメシッスは気付かなかったようだ。
それにしても……とピエッチェが思う。
『ベスクの森に夜香花は一本きり。一つの森に森の女神は一体のみ――夜香花は森の女神の化身なのさ』
ノホメからはそう聞いた。その話が本当ならば、デッセムは森の女神の祝福を受けたってことになる。だけど……森の女神が祝福するのは王族だけだ。
デッセムは王族の血を引いているということか? デッセムはノホメの孫、だったらノホメが失われた王女? そんな、まさか?
落ち着け……もしノホメが『失われた王女』なら、ジランチェニシスの母親をなんで『姫さま』と呼んでいた?
「ピエッチェ、顔色が悪いよ?」
お茶を淹れて戻ってきたマデルが心配そうに覗き込んだ




