19
ピエッチェが不機嫌に答える。
「ジジョネテスキが抱き着いた時からヘンだと思っていた。どんなことがあっても自分の分を弁えるヤツだったのに、抱き着くなんてらしくない」
ニヤリと笑ってラクティメシッスが言った。
「それだけじゃないでしょう?」
するとピエッチェがフンと鼻を鳴らした。
「カッテンクリュードのサスレン地区はごみ処理場があって、住んでいるのはそこで働く者たちだけ、貴族は誰一人住んじゃいない――偽者はそれを知らなかったんだろう。あそこは治安が悪いはずと助け舟まで出したのに、妻がサスレンに居ることを否定しなかった」
「それで偽者だと確信したのですね? でも、見た目はそっくり?」
「あぁ、判断つかなかった。だから取り敢えず連れてきて、いろいろ聞いてみた……地下室には魔物の気配が残ってた。見た目を弄ったのは魔物だろうな」
「敵方には魔物が味方に付いていますか。魔物の魔法じゃ感知できませんね」
「そんなところだ」
なんだか巧く誤魔化せた気がしない。
「でも、敵で良かったです。追跡術の気配には気付いてたんでしょう? たとえ本物でもずっとそばに置いておくわけにはいきません。まぁ、あの高さなら怪我で済むんじゃないかな? そんなに気に病むことはありませんよ」
むすっとしているのは偽ジジョネテスキの命を奪ったかもしれないとピエッチェが思っているからだと受け止めたようだ。
確かにあの高さならラクティメシッスの指摘通り、大怪我で済みそうだ。だが、追手が来る前に魔物や獣に襲われはしないか? 下手をしたら死んでしまったかもしれない――そう思うと気持ちのいいものではなかった。罪人とは言え、自国の民に違いはない。裁判にかけず、一存で命を奪うのは気が引けた。
「あ、歩き出しましたよ」
下を見ていたカッチーが、明るい声で言った。
「無事のようですね」
ピエッチェを見てニッコリした。ほっと息を吐くピエッチェ、ラクティメシッスが微笑んだ――
リュネはゲリャンガの街に向かって飛んでいる。
「向こうが安全とお馬さんは判断したと言う事ですか? まぁ、戻ってくるとは思っちゃいないでしょうね」
ラクティメシッスがクルテに訊いた。
「ジジョネテスキの屋敷に戻るんじゃないかな?」
「あの屋敷に?」
「二階に人の気配、それが気になる。二階に閉じ込められているのは奥さんか偽ジジョネテスキに訊いたら否定された――偽者が言ったことは全部嘘だと考えたほうがいいと思う」
「では本物のジジョネテスキ夫人だと?」
「たださ、他には気配がなかった。本物のジジョネテスキはどこに監禁されてるんだろう?」
「セーレムのどこか、かも知れないな」
これはピエッチェ、
「セーレムの統括に任命されたのは確かなんじゃないか?」
クルテを見て訊いた。
他者の心を読めるクルテが、キュレムベストやジジョネテスキは偽者だと指摘しなかったのが気になる。魔法で心に強い遮蔽が掛かっていて読めなかったか? それにしても、それをピエッチェに言わないのも可怪しい。そもそもここのところ、脳内会話に応じない。なぜだ?
「どうなんだろう? まぁ、偽ジジョネテスキの言ったこと、全てを逆に考えるとトロンペセスは本物だし、ダーロミダレムは投獄されている。それにネネシリスは敵じゃない」
ピエッチェよりもラクティメシッスが反応した。
「ネネシリスってグリアジート卿ですよね? ピエッチェを襲ったんでしょう?」
「ジジョネテスキが本人か偽者か見分けられなかった。カテロヘブ王を襲ったネネシリスが本物だったかどうかも怪しい」
訊いてきたラクティメシッスではなく、ピエッチェを見上げてクルテが言った。ピエッチェがクルテを見詰める。
いまさらそんなことを言うのか? 怪我をした俺を癒してくれたあの洞窟で、おまえ、俺になんて言ったのか忘れたのか?
『あの男には唆魔のゴルゼが憑いている』
だからゴルゼに唆されて悪事を企み、実行した――おまえ、そう言ったよな? 俺を襲った男がネネシリスじゃないとしたら、話が根本から違ってくるぞ?
自分を見詰めるクルテを、ピエッチェが見つめ返す。その二人をラクティメシッスが心配そうに見ている。マデルとカッチーもピエッチェとクルテを見ているが、これはピエッチェが何と答えるかを気にしてだ。
「そうか……そうだな。俺を狩りに誘ったネネシリスが本物だとは断定できないよな」
フッとピエッチェが苦笑する。クルテの目を見て思った。言いたくても言えない、時期が来なければ言えない、ってコイツは言ってたじゃないか……あの時はネネシリスがゴルゼに憑りつかれていると言うしかなかった、きっとそうだ。
クルテを信じなくて、誰を信じる?
「しかし、そうなると本物のネネシリスはどこに居るかが気になるな」
「カテロヘブ王を襲った時だけ入れ替わっていたと考えるのは?」
ピエッチェに答えたのはラクティメシッス、ホッとした様子だ。なんでそんなにホッとしてるんだろうと思ったが、聞かずにいた。
「だとしたら王宮に居るネネシリスは本物ってことになるが……うーーん」
「錯乱術か幻惑術を掛けられた可能性もあるよね」
これはクルテだ。
「カテロヘブ王が家臣を惨殺したって思い込まされて、それをみんなの前で話した。泣きながらね」
「なるほど。本気でそう思い込んでいれば、アイツなら泣きじゃくりそうだ」
キャビン内での会話を気にしながらも、チラチラ外を見ていたカッチーが言った。
「警備隊が森に入っていきます。先導してるのって、あれ、レストランでジジョネテスキって呼ばれてた男じゃないかな?」
窓際の席に座っているピエッチェとラクティメシッス、クルテが窓の外を見た。マデルも腰を浮かせてみようとしたが見えないらしく、ラクティメシッスを『ちょっと見せてよ』と押し退けた。見えたところでどうしようもないでしょう? ラクティメシッスがクスリと笑う。
リュネの速度が上がったのを感じた。
「さてっと、二階に居るのは果たして本物か偽物か?」
「その前に、ジジョネテスキの奥さんかどうか、だよ」
楽しそうなラクティメシッスに、これまた楽しそうにクルテが答えた――
偽ジジョネテスキを連れ出した時と同じルートで屋敷内に入った。だが今度は地下に行く必要もない。通用口から真っ直ぐ行くと、思った通り厨房に出た。屋敷内に目指す相手以外の気配はない。大勢で行くこともないと、ピエッチェとクルテ、二人だけでの侵入だ。クルテの代わりにラクティメシッスが行くと言ったが相手は女性、クルテのほうがいいだろう。
厨房を出ると広いダイニング、厨房に通じる以外にドアは四つ、
「一番窓際」
クルテが呟き、先に行くピエッチェは言われたとおりのドアを選んだ。すると窓が並ぶ廊下、行きつく先に広がっているのは玄関の間だと思った。
行ってみると玄関の間と言うよりも大広間、彫刻が施された壁はよく磨き込まれて鈍い艶を見せている。玄関扉も重厚でいかにも貴族のお屋敷と言った感じだ。扉から見て正面は左右から階段が半円を描いて中央に向かって上がっていく。二階は玄関の間に面して廊下、真ん中はバルコニーのようにやはり半円形に飛び出していた。階段と二階の廊下の手すりは透かし彫りの蔦模様、何もかも贅沢な造りだ。
手前の階段をピエッチェが駆け上る。クルテもそれに続いていく。二階につくとそのまま前に進んだ。女の気配はその先のドアを入った、さらに先からだ。
施錠されていないドアを開けると左右に伸びる廊下、幾つものドアが並んでいて、玄関の側の行き止まりは窓、反対側はドア、
「あの部屋だな。危険はなさそうだ」
今度はピエッチェの呟き、
「魔法の痕跡も魔物の気配もない」
後ろでクルテが同意する。
それでも慎重にドアに近付き中の様子を窺う。微かに聞こえるのはカップをソーサーに置いた音か? ピエッチェがクルテに合図を送ると、クルテが前に出てドアノブに手を伸ばした。先に部屋に入るのは、男のピエッチェよりも女のクルテのほうがいいだろうと打合せていた。
ドアノブに置いてた手をクルテがいったん離し、軽く握るとドアをノックした。中の気配が俄かに緊張する。
「ドアを開けてもいいですか?」
「どう言うつもり? いつも何も言わずに勝手に開けるじゃないの」
落ち着いた声は幽閉されているにも関わらず、威厳に満ちている。おまえたちには屈しはしないと、声音が言っている。
「わたしたちはこの屋敷の者ではありません。この部屋に閉じ込められているのに気が付いて、必要ならばお助けしたいと思ってきました」
「わたしたち? あなた一人ではないと言うこと?――いったい誰なの?」
「名乗るような名を持っておりません」
「名乗れないけれど、ここからわたしを連れ出せる自信はあるのね」
「はい。屋敷の者に知られずにここまで来たのがその証拠」
女は迷っているようだ。が、凛とした威厳を崩さずさらに訊いてきた。
「わたしをこの部屋から出したとして、そのあとは? どこへ連れて行く?」
「どこでもお望みのところへお連れしましょう」
「どこでも?」
「できればザジリレン国内でお願いします。ほかはローシェッタ国なら……別の国がご希望なら国境にお連れするしかありません。その先には同道できませんし、安全の保証もできません」
クルテの答えに女が失笑した。
「心配いらないわ。ザジリレン以外と言ったら、確かローシェッタの王都がララティスチャング……他は地名すら知らないわ。でも、そのドア、鍵が掛かっているわよ。どうやって開けるつもり?」
「魔法を使います――では、開けますよ」
クルテが再びドアノブに手を伸ばす。かちりと開錠の音が聞こえ、クルテがドアノブを回した。
部屋の中には小さなテーブル、椅子に腰掛けたままの女、奥に二つドアがあるのは寝室とバスルームだろう。窓はない。
「あら、思ったよりも若いのね」
部屋に入って来たクルテを見て女が微笑んだ。そして後ろに続くピエッチェを見て目を見張る。それを見てピエッチェが苦笑した。
「やはり、無理がある?」
ゆっくり頭に手をやるとウイッグを外した。
「やっぱり……」
女がなんとも言えない顔になる。泣くのか笑うのか、それとも怒るのか?
「カテロヘブに悪戯の趣味があるなんて知らなかった」
迷った挙句、嫌味を言うことにしたようだ。
「クリオテナがどれほど泣いたか、あなた、判っているの?」
いいや、やっぱり怒るのか?
「さすがのクリオテナも泣いた? まぁ、俺が居なくなったら一人になってしまうからな」
「まっ! その点は大丈夫、旦那がいるから。もっとも、なんだか可怪しなことになってたみたい」
今度はやや泣き笑いだ。
「可怪しなこと?」
「それがね――」
「ねぇ!」
女の話をクルテが遮る。
「さっさとここから出るよ!」




