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もう一度考えてみたようだが、やっぱりピエッチェには判らないようだ。
「俺にも判るように説明してくれないか?」
ラクティメシッスを見た。
「判りませんか? ピエッチェのそばに居るにはいろいろと制約があることに、お嬢さんも気が付いたってことですよ」
「えっ?」
「カッチーの身分は考えているみたいだけど、ピエッチェ、お嬢さんの身分はどうするつもりなのですか?」
「クルテは……」
ピエッチェの言葉はここで止まり、口はポカンと開けっ放しになった。そしてそのまま首を回してクルテを見たがすぐに元に戻した。クルテは相変わらずリュネに抱き着いてじっとしていた。
「今のままでは……ダメか?」
蚊の鳴くようなピエッチェの声、ラクティメシッスとマデルが見交わす。
ラクティメシッスが
「今のままって言うが、そもそも今、お嬢さんはザジリレン王にとってなんなのかってことだと思いますよ。どう扱っていいのか、周囲も正直困ってるんじゃないのかな?」
と言えばマデルは
「周囲よりも『ピエッチェにとって』が大事だとわたしは思うよ――わたしにとって、クルテは仲間。仲間なのはピエッチェも同じ。でもさ、ピエッチェが本来の立場になった時、わたしはローシェッタの貴族で王室魔法使い」
と、ここでラクティメシッスをチラリと見てから、
「あるいはローシェッタ国王太子の婚約者……ピエッチェだってそう見るし、そう接する。そうよね? で、クルテは? ピエッチェはザジリレン王としてクルテをどう扱うの?」
ピエッチェを見詰める。
心配そうに見ていたカッチーが、
「婚約者ってことにはできないんですか?」
遠慮がちに言って、やっぱりピエッチェを見詰める。自分を見詰めるマデルを見詰め返していたピエッチェが、今度はカッチーをじっと見た。
「アイツは……クルテは結婚なんて考えてない」
やっとのことでそう言った。その声はまるで自分の声じゃないように、遠くに聞こえた。
「結婚そのものを考えてないんだ。〝したい〟とか〝したくない〟とかじゃなく、自分に関係ないこと、そんな認識しかしてない」
「クルテがそう言ったの?」
マデルの声は優しい。いつだったか『結婚なんかしない』と、クルテが言ったのを思い出していた。
「いや、そうじゃないけど、判るんだよ――アイツ、俺が王権を取り返したら居なくなるようなことを言う。どこにも行くなって言っても、笑って誤魔化される」
森に帰るって言ってたわねぇ……マデルが溜息を吐く。
「結婚して欲しいって言ったんですか? クルテさん、イヤだなんて言わないと思いますよ」
カッチーの励ましに、なんて答えればいい? それはあいつを人間にしてからだ、とは言えない。
黙ってしまったピエッチェに、ラクティメシッスが言った。
「この際だから、婚約してしまったらどうです?」
「いや、だって本人が了承してないわけだし、それこそ身元をあれこれ言われる」
「外野は無視しちゃえばいい。お嬢さんには……そうですね、今すぐ結婚しようってわけじゃないって言えばいいんじゃないかな?」
「外野は無視……」
呟くピエッチェ、ラクティメシッスが続けた。
「だから、その時が来て結婚したくないとか、できないとかって言うなら破棄すればいいんだからって。協力して欲しいって頼んでみたらどうです? それならお嬢さんも引き受けてくれるでしょうから」
フッとピエッチェがラクティメシッスを見た。今の言葉、前半はともかく、後半は何か可怪しくないか? なぜそこで突然、『協力』なんて言葉が出てくる?
自分を不思議そうに見るピエッチェに気付いたラクティメシッスが
「どうかしましたか?」
と、こちらも不思議そうな顔をした。
「いや……なんか『協力』ってのはどういう意味なんだろうと」
「えっ?」
ピエッチェの顔を見たままラクティメシッスは少し考えた。自分が言った言葉を思い返しているようだ。
「あぁ……ちょっと端折り過ぎましたね。お嬢さんにはずっとそばにいて欲しい。でもザジリレン国王として動く場合、そばに居るには諸条件を満たす必要がある。それをクリアするため婚約したことにしたい。だから協力して欲しい――ってことを言いたかったんです」
ラクティメシッスはピエッチェをじっと見たままそう言った。
嘘だ……なぜかそう感じた。ラクティメシッスは嘘を言っている。でもなんのために? ここで嘘をついてなんの得になる?
「クルテさんがピエッチェさんの頼みを聞き入れないなんて有り得ませんもんね」
カッチーが安心したように笑んだ。そして、独り言を装って
「俺としてはそのまま二人が結婚してくれれば嬉しいんだけどなぁ……」
と呟く。国王の立場では無理なのかもしれないと思っているような気がした。
「まぁ、今すぐ決めなくてもいいでしょう? でもなるべく早く、クルテと話し合ったほうがいいかもね」
マデルが立ち上がった。自分の分は食べ終わっている。
「クルテ! お願いだから、少しは何か食べて!」
大声でクルテを呼ぶ。重苦しい話題から、ピエッチェを助けてくれたのだろう。
クルテはリュネの首にしがみついたまま、顔だけをマデルに向けた。
「オレンジなら食べる。だけど一個じゃ足りない」
「わたし、クルテのためにとってあるわよ」
笑うマデル、カッチーも声を張り上げた。
「俺もですよ、クルテさん!」
小さな声でラクティメシッスが、
「マデル、わたしの分もお嬢さんにあげるって言ってください」
照れくさそうに言った――
充分な休憩の後、再びラクティメシッスの結界と見えず聞こえずの魔法を使って姿を隠し、リュネは宙を行った。五人ともキャビンだ。
結局、自分の分も含めてオレンジ五個を獲得したクルテ、三個食べて
「あとは半分ずつ四人で食べて」
とピエッチェに渡した。大ぶりなオレンジだった。クルテが食べなかった弁当は例によってカッチーの胃袋に納まった。
「この行程だと、今夜はグリュンパ泊まりってところですかね」
ラクティメシッスが窓の下を覗き込んで言った。
「グリュンパなら、女将さんのところに泊まれませんか?」
カッチーが期待を込めて目を輝かせる。するとマデルが、
「女将さん、リュネを見て腰を抜かさないかしら?」
と笑う。
「宿の女将さんに馬を探してるって言ったらリュネを世話してくれたのよ。それにカッチーのこと、凄く気に入ってくれてるの」
するとクルテが少し怒ったように、
「リュネを見たって腰を抜かしたりしない。あの時の馬はもう死んだって思う。同じ馬だと気が付くわけない――グリュンパまでは行けないよ。クサッティヤで休憩して、そのまま宿探し」
窓の外を見てブツブツ言っている。誰に言ったというわけでもない感じだ。
ラクティメシッスが、
「お嬢さんがそう言うならそうしましょう。リュネが疲れ過ぎては明日以降に響きますしね」
と取りなすと、
「クサッティヤに泊まるのなら……宿は決まりだな」
ピエッチェがラクティメシッスに頷く。
「えぇ、空いているといいですね」
ラクティメシッスもピエッチェに頷き返す――ノホメの家族が経営している宿を言っている。
もちろんピエッチェもラクティメシッスも、ノホメがいるとは思っていない。家族が探しているのに見つからないと聞いている。だが家族と話をすれば、何かヒントが得られるかもしれない。収穫がなくても構わない。どうせどこかに宿を取るのだ、ほんの少しでも何かあれば儲けものと言うことだ。
通行が途切れるのを待って、クサッティヤの手前でシスール周回道に降りた。すぐにピエッチェとクルテがキャビンから御者台に移り、ラクティメシッスが魔法を解除した。リュネは急ぐこともなくゆっくりとキャビンを牽いた。ゆっくりと進む馬車はのんびりジェンガテク湖観光をしているようにしか見えなかっただろう。
クサッティヤの街に入ったのは宿に入るには早い時刻だったが、とりあえず部屋を確保しようとノホメの娘の宿に行く。受付に居たのは女性、前回はノホメの孫と思われる男だった。
ピエッチェが、
「デッセムは元気かい?」
とカマをかける。デッセムはジェンガテク観光の中心部ベスク村でジランチェニシスが子どもの頃に母親と過ごしたコテージのある宿を経営している男で、ノホメの孫、前回受付にいた男はデッセムの多分従兄だ。
「あら、おニイさん。デッセムの知り合い?」
受け付けの女が愛想笑いをした。
「あぁ、向こうのコテージに止まったことがあるんだ。デッセムのところで、ノホメさんとも話したことあるよ」
「そうなんだ? それじゃあ、ウンとサービスしなくちゃね」
「ノホメさんが行方不明だって聞いたけど、見つかったのかい?」
すると女の顔が急に曇った。
「あら、行方不明だってデッセムにでも聞いた? まったく、アイツ、何でもかんでもしゃべり過ぎ。口から生まれたって、あんな感じのを言うんだろうね」
「おネエさんも、デッセムの親戚なんだ?」
「わたし? わたしはアイツとは幼馴染。で、ここの息子の嫁。まぁ、兄妹みたいなもんさ」
「そうか……それじゃあノホメさんとも昔からの知り合い?」
「あぁ、そうさ、昔はノホメさんもベスク村に住んでたからね。可愛がってもらったよ」
「しかし、どこに行っちまったんだ? 心当たりは全部探したんだろう? あ、そうだ、今日は旦那さんは?」
「全部って言えば全部だけどね。まぁ、ローシェッタ国内はって感じかな。亭主は今頃ララティスチャングじゃないのかなぁ?」
ローシェッタ国内と訊いて、ピエッチェの心臓がトクンと音を立てた。ローシェッタ国内は? 国外もあると言うことか? そうだ、見落としていた。なんですぐに気が付かなかったんだ?
「ララティスチャングでノホメさんを探しているんだ?」
心に浮かんだことを隠してピエッチェが女に訊いた。思いついたことは後でゆっくり検討すればいい。それとももう少し突っ込んで話を聞いておくか?
「もうね、自分たちで探すのは無理かなって……王宮に願い出て探して貰うって言ってた」
女が溜息を吐いた。
「でもね、本当はザジリレンに行って探したいんだよね――だけどなんだかきな臭いことになってるって話だから、そのあたりもはっきり訊いてくるって言ってた」
やっぱり……心のどこかで納得するピエッチェ、もう突っ込んで聞く必要はない。だけど、ここで唐突に話を切り上げるのはヘンだ。
「なんでザジリレンが出てくるんだい?」
あぁ、と女が頷く。
「うちのお祖母ちゃんさ、ザジリレンの出身なんだ。だからひょっとしたら向こうに行ったのかなってね。しょっちゅう思い付きで行動するからさぁ。それにしたって断ってから行けばいいのに……いい迷惑だよ」
苦にがしげに言ったあと、女が心配そうな目で宙を見詰めた。




