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ラクティメシッスとカッチーは湯を使いに行き、マデルとクリンナーテンはまた何か内緒話を始めた。クルテはピエッチェに凭れて眠ったふりをしている。椅子を放棄し、地面に腰を下ろしていた。
「なんで四つの森じゃなくって三つって言い直したんだろう?」
マデルたちには聞こえないように小声でピエッチェが呟く。
心の中で話しかけたが、やっぱりクルテは答えなかった。マデルたちに聞こえてしまっても、どうとでも誤魔化せる話題しか選べない。
「三つで充分と思ったんじゃ?」
目を瞑ったまま、クルテも小声で答えた。
それにしても変だ。そもそもカッテンクリュードを囲む森は三つ、なぜバースンの森の女神は四つと言ったのだろう?
「三つなのを四つと言い間違えたんじゃなくって?」
ピエッチェが訊くがクルテは答えない。つまり森は四つで正しいってことか。そうでなければ『三つで充分』って答えが可怪しくなる。
「サワーフルド、メッチェンゼ、コーンレゼッチェの三つ……あと一つは?」
やはりクルテは答えない。
答えられないと言うことは、例の『思い出せ』の中の一つなのか? そう思って考えてみるが、どう考えてみてもカッテンクリュードを囲む森は三つだ。だとしたら、かつてはあった森? 失われた森なんてあったっけ? 地理ではなく歴史の問題……それでも思い出せない。ザジリレンに関しては地理も歴史も熟知しているはずだ。俺の勘違いなのか?
女神が四つと言い間違えただけでやはり森は三つ、クルテが『三つで充分』と言ったのは適当に答えただけ?
考え込んだピエッチェを、クルテがキュッと抱き締めてきた。
「カティ?」
「ん? どうした?」
「変わっちゃいや」
あぁ、その話か。
「さっきも言っただろ、俺は変わらないよ。そりゃあ齢を取れば、少しずつ見た目や体力は変わっていくだろう。だけど自分の意思で変わったりしない。それとも老けた俺はイヤか?」
「そんなこと言ってない――変わらなければそれでいい」
いったいクルテは何を恐れているのだろう? 考え付く一番は心変わり……それも正解なのだろうが、それだけはない気がする。クルテに対する態度? それもやっぱり違う気がする。
ラクティメシッスとカッチーが納屋から出てきて急に賑やかになった。マデルたちと離れて二人でいることをラクティメシッスに揶揄われるかと思ったが『こっちに来ませんか?』と言われただけだ。クルテが『入浴してくる』と言って立ち上がった――
女たちは朝から元気だ。髪を互いに結いあっているらしい。こっちの髪飾りのほうが似合うだの、これを貸すからつけてみろだの騒がしい。そこへ村長と息子たちが朝食を持ってやってきて
「若いお嬢さんたちは華やかでいいですなぁ」
なんて和んでいる。
「村長さんのところは息子さんだけですか?」
ラクティメシッスが尋ねると、
「そうなんですよ。女の子も欲しかったんだけど、コイツばかりはどうにもなりませんでした。まぁ、妻は息子の嫁に期待しているようだけど、今のところそんな相手はいないようです」
一番年長らしき息子をチラリと見て答えた。
「ところで……」
ラクティメシッスがおずおずと切り出したのは、村長が用意してくれた料理への対価の件だ。
「そのようなものは不要です。来るのは行商人のみ、忘れ去られたようなこの村に来てくださった。それが嬉しくてお持て成ししたまでです」
意固地に辞退する村長、頑として受け取らない気だ。
対するラクティメシッス、
「謝礼と考えて受け取っていただかねば、こちらの気が済みません」
こちらも退く気はない。
「何も金銭で、とは言ってないんです。わたしたちにできることがあれば、なんでもします。それとも、わたしたちでは役に立たないとでも?」
「そうは言っても、手は足りておりますし……していただきたいことなど思いつきません」
「でしたら、食料をお分けくださると仰っていましたが、それは辞退したく思います」
「なんですと? 隣街まで足掛け三日かかると判っていて、まったく食料を持たせずに村を出すなどできません。バースン村はそんな情けも持ち合わせていないなどと思っていただいては困りますな」
「ご安心を……食料を分けて貰えなかったなどと吹聴したりしませんよ」
だんだん互いに喧嘩腰になっていく。
リュネを頼れば次の街まで一日もかからず行けるのだから、食料を分けて貰うのは気が引ける。かと言って『あの馬は空を飛ぶ』とも言えない。とうとう、
「この村を馬鹿にするのか!?」
村長が怒鳴り声をあげた。震え始めたクルテをピエッチェが抱き寄せる。
「もう、いいじゃないですか、父さん」
村長の息子が父親を窘めた。一番上の息子だ。
「この人たちからしてみれば、この村にタカリに来たと思われたくないんですよ」
ラクティメシッスが口調を和らげ、
「本当に感謝しているんです――準備不足はこちらの落ち度、それを責めもせず受け入れてくださった。謝礼などと言うのは失礼なことだと承知していても言わずにいられなかったんです」
静かに村長を見詰めた。
村長もラクティメシッスをマジマジと見た。そして溜息を吐く。折れる気になったのだろう。
「それなら、朝食の食器をわたしの家まで運んでください――それから、台所仕事を少し手伝っていただけますか? できればご婦人がたに。いやでなければお喋りなどをしながら……妻が喜ぶことでしょう」
食事を済ませ、出立の準備をしてから村長の家に向かった。納屋や厠の掃除も済ませておいた。ラクティメシッスとマデルが魔法を使えばあっという間だ。食器を運んだのはピエッチェとカッチー、行くとすぐに村長の妻が出てきて、大喜びで迎え入れられた。
そして男たちは居間に押しやられてしまった。
「終わるまでお茶の相手を――わたしの話し相手など詰まらないでしょうが、これも礼の一つとでも思ってください」
村長に座るよう促される。苦笑いするのはラクティメシッスだ。
やがて台所からは明るい笑い声が聞こえ始め、村長が満足げな笑みを浮かべる。だが、
「村を出ていく若者も多いのですよ」
お茶のカップを傾けながら村長が溜息を吐く。
「うちの息子もね、街に行きたがっています。だけど、若い者が居なくなれば村が成り立たなくなる――行かせてやりたくもあり、行かせてなるものかとも思う。まぁ、嫁でも来てくれれば、この村で頑張る気にもなってくれるんじゃないかと思うんですがね」
息子たちは畑仕事に出かけて行って、ここにはいない。
「決まった相手はいないような口ぶりでしたが、父上が知らないだけなのかもしれませんよ?」
話し相手はもっぱらラクティメシッスだ。
「小さな村ですからね。知った顔ばかりで、なかなかそんな気にはならないのかもしれません」
「幼馴染が恋仲になることだってありますよ……村長と奥方はどこで知り合われたのですか?」
「奥方なんて大層なモンじゃありませんよ――行商人に紹介して貰った相手です。隣街の娘でね。こんな山奥の寂しい村でいいのかと訊いたら、この村が気に入ったと言ってくれてました。まぁ、アイツも変わっているんでしょう」
「それって、気に入ったのは村ではなく村長さんなのでは?」
「だとしたら、本当にびっくりするほどの変わり者ってことになりますな」
満更でもなさそうな顔で村長が笑う。
「わたしも若い頃は街に憧れました。けれど、今ではこの村にいてよかったと思っています。この村が好きだし、なにしろ妻が来てくれましたから」
台所からは楽し気な話し声と明るい笑い声が絶えまなく聞こえていた――
村長とその妻に見送られてバースン村を出る。するとクルテがピエッチェに紙袋を渡してきた。
「ママに貰った」
「ママ?」
どうやら村長の妻の事らしい。
「家の裏になってたブドウとみんなで焼いたクッキー」
やれやれ……お礼に手伝いに行ったのに、お駄賃を貰ってたんじゃ話にならないぞ?
ラクティメシッスが苦笑する横でマデルが、
「クルテ、物凄く気に入られてたわよ」
クスクス笑う。クリンナーテンも
「息子の嫁に来いって言われてたわね」
マデルに同調した。
面白がるのはラクティメシッスだ。
「それでお嬢さんはなんて答えたんですか?」
「そんなの決まってる――『嫁ってなに?』って聞き返したの」
マデルとクリンナーテンがどっと笑い、クルテがムッとする。
「なんで笑う? いやだなんて言ったら失礼だと思っただけ」
だよな、さすがに嫁の意味くらい判るよな。
「ママって呼んでいい? って聞いたら喜んでくれた」
クルテがピエッチェを見上げる。そうか、村長のところは息子だけ、妻はママと呼んでくれる女の子が欲しかったのか。
「そうか、喜んで貰えてよかったな」
そう答えながらふと思う。クルテは村長の妻の心を読んだのだろうか?
心の中でクルテに呼び掛けてみるが、やっぱり何も答えない。と言うよりも手応えがない。いつからだ? クルテとの脳内会話ができなくなっている。クルテの意思でそうしているのか? それともほかに、何か原因があるのだろうか?
キャビンの周囲に足跡はなかった。すぐ近くまではあったから、見渡して何もないと判断したのかもしれない。すぐリュネを繋げ、六人でキャビンに乗り込んだ。するとふわっと浮かぶ感触がして、あっという間に梢を越えた。
「次はケンブル?」
ラクティメシッスの問いにクルテが、
「それはリュネ次第――直接ケンブルに行くよりも近くの街で少し情報を集めたほうがいいかもしれない」
クッキーを口に放り込んで言った。
「お馬さんを随分と信用してるんですね」
「うん、リュネはわたしより賢い」
「お嬢さんより賢いって、かなり賢いんじゃ?」
「わたしは賢くない」
「またまたご謙遜を?」
「ううん、本当の話」
「ピエッチェ、お嬢さんがこんなこと言ってますよ?」
ラクティメシッスに話を振られたピエッチェ、どう答えたものか迷う。
「そうだな、リュネもクルテも俺と比べたら賢いかな」
この答え、クルテは気に入らなかったようだ。
「違う! ピエッチェは誰よりも賢い!」
誰よりも? おいおい、おまえ、それはないだろう? ピエッチェとクルテ以外が笑う中、一抹の不安を抱えるピエッチェだ。
もしやクルテは俺を偶像化してないか? 知り合った頃は『愚かだな』と俺を小馬鹿にしてたのに、どうなっちまった? 恋に目がくらみ、適正な判断ができなくなった?――いつか『こんな男だとは思わなかった』なんて言い出しそうで怖い。それまでに目を覚まさせるのも俺の役目か? だけど『目を覚まさせる』ってのもなんだか微妙だ。
リュネの高度が下がり始めた。窓の外を見たピエッチェが、
「スザンネシルに行く気だな」
と呟いた――




