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返答に困るピエッチェ、ラクティメシッスは言葉を待っている。ピエッチェがなんと答えるのか、カッチーがドキドキしながら見ているのが伝わってくる。
そう思って貰えるのは光栄だ、とでも言えばいいのか? でもなんだかそれじゃあ偉そうじゃないか? あ、そうか、言いかたか。光栄でございます? いや、待て。それじゃあ余りに遜り過ぎ? 光栄です、くらいか?
「ねぇ」
迷うピエッチェの思考の邪魔をするクルテ、
「ドーナツ、そろそろ食べようよ」
ピエッチェを見上げる。
「え、いや……」
今はそれどころじゃないと言おうとするが『それもなんだか違う』と思って言い淀むピエッチェ、すると横からラクティメシッスが
「温かいうちの方が美味しいんでしょうか?」
クルテに微笑む。そこでやっとピエッチェが気付く。あぁ、そうか、困っている俺をクルテは助けてくれたんだ。そしてラクティメシッスはそれに気が付いてクルテにあわせた。
「ううん、もうすっかり冷めてる。でもね、時間が経つと固くなっちゃう――カッチー、幾つ入ってるの?」
「一人三個ずつってジジョネテスキさんが言ってました」
「そっか……んー、マデルとクリンナーテンの分もある?」
「はい、六人分です」
「じゃあ、宿に着くまで我慢する――マデルと一緒に食べよう」
なんだよ、だったら最初から……違う、クルテは最初からそのつもりだ。
「そうですね、マデルさんが淹れてくれるお茶は美味しいですもんね」
ニコニコ答えるカッチー、ラクティメシッスも微笑んでクルテを見ている。やっぱり俺は、機転が利かないし気が回らない。他人の心を汲むのも苦手……
それでもクルテは『そのままでいい』と言ってくれる。俺を受け入れてくれるだけじゃなく、俺の足りないところを補ってくれる。俺には過ぎた相手だ――
宿の厩は出た時のまま、出入口が開けっぱなしだ。街中の宿だ。獣や魔物に襲われる心配はない。夜中にわざわざ厩の見回りなんかしないと考えていたが、その通りだった。中に入りキャビンを外してから、リュネには水と飼葉を与えた。クルテはリュネの首にしがみついていたがピエッチェが
「それじゃあリュネが休めないぞ」
と言うと、ようやく放して
「マデルが待ってる。居酒屋に迎えに行こう」
と言った。
マデルとクリンナーテンが行ったのは女だけでも安心、なおかつ朝までやっている店だ。カッチーだけ結界から出して、店内に迎えに行かせた。入店の際、中を覗き込むとまだ数人の客、だけど女性はマデルとクリンナーテンの二人きり、
「本当に女性だけでも安全な店だったんでしょうか?」
ラクティメシッスが心配そうに言った。
「二人がコロコロ笑っているところを見ると、何もなかったんだろうね」
ピエッチェはそう言って笑ったが内心『マデルならなんの心配もないだろうさ』と思っていた。
マデルと知り合ったのは居酒屋で、すぐに他の男たちとトラブルになった。マデルは怯むこともなく、むしろ男たちを煽っていたっけ……
宿に着く前に、タイミングを見てカッチーを結界に戻す。宿から出たのは女が二人、戻ってきたのもその二人だけじゃなければ可怪しな話だ。
「楽しかったわ。久々に思い切り飲んじゃった」
「いい店を紹介してくれてありがとう」
楽しそうに戻ってきた二人を宿の受付が
「お帰りなさいませ――良かったですね」
と、にこやかに迎え入れる。受付係は居酒屋に出かけた時と同じ二人だ。
クスクス笑いながら階段を上っていく二人が見えなくなってから
「あぁ~あ、また玄関が開けっぱなしだよ」
と、ボヤいてカウンターから出てくると扉を閉めた。もちろん、あとから続いて入ってくるピエッチェたちのために、マデルとクリンナーテンがわざわざ開けっ放しにしていったなどと知るはずもない。
部屋に入ると、最後尾のカッチーがドアを閉めた。同時に結界は完全に消去された。
「さすがにヘトヘトです」
ラクティメシッスがドサリと居間のソファーに座り込む。
「ラスティン、顔色悪い」
そう呟くクルテもフラフラとソファにへたり込む。
「マデル、お願い、お茶淹れて」
それでもドーナツのことは忘れていない。
クルテの隣に座ったピエッチェが、
「なんだか俺だけ楽したみたいだな」
申し訳なさそうに言った。
「ラスティンとクルテはずっと魔法を使ってたんだろう? カッチーはジジョネテスキとの渡りをつけたり菓子作りの工作したりで活躍したが、俺は三人に守られてただけだ」
「何を言うのやら……」
ぐったりとした顔で笑むのはラクティメシッスだ。
「あなたがいるからこそだってのを忘れないでください――それにしてもお嬢さんの助言に従って正解でしたね。食糧庫を出てからも結界を使ってたら、持たなかったかもしれません。ギリギリでした」
「なんだったら、もう休むか? 報告と明日の計画を話すだけだ。ラスティンと打ち合わせ済みの事しかない」
ピエッチェがそう言うとクルテが
「わたしもお茶飲んで、ドーナツを一個だけ食べて寝る」
と見上げてきた。どんなに疲れていてもドーナツを食べないことには気になって眠れないらしい。
「そうですね、お茶をいただいたら休ませて貰います」
カップを配るマデルに微笑みながらラクティメシッスが言った――
クルテが眠ったのは寝室ではなく居間のソファーで、ピエッチェに凭れかかってだ。話しに集中できないからとピエッチェが、いくら寝室に行けと言っても動かなかった。とうとうピエッチェも根負けして、クルテの肩に腕を回していた。
「食糧庫から入った?」
クリンナーテンは庭掃除用の道具置き場から階段下の食糧庫に繋がる隠し扉の存在を知らされてなかったらしい。
「えぇ、道具置き場も食糧庫も知っているけど、あんなところに隠し戸? 教えてくれても良かったのに」
「まさか使うことになるとは思わなかったんだろうよ」
ピエッチェが取りなすが
「あの人がわたしに隠し事をするなんて……」
泣き出しそうだ。そんなに深刻な問題なのか? ピエッチェからすると不思議だ。が、マデルは
「屋敷の女主人に教えておかないなんて……」
ジジョネテスキに呆れている。きっと女と男では感覚が違うのだと思うしかなかった。
「明日はチュジャバリテに会いに行く――で、クリンナーテンはチュジャバリテが手配した隠れ家に移って欲しい」
ピエッチェがそう言うと、不安そうなクリンナーテン、
「屋敷には戻れないのね」
屋敷がどうのと言うよりもジジョネテスキに会いたいのだろう。
「何かチュジャバリテが計画していることがあるらしい。その計画を実行に移すまでは今のままでいたほうがいいとジジョネテスキが言っていた」
「どんな計画なの?」
「実は聞いてないんだ。中途半端な話を聞くより、チュジャバリテから詳しく訊いたほうがいいって。ジジョネテスキも概要しか判らないらしい」
「昔はあの人の部下だったって聞いてるけど、チュジャバリテって八百屋よね?」
「うん、優秀な騎士だそうだ。身分を気にするヤツラのせいで重用できなかったとジジョネテスキが悔しがってた」
「そうだったのね。ただ、騎士だったとしか聞いてなくって。あの人がそう言うなら、間違いのない人物だわ。どんな計画なのか楽しみね」
聞いて楽しい計画とは思えないけどね、とピエッチェが思う。が、言わなかった。
チュジャバリテがジジョネテスキの言うとおりの男なら、きっと大それたことを計画している。トロンペセスも噛んでいるとなればなおさらだ。他にも誰か出てくるかもしれない。同志を集めているとトロンペセスは言っていた。
『チュジャバリテはね、奇襲が得意。我らは実戦の経験はないけれど、あれこれ想定しては作戦を立てて楽しんだ。まぁ、訓練の一環でもある――アイツは誰よりも奇策を考え付く男だった。しかも実行可能なものばかり。参謀にしたかった』
聞いて楽しい話ではないのは確かだ。だが、どんな話を聞かされるのかは確かに楽しみだ。
夕刻までにチュジャバリテに連絡しておくとジジョネテスキは言っていた。どうやって連絡を取るのかまでは聞いていないが、頼み忘れたものがあるとでも言って呼び出するのだろう。八百屋はいい隠れ蓑だ。
『夕食を用意するよう言っておくよ――宿は引き払い、チュジャバリテの屋敷に移るといい』
ジジョネテスキはそう言っていた。
『ただ、クリンナーテンはこのあたりじゃ顔を見られないようにしないとな――馬車を使っている? だったら降りるのはチュジャバリテの屋敷の敷地内にしろ。門を閉めちまえば外からは見えなくなる』
チュジャバリテはかなり裕福らしい。八百屋と言っても大規模に商売を展開しているのだろう。支店もスザンネシルだけではなさそうだ。
馬車のまま門内に入ることができるなら、チュジャバリテの屋敷は下手な貴族より大きい。使用人がいるかもしれない……その使用人は信用できるのか? だが、それを言っていたら何もできなくなる。チュジャバリテを信用するなら、その使用人も信用するしかない。
もっともピエッチェはまだ、チュジャバリテに会っていない。会ってもいないのに信用するのか?……信用したかった。チュジャバリテを信用するならその使用人も信用すると考えたが、その前提だってある。ジジョネテスキを信用するなら、ジジョネテスキが信用するチュジャバリテも、と言うことだ。
話しが一通り終わると、カッチーが大欠伸した。
「明日は昼まで寝てていいんですよね?」
うっすら涙ぐみながら、カッチーが訊いた。居酒屋から帰ってきたときマデルが受付に
『明日の朝食は昼頃にして欲しい』
と頼み、引き受けて貰っている。
「ほとんど徹夜になっちまったな」
もうすぐ空が白み始めるだろう。ピエッチェも、さすがに疲労を感じ始めていた。
きっとぐっすり眠ってるわと言ってマデルが寝室に入っていく。眠っているのはもちろんラクティメシッスだ。クリンナーテンは『今日もいろいろありがとう』と寝室に向かった。明日も頑張りますと目を擦って言ったのはカッチー、言葉とは裏腹に声は眠さで覇気がない。
「おい、クルテ、寝室に行くぞ」
クルテは揺さぶっても目を覚まさない。ムニャムニャ反応するもののピエッチェにしがみついて来るだけだ。
ジジョネテスキの屋敷に居る間中、クルテは屋敷内に気を張り巡らせていた。相当力を使っていたはずだ。さぞかし疲れたことだろう。そう言えば花籠はどこにある? そんなことを考えながら抱き上げた――
ラクティメシッスが、緊急連絡の内容をピエッチェに話す気になったのは、遅い朝食を取っている時だった。
パンにジャムを塗りながらラクティメシッスが言った。
「言いそびれていましたが、どうやら父が倒れたようです」
思わずピエッチェが咀嚼を止めた。




