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それにしても驚きましたね……イチゴのジャムを乗せて焼いたクッキーを弄びながらラクティメシッスが言った。
「まさか彼女の出身が、ねぇ?」
クサッティヤのサロン、窓際の席でのティータイムだ。夕食は宿に頼んである。
この街では下手にノホメの名を出せない。街中の人間がノホメを知っていると思ったほうがいい。聞き込みは簡単だが、仲間だけで噂話でもしようものなら不審がられるのがオチだ。あんたたち、いったいノホメになんの用だ、と詰問されてしまう。
サロンに落ち着く前に花屋と本屋に立ち寄って、店員に話を聞いている。
「そこの宿のお婆ちゃんって行方不明なんだって? 話し好きのあの人と、お喋りしようと思ってあそこに宿を取ったんだけど、いないって言われちゃったよ」
そんな風に話を持って行けば、疑われることもなかった。
宿の部屋でラクティメシッスが溜息を吐く。
「国内を探しても見つからないはずです」
「まだ向こうに居ると決まったわけじゃないさ」
話し相手はピエッチェだ。
「だけど、そう考えれば見付からないのも、身元が判らないのも納得です――あ、でも、例の母親の妹は別人ってことになりますね」
「だなぁ……」
例の母親とは、ローシェッタ・ザジリレン両王家の転覆を企てている男の母親だ。男はローシェッタ貴族だから、ノホメがソイツと繋がっていればジランチェニシスの件も見えてくると思っていた。
だが反対に、ノホメがザジリレン出身なら失われた王女にはつながる。それにノホメの身元も調査すれば判りそうだ。失われた王女の侍女だった女、そんなところだろう。が、これはラクティメシッスにはまだ言えない。
「王室魔法使いも軽く見られたもんです」
ラクティメシッスが声を低めて皮肉った。ノホメが自分を王室魔法使いと言っていたのも嘘ってことだ。ラクティメシッスの隣でマデルが、
「王室魔法使いって、十一歳から十三歳くらいまでのうちに専門の鍛錬所に通い始めないとなれないの。地方の子のための寮もあるわ」
と、やっぱり小さな声で言った。
「ピエッチェはあんまり驚いてないようですね」
ラクティメシッスの指摘にドキリとする。
「あぁ、驚き過ぎて反応できなかっただけだよ」
ローシェッタ国内と聞いた時、ザジリレンもあるということかと思い、ノホメが誰の世話をしていたのかを思い出した。ザジリレンの王女を『お姫さま』と呼んで居たノホメだ。ジランチェニシスの母親がザジリレン王女だと判った時点で気が付いていてもいいことだった。ノホメはザジリレンの貴族だ。しかもそれなりに上流のはずだ。
王子や王女となれば、単なる遊び相手でも身元のしっかりした者でなければ許されない。最低条件は王宮への出入りを許された者となる。クリンナーテンは上流とは言えない貴族だが、母親が王妃と古なじみ、その関係で王宮への出入りも、クリオテナの遊び相手になることも許された。だが、侍女にしたいというクリオテナの希望は却下された。常にそばにいる侍女にするには実力者の後ろ盾が必要だった。
いや、ノホメを失われた王女の侍女だったと仮定するのは早計か? クリオテナのクリンナーテンのように、信頼する友人の可能性がないわけじゃない。友人を頼って王宮を抜け出し、ザジリレンを出国し、ローシェッタに隠れた。
その手引きをするのなら名の知れた上流貴族の娘より、さして知られていない下流貴族の方が都合がよさそうだ。どちらにしろ考えてみたところで結論は出ない。ザジリレンに戻ってからだ。
それにしても、ザジリレンに入国した時、ローシェッタ国内を行ったり来たりするのは終わったと思たのに、またもローシェッタに戻ってきてしまった。まさかこれから、ローシェッタとザジリレンを行ったり来たりすることになる? それは少し大変すぎる。できる限り避けたい……なんて、言ってられないか。ローシェッタに戻ったのは、ザジリレンにローシェッタ軍を率いていくためだ。
クルテが三個目のプリンを食べ終わってマデルに言った。
「いつ、作りかた教えてくれるの?」
注文するときに『プリンを三つ』と言ったクルテ、足りなかったら追加でまた注文したらどうだとピエッチェは言ったが、今日は三個の日だと意味不明に言い張った。テーブルに運ばれてきたプリンは思いのほか大きく、一つはカッチーか俺が食べることになりそうだとピエッチェは思ったが、結局全部クルテが食べ切った。きちんと朝食を摂らなかった反動か?
「ララティスチャングでいいかな?――ねぇ、ラクテ……ラスティン、父の屋敷に招待したらダメかしら?」
「それってお嬢さんだけでなく?」
「できればピエッチェとカッチーも。まずいかな?」
「マデルのパパが了解すれば問題はないでしょう? でも、できればわたしも一緒がいいな」
「わたしの部屋には無理よ?」
「判ってますよ。チューベンデリに殺されたくはありませんからね」
「そう言えば、ラスティンの妹さん、マデルのお兄さんとはどうなったんだ?」
ピエッチェの疑問にラクティメシッスが苦笑する。
「何も聞いていないけど、恋仲だと思っていたのはチューベンデリだけだったのかもしれませんね。わたしの妹はなんとしてでもザジリレンに行くって言い張ってるそうです」
「そう言えばさ、マデルのお兄さんとラスティンの妹が結婚した場合、マデルのお兄さんとラスティンって、どっちが義兄ってことになる?」
食べ終わっているのにスプーンを口に咥えたままのクルテがラクティメシッスを見上げた。
「あら、ホント。どうなるのかしらね?」
ラクティメシッスを見るマデル、
「チューベンデリのほうが年上なのだから、向こうになるのかな?」
自信なさげに言うラクティメシッス、
「ま、どうでもいいです」
とクスッと笑った。
「マデルさんのお家って、すっごく立派なお屋敷ですよね?」
カッチーは気後れしているようだ。
「俺なんかを泊めてくれるんでしょうか? って言うか、中に入れて貰えなくっても文句言える身分じゃないです」
「なに言ってるのよ。カッチー、あんた、自分を卑下し過ぎ。わたしの友達ってだけで、充分その資格あるから」
「マデルさん! 俺のこと、友達って?」
「そうよ。それとも仲間のほうが良かった? ちょっとぉ、これくらいじゃ泣かない! 涙もろいよね、カッチーって」
泣き虫と言わないのはマデルの優しさか?
「そう言えばラスティン、本屋でカッチーと何か話してたよね?」
「あぁ、お勧めの本を聞いてたんですよ」
マデルに訊かれたラクティメシッスが微笑む。
「あ、マデルさん、ラスティンさんが俺なんかに、って今、思ったでしょ?」
カッチーが楽しそうに笑った。
「ラスティンさんに『青年カテルクルスト』と『カテルクルストの森』を貸したんですけど、凄く興味深いって。で、今度は女神の娘のことを知りたいそうです」
「女神の娘についてはカッチーに任せろって?」
マデルがクスクス笑う。
「カッチーったらそのうち、森の女神とが女神の娘とかカテルクルストの研究論文とか書きそうよね」
「いやいや、俺の知識なんて、既存の本からの受け売りですから」
「それにしても、ラスティンが伝説とかに興味持つなんて珍しいよね。あんた、そういったものは論理的じゃないってバカにしてなかった?」
「まぁ、なんの根拠もない話、面白おかしく事実を捻じ曲げた話って思っていたんですけどねぇ……」
カップを口元に持って行くラクティメシッス、
「読んでみると、どうもそれだけじゃないような気がしてきましてね。事実と虚構が綯い交ぜになっているようで、どれが虚構でどれが真実かを推理するも楽しいものです」
と言って紅茶を口に含んだ。
緊張するのはピエッチェだ。ラクティメシッスはクルテの素性を推理している。そしてやっぱり女神の娘と関係していると思っている。でも、なぜカテルクルストの物語から、女神の娘を発想したんだろう?――カッチーから借りて『青年カテルクルスト』と『カテルクルストの森』を読んだほうがよさそうだ。
ノホメがザジリレン出身だという大収穫のほかはクサッティヤでは何も得られなかった。宿に戻った後もそれとなくノホメのことを従業員にも訊ねてみたが、受付で訊いたのと違う話は聞けなかった。翌日は通常の時間に出立し、グリュンバからカテール街道に抜けた。カテール街道をひたすら行けば目的地、ララティスチャングだ。
ここでも人目を避けてラクティメシッスが結界を張り、見えず聞こえずの魔法をかけた。もちろんリュネは空を行く。これで日没の少し後にはララティスチャングに着くだろう。それでも一度や二度は休憩を取る必要がある。まぁ、そのあたりはリュネに任せておけば、いいところで地上に降りるだろう。
ラクティメシッスは窓から、下をずっと見ている。
「少しの間離れただけなのに、祖国ってなんとも懐かしいものですね」
誰にともなく呟いた。
その言葉をピエッチェは、自分に言ったのだと感じた。ラクティメシッスよりもずっと長い間、ザジリレンを離れていた。トロンバに着いた時、ピエッチェはどんな思いでいたのだろうと、きっとラクティメシッスは考えたのだ。
「カッチー、休暇を取るか?」
思いもしないピエッチェの言葉にカッチーが困惑する。
「俺、足手まといになりますか?」
「そうじゃない」
自分の舌ったらずさに呆れるとともに、カッチーの誤解に慌てるピエッチェだ。
「今度ローシェッタを離れたら、なかなか戻って来れなくなる。コゲゼリテに行きたいんじゃないかなって思ったんだ」
「あぁ……」
カッチーもコゲゼリテのことを考えていたようだ。
「えぇ、戻っておきたいとも思いました。でも、やめておきます」
そしてピエッチェを真直ぐに見た。
「今はいつ状況が変わるか判りません。合流が難しくなる可能性だってある――俺はピエッチェさんから離れません。休暇は……そうですね、ザジリレンでの俺の住処が決まってから、たっぷり貰います」
ラクティメシッスとマデルが見交わして微笑みあう。クルテが
「マデリエンテ姫のお父さま、ローシェッタ王室魔法使いの総帥のお屋敷に泊まるチャンスを失いたくないもんね」
と茶化せば、
「そうです、それ重要!」
カッチーが声を立てて笑った。
クルテがカッチーをコゲゼリテから連れ出したのは、なにも母親が失われた王女だからってだけじゃないとピエッチェは考えていた。カッチーはどんどん前に進んでいく。今も迷わず一緒に行くと決めていた。
ジェンガテク湖に人食い穴があると聞いてデレドケからグリュンパに向かった。コゲゼリテ間道の分岐点で朝食の弁当を食べたが、あの時カッチーは食事も上の空でコゲゼリテの方向を気にしていた。あの時ならきっと、迷わず休暇を取ったんじゃないだろうか?
経験がカッチーを聡くし、逞しくしたと感じていた。




