11
燃える暖炉に入ってみろだって? よくも言ってくれる。ピエッチェがクルテをまじまじと見る。
「どうした? 早く入ってみろ」
動こうとしないピエッチェにクルテが催促する。
「暖炉に入るのは幾らなんでも無謀だ」
そんなピエッチェをクルテが笑う。
「この部屋にほかに開口部があるか? 排気口は必ず外部に通じている。そこを昇って外に出るんだ」
「排気口?」
「煙突って言えば判る?」
「煙突って昇れるのか?」
「煤だらけになるだろうけど、なんとか昇れ」
「火を消して少し待って、冷めてからじゃないと無理だ。火傷する」
「火は幻影かも知れない」
「そう思うなら、クルテ、おまえが入ってみろ」
「ピエッチェは入りたくない?」
「あぁ、燃えてる暖炉になんか入るもんか!」
「そっか……」
ニヤリと笑ってクルテが立ち上がる。そしていきなり暖炉に手を差し込んだ。
「あっつ!」
小さな叫びをあげてクルテが消えた。
「クルテ!」
驚いたピエッチェが立ち上がる。クルテがいた場所に散乱している物は意識して見ないようにした。
「クルテ、どこだ? 大丈夫なのか!?」
「チェッ!」
背後でクルテの舌打ちが聞こえ、ピエッチェが振り返る。
「おい、おまえ……」
安心がピエッチェに情けない声を出させる。
「火の中に手を入れれば火傷するに決まってるだろう? 驚かせるな」
「大丈夫かもって思ったんだが……気付いてないのか? ピエッチェが拒絶すると状況が変わる。だからひょっとしたらと思った」
「暖炉から魔力を感じたってこと?」
「物の性質を変えてしまう火って、一種の魔法なんだ。魔力を発散するから、魔法か本物か判断できなかった。まぁ、この暖炉は魔法じゃない、本物の暖炉だ」
さっき突っ込んだほうの手を振りながらクルテが言った。
「おい、見せてみろ」
有無を言わさずクルテの手を取るピエッチェ、
「火傷はしてないみたいだな」
表裏とクルテの手を眺める。なんだか細くて女の手みたいだ……
「火傷なんかするもんか、してたって一度消えて新品に変えてる」
「新品っての、なんか妙な感じだ。他の言い方はないのか? でもさ、それじゃあなんで痛そうに腕を振ったりするんだよ?」
「痛みの余韻って感じかな。痛かった記憶までは消せない。だけど実際に痛むわけじゃないから気にするな――それよりいつまで握っている気だ?」
言われたピエッチェ、慌ててクルテの手を放り出す。
「おい、もう少し丁寧に扱え――しかし、そうなるとどこから出ろって言うんだろうな? もうちょっと部屋を探ってみるか」
部屋の中をウロウロするクルテ、ポケッとそれを見ているだけのピエッチェ、
「うーーん、暖炉以外からは魔力を感じないなぁ」
とクルテが呟く。
「なぁクルテ。おまえ、姿を消したら壁を擦り抜けられるんじゃないのか?」
「コイツ、思い付きで言ってる。姿を消したことはあるが何かを擦り抜けたことなんか、なかっただろう?」
「そうだったっけ?」
「蛇になったときも、箱になった時も、階段になった時も、全部おまえの目の前で消えて、おまえの目の前に現れてる。忘れたのか?」
「でも精神体なんだろう?」
「精神体だけど幽霊じゃない」
「幽霊だったら擦り抜けられるのか?」
「ヤツらは神出鬼没では?」
「だったら幽霊に化けてみたら?」
「実体のないものには化けられない」
「幽霊って実体がないのか?」
「多分な」
また多分かよ……と思うピエッチェにクルテが言った。
「そうだ、そこの肖像画を外してみろ。出口が隠されてるかも」
「うん?」
それも思いつきだろう? とは、揉めるのが面倒なので言いはしない。額縁を持ちあげて裏側を覗いてみる。
「あ……窓だ」
「どれどれ?」
ピエッチェの脇の下からクルテが覗き込む。
「ここ……踊り場から梯子を使って降りた庭なんじゃ?」
クルテが窓の外を見ている横で額縁を外して床に置いていたピエッチェが
「そんなの判らんよ」
と答える。
「多分、あの庭だ。きっと宿の、踊り場の窓の下に行ける」
「魔法使いに会えずじまいか?」
「そうだな、今日はそろそろ帰れってことらしい。夕暮れが迫ってる。晩飯前に帰してくれるらしい」
「なんだ、それ?」
「よかったな、ピエッチェ、これで晩飯を食いそびれることはないぞ。で、明日も魔法使いと遊びたいだろう?」
「これって遊びなのか?」
「うーーん、それ以外なんて言えばいい? 踊ったり、水の上を渡ったり、目隠し状態の階段とか、最後はお茶でのお持て成し」
「お持て成しって言い方すると歓迎されてるようだけど、歓迎はされてないんじゃないのか? どっちにしろあまり楽しくない遊びだった」
「それじゃ明日はどんな遊びがしたい? 賭け事とか?」
「賭け事か。したことないな。いや、あるか……狩りに行った時、どっちが先に獲物を捕るか、とか」
ネネシリスを思い出し、ピエッチェの気分が沈む。が、
「そう言えばカジノはどこにあるんだろう? 雰囲気を味わうってのはいいかもしれない」
と、ネネシリスを思い出したと顔に出さないよう明るく言った。
「おまえ、カジノに行きたいのか?」
「うん、まぁな。行けば何かが判るだろうからな」
行きたいわけじゃないけれど、それを言ったら発言に矛盾が生じる。無理に行きたい理由を探すピエッチェだ。
けれどクルテが追及する。
「正直に言えよ、カジノに興味があるんだろう?」
「これって興味があるって言えるのか? まぁ、カジノに行けるなら行きたい」
「そうか、やっぱり行きたいのか」
クルテが満足そうにニコリとする。
「よし、ピエッチェ、とりあえず今日は撤退だ。窓から出るぞ、先に行け」
「また俺が先? なんでいつも俺を先に行かせるんだ?」
「わたしはおまえについていくしかない――つべこべ言わずにさっさと出ろ。これくらいの窓、どーってことないだろ?」
なんだか納得いかないまま、窓枠に手を掛ける。クルテが言うように、外はそろそろ暗くなりかけていた。
「俺たち、わけの判らないところに何時間いたんだろう?」
ピエッチェが呟き、窓から出て来たクルテを見る。
「あっ?」
「うん?」
ピエッチェの視線を追ってクルテが振り返る。
ふたりが出てきた窓がだんだんと消えていく。輪郭が覚束なくなり薄れてく。そして窓の中からこちらを見ていた女の姿も薄れていった。
窓はすっかり消えてしまい、他と変わらない外壁になった。どんなに見詰めたところで、窓があった痕跡すらない。
「今、女がいたよな?」
呟くピエッチェ、クルテは壁を見詰めたまま答えない。
「まだ若い、綺麗な女だった。あれが魔法使いなのか?」
やっぱりクルテは答えない。暫く壁を見詰めていたが、
「ここ、最初の扉があった場所だ」
と、やっと口を開いた。
「どうして判る?」
「おまえが重しに置いた石がある」
壁に近いところにゴロンと大きめの石が転がっていた。こんな石だったかな、ピエッチェが記憶を辿るが思い出せない。
「部屋に戻るぞ――カッチーが心配している」
ピエッチェを置いて歩き出すクルテ、慌ててピエッチェが後を追った。
庭に降りた窓の下でクルテが階段に変身し、ピエッチェは『痛い、やめて、擽ったい』をまた聞かされる。本当に暇潰しなのか?
「鍵がなくてよかった。締め出されるところだ」
踊り場に立ってからピエッチェが言った。
「その時はわたしが先に踊り場に入って開錠する」
「おまえ、擦り抜けられないって言ったじゃないか?」
すると、クルテが軽蔑しきった顔でピエッチェを見た。
「窓には隙間がある。必ずだ。そんな事も知らないか? チッコイ蟻んこがいつの間にか部屋に居たりするだろう?」
「あ? あぁ、まぁ、そうだな……少しでも隙間があれば入れるってことか?」
ピエッチェに答えることなくクルテが廊下の階段を上る。
「今日の出来事はカッチーには言うな。って言うか、おまえは基本的に黙ってろ」
「なんでおまえ、俺にはいつも冷たいんだよ?」
「冷たくしてるつもりはない。余計なことは言うな、判ったな?」
クルテが部屋の扉を開けた。
「クルテさん! ピエッチェさん!」
椅子に腰かけていたカッチーが嬉しそうに立ち上がった。
「どこに行ってたんですか? 俺、心配で……」
ごめんよ、とクルテが微笑む。
それから数枚の銅貨を出した。
「これを全部使って何か食べ物を買って来て欲しいんだ。飲みものもね。夕飯は部屋で摂ろう――頼めるかな?」
渡された硬貨を見てカッチーが驚く。
「こんなにたくさん?」
「全部使っていい。カッチーが食べたいものを全部買っておいで。四人分だよ」
「四人分? ってことはマデルさんの分もってことですよね。一緒に買い物に行って貰おうかな?」
「いいや、マデルには話があるんだ。この部屋にすぐに来るよう、買い物に行く前に伝えて。一人で大丈夫だよね?」
「はい! 任せてください」
「気を付けていくんだよ」
カッチーが部屋を出てから程なくマデルがやってきた。
「ふふん、クルテ、わたしに用があるんだって? なんの話なのかな?」
ニヤニヤとマデルが笑い、クルテの正面に座った。クルテの隣にはピエッチェが座っているから、そこに座るのが順当だ。
クルテもニヤッと笑う。
「いい加減、正体を教えて貰おうと思ってね」
「正体? って、わたしの?」
「そうだよ、マデル。あんたいったい何者?」
「何者って言われても……ただの女、ただの旅人、そして文無し。そうは見えないかい?」
「それじゃあ聞くけど、どこから旅をしてきたのかな? 今は使い果たして文無しみたいだけど、今まではどうやって稼いでいたの? 女ってのは認めるけど、ただのってのには無理があるよね」
「ねぇ、クルテ、どうしちゃったのさ? わたしは今言った通り、なんにも特別なところはないよ」
「自分で言う気がないのなら、僕が言おうか? 出身はどこだか判らないけど、この旅の出発地はこの国の王都、そして職業は魔法使い」
「クルテ、あんた……」
マデルが見る見る蒼褪める。
「……あんたこそ何者さ? どうして、それを知っている? 事によっては容赦しない」
するとクルテがフッと微笑んだ。
「マデル、僕たちは敵じゃない。言っただろう? この街を元に戻すって。そのためにマデルの本当の目的を知りたいんだ――あぁ、この宿の元の持ち主の敵討ちなら判っているから省いていいよ」
「あんたまさか、姉さんのことも判ってる?」
「宿の前の持ち主の女房がマデルのお姉さんみたいな人だってこと? 最初から知ってるよ。だから自殺に追いやったヤツを懲らしめたい。でもそれは、この街に来て、宿のことを知ってから思いついたことだよね」
唇を噛み締め、じっとクルテを見るマデル、そしてフッと体の力を抜いた。
「クルテ、あんたさ、わたしが王家に仕える魔法使いだってのもどうせ見抜いてるんだろう?」
と、苦笑する。
「だから言えないってのも判るんじゃないのか?」
「うん、判ってるよ。王の密命で、この街に来たことも……それでさ、マデル、密命って何? 心に強力な遮蔽を掛けて、その秘密だけは誰にも読まれないよう護っているよね」
「やっぱり心が読めるんだ? クルテも魔法使い?」
「僕の正体に気が付いてないとは言わせないよ」
「……まぁ、一瞬で消えて同時に別の場所に姿を現すなんて、魔法使いでもできることじゃない。魔物か? でもクルテ、あんたからは魔物特有の邪気を感じないんだ」
「そんな事より、王の密命を教えて。手を貸すよ」
「手を貸す?」
「うん……マデル、この人を知ってる?」
と言った。すると
「フレヴァンスさま!」
マデルがクルテを見て叫ぶ。クルテの顔は、さっき、消えていく窓の中にいた女の顔だ。
「フレヴァンスって言うんだね」
「あ……」
クルテの顔は元のクルテだ。
「その、どうしてフレヴァンスさまに?」
「暖炉のある部屋に閉じ込められていると思う。フレヴァンスってどんな人?」
「暖炉のある部屋?」
「その部屋はデレドケじゃないどこか。多分、今は使われていない大きな屋敷」
「なぜ、それが判ったんだ?」
「ねぇ、僕の質問に答えないのに情報だけを欲しがるの?」
「う……」
悔し気にマデルがクルテを睨みつける。
「本当に助力してくれる?」
「その気がないのに、こんな話はしない」
「そちらに得のある話とは思えない。危険な目に合うだけだ」
「まったく、ピエッチェも僕と知り合った頃、同じようなことを言った。損得で物事を判断するのは人間の悪い癖だね――いいから話しな。僕もピエッチェも、マデルから聞いた秘密を他に漏らしたりしない。僕たちの助力は、それこそマデルに損はない話なんじゃ?」
ふぅッと息を吐いたマデルからクルテへの警戒が消え、
「フレヴァンスさまは魔法使いだ。そして我が国の王女さま――魔物に連れ去られて、行方不明になっている」
悔し気に言った。




