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なんでこんな状況で、ラクティメシッスは『楽しみ』なんて言葉を口にできるのだろう? どうして余裕しゃくしゃくとしていられるのか? 父親の容態の件も加わっているのだから彼だって俺同様、いいや、それ以上に追い詰められていそうなのに?
そんな考えが顔に出てしまったのかもしれない。ラクティメシッスがピエッチェから目を逸らして言った。
「楽しみだなんて不謹慎な、と思いましたか?」
「いや……あぁ、でも、少しは思ったかも」
「少しだけ?」
「もし自分だったら、って考えてた。ラステインの余裕が羨ましいって言うか、見倣わなくちゃっと思った」
ラクティメシッスが、なんとも言えない表情を浮かべてピエッチェを見る。
「わたしを見倣いたい? わたしのほうこそピエッチェ、あなたを見倣いたいと思っているのに?」
顔にも声音にも、厭味や皮肉や嘲りは感じられない。
「俺を? それこそ信じられないな。どう考えても俺よりあんたが優れている」
「そりゃあ、部分部分はそうかもしれません。例えば容姿とか」
「おい!?」
ラクティメシッスはクスクス笑っている。まぁ、冗談だ。冗談だよな?
「以前はね、この容姿はコンプレックスでしかなかったんです」
呟くように言ってから、ラクティメシッスはクスクス笑いを止めた。
「幾度となく女の子に間違われ、影では男だなんて勿体ないと言われ……妹は可哀想なことを言われるし、人前に出るのは苦痛でした」
「フレヴァンスが可哀想?」
「はい、妹の性格が捩れてしまった責任の一端は、わたしにあります――妹はね、今でこそ華やかで、まぁ、兄のわたしが言うのもなんですが、見た目は明らかに美女、でもね、子どもの頃は温和しくって地味って言うかなんて言うか。平凡で目立たない見た目でした」
「子どもなんてみんな似たようなものなんじゃ? 可哀想って言うようなことじゃない……あっ?」
ピエッチェの気づきにラクティメシッスが頷いた。
「えぇ、兄と見比べられて貶されるんですよ。王子さまはお美しいのに王女さまはごく普通ねって――陰口って、内緒で言ってるはずなのに本人の耳に入ってしまうのはなぜなんでしょう? とにかくフレヴァンスは傷つき、そんな彼女を慰めようと両親もわたしも側近たちも、腫れ物に触るように彼女を大事にしたんです。結果はご存知でしょう?」
なんて言われたって、どう答えていいものか?
「あんな美人になったのって? 今じゃ何処に行っても目立つよな」
迷った挙句、訊いたピエッチェ、ラクティメシッスが考え込む。
「んー……そう言えばいつだろう? 笑うようになったのはマデルが守役についてからです。ふさぎ込むこともなくったし、マデルが守役になってくれてよかったです。まぁ、それでもフレヴァンスの意地悪は続いてました」
「マデルが守役になった頃にはあんなだったんだ?」
「えぇ……で、初めて年の近い守役を付けたのがマデルだったんです。あの頃のマデルも今とは違ったなぁ」
「今とは違うって?」
「上流貴族のお嬢さまですからね。上品で温和しくって儚げで」
そりゃあ随分と違う。でもマデルなら場を弁えて、そんなお嬢さまにだってきっとなれる。
「だから心配で、何かあったら相談に乗るよ、愚痴も聞くよって言ったんだけど、反対でした」
「反対?」
「相談に乗って貰ったり、愚痴を聞いて貰うのはもっぱらわたしのほうだったってことですよ」
恋に落ちたのはラクティメシッスが先か、マデルが先か? まぁ、どっちが先でも同じことだ。互いに相手を必要とした。そうに違いない。
「それにしても……いったい俺のどこを見倣いたいって?」
「あぁ、その話ですね。んー、先に言い出したのはそっちですよ。ピエッチェはわたしのどこを?」
言わなきゃ判らない? 充分自覚してるんじゃないか?
「いつでも余裕があるよな。でもさ、それ以上に周囲から慕われてる。尊敬されて信頼されて……自分でも判ってるんだろ? 今は王太子だけど、即位してもこの王子なら心配ないってみんな感じてると思う」
「ピエッチェだってそうでしょう? カッチーは完全にあなたに心酔してるし、トロンペセスは明らかにあなたに期待していましたよ。ジジョネテスキだってそうだし、チュジャバリテにジャルジャネの二人はあなたに敬意を示したじゃありませんか」
「うん? 巧く言えないな……カッチーが俺の身分を知ったのは、それこそ最近、マデルより後だ。王としての俺を認めてるわけじゃない――トロンペセスとジジョネテスキは古くからの知人、チュジャバリテたちは俺の身分に敬意を示しただけだよ」
「そんなふうに受け止めているんですね。ちょっと謙遜し過ぎじゃないかと思いますがねぇ――まぁ、それもまたあなたの良いところなんだけどあなたの性格では、周囲がそうは見ないかもしれません」
「謙遜なんかじゃない、事実だよ――で、ラスティンは?」
「わたしがあなたのどこを見倣いたいかですよね。先に言えばよかったです。言いにくくなりました」
ラクティメシッスが苦笑いする。が、真面目な顔でピエッチェを真直ぐ見ると
「あなたを、王と呼ばれるのに相応しい人だと感じています」
と言った。
「なっ?」
驚き過ぎて言葉が出ないピエッチェに、
「あなたはわたしのことを『余裕がある』と言ったけど、実は余裕なんか全くないんです。どこかでボロを出すんじゃないか、誰かに足を引っ張られるんじゃないかって、いつもビクビクしてます。それを悟られないよう、おっとりと構え、微笑みを絶やさないようにして……それがいつの間にか板についてしまっただけです」
ラクティメシッスが苦々しげに言う。
「それに引き換えピエッチェ、あなたはいつも自然体だ。それでいて、軽々しく本音を口にしたりしない。言ったらどうなるか、それを考えてのことでしょう? 自分が周囲に与える影響をきちんと考えていますよね」
「自然体ってのは、どうなんだろう? 自分を演出する知恵もなければ器用さもないってだけだ。それから、自分の発言が周囲に与える影響? そんなの考えたことがない。幼いころからそう躾けられてきたから、思ったことをすぐには言えないだけだ。だいたい、嘘も吐けば、誤魔化したり隠したりもする。自然体なんて言えない――って、これも謙遜なんかじゃないからな」
最後の一言はラクティメシッスを愉快に笑わせた。
「まぁ、そんなにムキにならないでくださいよ。なんて言うのかなぁ。自然体って言うのが違うのなら正直と言い直しましょうか? あ、それだと嘘や誤魔化しだとかが矛盾してきますね。困った」
「困ったと言いながら、楽しそうだぞ?」
「えっ? えぇ、楽しいですよ。それ以上に安心する。なぜでしょうね?」
そんなの知るかよ!?
「それにしても、なかなか起きてきませんね。いい加減、空腹です」
「あぁ……」
チュジャバリテたちはいつ来るだろう?
「可哀想だけどカッチーを起こすか。カッチーの指導で何か作ろう」
「そうしたほうがいいかもしれません。って、カッチーが起きたようです」
「気配を感じた?」
「えぇ、あれはカッチーですね。慌ててベッドから飛び出しました」
「なぁ……さっき、クルテは起きたのか訊いたよな? クルテの気配は感じなかったのか?」
「お嬢さん、検知術の妨害魔法を使ってるんでしょう? 彼女とピエッチェ、二人の気配は一切感じられませんよ」
「そうなんだ……」
と、答えたものの、違うとピエッチェは思っていた。俺はクルテの気配も読み取れる。だから妨害魔法なんか使っていないはずだ。けれどそれを言うわけにはいかない。ザジリレンの王族は魔力が弱い。その常識を覆すことも、実は強力な魔力を保有していることも、けっして知られてはならない。どんなに信頼できる相手だろうとも――
カッチーの得意料理ハンバーグがいい匂いを漂わせ始めると、まずはマデルがキッチンにやってきた。
「おやま。ラスティンがマッシュポテト作ってる」
酒臭い息でクスクス笑う。
「マデルさん、まだ酔ってます?」
カッチーがニヤニヤ言うが、
「酔ってるわけないでしょ――お茶でも飲もうかな」
答えるマデル、どう見たって酔っ払いだ。
自分で淹れると言うのをラクティメシッスが
「いいから向こうで座ってなさい」
キッチンから追い出した。
「邪魔だし、ケトルのお湯をひっくり返そうで怖いってね」
愚痴りながらポットにケトルの湯を注ぐ。
顰めっ面で起きてきたのはクリンナーテン、
「ダメ、酷い頭痛……」
キッチンの入り口に立って挨拶もおざなりだ。
「朝食は要らないわ。食欲ないの。お茶だけ貰おうかな」
こちらはもとより自分で淹れる気さえない。
クリンナーテンのお茶をカップに注ぎながらラクティメシッスが呟く。
「平和だなぁ」
うん、平和だ――だがこの平和は仮初だ。だからこそ、なおさら平和だと感じるし、そう感じるのはこの静けさが簡単に脅かされるとものだからだ。そして祈りの言葉でもある。こんな平和が続くといいのに……
目玉焼きを乗せたハンバーグにマッシュポテト、ニンジンのグラッセ、ほうれん草のソテーをワンデッシュに盛り付けた。キュウリとトマトとレタスのサラダは小鉢で別にした。メニューを考えたのも盛りつけたのもカッチーだ。ダイニングに運んでいくとマデルが、
「毎日カッチーに任せようかしら?」
皿を見て嬉しそうに言う。クリンナーテンはいない。空のカップがあるだけだ。寝室に引っ込んだんだろう。
「メニューが限られてるしリクエストには応じられないけど、それでいいなら俺、やりますよ」
カッチーはその気だ。ラクティメシッスは『頼もしいなぁ』と微笑んだが、
「カッチーには別の仕事がありそうだから、そっちをメインと考えておいたほうがいいかもしれませんよ」
と付け足した。
「別の仕事……」
緊張した面持ちのカッチーがラクティメシッスからピエッチェに視線を動かした。
「俺、役に立てるでしょうか?」
「当り前だ」
軽く言い放つピエッチェ、カッチーを見て微笑む。
「今だって役に立ってる。おまえを頼りにしていないと思っているのか?」
「ピエッチェさん……」
「だけどな、これから先は今までよりずっと難しいことを頼むようになるかもしれない。危険なことも増えるかもしれない。それでもおまえならやってくれる、やり遂げてくれる。俺はそう思っている」
神妙な面持ちのカッチーにピエッチェが微笑む。
「心配するな。最初のうちは事細かに指示を出す――俺はおまえをしっかり見ている。おまえの得手不得手、考え方、そんなことをちゃんと考慮しての上でだ」
「はい、しっかり勤めさせていただきます」
いつもとは違うカッチーの返事、ラクティメシッスも微笑んで
「いい主君と巡り合えましたね」
と呟いた。




