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ピエッチェの剣幕にトロンペセスが蒼褪める。身体から力が抜けたようにフラフラと、椅子から降りて跪いた。
「心得違い、お許しください」
掠れ声で言うと頭を垂れる。
王都とは王の象徴――王都が栄えているからこそ、国は栄え、民は潤う。王都が荒廃していれば、その荒廃はやがて国中に伝播することだろう。王都を訪れれば、時の王の政が良きものか悪しきものかが判る。それをピエッチェは『王都は王の象徴』と表現した。
単純に考えても王が住まうからこそ王都、そこに攻め込むということは王を攻めるということに他ならない。溜まっていた不満や臨戦という非常事態に、そんな事すら見失っていたと気づいたトロンペセスだ。
トロンペセスの様子に、ピエッチェもドサリと腰を下ろす。ピエッチェだって、自分に非がないとは思っていない。火種を撒いたのは自分だ。自分が罠にかかりさえしなければ、こんなことにはならなかった。
「なにしろ、王都に攻め込もうなどと考えるな。だが、せっかく集めた兵を捨てろとも言わない」
しかし、どう生かす?――腕を組み考え込んだピエッチェを、微笑んで見詰めるのはラクティメシッスだ。
そんなラクティメシッスを見て不思議そうにトロンペセスが訊いた。
「今さら伺うのもなんですが、あなたはどなたなのでしょう? 王宮に出入りされているかたのでしょうか?」
ラクティメシッスは
「いいえ、ザジリレンの民ではありません」
と、トロンぺセスにニッコリ笑んでからピエッチェを見た。もの言いたげなラクティメシッスに、好きにしたらいいじゃないか、そんな気持ちでピエッチェが頷く。
頷き返したラクティメシッスが再びトロンペセスに向かった。
「わたしはローシェッタ国の王族……ラクティメシッスと申します」
「……!」
驚いたピエッチェがラクティメシッスを見て苦笑いする。いつも通り『婚約者を伴って旅行中だ』とでも言うのだと思っていた。
腰を抜かしそうになったのはトロンペセス、
「へっ!?」
奇妙な声を出してピエッチェを見た。本当なのかと問いたいのだろう。黙って頷くピエッチェ、怖いものを見るような目で再度ラクティメシッスを見たトロンぺセスが、今度は声を出してピエッチェに訊いた。怒りを含んだ声だ。
「なんで、ローシェッタ国の王太子と!?」
ザジリレン国はローシェッタ国との開戦を控えている。表面上だけ見れば敵国にあたるローシェッタ、その王太子がザジリレンにいることだけでも怪しい。それが行方知れずになったザジリレン国王と同行しているのだ。怪しむべき要素が多すぎる。もしやカテロヘブ王はローシェッタ国に捕らえられ、脅されるとか騙されるとかしているのではないか? もしそうなら、さっきの『王都とはなんだ』と言う話も意味が変わってしまう――トロンペセスがそう思っても仕方ない。
「ネネシリスを名乗る者の呼び出しに応じ、シュレンダの森に狩りに行った」
シュレンダの森はグリアジート卿の私領ポポネシアにある森だ。モシモスモネン川の支流ヤリヤル川が流れている。
突然話が変わったことに戸惑うトロンペセス、しかしローシェッタの王太子と同行している理由へと続くのだと察している。
「グリアジート卿を名乗る者?」
「あぁ、その時はネネシリス本人だと信じていたがな」
連れて行った家臣を殺され、自分も殺されかかった。逃れようとして誤ってヤリヤル川に落ちて、ローシェッタ国コゲゼリテに辿り着いた。そこからは身分を隠して、ザジリレンに戻る方法を模索した。
「まぁ、いろいろあったが、デレドケって街で王室魔法使いのマデリエンテ姫と知り合えたのはラッキーだった。姫は王太子と先ごろ婚約したんだ」
その縁でラクティメシッスと知り合った――そこまで話してピエッチェがラクティメシッスを見る。ローシェッタとザジリレン、両王家を狙う何者かがいる、それをトロンペセスに告げていいものか迷っていた。
するとラクティメシッスが
「知り合えてラッキーだったのはこちらも同じです」
トロンペセスに微笑みかけた。
「カテロヘブ王は魅力的な人物で、学ぶところが多い。それだけでも親しくなる価値がある――ローシェッタに滞在している事情をお聞きしたところ、なかなか難しいことになっているようなので、何かお手伝いしたいと思いました。しかし、ローシェッタ国が関係しては大事になる。そこで私人として同行したいとわたしからお願いしました」
そして笑顔を引っ込め真面目な顔で言った。
「ローシェッタは将来に渡りザジリレンとの友好関係を保ちたいと考えています。ザジリレン国王も同じ思いでなければ、実現しないことです――わたしがなぜカテロヘブ王とともに動きたいと考えたのか、これでお判りいただけますか?」
その言葉に、身が引き締まるのはピエッチェだ。陰謀を暴くことが第一義の目的と思っていたが、それ以上に大切なことをラクティメシッスは考えていた。両国の未来を見据え、カテロヘブ王との友情を育むのが同行の目的だとラクティメシッスは明言した。
まるで計算づくのように聞こえるが、計算したって育つものじゃない。それは一緒に過ごした時間が証明している。ラクティメシッスがピエッチェに示してきた友愛は決して上っ面なものじゃなかった。だけど……
俺はラクティメシッスに何を示してきただろう? 魅力的な人物なのは、俺よりもラクティメシッスだ。初めて会った時から先を行く人と感じ、学びたいと感じていた。だけど、それだけだ。何か大きな借りを作ってしまったような気分がした。その借りを俺は返していけるだろうか?
トロンペセスは感激した様子で
「ありがたいことでございます」
ラクティメシッスに言った。
「大国ローシェッタの王太子さまが我が王のご友人、名誉なことでございます」
社交の匂いがしないでもないが、トロンペセスの立場ではこれが精いっぱいと言ったところか。
ラクティメシッスがニヤリと笑う。
「そうですか、それは良かった。カテロヘブ王に近付いて貰っちゃ困ると言われたらどうしようと思っていました」
「そんな! とんでもない!」
慌てるトロンペセス、ラクティメシッスが『冗談ですよ』と笑った。
縮こまってしまったトロンペセスから、ラクティメシッスが視線をピエッチェに戻した。
「それで……せっかく集めた兵を利用しないのは惜しいと、わたしも思います。兵を捨てろとは言わないと言ったのは、考えがあってのことなんですよね?」
うむ、と唸るピエッチェ、
「何かいい案があるのか?」
ラクティメシッスに訊き返す。が、ピエッチェとて考えていないわけではない。
「それこそわたしが口出していい話ではなさそうです」
苦笑するラクティメシッス、軽く息を吐いたピエッチェ、またも考え込んだ。
ザジリレン国内の混乱を抑えるために、集めた兵を使いたい。しかし、そうなると国軍との対立は避けられない。それはピエッチェの目指すものと違う。どちらの兵も間違いなくザジリレンの民だ。民同士を争わせたくなんかない。では、どうする?
国内平定に使わないとしたら何に使えるだろう? 通常、警備隊は治安維持が仕事だ。だが、警備隊も集結すれば軍に匹敵する規模になる。王宮ではその軍を、正規軍とともにローシェッタに向かわせるつもりだ。
「そうだな……トロンペセス、仕事を頼んでもいいか?」
やっとピエッチェが顔を上げた。もちろんトロンペセスが拒否するはずもない。
「なんなりとお申し付けください」
「うん。まずは王都に使いを行かせろ――書簡を持たせればいい。その書簡にはこう書け。ミテスクから封印の岩を越えてローシェッタ軍がトロンバを攻める。そんな情報が入った」
「えっ?」
驚いたトロンペセスがラクティメシッスを見る。ラクティメシッスが顔色を変えたのは一瞬、すぐにクスクス笑い始めた。
「なるほど、王都ではなくトロンバに軍を向かわせるのですね?」
「いいや、そんなに簡単にはいかないだろう――地形から考えて、トロンバを襲撃するローシェッタ軍が大規模とは考えられない。国軍は予定通り、コッテチカからローシェッタ国を狙う。そうしろとジジョネテスキにも指示する」
ジジョネテスキさまと連絡が取れるのですか? そんなトロンペセスの呟きは無視された。
その代わりピエッチェは、
「おまえが集めた有志をトロンバに集結させろ。いずれ俺が率いる。だが、まだその時ではない。トロンバで時間を稼げ。その時間を使って、現状を打開する準備を俺がする」
とトロンペセスに言った。そしてラクティメシッスに、
「ローシェッタ軍を動かせるか?」
と尋ねた。
これにはトロンペセスが慌てる。
「まさか本当に、トロンバを襲撃してくれとか言い出しませんよね?」
国王が他国の王太子に自国に攻め込むよう依頼するなんて有り得ないことだ。だがピエッチェは軽く笑って
「そのつもりだが? でなければトロンペセス、おまえの情報収集能力が疑われることになるぞ」
事も無げに言った。
ピエッチェの真意を量り兼ねたのか、ラクティメシッスも考え込んだ。そしてハッとして笑った。
「なるほど……いいでしょう。国軍、動かせますよ――でも、それにはいったんララティスチャングに戻らなくてはね。我が国も、王の意向なしには軍を動かせません」
「ラクティメシッスさま! ローシェッタ国はザジリレンとの友好を――」
「黙れ、トロンペセス! まぁ、もう少し詳しく話すから慌てるな」
取り乱すトロンペセスを叱りつけるピエッチェ、ラクティメシッスが
「あぁ、わたしも詳しく聞きたいです。おおよその見当は付いていますが、ピエッチェ、あなたは時として想像の上を行く。わたしの推測が当たっているとは限りませんからね――マデル、お茶を入れ替えてくれませんか?」
と言ってから、トロンペセスに席に着くよう促した。
マデルが淹れ替えたお茶を配ると、クルテが茶菓子を取り出した。菓子皿をそれぞれの前に置くクルテを見てトロンペセスが
「お茶を淹れてくださったのがマデリエンテさまですよね? で、こちらの黒髪の女性は?」
こっそりピエッチェに訊いた。
「うん?」
少し照れたピエッチェ、それでも
「俺の女だ」
と言い切った。ニヤリと笑うラクティメシッス、マデルはニッコリクルテを見ていた。クルテは全く表情を動かさない。
ますます声を潜めたトロンペセスが
「どちらのご令嬢なのですか? やはりローシェッタの?」
と訊くが、
「さぁなあ……内緒だ」
ピエッチェは答えなかった。いつかクルテの素性をでっち上げる日が来るかもしれない。齟齬が出ないよう、下手なことは言わないほうがいい。
「で、カッチーはどんな身分の若者なのですか?」
トロンペセスの質問に、ピエッチェの心臓がドキリと鳴った。




