9
ようやく部屋に辿り着き、フラフラしているクルテをベッドに座らせた。すぐにベッドに潜り込むかと思ったのにクルテは座ったまま、
「喧嘩ばかりで嫌気がさして、マデルから遠ざかったんだって。でも、ラスティンは諦めなかった」
と言った。話の続きだ。眠気のせいでほとんど目を開けてもいられないくせに、なに言ってんだ、コイツ?
「いいから寝ちまえ」
掛け布団を払いながらピエッチェが言うが、
「ううん。ここからが肝心」
クルテに眠る気はないらしい。眠る気はないが、身体は素直だ。座ったまま、頭がくらくら動いている。これ、横にしちゃえばそのままスーッと寝ちゃうんじゃ?
「ほら、起きてないで……」
寝かせてしまおうと、ピエッチェがクルテの背中に手を回し、膝の下に腕を差し込んで持ち上げる。なんだか知らないがクルテはウフフと笑い、ピエッチェの首に両手を巻き付けて掴まった。そのまま上体を倒して寝かせてから起き上がろうとするが、クルテが首に回した腕を放してくれない。仕方ないのでピエッチェもクルテの隣に横になる。
「それでね」
クルテが話の続きを始めた。もういいよ、そんなことに興味ないってば……
「フレヴァンスが連れ去られた夜、ラスティンが愛を誓ったんだって。それでマデルも覚悟を決めた。だから、フレヴァンスが誘拐されてなければとっくに二人の仲はもとに戻ってただろうって言ってたよ――心を確かめ合った次は身体で確かめ合うんだって。するとこの人で間違いないって実感する。とっても素晴らしいのよって、マデル、幸せそうに言ったの」
うふふ、とクルテが笑う。
「ねぇ、ラスティンは何に愛を誓ったと思う?」
さぁ、なんだろう? 少なくとも自分の身体を循環している血ではないな。あれは消費と生産が繰り返されて、入れ替わってしまうから。あれ? なんだか発想が可怪しくないか?……ぼんやりとそう思うけど喋れない。
「なんだ、眠っちゃった?」
クルテの声はもうピエッチェに届いていない――
目が覚めたのは約束の時間をとっくに過ぎた時刻、慌ててクルテを揺さぶり起こしてレストランに向かった。待ち合わせはレストラン、朝食を摂りながら買い物の分担を決める予定だった。ところが他の三人の姿がない。
「まだ寝てるんだよ、きっと……昨日はちょっと無理し過ぎたね」
欠伸を噛み殺してクルテが言う。ピエッチェだってまだ眠い。
「起きるまで寝かせておくか。ほっといても昼までには起きてくるさ。先に食っちまおう」
カッチーはともかく、ラクティメシッスとマデルの部屋には行きずらい。そう感じるピエッチェだ。
朝食は一種類、茹で卵とブドウが付いていてクルテを喜ばせた。クルテはオレンジジュースも頼んだのに、ピエッチェがお茶をお替りすると自分もお茶を頼んだ。
レストランを出ると、近辺では開店準備を始めている。
「トロンバと違って普通の時間にお店が開くみたいだね」
クルテがニマニマして言った……もうそんな時刻になっていたか。やけに早い店開きだと思ったのは、自分たちの朝食が遅かったからだ。クルテのヤツ、それが可笑しくてニマニマしたんだな。
買い物は全部二人で済ませることにして、カッチーたちの部屋にメモを置いて出かけることにした。部屋に戻り、サックから出した紙片にクルテがサラッと何か書き込む。紙はいつもより少し厚手で、カードと言っていい。ピエッチェが覗き込むと、一枚ずつ宙に放ったクルテ、カードはふっと消えてしまった。
「どこに消えた?」
「それぞれの部屋に。必ず目に付く場所に行けって命じた。ちゃんと見て貰える」
「部屋に行かなくっても大丈夫なんだ?」
愚問だと思いながら聞いてしまった。
「部屋番号が判ってるから心配ない――行こう。まずは飲料を買って馬車に積む」
飲料店は宿の二軒先、レモン水を一箱買ってキャビンの貨物台に積みに行く。リュネが喜んでクルテに頭を擦りつける。
「飼葉は少し待っててね」
クルテがリュネに言っている……リュネにはとことん優しいよな、おまえ。
水袋に残っていた水をバケツに入れてリュネの前に置き、空いた水袋を全部持って宿の受付に預けた。宿を出るとき、清水を入れて返してくれる。
ピエッチェがカッチーに朝食代を渡していないことに気が付いたのは花屋に居る時だった。
「大丈夫、ラスティンに立て替えてといてって頼んだから」
花籠を受け取って花屋を出ると、嬉しそうにクルテが花に顔を埋めた。一瞬、花たちが輝いたように見えたのは、高くなった陽のせいかもしれない。
ピエッチェが飼葉を入れた箱を抱え、その上に菓子やパンの袋を乗せた。クルテは花籠だけだ。厩に行くと三人が待っていた。
「宿の支払いは済ませておきました。水袋は箱に入れて貨物台です」
ラクティメシッスが明細を渡してくる。それを受け取ってクルテが、
「それじゃあ、お菓子を分けたらゲリャンガに向けて出発しよう――カッチー、リュネに飼葉をあげて」
と言ってキャビンに乗った。
カッチーが飼葉用の桶を貨物台から降ろしてリュネの前に置き、ピエッチェから箱を受け取るとリュネに話しかけながら桶に飼葉を入れていく。それを眺めながらピエッチェが
「ジジョネテスキはまるきりやる気をなくしてるんだってさ」
ラクティメシッスに耳打ちした。買い物をしながら街で仕入れてきた『噂話』だ。
「日がな一日ミツバチの世話をしたり、花壇の手入れをしたりで過ごしているらしいよ」
「だからって監視が付いていないとは言い切れないんじゃ?」
「半年くらい警備隊が屋敷の周囲を固めていたけど、それも撤退したって話だ」
「監視の必要もない人物に成り下がった?……でもまぁ、もしも彼がまるきり腑抜けていたとしても、どうせ行くんでしょう?」
「街の噂より、トロンペセスを信用したほうが賢明だからな」
ニャっと笑ったラクティメシッス、クルテがキャビンから降りてくるのを見て、
「じゃあ、行きますか」
と自分がキャビンに乗り込んでいく。カッチーが、飼葉桶を片付け始めた――
トロンバ街道ギスパからゲリャンガは、街道を逸れて山越えの脇道を行く。ゲリャンガは王都カッテンクリュードからスナムデント街道の終点の街ムスケダムを始点とするゲリャンガ街道で行く。ゲリャンガより奥は山、トロンバと同じくザジリレンの隅っこだ。街道のみを使うと遠いが、山を越えてしまえば半日で行ける位置関係になる。
ギスパを出てトロンバ街道を少しばかり上り、目立たない道標を見落とすことなく山を登る脇道に入った。道標には『ゲリャンガへの近道』と書かれていた。すぐに道は急勾配となる。キャビンの覗き窓を開けてマデルが
「この道であってるの?」
と不安そうに訊いた。
「ゲリャンガはこの山の頂上付近の街なんだって」
ピエッチェの代わりにクルテが答え、そっかぁとマデルが引っ込んで窓を閉めた。
「ザジリレンを知ってるのは俺とおまえだけだな」
「わたしもあんまり知らない。王宮以外行ったことがない」
「そうなんだ?」
「でも、近くで誰かが話したことは全部覚えてる」
あぁ……カテルクルストに目と耳を貰ったって言ってたな。自分が急激に不機嫌になるのが判る。目と耳を貰った? 意味不明だし、なんでカテルクルストはご親切にもおまえに目と耳をくれたんだよ?
「ザジリレンは山ばっかり。狭い平地をどう有効に使うかって、歴代の王がよく頭を悩ませてた」
ピエッチェの不機嫌に気付いていないのか、クルテは機嫌よく話している。
「だから思ったんだ。山を活用すればいいのにって」
「うん?」
この話題はピエッチェに、一瞬で不機嫌を忘れさせた。
「山を活用する?」
「そう、果樹を植えて果実を収穫するとか」
「うーん……収穫するまで何年もかかるだろうし、ザジリレンの山を甘く見るな。険しくって登るのも大変なんだ。ゲリャンガはまだ標高が低いしなだらかだから街も作れたけど、似たよう場所にある街は他に三か所しかない」
って、前にもこの話、したよな。
「宝の山なのになぁ」
「おい、涎を垂らすんじゃないぞ」
「垂らしたらさ、カティ、拭いてくれる?」
自分で拭けって、赤ちゃんじゃあるまいに。
背凭れを後ろに倒したような傾斜が続いた。それでもリュネの足取りは変わらない。楽しげに尻尾を振って歩いて行く。さすがに駆け足にするのは気が引けた。道には石が転がっている。それにキャビンの座席は進行方向に向かっているのと、それに向き合う形の二列だ。進行方向に背を向けて座っているとヘタをしたら座席から落ちてしまうかもしれない。
さらに傾斜がきつくなる直前でリュネが勝手に足を止めた。
「うん? 登るのは無理だって?」
「そうじゃないよ」
クルテがキャビンの覗き窓を開けて中を見た。
「この先もっと急な上り坂になる……マデル、そっちの席に移ったほうがいい」
するとラクティメシッスが
「少し休憩しましょうか?」
キャビンのドアを開け、貨物台からタラップを魔法で呼び寄せた――
坂を見上げてラクティメシッスが呆れて笑う。
「これ、登るのはまだ何とかなるにしても、降りてくるのは無理なんじゃないですか?」
笑い事じゃないよ。
「馬車でここを降りるヤツはいないさ」
ピエッチェがレモン水の瓶をクルテに渡して言った。要らないと言ったくせに、『一口欲しい』と強請られていた。
「ここは登り専用。下りたいときは、もう少しレンレンホ寄りの脇道を使う。ま、俺たちはわざわざそっちに行かないけどね」
「ゲリャンガから真っ直ぐカッテンクリュードを目指しますか?」
「うん、他の街に用事があるわけじゃないからな。まぁ、ジジョネテスキにも相談して決めよう」
レモン水の瓶をピエッチェに返すとクルテはリュネの様子を見に行った。カッチーがリュネの身体を拭いてやっている。
「しかし、この坂、登れるんでしょうかね?」
「リュネは登る気満々だぞ?」
リュネを見るとクルテが腹にへばりついている。カッチーがニヤニヤとクルテとリュネを見ながら、水を飲ませたバケツを片付けていた。
「お嬢さん、随分あのお馬さんを気に入ってるようですね」
「あぁ、俺と喧嘩した後、リュネと寝てたこともあるよ」
「喧嘩と言えば、ソノンセカではどうなることかと心配しました」
「ん?」
ソノンセカでの喧嘩? あぁ、あれか。あれはクルテがラクティメシッスたちを遠ざけるために打った芝居だった。
「宿が倒壊したんで喧嘩どころじゃなくなったよ。喧嘩って言うより、ただの焼きもちだし」
「お嬢さん、よく焼きもちを?」
「アイツより俺のほうがしょっちゅう」
さっきもカテルクルストに妬いた。七百年も昔のことなのに。
「ピエッチェが? 妬く原因なんてあるんですか?」
「まぁいいじゃないか。そろそろ行こう」




