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そんなこと、滅多にしないんじゃない?――マデルが言った。
「シチューって注文されたら鍋から装い分けて提供すると思う。煮込むのに時間がかかるから、遅くとも前日には仕込んでるはず。一人分ずつ用意するなんて、鍋を幾つ用意する気なのって感じよ」
「同じ鍋のシチューと思っていいってことですね。だけどピエッチェのは問題ないのにお嬢さんのはしょっぱかった? 何か嫌われること、しましたか?」
ラクティメシッスの冗談に、クルテがピエッチェを見上げる。
「何かした?」
面倒臭いと感じつつ、ピエッチェが答えた。
「俺に隠れて何かしてない限り、してないと思うぞ」
面倒なのはクルテもだがラクティメシッスもだ。クルテの反応を楽しむな!
ラクティメシッスがニヤニヤしながら言った。
「それじゃ、店員の嫌がらせかもしれませんね。お嬢さんがあんまり綺麗だから」
またクルテの反応を楽しむつもりか? まぁ、可能性は否定しない。シチューを運んできた店員は女だった。
「綺麗だと嫌がらせされるんだ? まぁ、お風呂に入って清潔にはしてるけど?」
綺麗の意味が違うぞ、クルテ。
「そんな事より眠くなった」
クルテが欠伸を噛み殺す。
「キュレムベストが迎えに来たら訊いてみれば? 客からジジョネテスキって呼ばれてる男を店で見たけど、厨房から出てこないんじゃなかったのかって――じゃ、わたしは寝る」
立ち上がると、寝室に行ってしまった。足取りがふらついている。
「クルテ、一人で眠れるのかしら?」
マデルの心配にラクティメシッスがピエッチェを見た。
「どうします? 休むなら、わたしが起きて警戒してますよ」
襲撃があるかもしれないと考えているのだろう。
「いや、俺たちも寝よう。来るか来ないか判らないのに起きてても疲れるだけだ。少しでも休んでおいたほうがいい……部屋のドアはしっかり施錠するけど、寝室のドアは施錠しないおくか。何かあったらすぐ動ける」
「来るとしたら誰だと考えてるんです?」
「偽ジジョネテスキ、二人の若者、その仲間、あるいは警備隊」
「あぁ、わたしたちは密入国者でした――一番手強いのは警備隊かな? 下手に抵抗できません」
それじゃあと、それぞれの寝室に向かう。クルテは一番ベランダ寄りの寝室に入った。ピエッチェが同じ寝室に入ろうとすると、
「あの……」
カッチーに呼び止められる。ラクティメシッスがチラッと見たが、マデルを伴って真ん中の部屋に入っていった。
「どうかしたのか?」
「えっと、そのぉ……」
言いにくいことなのか、カッチーは躊躇っている。
「なんでも言ってみろ。本が買いたいとかか?」
「いえ、そんな事じゃないんです――あの、俺……本当に雇って貰えますか?」
カッチーは真剣だ。ピエッチェが少しばかり面食らう。
「何を言い出すかと思ったら……俺はそのつもりだぞ? 不安にさせるようなことを何かしたか言ったかしたか?」
「だって、ピエッチェさん」
マジマジとピエッチェを見詰めるカッチー、涙目になっている。
「ピエッチェさん、その……ザジリレン」
カッチーの言葉が止まる。ザジリレンから先が言えないらしい。
「ザジリレンがどうかしたのか? コゲゼリテに帰りたくなったか?」
「違います! 俺、ピエッチェさんとクルテさんについてくって決めてます!」
じゃあ、なんだろう? ピエッチェが戸惑う。
「うーーん。なんで不安になっているのか判らないが、カッチーさえよければ、俺の下で働いて欲しいと思ってる」
「でも……」
でもなんだって言うんだ?
「でも俺なんか、近くに置いておけないですよね?」
「一緒に旅をしてきたのに? まったく、どうかしてるぞ――疲れてるんじゃないのか? もういいから、早く休もう。でも、起こしたらすぐに起きろよ」
話が掴めない――理由は判らないけれど、カッチーは何か思い詰めている。冷静に考える時間が必要なんじゃないか? カッチーに背を向けて、寝室のドアノブに手を伸ばした。
それなのに、カッチーが引き留める。
「待ってください!――俺なんかが……俺なんかがザジリレン国王の傍に居てもいいんですか!?」
今、なんて言った? 伸ばしていた手を降ろし、ピエッチェがゆっくりと振り返る。カッチーの視線は真っ直ぐだ。真っ直ぐピエッチェを見ている。なんて答えればいい?
振り向いたまま固まってしまったピエッチェに、カッチーが微笑む。なのに涙がポロポロ頬を伝っている。
「前からそうじゃないかって思うこともあったんです。だって、ピエッチェさんは他の誰とも違う。ク、クルテさんにだけは、なんか、普通って言うか、ただの男って言うか――でも! 何があっても動じないし、いつも冷静だし、どんな相手に対しても一方的に責めたりしないし、なんて言えばいいんだ? そう、大きい。大人物? 器が大きい? そんな感じで」
それはカッチー、買いかぶり過ぎてる……
「クルテさんが看病して怪我を治してって時間を遡ると、怪我をしたのってカテロヘブ王が行方不明になった時期と一致してます。だからひょっとしたらってずっと思ってた。でも、ザジリレン国王が俺にこんなに親切にしてくれるはずがない。読み書きや剣の扱い方を教えてくれるはずがない。だから違うって、何度も思い直した。俺が世間知らずなだけで、世の中にはこんな大人も居るんだ。こんな素晴らしい人も居るんだって」
ますます返答に困るピエッチェ、ただ静かにカッチーを見詰めた。カッチーもピエッチェを見ている。けれど返事を待っているようには見えない。
「王太子さまと対等に話をしているのを見て、やっぱりそうなんだって思った。でも、いいや違う、俺を雇ってくれるって言った、国王のはずがないって、思おうとしてた」
落ち着こうとしているのか、カッチーが何度か深呼吸した。それから涙を拭い、微笑んだ。もう泣いていない。
「でも、でも……やっぱりそうなんですよね? ピエッチェさんはカテロヘブ王。ザジリレン王宮や王女さまのことを話しているのを聞いててよく判りました。いくら騎士だったとしたって、王女さまの子どもの頃のことなんか、知ってるはずありませんから――知らなかったのは、いえ、気付いてなかったのは俺だけだ。王太子さまもマデルさんも、もちろんクルテさんだって判ってるんですよね?」
「あ……」
カッチーがなんで急にこんなことを言い出したのか、やっと気が付いた。ラクティメシッスたちには素性を隠す必要がない。気の緩みから、ペラペラとしゃべり過ぎた。他人みたいな口調で、言ってることはまるきり他人じゃなかった。
「いや、カッチー。カッチーにもそのうち打ち明けようと思ってた」
「いいんです、判ってます――ピエッチェさん、優しいから、少しでも俺を傍に居させてくれるつもりだったんですよね?」
「うん? どういう意味だ?」
「もう気を使わないでください。余計に惨めになります」
惨めになる? カッチーは何を考えている?
「いや、俺が悪かった。理由はどうあれ、騙されてたと思われても仕方ない」
「判ってます! 何も言わないでください。立場上、明かせなかったんですよね?」
まぁ、そりゃあ、そうなんだが?
「大丈夫です、安心してください。もう、雇って欲しいなんて言いません」
「うん?」
「俺、自分のこと、判ってますから――国王の傍に居られる身分じゃないって、判ってますから」
ああん? なんか、思ってもいない方向に話しが進んでないか?
「だいたい、王太子さまと同行させて貰える身分じゃないんだ。その時点で、コゲゼリテに帰るべきでした」
「おい、カッチー、違うだろうが?」
「違いません! えぇ、ピエッチェさんは身分なんか関係ないって仰るでしょう。でもね、こういうことは下のほうが言うべきなんです。俺が遠慮するのが筋なんです」
カッチーのほうが下? 俺が上でカッチーが下ってこと? それって年齢を言っているのか?……そんなわけないな。
「俺はカッチーが下だなんて思ったことないぞ? そりゃあ、確かに俺はおまえに報酬を支払ってる。そんな約束でコゲゼリテから連れ出した。でもそれは、対等な立場での契約だ――その契約に基づいた遠慮はさせるかもしれない。でも今、おまえが言っている遠慮ってそうじゃないだろ? なぁ、何をどう遠慮するって言うんだ?」
カッチーが顔を歪め、口をひん曲げる。泣くまいとしている。
「ピエッチェさんは、ずっと俺に優しかった。だからきっと、俺に『故郷に帰れ』なんて言えない――俺、コゲゼリテに帰ります。これ以上、迷惑かけません」
「誰が迷惑だなんて言った? まったく、さっきから何を言ってるんだ?」
「だって、だって……」
再びカッチーが泣き始めた。
「ピエッチェさんがザジリレン王だって確信した今じゃなきゃ、ダメなんです。今なら仕方ないって思える」
「何が仕方ないんだ?」
「俺なんかが国王に雇って貰えるはずがない、傍に居られなくってあたりまえだって」
「誰が雇って貰えるはずがないんだ?」
「だから俺が!」
「今、おまえを従僕として雇っているのは誰だ?」
「それはピエッチェさんだけど……ほかに居なかったから」
ピエッチェが溜息を吐く。
「クルテと二人でも良かった。だけど、理由をつけてカッチーを雇った。まぁ、そう決めたのはクルテだが、それを俺は承認してる。おまえが必要だからだ」
「お願いです、今すぐ消えろって言ってください。俺、ピエッチェさんが王権を取り返すのを祈ってますから」
騙されていたと知って、カッチーは俺がイヤになったってことか? だからコゲゼリテに帰りたくなった?――いや、それも違う。もしそうならカッチーが泣くはずがない。なぜカッチーは泣いている?
「おまえ、俺に剣を習いたかったんじゃないのか? 乗馬も教えて欲しいって言ったよな? こないだリュネに乗ったからって、どんな馬もリュネと同じだと思うなよ。リュネは特別で、おまえが乗ったんじゃなくって乗せて貰ったんだぞ」
「そんなの判ってます」
「おまえがいなくなったらリュネの面倒は誰が見るんだ?」
「それは……暫くはピエッチェさんとクルテさんで。そのあとは、相応しい人が居るんでしょう?」
「相応しい人? おまえは相応しくないと?」
「だってそうでしょう!? 父親が騎士だから貴族扱いされてるけど、その父親だって、どこの誰とも判らない」
「それがどうした? おまえの父親が誰かを、俺がいつ気にした?――それとも俺が王なのが気に入らないのか?」
「そんな! そんなこと言ってません!」
「それじゃあ、王の家臣になるのがイヤなのか?」
「違います! 俺なんかじゃ――」
「俺がカッチーに家臣になって欲しいって言ってるんだ。それがイヤなら、コゲゼリテに帰れ」
ピエッチェの言葉にカッチーが蒼褪めた。




