20
キャビンで見守っていたカッチーが慌てて目を逸らす。見るなと言われたわけではないが、さすがに見続けることもできない。そろそろかなとチラリと見ると、二人は抱き合い見つめ合っていて……
「うわっ!」
カッチーが悲鳴を上げた。ハッとしたラクティメシッスとマデルがカッチーに目を向ける。二人の背後、少し上を指さして、カッチーはアワアワと震えている。サッと二人が振り返る。
「なっ!?」
素早くマデルを後ろ手に庇うラクティメシッス、上空から口をあんぐり開けた大蛇が迫っていた。
赤黒い口の中、上あごからは恐ろしく長い牙がニョキッと左右に一本ずつ、さらに真ん中にも一本生えている。あんな牙に貫かれたら命はない。これほど近づくまで気付かないなんて失態だ。でも、確か後ろから近づいていたのは……
冷静になったラクティメシッスが吹き出した。
「笑ってる場合? 大蛇がすぐそこに……」
マデルの抗議の声も尻すぼみになっていく。ラクティメシッスの横からヘビを覗き込んで、正体に気付いたのだ。
「何やってんのよ、あんたたち?」
呆れるマデル、ラクティメシッスは笑い転げるが、カッチーはキャビンで固まったままだ。
ヘビ頭は口を開けたまま、少し手前で止まると上を向いた。その後ろに見えたのはピエッチェとクルテを乗せたリュネ、角がヘビ頭を貫いていた。ヘビの牙の真ん中はリュネの角だ。もちろんヘビは頭だけに切り落とされている。
「何やってるのかって? まぁ、見てなよ」
ニヤリと笑ってクルテが答える。
「ラスティン、弱小魔物に備えといてくれ」
追加で言ったのはピエッチェ、
「もちろんです」
答えたラクティメシッス、途端にキャビン周辺の空気が変わる。結界を張ったのだ。
空中で向きを変えたリュネが、前に進めなくなった大蛇の方へと進んでいった。
「あのお馬さん、侮れませんね」
クスクス笑いに変わったラクティメシッス、
「ってかさ、心臓に悪すぎる」
マデルがウンザリと答え、
「しかし、何をするつもりなんでしょう?――カッチー、キャビンから出てきても大丈夫ですよ」
ラクティメシッスがカッチーを呼んだ。
リュネの行き先を見ると前進できなくなったヘビに向かっている。視線を横にずらせば、未だ絡み合う二頭のヘビ、とりあえずピエッチェの加勢だと決めたラクティメシッス、
「二人とも! 結界から出てはいけませんよ!」
叫ぶと走り出した。
少し行ってからチラリと後ろを見ると、思った通り周囲の茂みから弱小魔物が一体また一体と姿を現し様子を窺っている。近づいても大丈夫かどうか確かめているらしい。そのうちウジャウジャ出てきて結界を取り囲むだろう。だが、結界を破るのはおまえたちには無理だ。ラクティメシッスがニヤリと笑う。向こうの始末をつけたら相手してやる。逃がしはしない――
いっぽう、前進しようと藻掻いているヘビ頭に向かったピエッチェたち、目指す場所まで来る間にクルテが自分の髪で作ったロープをリュネの角に突き刺されたヘビの牙に括り付けていた。
「力比べになったら、そんな牙、抜けちゃうんじゃないのか?」
危ぶむピエッチェに、
「その時はそれでもいいよ」
ロープを引っ張って、牙とは反対側の端をリュネの角に結び付けながらクルテがニヤッとする。
ヘビももちろんピエッチェたちに気が付いて、上に向かって口をパクパクさせているが、前進できないのと同様、上に向かうのも限度がある。ギリギリ届かない位置にいるピエッチェたちに苛立っているようだ。
「よし、できた――ピエッチェ、しっかり掴まって!」
張り具合を確認し、クルテがロープから手を放す。
「行け、リュネ!」
クルテの掛け声で、リュネが大きく首を上に振り上げた。手綱を掴み、鐙に置いた足を踏ん張ったピエッチェがクルテをしっかり抱きとめる。
振り上げた首を、今度は勢いつけて振り下ろすリュネ、大きく揺れる馬上、さすがに背中から落ちそうなピエッチェたち、クルテが警告していなければ落ちていたかもしれない。だが、落ちたのはスルンと角から抜けたヘビ頭、ただの落下じゃない。リュネが思い切り投げつけたのだ、かなりのスピードで地面に激突――することなく、真下に居たヘビがパクリを口を開いて飲み込んだ。ヘビの胴体は、口よりちょっと下の部分がぽっこり膨らんだ。
「今だ! 引っぱれ、リュネ!」
クルテが叫ぶ。すぐに上昇を始めたリュネ、角にはヘビの生首の牙と繋げたロープ、そしてそのロープには生首を飲み込んだヘビが吊るされる。
「よぉし、これでいい」
クルテの声にリュネの上昇が止まる。これで真下のヘビは、樹木に引っ掛かった胴体のどこかと、ロープに吊るされた頭が固定されて、まるきり身動き取れなくなった。
「吐き出したりしないかな?」
「一度飲み込んだものをヘビが吐き出したりするもんか」
クルテの太鼓判、嘘っぽいなと思いつつ、ピエッチェも心を決める。
手綱をクルテに渡し、軽くリュネの胴を叩き
「頼んだぞ」
と呟いてからクルテに頷く。そして――リュネから飛び降りた。もちろん着地は大蛇の首根っこ、そのためにわざわざ固定したのだ。
「ここでリュネと見守ってる。なにがあってもカティは大丈夫だから!」
クルテの声がすぐに遠ざかった。
「ピエッチェ!」
地上から聞こえたのはラクティメシッスの声、
「おう! ヘビの首を切り落とす。胴が倒れるぞ、離れろ!」
身動き取れないヘビの首を切り落とすのは、大きさを考えなければ簡単だ。
剣じゃなくって斧かなんかのほうが良かった。これじゃあせっかくのシャーレジアの剣がボロボロになる……なんてことを考えながらウロコの欠片が弾け飛ぶ先を見る。向こうではこんがらがったヘビが、やっぱり身動き取れなくなりつつある。ラクティメシッスが向かっているのが地上に見えた――
動けないヘビなんか、いくらデカくても恐るるに足りず……イーグルを飲み込んで木に引っ掛かって動けなくなったヘビを見てクルテが言った。
『他のも動けなくすればいい』
それにはどうするか?
答えを出したのはリュネだ。ピエッチェがイーグル飲み込みヘビの首を落とすと伸ばした角で落とされた頭を貫いた。フフン、と鼻を鳴らしたクルテに、騎乗を促されたピエッチェ、そしてキャビン近くで進めなくなっていたヘビを吊った。
絡み合って動けなくなっていた二頭はラクティメシッスが魔法で固定し、やはりこちらも首を落としている。残りの二頭をリュネの背から探すと、予測通り結びが解けず動けなくなっていた。だがこっちは、結び目から上は可動域だ。
『大丈夫。ジョーンキとキャッテックの森の女神がカティとカッチーを祝福した。二つの森で二人に害をなせるものはいない』
火炎の中で感じた熱は、やっぱり女神の祝福だったのか……王族にしか森の女神は祝福を与えない。カッチーにも王家の血が流れているからこその祝福だ。
女神の恩恵でヘビはピエッチェを襲えない。そんな相手の首を落とすのは気が引けたが、己の力で結び目を解けないのだからいずれ落命する。この期に及んでジョーンキが樹木を動かしてまでヘビ魔物を助けるとは思えない。一思いに死なせるのも情けだろう。最後の二体、これこそ首を落とすのに苦労した。心情的な苦労だ。
「まあさ、どんなヘビもここみたいに愚かだなんて思うなよ?」
キャビンに戻るリュネの背でクルテが忌々しそうに言った。
「わたしに読み書きを教えてくれたのはヘビだ。ちっちゃい白ヘビ。母さまが可愛がってたペット」
森の女神ってペットを飼うんだ?
「だからさ、ヘビはみんな賢いもんだと思ってた」
それで馬鹿って言うと怒ってたのか。
「コゲゼリテに帰りたいのか?」
「懐かしいだけさ」
キャビンの周囲には弱小魔物が群がっていたが、キャビンを襲う気配を見せていなかった。ラクティメシッスの結界のせいと言うわけでもなさそうだ。
「どうしたものでしょうね?」
地上に降り立ったピエッチェに、ラクティメシッスが言った。
「駆除しようかと思ったのですが……よく考えてみたら、コイツら、ヘビの死体を片付けてくれるんじゃないかな、と思ってるんです。今のところこっちを襲ってこないし、放置してもいいんじゃないでしょうか?」
ピエッチェが、ラクティメシッスの向こうで周囲を警戒しているカッチーをチラリと見た。女神の祝福の効果だ。カッチーがいるから弱小魔物たちはキャビンを襲うのを躊躇っているんだろう。
クルテが弓に矢をつがえた。放たれた矢は八本、ヘビの死骸のある方向に飛んでいった。一体は食いつくされたはずだから、八本目はきっと尻尾だ。弱小魔物たちが矢を追って散っていく。
「お嬢さんは、わたしの考えに同意してくれたようですね」
ラクティメシッスが微笑んだ。
強い魔物の気配はもうこの森にはない。
「夜明けまでまだ間があります。それまで身体を休めておきましょう」
ラクティメシッスが焚火に火を熾すと、カッチーがケトルを出して湯を沸かし始めた。クルテが勝手に貨物台からレモン水を出して配り始める。自分が飲みたいだけだ。湯が沸くのを待ちながら、カッチーがバケツにリュネのための水を用意した。水を飲み終わったリュネが甘えると、カッチーはリュネの首に抱きついて顔を隠した。ホッとしたら泣きたくなったのかもしれない。
「夜明けを待って出立しますか? 目指すワッテンハイゼはすぐそこですよね?」
ピエッチェに訊ねるラクティメシッス、マデルが沸いた湯をポットに注いでいる。お茶のいい香りが漂い始めた。
「リュネの体調次第かな」
カッチーと抱き合っているようなリュネを見ながらピエッチェが答える。
「お馬さん、大活躍でしたね」
「あぁ、リュネが居なければ、道は開かなかった」
「この先も、お馬さんに道しるべになって貰うのがよさそうです」
マデルがお茶を配りながらカッチーを呼ぶ。ハッとしたカッチーがすぐに焚火の近くに戻る。もう少しで眠っちゃうところでした、泣いていたなんて間違っても言えない。マデルが微笑む。疲れたでしょう? と、カッチーにカップを渡す。
隣に座ったクルテの肩に腕を回したピエッチェが、そんなカッチーを穏やかに眺めている。だが、穏やかなのは表面だけだ。母親の素性が判った以上、カッチーの待遇を〝真剣に〟考えなくてはならない。
そして……カッチーと笑顔で話しているマデルをチラリと見て思う。ローシェッタで孫を探している貴族が居ると言っていた。その孫がカッチーなんじゃないかとマデルは考えていたようだが、そちらははっきりしたんだろうか?
さらにラクティメシッスを見た。ジランチェニシスをどう処遇するかラクティメシッスは迷っている。王女フレヴァンスの誘拐犯だということは確定している。しかし、ジランチェニシスの父がローシェッタ王家に連なる誰かだとしたら、その罪だけを問題にして罰することもできない。
さて、どうするか?
カッチーの父親、そしてジランチェニシスの父親が判るまで、二人の母親がザジリレン王家の王女だと教えられない――ピエッチェが溜息を吐いた。




