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もちろん、この答えも用意してある。
「朝を待って、一足先にシャンシャン峠を通過すると言っていました。ケビナで合流する約束になっています」
「ケビナですか……」
トロンペセスがフッと笑む。
「では、そのご友人にお伝え願いたい」
トロンペセスがラクティメシッスに近寄り、声を潜めた。
「ザンザメクス卿は信用できない。息子ダーロミダレムを人質に取られている。王宮で信用できるのはクリオテナさまだけになった。だが、クリオテナさまには付きっ切りの監視が付いている」
ノンビリしていたトロンペセスが早口でササッと捲し立てた。ラクティメシッスが聞き漏らすまいと耳を聳てる。
「もしも頼るならジジョネテスキだ。ラチャンデルが仕掛けた罠による失脚、中央からセーレムに飛ばされた。ゲリャンギャに居を構え隠遁生活を送っている。が、それは隠れ蓑、政権を王家に戻すための有志を集めている」
「どんな罠で失脚を?」
「クリオテナさまへの邪恋が噂された。一方的に思いを寄せて関係を迫った……事実無根だがクリオテナさまは立場上、庇えなかった。庇えば、実は受け入れたのではないかと言われるのが目に見えていたからだ」
「単なる噂で失脚?」
「噂を噂でないとしたのはジジョネテスキの実弟ラチャンデル。証拠としてジジョネテスキが書いたとされるクリオテナさまあての卑猥な恋文を束で提出した。同じ屋敷に住んでいるのだから兄の部屋で見つけたと言われれば、誰も否定できない」
ジジョネテスキとラチャンデルは兄弟? それにしてもヘンだとラクティメシッスが思う。
「恋文が王女のところで見つからず、本人の屋敷から見つかったって? 出してないなら噂が立つのもヘンだし、関係を迫っている証拠にはならないんじゃ?」
ラクティメシッスがトロンペセスに疑問を投げる。
「可怪しい、もっと調査したほうがいい、そんな意見は無視された。言った者どももゴランデ卿に一睨みされて口を噤んだって話だ。だが、さすがに横恋慕したからと罪には問えない。地方に飛ばすに留まった。ラチャンデルの狙いは家督争いだから、目的は果たせたってことだ」
「家督争いねぇ。そんな手段で兄貴を追い出して家督を継いだところで、その家はすぐに没落しそうだがな……で、トロンペセス、その話を誰から?」
「ふむ、わたしの名を知っているか――王都に行った際、投獄されているダーロミダレムと面会した。少しばかり親しくして貰っているのでな。で、その時、アイツから聞いた話だ」
トロンペセスがラクティメシッスから離れた。
「さて、旅を急がれるのでしょう? ご尽力、ありがたく、感謝しておる。道中、お気をつけて」
「出立してもいいと言う事ですね?」
「えぇ、男たちを運ぶ箱馬車、女性を乗せる馬車が来るには今しばらくかかる。来る前に発たれるがよろしいかと」
一礼して自分たちの馬車の御者台に向かうラクティメシッスを
「あ、言い忘れたことが……」
トロンペセスが引き留めた。
「先ほどキャビン内を拝見した時、座席の板の隙間からミルクティー色の細い糸がはみ出しておった。それと、トロンバを出ると道はすぐに荒れたものに変わる。痛い思いをしたくないなら早く出たほうがいいと、ご友人にお伝え願う」
トロンペセスはニヤリと笑うと馬に乗り、罪人を監視する警備兵たちと合流していった――
トロンバ村を出ると山間を抜ける街道はすぐに急なカーブを描く。そのカーブに差し掛かったとき、馬車の御者席に座っていたのはピエッチェ、助手席に居るのはラクティメシッスだった。
トロンペセスの助言に従い、村を出るとすぐ、あたりに人影がないのを確認して馬車を停めた。
「一杯食わされるところでした」
キャビンの座席を除けて出てきたピエッチェを見てラクティメシッスが苦笑する。ピエッチェは黒髪のウイッグをつけていて、地毛はしっかりウイッグの下に収めてあった。
「もうちょっとで、そんなはずはないって言うところでした」
「ミルクティー色の〝糸〟ね。髪って言わないところがイヤらしいな」
ピエッチェが笑う。
「でもまぁ、ピエッチェが座席の中に隠れているって、気が付いてたんでしょう。隠れる必要なんかなかったかもしれません」
「どうせなら、あんなところに入りたくなかったな。こんなデコボコ道、あのまま行くことになってたらと思うとぞっとする」
「身体中、あざだらけ……ですね?」
「あれ? 喜んでないか?」
「そうならなくって良かったって、喜んでるんですよ」
髪の色を変えたくらいの変装では見破られると言うピエッチェに、隠れることを提案したラクティメシッス、さんざん考えた挙句、キャビンの座席の下はどうかと言い出した。
調べてみると、座席はクッション部分が外せるようになっていてその下は空洞、入ってみるとギリギリだが入れなくもない。が、まったく身動き取れないし、ともすればクッション部が浮いてしまう。だからマデルが座って押さえることにした。
ピエッチェにはラクティメシッスとトロンペセスの会話が聞こえていなかった。クルテやマデル、カッチーにも聞こえなかったが、とりあえずピエッチェには話しておきたいと言うことで、クルテの代わりにラクティメシッスが御者台の助手席に座ることになった。
「ザンザメクス卿は父の親友でザジリレン王宮で一番の権威と実力、権限を持った大臣だ――ザンザメクス卿を欠いてはザジリレンの統治は無理、だから排除しなかったと思っていいと思う」
ラクティメシッスの話を聞いてピエッチェが解説した。
「信用できないと言うよりは、息子を人質に取られた以上、表立って動けにないってことだと思う」
「その息子、なんで牢に入れられたんでしょうね?」
「カテロヘブ王の乱心を見ぬけなかったばかりか増長した罪、って俺は聞いた。言ったのはオッチンネルテだ。信用でき……」
できない、と言おうとしてたピエッチェの言葉が途切れた。
「どうしたんですか?」
ラクティメシッスが不思議そうにピエッチェを見た。ピエッチェは『いや、なんでもない』と苦笑して誤魔化した。
クルテが『オッチンネルテに嘘はない』と言ったから、オッチンネルテを信用した。それを不意に思い出した。他者の心が読めるクルテが、なんで嘘を見抜けなかったんだろう? それに気を取られ、言葉が止まってしまった。
あとでクルテに確かめることにして、ピエッチェが話を続けた。
「オッチンネルテは信用できないさ、あんなヤツだって見抜けなかったのが情けないよ。ザンザメクス卿の息子がなんで牢に入れられたのかは調べてみたほうがいいかもしれないな――しかし、ジジョネテスキがカッテンクリュードに居ないのは痛い」
「頼りになる男なのですか?」
「うん、ザジリレンで一番剣の腕が立つ。俺は勝てたことがない――だが温厚で落ち着いている。父親はモバナコット卿、ザジリレン軍の総督だ。ザジリレン国兵力の全てを統率してる。王宮騎士団・王都警備隊はもちろん、国内全域に配置された騎士・兵士は全員彼の部下だ。王家警護隊だけは別枠だけどね」
「うん? 国王を差し置いて兵を動かせる?」
「それはない。日常の細々したことはともかく、大きく兵を動かすには王の命令が必要だよ。ローシェッタだってそうだろ?」
「王宮騎士団と王家警備隊は別の物なんですか?」
「ローシェッタはどうなってるんだったっけ? 王家警備隊は王家が個人的に雇い入れてて、費えも国庫ではなく王家の個人財産からなんだ」
「我が国にはない制度です――モバナコット卿は無事なんでしょうか?」
「えっ?」
「ジジョネテスキを排除したラチャンデルが父親も消して、と考えても可怪しくないと思いますよ」
「いや、だが……ターンミクタムがいなくなったら、ターンミクタムってのはモバナコット卿のことだが、ザジリレンの兵を動かせる男はいないぞ?」
「誰もがそう考えるとは限らない――ゴランデ卿ってのは?」
「王家と同じくらい古くから続いている家柄だ。建国の王が王子の時から信頼していた家臣の一人だって話だ」
「だって話だ? その言いかた、信用してないって言いたそうだが?」
「あぁ、記録にゴランデなんて名はないんだよ。カテルクルストはザジリレンに移るにあたり三人の友を伴った――その一人がゴランデ卿の祖先だって言ってるんだが、友の名にゴランデってのはない」
「だったら勝手にそう言っているだけなんじゃ?」
「それがそうとも言い切れない。カテルクルストの友人のうち二人は名が判っているんだ。だけどもう一人、これが現存する記録をどんなに調べても出てこない。不明だ」
「ふん、そうだとも違うとも断定できないってことか」
「歴史家は、もう一人はカテルクルストと仲違いしたか裏切るかして疎遠になったと見てる。だから、もし三人目の子孫だとしても余り名誉なことじゃないんだけどね」
「それでも建国の王に拘ってる?」
「カテルクルストの娘を妻にした。王家の血が流れている――王位継承権を主張したいらしい。だけど、そんな根拠のない話は誰も信じないし、カテルクルストに娘がいた記録もない」
「あぁ、で、記録にないだけ、隠し子が居たって言ってるとか?」
「そう、その通り。まぁ、王宮では誰も相手にしてない。古い家柄ってのは確かだから、それだけで王宮に出入りできてるようなもんだよ」
「んー、まぁ王もただの男ですからね。妻がいたって魅力的な女性に誘惑されたらフラッとなることもないとは言えない」
「あれ、身に覚えがある?」
「わたしはありませんよ――ジランチェニシスを思い出していました」
「そう言えば、身元は判ったのか?」
「それが難航しています――ノホメも未だにどこに居るか判らないし。ノホメがララティスチャングで病気になって家族が向かったって部下に伝えたんですが、クサッティヤで宿を経営してる男の家族が医者を回って『ノホメ』って人を探してるのが判っただけです」
「家族にさえも居所を知らせていない?」
「ってことにですね――ますますノホメの正体が気になります」
「王家転覆を企ててる疑いのある男の妻の妹がノホメってわけじゃなかった?」
「それも判りません。少なくとも名はノホメじゃない」
「偽名とか改名した可能性は否定できないけど、そうと決めつける決定的な何かが欲しいよな――で、妹はなんて名なんだ?」
「ユリクッテシャールです」
「ノホメとは似ても似つかない名だな」
ついピエッチェが苦笑する。
「とにかく今は、わたしたちにできることからしていきましょう――ゲリャンガに向かうのでしょう?」
「行って監視されていないようなら、ジジョネテスキに会ってみよう」
心なしか、リュネが足を速めたようだ。




