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案内だけかと思っていたのに村長はなかなか帰って行かない。
「そうだ、荷物は毛布だけと仰っていましたね。温泉を使うにはタオルも必要でしょう。あとで持ってきますよ――あ、っと。ここは竈。鍋もケトルもお持ちじゃないでしょう? それじゃあ湯も沸かせない。えっ? 飲み物は水だけですか? 暑い時には熱い食べ物飲み物のほうが暑さが凌げるのをご存じない?」
一人で良く喋る。顔を合わせた時はムスッとしていて気難しい人物かと思ったが、警戒していただけなのだろう。
「そうそう、温泉の説明もしましょう。中に椅子があるから出して使ってください。使い終わったら片付けを忘れないように」
と、湧き口の納屋に連れて行かれる。中はちょっとした浴場だ。
岩で囲った湯船には腰くらいの高さまで透明な湯、その湯は肩ほどの高さにある木で出来た枠から流れ込んでいる。湯船は沼側の端が切ってあって、そこから排水されていた。入り口付近は石畳が敷かれ、脱いだ服を置けるような棚もある。村長が言った椅子は背凭れのない丸い物で、隅のほうに積み重ねてあった。
「ただ、この湯は飲用には向かないんです。飲むと腹を壊すんで――だけど浴用には差し支えないって、なんとかって言う学者が調べてくれました。肩こりや、古傷の痛みとか、そんなものに効果があるらしくってね、使わないのは勿体ないって言われたんでこんなふうにしてみたんですよ。村人も、誰も使っていないのを見計らってたまに来ているようです」
村長はニコニコ顔だ。実は自慢なのかもしれない。
温泉の説明が終わると外に出て、今度は沼のことをあれこれ話し始めた。
「温泉を活用しようって、魚の養殖をしたこともあったんです。だけど、その魚を目当てに獣が来るようになったんでやめました――そうそう、沼の向こう岸にはたまに獣が温泉に入りに来るけど、獣もよく判っている。こちらから何もしなければ沼のあっちにいるだけで、人間を襲ってきません。知らん顔してればいなくなります」
いったい村長の話はいつまで続くのだろう? カッチーはとっくに飽きてしまっていて、納屋から人数分の椅子を運び出して腰かけてしまった。女三人もカッチーに便乗している。四人でお喋りでもしたいところだろうが遠慮からか、取り敢えず目は村長を追って『話は聞いてるよ』とアピールしている。
ピエッチェとラクティメシッスは目まぜの応戦だ。互いに『何とかしろ』『おまえがなんとかしろ』と、声に出さずに遣り合っている。村長が自分たちを見ると表情を取り繕うが、きっと村長も気が付いている。なのにいっこうに帰る気配を見せない。
そんな村長が、
「さて、長話にも飽きたでしょう?」
と笑ったのは、三人の若者が沼に姿を現した時だった。三人はそれぞれ箱を抱えている。
「わたしの息子たちです。妻に言われてみなさんの食事を運んでまいりました」
村長はこれを待っていたのか。
箱の中には六人分の夕食、一人分ずつ皿に盛られていた。他にケトルやポット・カップ、茶葉を入れた缶、さらには焼菓子もある。
「食器は明日の朝、朝食をお持ちした時に持って行きますので、どこか邪魔にならないところに置いといてください――妻は料理自慢でね。お口にあえばいいのですが」
「いや……」
食材が運ばれてくるものと思っていたピエッチェが、なんと礼を言えばいいのか戸惑う横で、
「うわぁ、美味しそうですねぇ」
ラクティメシッスが嬉しそうに箱を覗き込む。慌ててピエッチェが、
「ありがとうございます。お手間をお掛けして申し訳ありません」
お礼と謝罪を綯い交ぜにしたが、『確かに俺は気が利かない』と自覚していた。
村長は自分によく似た三人の息子たちとニコニコと帰っていった。何か冗談を言い合っているのだろう、明るい笑い声が聞こえてきていた。マデルがすぐに動き、ケトルに水を入れると竈に火を熾している。クリンナーテンが缶を開け、ポットに茶葉を入れる。カッチーは、料理を運んできた箱の蓋をトレイ代わりにカップを用意した。クルテはボーっと椅子に座ったまま、そんな三人を見ていた。
ラクティメシッスが椅子に腰かけ、『はぁ』と深い溜息を吐く。
「村長の話、朝まで続くんじゃないかと思いましたよ」
ピエッチェが苦笑する。
「俺もだ。食事が来るのを待ってるとは思わなかったな」
湯が沸く頃、村長の息子の、多分一番年下がやってきた。タオルを持って行くよう言われたと言ってラクティメシッスに手渡す。
「いいお湯ですよ。疲れてると浸かったまま眠っちゃう人もいるんで気をつけてください」
ニコッと笑うとさっさと戻って行った。村長の家はきっと笑顔が絶えることがないんでしょうね、とラクティメシッスが呟いた。
「こうなると、温泉に入らないわけにはいきませんね。自慢の浴場みたいです。いいお湯だったって、言わなきゃ向こうの顔が立ちません」
「そうだね……ところで、俺の肩の傷ってそんなに酷い跡になってるんだ?」
入浴すれば裸になる、そう連想して傷跡の事を思い出したピエッチェだ。
「あぁ……お嬢さんは化膿したって誤魔化したけど、あれは毒のせいだとわたしは思いましたよ。いくら流れ矢でも訓練中に毒矢はないでしょう。だから毒とは言えなかったんですね」
「毒、か……」
あの山の毒キノコがごっそりなくなっていたとクルテが言っていた。そのキノコから取った毒だろうか?
「あなたに矢を向けたヤツは、本気であなたを殺すつもりだったと思います」
ラクティメシッスの指摘にピエッチェが考え込む。それほどに恨まれ憎まれていたと言うことか?
「まぁ、邪魔者はいなくなったほうが都合がいい。人知れず葬ってしまうのが手っ取り早い――でも少し荒っぽすぎるのが気になります」
「荒っぽすぎる?」
「王位をクリオテナに移すつもりならカテロヘブの遺体は欲しいはずです。死んだ証拠としてね。だけど毒矢で殺されているとなると、犯人探しをしなくちゃならなくなる。そもそも狩りに行ったのでしょう? ザジリレンでは狩りの時、矢に毒を使いますか?」
「毒なんか使ったら、獲物が台無しだ」
「でしょう? 実権を握れれば、国王は所在不明でも良かったのかな? でもそれでも可怪しい。いつまでも王位を空けてはおけないのだから、クリオテナか、子が生まれればその子が王位を継承する。握った実権が危ういものになります」
「手に入れたものは手放したくないと考えるのが人情だからな……できればその実権、我が子に継がせたいと思うだろうね」
「はい、わたしもそう思います。けれどソイツは王族ではない。だから王位には就けない。だとしたら、王位そのものを無くす、なんてのもありかもしれませんよ」
「あるいは……国そのものを無くすとか?」
ピエッチェとラクティメシッスが怖い顔で互いを見詰める。
ラクティメシッスが言っていた。ローシェッタ王家転覆を企てる者がいる、ソイツはザジリレンの誰かとも内通している――その二人、最終的に両国を滅亡させようと画策してるということか? しかし、国を滅ぼしてどうする? そこに住む人々はどうなる?
『カテロヘブ、王の一番の務めはなんだか判るか?』
生前、父は口煩く言っていた。
『民人の生活を保証することだ』
日常はいつでも平和とは限らない。戦乱が起きることが無くても、飢饉・天災、病……そんなものに脅かされる。そんな不測の事態に備え、さまざまな政策をとる。
食料の備蓄、災害時には被害の修復や被災者への救援、医術の発展に寄与し医療体制を充実させる、そのほかにも民人が安心して暮らせるよう、心を砕く。悪事を働くものが居れば取り締まり、処罰するのもその一環だ。それが国と言うものの存在意義に違いない。
「国を無くしてどうしようと?」
「そうですねぇ……例えば税の取り立てをやめるとか?」
「徴税が無くなれば民が潤うとでも?」
「かもしれないし、まぁ、何が目的なのかは捕まえればはっきりします」
「目的が判らなければ、誰が首謀者かも判りずらそうだぞ?」
「カテロヘブ王を暗殺しようとした、それははっきりしているんです。暗殺の首謀者を捕らえれば、あとは芋づるかな、と」
それでラクティメシッスはザジリレンに乗り込んできたのか。ローシェッタでは取り立てて犯罪と言えるようなことが起きなかった。だからはっきりと犯罪と言えるカテロヘブ王暗殺事件をとっかかりにしようという魂胆だ。
「お茶が入った」
クルテが二人を呼びに来た。
「何もしてないんだから、二人を呼んで来いって言われた」
なんだか眠そうだ。
「早く食べようって……カッチーが飢え死にするって騒き出すよってマデルが言ってる」
「そうだな、夕食にしよう」
ピエッチェがラクティメシッスと頷き交わし立ち上がる。見ると竈の近くでは、蓋のトレイに人数分のカップが用意されている。マデルとクリンナーテンが何かクスクス笑うのをカッチーがニヤニヤ見ている。自分が座っていた椅子を持って、ピエッチェとラクティメシッスもそちらに向かった――
例によってクルテが自分の皿をじーーっと見ている。それを不思議そうな顔でクリンナーテンが眺めている。他はみんな慣れっこ、気にすることなく料理を口に運んでいる。
姉の友人からは、姉と同じプレッシャーを感じる。さっきは味方してくれるようなことを言っていたが、クルテを知って気が変わるかもしれない。なんであんなヘンな娘がいいの? そう言われるかもしれない。あれ? 俺もクルテをヘンだと思ってるってことか? んー、でも、そのヘンなところも嫌いじゃない。マデルじゃないが、退屈しなくていい。それに、知り合った頃と比べれば、かなり改善している。それはきっと俺のためにだ――自惚れだと笑われようが俺はそう信じている。
「ねぇねぇ」
クルテがピエッチェを見上げた。来たぞ、何を言い出す気だ? 果物がないなんて言うなよ。そんな贅沢なことが言えないのは判ってるよな?
「このお料理、わたしたちのために作ってくれたの?」
おおや、随分といつもとは毛色が違う質問だ。
「村長さんの家族が何人だか知らないけど、少なくとも夫婦と息子三人で五人、そこにわたしたち六人分……いつもの倍以上を作って、奥さん、大変だったね」
「あぁ、そうだな。感謝しなくちゃな」
「うん、感謝してる……でもね」
でもなんなんだよっ!? ここまではクリンナーテンもそこまでヘンだとは思わないでいてくれる、頼む、ここでやめておけ!
「わたし、食べきれない。残したら申し訳ないよね?」
涙ぐむな!
「残ったら俺が食うから、気にせず食べられるだけ食べろ」
「ありがとう」
クルテが嬉しそうにニッコリした。いつもの事じゃないか――俺きっと、体重増えてるぞ。




