17
建物の裏に回ったが車寄せらしきものはなかった。ガランとしているだけだ。仕方なく馬車を停めたラクティメシッス、御者台の覗き窓を開けて
「このまま待ちますか?」
キャビンの中のピエッチェに訊いた。クルテがフフンと鼻を鳴らす。
「建物の影で表から見えない。ここなら何があってもいい、ってことだよね?」
「おや、お嬢さん。その言いかた、まるでチュジャバリテが何か企んでるとでも言いたそうに聞こえますが?」
「そうは言ってない。条件はこっちも同じ」
「こちらも何か企めると言いたい?」
「そうじゃないよ――マデル、眉墨ってすぐ出せる?」
埒が明かないと思ったのか、助手席のマデルに話しかけたクルテ、やっとラクティメシッスも『あぁ』と呟いた。
「しかし……少し冒険が過ぎませんか? チュジャバリテ邸の様子がはっきりするまでは続けたほうがいいのでは?」
クルテの提案にラクティメシッスは乗り気でない。ここでならウイッグを外し眉墨を拭き取っても大丈夫だとクルテは思ったようだ。万が一、誰かに訊かれてもいいように『変装』と言うのを避けている。
さて、どうするか? ピエッチェがチラリとクルテを見る。言いたいことは言ったとばかり、クルテは花を眺めてニマニマしている。覗き窓からこちらを見詰めるラクティメシッスの視線を痛いほど感じた。
「いや、このままでいい――このままキャビンから降りる」
カッチーが大急ぎでキャビンのドアを開け、ラクティメシッスが覗き窓を閉めた。クルテがクスッと笑う。
「ピエッチェとして会うって決めたんだ?」
「あぁ、今はまだそのほうがいいと思った……チュジャバリテがジジョネテスキの言うとおりの人物なら、眉墨の意味を察するだろうさ」
王として動く気はない。変装はその意思表示だと思った。
チュジャバリテはどんな計画を立ているんだろう? どんな計画だとしても『こちらには国王がいる』と宣言できれば有利になる。それをさせる気はないぞ、と王の身分を隠すことで示そうと思った。カテロヘブであると見抜かれることは承知の上、それなのに変装していることで効果がある。
ラクティメシッスは慎重な行動をと考えたようだが、ピエッチェがウイッグを付けたままにしたのはそんな理由からだった。
キャビンを降りて見上げると、チュジャバリテの屋敷の大きさを実感できた。ギュリュー清風の丘に立ち並ぶ貴族の別荘の中でもひときわ大きかったジランチェニシスの屋敷と同規模か? だが……
「小さい窓ばっかり」
やはり見上げていたクルテがポツンと言った。
「んッと……四階建て?」
見えている窓は四段だ。
「それとも五階建て?」
首を傾げるクルテ、もし五階建てなら一階には窓がないことになる。それだとしても一階の天井はかなり低い。
ラクティメシッスが、
「キャビンの中からじゃよく見えなかったかもしれませんがこの屋敷、増築の痕跡がありましたよ」
小さな声でピエッチェに言った。
「こちら側は増築されたものだと思います。よく見ると判ると思いますが、建ててまだ大して経っていない……跡取り息子が戻ってきてから増築したと見るのが妥当でしょう」
跡取り息子とはチュジャバリテのことを言っているんだろう。
「だとしたら九年前からこっちってことになるが?」
「十年以内、新しくても五年ってところですね」
「一年以内と言うことは?」
「それはありません。もしそうならもっと真新しい」
少し離れたところでマデルがクリンナーテンを慰めている。一人で知らないところに行かされるのはイヤだとクリンナーテンが言ったからだ。ピエッチェに言われた時には表情を暗くしただけだった。それからずっと塞ぎ気味だったが、この場にきて、さらに不安になったらしい。
「マデルが一緒なら怖くないの。でも、無理よね?」
「心細いのは判る。でも、しなくちゃならないことがわたしにはあるし」
マデルがチラッとラクティメシッスを見る。クリンナーテンが溜息を吐いた。
「恋人のそばに居たいわよね」
「そんなんじゃないわ」
「いいのよ、それが普通だもの。わたしだって……」
夫のそばに居たい、けれどクリンナーテンは言葉を切った。建物の影から出てきた人影に気を取られたのだ。
「チュジャバリテだわ」
マデルにしか聞こえない小さな声でクリンナーテンが言った。
ピエッチェとクルテ、ラクティメシッスはクリンナーテンより先に、近づく気配に気が付いていた。ゆっくり振り返った三人に、カッチーが慌ててマデルとクリンナーテンのところに行って二人を守る位置に立った。マデルは気付いていたのかいないのか、クリンナーテンにあわせた動きだった。
「ジジョネテスキさまより話は聞いている。ピエッチェはどっちだ?」
恰幅のいい男がピエッチェとラクティメシッスを見比べた。
現れた男は二人、恰幅がいいほうの男は髭を蓄えて少し年配に見えるがきっと三十二・三、偉そうにふんぞり返っている。もう一人の背の高い男も同じ年ごろ、だがこちらは瘦せ型だ。目も細くて吊り上がっている。なんだか冷徹そうに見えるのは偏見か?
二人とも街中で出くわしたら避けたくなるような雰囲気、言っちゃあなんだが悪人面だ。
ピエッチェが一歩前に出て
「俺だ」
と言った。二人の男はふぅんと鼻を鳴らし、ジロジロとピエッチェを見た。それから何やら目交ぜした。
「まぁ、いいでしょう。ジジョネテスキさまの遠い親戚なのだとか? 食事を出すよう言われてる。ついてくるといい」
恰幅のいいほうがくるりと身を翻した。瘦せ型もそれに続いたが振り返りざま『食事を強請りに来るなんて物乞いじゃないか……本当に親戚か? 泊めるのは断ったほうがいいぞ』小さな声で呟いた。
ジジョネテスキはいったいどんな話をチュジャバリテにしたんだ?
「そのままキャビンを降りたのは正解だったようです」
ラクティメシッスが耳打ちした。変装を解かなくてよかったという意味だ――
屋敷の中には正面の玄関から入った。
「ジジョネテスキさまの馬車が裏にある。厩に入れておけ。丁寧に扱えよ」
玄関の間に控えていた召使らしき男に恰幅のいいほうが言った。コイツがチュジャバリテで間違いなさそうだ。言われた召使いは『かしこまりました』と外に出て行った。それにしてもジジョネテスキの馬車? どうにも話がこんがらがっている――リュネが手荒に扱われないなら良しとするか。
広い玄関の間を抜けるとその奥は三階ぶち抜きの広間、階段が両側にあった。八百屋の住まいにこんな広間が必要なんだろうかと思いながら、階段を上っていくチュジャバリテを追うように上る。階段を上りきると四階、踊り場の奥にドアがあった。
ドアの先は廊下、さらに進んで大きな扉の前で止まったチュジャバリテ、
「この部屋だ」
扉を開けっぱなして中に入った。
中は思ったよりは狭い部屋、それでも大きなテーブルが置かれている。椅子は六脚だ。
「つっ立ってないで座ったらどうだ?」
そう言われても気が進まない。だが立っているわけにもいかない。何か理由をつけて屋敷を出たほうがいいか?
迷うピエッチェ、ラクティメシッスも戸惑ってピエッチェを見ている。マデルにカッチー、クリンナーテンもそうだ。なのに、
「随分と上等な椅子だね」
と椅子の背凭れを引くクルテ、さっさと座ってしまった。
そう言えば、クルテは警戒していない。鼻歌が聞こえそうなほど機嫌がいい――と、言うことは?
ピエッチェがいつも通りクルテの隣に座る。広いテーブルだ。いつも通りとはいっても間隔が離れていて、いつものようにクルテが凭れかかってくることはできないだろう。ピエッチェが座るのを見て、他の四人もそれぞれ座った。
少し離れた壁ぎわで、チュジャバリテが壁に向かって声をあげる。
「すぐに食事を運べ」
壁には牛の角を逆さまにしたような物が付いている。
「壁に向かって話してる……」
カッチーの呟きにクルテが
「伝声管。長い管で、あそこで言った声が管の先で聞こえる仕組み」
解説した。伝声管が繋がっているのは厨房か、召使い部屋か?
部屋の奥に立つチュジャバリテ、入ってきた扉の前には痩せ型の男、見張られているのだろう。暫くするとノックの音、痩せ型が扉を開けると召使いがワゴンを押して入ってきた。
「コイツらにはご馳走すぎる……勿体ない」
痩せ型が舌打ちした。
テーブルに並べられたのはオニオンスープに生野菜のサラダ、薄切り肉とキノコのソテー、それがめいめいの前に一皿ずつだ。パンはバスケットに入れられてテーブルの中央に置かれた。そしてグラス六個と水がたっぷり入ったピッチャーが用意されたがお茶はない。贅沢を言うつもりはないが、取り立ててご馳走と言うほどのものとは思えない。
クルテが
「バターが欲しいな」
とチュジャバリテに向かって言うと、ムッとした顔で睨み付けてから、まだ部屋にいた召使いに
「バターを持って来い。少しでいい」
と命じていた。
一緒に食べるのだと思い込んでいたが、チュジャバリテと痩せ型は動く気配はなかった。椅子は六脚、料理も六人分、グラスも六個……それでも部屋から出て行かないのは監視のためとしか思えない。ジジョネテスキが言っていた、計画の話なんかできるのだろうか? それに、出された料理は食べて大丈夫なのか? それすら疑わしくなってきた。
が、ここでもクルテだ。いつもだったらじっくり分析してからでなければ食べないのにバターが来るとすぐ
「いただきます」
と、嬉しそうにスープを口に運んだ。
「美味しい……じっくり煮込んである」
ニンマリしている。
クルテが食べた、と言うことは? チュジャバリテに一礼してピエッチェも食べ始めた。それを見てカッチーもスプーンを手にし、ラクティメシッスとマデル・クリンナーテンも食事を始めた。すると痩せ型が
「フン! たかがスープを喜んでる。ヤダヤダ」
と、またも嫌味を言った。
食事を終えたのは六人ほぼ一緒だった。クルテは一番最後だったが、いつものようにだらだら食べていなかった。やろうと思えばできるんだな、そう思うピエッチェ、だが今ここで言うことではない。
いつもとは違うクルテだが、いつもと同じところもあった。
「ダメ、もう眠い」
ごちそうさまと同時に目を擦り始めた。
「出た……食べると眠くなるクルテさん」
カッチーはクスクス笑うが、ここで眠いと言われてもどうしたらいい?
と、チュジャバリテが動いた。
「寝室は奥だ」
部屋の奥のドアを開けた。
「なんだよ、やっぱり泊めるのか?」
不機嫌な痩せ型に、
「ジジョネテスキさまのご依頼を無下にはできん」
チュジャバリテが言い訳する。
「ここで食事をさせるのだって反対だった。屋敷で一番いい部屋なんだぞ」
痩せ型が悔しげにピエッチェを睨んだ。




