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「あの子なら王都に居るはずよ。騎士に採用されたって、凄く張り切ってた――あの子に何かあったの?」
さて、ピエッチェたちに話しかけてきた『キュレムベスト』は本物か、偽者か?
「ゲリャンガのサロンでジジョネテスキの話をしていたら声をかけてきた若者がいてね。向こうの仲間だ」
ピエッチェがざっとキュレムベストとの遣り取りをクリンナーテンに説明した。
「それがキュレムベスト本人だとしたらクリンナーテンを人質に、言いなりになってるんじゃないかと思ったんだ」
クリンナーテンが蒼褪めて黙り込む。
待ちきれなくなったラクティメシッスが
「アーネムリセコと言う若者をご存知ですか?」
と尋ねると、少し考えてから
「いいえ、存じ上げません」
と答えた。
「キュレムベストの親友だと聞いたのですが……騎士になってから親しくなったのかな?」
「その人も騎士なのですね。わたしが知る限りですが、騎士になる前にそんな名の友人はいないと思います。騎士になってからデデタニスと言う人と親しくなったとは聞いていますが、アーネムリセコ?――わたしがジジョネテスキと一緒になった後も屋敷に訊ねてきては近況を報告してくれました。少なくとも、あの子の口からその名は聞いたことがありません」
「もう一つ、またも失礼なことをお訊きします――弟さんとはお母上が違うと聞いています。それでも随分と仲がよろしいのですね?」
ラクティメシッスの新たな質問にクリンナーテンがキュッと顔を引き締める。
「他人には理解できないことかもしれません……キュレムベストの母親は生家の召使でした。身体が弱かった生母の世話をするため雇い入れられたのですが、それは献身的に尽くしてくれました。わたしはあの子の母親に感謝しています――いつからそうなったのかはわたしには判りません。キュレムベストが生まれたのはわたしが八歳の時、生母存命中のことです」
「それでは……随分とショックだったのでは?」
「普通はそう思いますよね?」
クリンナーテンが微かに笑った。
「生母に言われたのです。弟とその母親を大事にしなさいと。もしも自分が世を去るようなことになれば、あなたを支えてくれるのはお父さまと弟とその母親……ひょっとしたら弟や妹が増えるかもしれません。みんなあなたの味方になってくれる人々です――生母は父を愛していました。父も生母を愛していたとわたしは信じています。けれど二人の間にはわたしだけ、二人目は無理だと医者に言われたそうです。ひょっとしたら生母はキュレムベストの母親を見込んで、自分の夫を、そしてわたしを託したのではないかと思うことがあります」
そして今度は明らかに笑顔になった。
「生母が亡くなってから父はキュレムベストの母親を正妻に迎えたのですが、継母は未だにわたしに遠慮してばかり。そんなに遠慮しないでと言うと嬉し泣きするんですよ。弟妹たちはわたしを大事にするよう幼いころから継母に言い聞かされているらしけど、わたしには懐いてくれています。可愛い弟妹なんです。一番下の妹なんか、わたしが結婚して屋敷を出ていくと聞いて『行かないで』ってしがみ付いてきました。継母も弟妹たちも、もちろん父も、みんなを大切な家族……継母になったのが彼女で良かったと思っています」
貴族が愛人を持つことは珍しくもない。召使に手を出すこともだ。だが、召使なら貴族ではないだろう。それを正妻に迎えるのは珍しい。子でも生まれようものならまとまった金を渡されて解雇されるのが常だ。クリンナーテンの母親はそうすることもなく、夫とその愛人を容認していたことになる。
クリンナーテンが想像する通り、彼女の母親は自分に献身的な召使いを意図をもって夫とねんごろになるよう仕向けたのではないか? この女なら夫と娘を守ってくれる、そう見込んだのかもしれない。そしてもしかしたら……キュレムベストの母親は密かにクリンナーテンの父親を慕っていたのではなかろうか? それに気づいたからこそクリンナーテンの生母は彼女に白羽の矢を当てた。なんて、穿ち過ぎだろうか? せめて継母には、子を生した男の正式な妻になれたことに幸せを感じていて欲しい。
クリンナーテンを微笑んで見ていたラクティメシッスが
「クリンナーテンの話だけでは本物か偽物か、判断できませんね。どうします?」
ピエッチェに訊いた。
「いや、偽者だと思っていいと思う――アイツはジジョネテスキの力になりたいとしか言わなかった。もし本物なら姉を助けたいと言ったんじゃないかな?」
「うーん……そうとも言い切れないのでは? 姉がジジョネテスキの妻だと言い出せなかったとも考えられますよ?」
「こちらを懐柔するなら、姉を持ち出したほうが効率がいいと思うが? 尊敬するジジョネテスキより、大事な姉のほうが助けたい理由に説得力がある」
「あぁ、そう言われればそうかも」
と、ラクティメシッスがクリンナーテンに視線を移した。
「どう思います? わたしたちはキュレムベストを良く知らない。我らの前に現れたキュレムベストは本人だと思いますか?」
クリンナーテンが姿勢を正す。
「さっき、わたしを人質にされたら言いなりになるのではないかと訊かれて考えたんです。そんなことになったら、キュレムベストはどう判断するか――もし言いなりになるようなことがあれば、わたしが悲しみ苦しむとあの子なら判断します。だからその人はキュレムベストではありません」
決まりだな、ピエッチェが呟いた。
「となると、ゲリャンガは一時放置でいいだろう。次はケンブルに行って、ジジョネテスキと接触しよう」
「どこかに幽閉とか監禁されてないといいですね」
「妻を人質に取ったのはなぜかと考えれば、幽閉も監禁もないのでは? きっと素知らぬ顔で通常業務を熟している。あるいは自宅でジリジリしているかだ――クリンナーテン、ゲリャンガに行くにあたってセーレム統括の執務をどうするのか、ジジョネテスキは何か言っていたか?」
「副官ケッポテラスに大まかを任せると言っていました。前任のココデカスナの時から副官を勤めていた人でセーレムを熟知しているからってジジョネテスキは重用していたんです」
「大まかってことは具体的には?」
「一日おきに早馬で報告書を提出するようにと言ったそうです。内容を確認して指示書を出すからって」
「それじゃあ、ジジョネテスキが自分の屋敷に居たら、その副官が奇妙に思うんじゃないでしょうかね?」
指摘したのはラクティメシッス、これにクリンナーテンが
「わたしが誘拐された翌日にはゲリャンガに行く予定と言いましたがそれは下見です。こちらに居を移す日は決まっていませんでした」
と答えた。ジジョネテスキは無事に己の屋敷で過ごしていて欲しいという、クリンナーテンの願いが聞こえてきそうだった。
「ジジョネテスキが自分の屋敷にいるにしてもいないにしても、ケンブルに行かない事には始まらない。行って事実を確認し、どう動くか判断するしかない」
ピエッチェが話し合いの打ち切りを宣告した――
マデルの声が明るく響く。暗くなりそうなクリンナーテンの気持ちを照らしたいのだろう。
「ここではわたしが一番年上、従いなさいよ」
クルテに言っている。
少し前、『弟さんは成人したばかり?』とクリンナーテンに聞いていた。『だとしたらクリンナーテンは二十五か六?――やっぱり? それならわたしより二つ下ね』なんて言っていた。
今はせっかくだから温泉に入ろうと言う話になっている。三人でとマデルが言ったのに、クルテに拒否された。
「ダメ。ピエッチェと約束したから」
クルテがマデルに言っている。
「どんな約束したんですか?」
ラクティメシッスが面白そうにピエッチェに訊いた。
「いや、どの約束を持ち出すつもりなんだろう?」
「あれあれ、そんなにいっぱい約束したんですか?」
「あぁ、俺の女神は約束が好きなんだよ」
ニヤリと笑うピエッチェ、カッチーが、
「ピエッチェさん、『森の女神は約束が好き』に引っ掛けましたね?」
と目を輝かせる。カッチーの森の女神好きは継続中だ。
「それ、わたしも知ってますよ――森の女神は何かというと条件を持ち出す。中でも約束させるのが好き。で、約束を破ると酷い目に合うんですよね?」
ラクティメシッスがカッチーに微笑む。
なぜか今日は、男性陣と女性陣に別れている。女たちがクリンナーテンに気を使っているのかもしれない。夫と引き離されて不安なクリンナーテンの前で、婚約者や恋人と仲良さげにするのは気が引けるのだろう。
「ピエッチェとどんな約束したのよ?」
マデルがクルテに尋ねると、答えるクルテの声、
「お風呂にはピエッチェ以外とは入らないって約束」
ぶっとカップのお茶を吹くピエッチェ、いやそれは……と言い訳しようとする前にクルテが
「だからね、入るなら一人で入るの」
と続けた。
ラクティメシッスが、
「そんな約束したんですね」
ニヤニヤとピエッチェを見る。
「一緒に入りたいと言われて拒んだら『カッチーと一緒に入る』とか、わけの判らないことを言われて……苦し紛れに俺以外となんて許さないって言ったんだ」
ピエッチェの小さな声、カッチーが
「なんで俺が出てくるんですか?」
驚いている。
「一緒に入ってあげたらよかったのに」
と言うのはもちろんラクティメシッス、けれどすぐにニヤリと笑う。
「そうそう、クリンナーテンが言ってましたね。ピエッチェは純情だって」
言い終えるとクスクス笑い始める。
「本当に、あなたがたと居ると飽きないなぁ。いろいろ大変な状況なのに、毎日何かしら笑わせてくれる」
そーですか、そりゃよかったね。
クルテの説得は諦めたらしい。マデルとクリンナーテンが納屋の中に消えていく。一人残されたクルテが男たちのところにやってきた。当然、ピエッチェの隣に座る。
「仲間外れにされた」
されてないだろうが!?
「あ、違った。仲間外れにしてやった」
もう一声!
「ま、どうでもいいや――カッチー、わたしにもお茶」
洗っておいたカップにカッチーがクスクス笑いながらお茶を注いでクルテに渡した。
ラクティメシッスがクルテに訊ねる。
「マデルたちと一緒に入浴するのはイヤだったんですか?」
おい、また俺を笑いたいのか?
「あの二人と一緒だと、自分がどれほど貧相か思い知らされそうじゃん」
そこかよ?
「貧相って、お嬢さんが?」
想定外の返答に、ラクティメシッスが意外そうな顔をする。いや、意外だったのは想像した答えと違っていた事じゃなく、その内容か?
「誰かに貧相だとでも言われたんですか? 少し痩せ気味だけど、貧相には見えませんよ?」
「本当に? でもね、ピエッチェがおまえは貧相だって言うの」
言ってないってばっ!




