13
裏口から入ると短い廊下、その先の扉の向こうが厨房だった。ダイニングとの開口部から差し込む灯りで薄ら明るい。ダイニング側の壁には食器棚、その対面には洗い場と竈、その間に大きな調理台がある。足音を忍ばせて調理台の影に行き、しゃがみ込んで隠れた。
ダイニングからは男の声、クルテの見立て通りカードゲームをしている。ギュリューのセンシリケのカジノで聞いたような嬌声が聞こえたが、大声なのは一人だけだ。どうやらソイツの一人勝ち、他の二人の不満そうな声がぼそぼそと聞こえてくる。
「どうせ朝まで交代は来ない。もう一勝負しよう」
男の大きな声、勝っているのはコイツだ。他の一人が何か言った。すると
「眠いだって? おまえ、負けっ放しでいいってのか? 今やめるなら、負け分をすぐに払って貰う――あぁ、朝までやるなら払いは明日でもいい」
勝ち男が笑う。カードを切る微かな音が聞こえるような、聞こえないような……朝までやる気か? まぁ、そのほうが都合がいい。こちらは日の出る前にスザンネシルの宿に戻る。
次のゲームも勝ったのは同じ男、ますます声が大きくなり、あれやこれやと一人で喋る。その声が不意に止んだ。ガタガタと椅子が軋む音、三人の男たちが立ち上がった。ジジョネテスキがダイニングに来たに違いない。緊張するピエッチェ、カッチーも一緒のはずだ。男たちはカッチーを見てどう思うだろう? だがジジョネテスキなら必ず巧く切り抜ける。
「おい! ソイツは誰だ?」
案の定、怒鳴り声が聞こえた。勝っていた男とは別の声、三人の中では格上か?
「八百屋の新人だ。昼間来た時に、菓子作りを教える約束をした」
ジジョネテスキが答えている。
「そんな話、聞いてない!」
「なんだ、申し送りをしなかったのか? 昼間のヤツは『判った』と言ってくれたのに?」
もう一人の男の、控え目な声が聞こえた。
「そう言やあ、八百屋が来る日だ」
舌打ちしたのは格上の男だろう。
「菓子作りなんか、昼間やれよ」
「昼間は八百屋の仕事がある。新人だからね、こんな時間までこき使われた。今、来たところだ」
「って、玄関から入ったのか?」
「そうだよ、ほかにどこがある?」
「ったく、いつの間に……」
逃げられなかっただけマシか……ボソッと男が呟いた。
玄関から入ったと言えとカッチーに指示したが、それをジジョネテスキに伝えるようには言ってない。ジジョネテスキの判断で『玄関から』と言ったのだ。
誰かが訪れ、ジジョネテスキが玄関で出迎えた。それに気付かなかったなどと、男たちは監視を命じたヤツに報告できない。これで、ジジョネテスキを幽閉している首謀者に、夜中に来客があったと知られる心配はなくなった。さすがジジョネテスキだ。
「仕方ねぇな、さっさと済ませちまえ――下手なことを考えるなよ。どうなっても知らねえぞ」
どうなっても知らないと言うのはクリンナーテンのことに違いない。
クリンナーテンが逃走したとゲリャンガから報せが来ていないのか? 監視の男たちが知らないだけ? それとも単に、ジジョネテスキには教えていない?……いいや、わざわざジジョネテスキに教えるはずもない。知らなければ、ジジョネテスキの認識は『人質に取られたまま』だ。
二人分の足音、次いで厨房が明るくなる。
「ドーナツで良かったよね? まずパン生地をつくろう」
ジジョネテスキが、調理台の影から顔を覗かせたピエッチェに頷いて言った――
厨房に立つのは二人、ダイニングに近いほうにはカッチー、パン生地を持ち上げては叩きつけている。調理台を隔てた側にはジジョネテスキ、ニコニコとそれを眺めている。その足元に腰を下ろしているのはピエッチェとクルテ、そしてラクティメシッスの三人だ。ダイニングから監視役が覗き込んでもカッチーとジジョネテスキしか見えない。
監視の三人は、ジジョネテスキがカッチーを伴って厨房に入って暫くは静かだったが、粉を測り終え、パン生地を捏ね始める頃にはカードゲームに気を取られていた。聞こえてくる嬌声にピエッチェは、『なんで怠惰なヤツに監視を任せた?』と呆れていた。
「もっと大胆に、思い切りよく!」
ジジョネテスキがカッチーに言っている。生地の捏ね方を言っているのだが、実は足下に居るピエッチェへの言葉だ。クリンナーテンを保護したなら、この先は大胆で思い切った作戦を立てろと言っているのだ。
「だからって引っ張り過ぎるな。せっかくできた生地を切っちまったら触感を損なうぞ。しっとり仕上げるには滑らかさが肝要だ」
ドーナツ作りをカッチーに指示しながら、合間合間に声を潜めてジジョネテスキが経緯を語った。ここまで聞かされた話は、王都にいる誰かが糸を引いているのは判っているが、それが誰なのか、最終目的は何かは不明、その首謀者がターゲットにするのは上流貴族がほとんど、だからトロンペセスやチュジャバリテはノーマーク、だが地方とは言え警備隊司令を任じられているトロンペセスに目だったことはさせられない、憶測に過ぎないがケッポテラスも脅されて従うしかなかったんじゃないか、などなどだ。
「ダーロミダレムの投獄はなんとしてでも阻止するべきだった。そこで出遅れた結果がこれだ」
ジジョネテスキが自嘲する。
「敵は狡猾だ。しかも動きが早かった。何か対策を立てなくてはと思っているうちにわたしも失脚させられていた――若輩者から攻め、その父親を抑えることに成功している。表には出てきていないのも多いだろうが、王宮の重鎮のほとんどが何かしら弱味を握られていると思う」
「誰がどんな弱味を握られているのかが判らないと言う事か。それが判れば首謀者もおのずと知れるからな」
「そういうことだ。だが反対を言えば、明白に弱味を握られたと判る者は味方と思っていい」
「弱味を握られていると見せかけていると言うことは?」
ギョッとしたジジョネテスキがチラリをとピエッチェを見る。
「そこまで考えが及ばなかった」
ピエッチェもチラリとジジョネテスキを見てから、言いにくそうに言った。
「ラチャンデルは? それとネネシリス……」
再びジジョネテスキが視線をピエッチェに向ける。今度はすぐには逸らさない。
「ラチャンデルはどうなのだろう? 野心からわたしを陥れる片棒を担いだのか、それとも首謀者の一人なのか? はっ! まさか実弟に足を救われるとは思っていなかったよ。迂闊だった」
そしてカッチーに視線を戻して言った。
「そろそろ少し生地を休ませよう――その間に茶でも飲もう。湯を沸かしてくれ。ケトルはそこの棚だ」
カッチーが『はい』と答え、棚の方へ行く。それを見て、ジジョネテスキがしゃがみ込んだ。
「ネネシリスは従僕をおまえが斬殺するのを目撃したと言っている。そんなことを信じたヤツはいない。だが、ネネシリスは嘘を言っているようでもなかった――どういうことだ?」
さらに声を潜めたジジョネテスキ、ピエッチェがジロリとジジョネテスキを睨む。
「その話は俺も聞いた……俺が知っているのはネネシリスが俺の家臣を虐殺し、俺のことも殺そうとしたってことだ」
「随分と話が違う。だが、おまえの話にも嘘を感じない。しかし、幻惑を見せる魔法なんて聞いたことがない」
「ラチャンデルがネネシリスを助けたと言ったヤツが居たが?」
「ん? あぁ、サワーフルドの森から血相変えて飛び出してきたネネシリスを王宮に向かっていたラチャンデルが拾ったんだとか」
「サワーフルド? カッテンクリュード……」
「ネネシリスが言うには、おまえに狩りに誘われて家臣を数名連れて行った。ところがいきなり暴れ出したおまえが、自分の家臣もネネシリスの家臣も虐殺した。ネネシリスも殺されそうになったが命からがら逃げだして、偶然通りがかったラチャンデルに助けられ王宮に逃げ込んだってことだ」
「なぁ、俺は川に落ちたことになっているんだろう?」
「うん、それでおまえを追って父が王宮騎士団をサワーフルドに派遣したが見つけられず、血痕を追跡した。血痕は山頂を越え、メッチェンゼ方向に下ったが、クッシャラボ湖に望む辺りで足を滑らせた形跡、湖に落ちたと見るのが妥当と結論付けた」
「モバナコット卿は、俺を騎士団に討たせるつもりだったか」
力なく笑うピエッチェに、
「違う!」
つい声を荒げるジジョネテスキ、
「おまえの錯乱は薬を盛られたのだと父は考えた――騎士団ならおまえを保護できるはず、怪我をさせることなく取り押さえて、連れて帰れと指示を出した」
「ふむ……」
調理台の向こうから、
「見つかりません」
カッチーが声をあげる。ジジョネテスキが調理台の下に設えられた引き戸を開けて、中からケトルを出して立ち上がる。
「ごめん、こっちにあった」
クッシャラボ湖を水源とするモシモスモネン川、ピエッチェが転落した濁流はモシモスモネン川の支流でローシェッタに繋がっている。クッシャラボ湖に落ちたなら、詳しいことはともかく矛盾のない話になると言う事か。
「俺を探すために川を堰き止める計画があるって噂が耳に入ったが?」
呟くようなピエッチェの質問、カッチーにケトルを渡してからジジョネテスキが答えた。
「ネネシリスがどうしても探すって騒いだけど、女房の『馬鹿を言うな』の一言で撤回したよ」
静かに言った。
「ヤツは自分が見たものが信じられなかったんだろう。だからどうしても確かめたかった。それに生きているって信じてた」
「生きている? ヤツが見付けたかったのがグレナムじゃないのか?」
「グレナムの剣? ネネシリスはそんなこと言ってないんじゃないのか? わたしは知らないな――ゴランデ卿が『グレナムなど不要』って息巻いてたってのは聞いたけどな」
「ゴランデ卿が?」
「あぁ、グレナムに許された者のみが王位を継承できるなんてバカバカしいと言ったそうだ」
「ヤツは自分が王になると言ったんじゃないのか?」
「布石の可能性もあるな」
「でも首謀者はゴランデではないと?」
「確信が持てないってだけだ。違うとは言わない。それに……ゴランデ卿も弱味を握られているような気がする」
「どんな?」
「それが判れば苦労はしない――でもな、おまえが所在不明だと聞いてアイツ、腰を抜かしたそうだ」
「腰を抜かした?」
「ザジリレンはどうなるんだって嘆いたんだってさ。そんなヤツが今回の首謀者だとは、ちょっと考えられない」
ゴランデ卿の微妙な立ち位置……王家の傍流、だが王位継承からは遠い存在、むしろ継承権などないに等しい。それでも準王家として国庫が割かれ、領地はないものの生活には困らない。飼い殺し、そんな言葉が相応しい。
「お湯が沸きました」
カッチーが調理台の向こうで言った。
「あぁ、ポットやカップはさっきの棚にある」
ジジョネテスキがカッチーに微笑んだ。




