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それなのに、いつの間にか何を作ってもヘタと言うか、食べられないほどじゃないけれど美味しいと思えるような料理は出してくれなくなったと村長が嘆く。そんな話をしながらニコニコしているが、惚気ではなさそうだ。横を見るとラクティメシッスも奇妙なものを見るような目で村長を見ている。こんな男が村長でソノンセカは大丈夫なんだろうかとでも言い出しそうだ。
通された部屋はかなり広かった。会合にでも使う部屋なのか? 先に来ていた三人がピエッチェたちを見てホッとしている。テーブルに置かれたティーカップは四人分、マデル・カッチー・オッチンネルテに村長が加わって、茶を楽しんだと見える。きっとマデルたちも村長の様子に違和感を覚え、落ち着かなかったのだろう。
「食事はこの部屋にご用意いたします。寝室へはのちほどご案内したしましょう」
ニコニコと言う村長を見ていて、ピエッチェが気付く。この違和感、村長の笑顔に起因している。何を言っても、いいや、黙っていても満面の笑み、それも作り笑顔じゃない。心からのものだと感じる。
だけどなんとも受け止めようがない。思い返してみれば、笑顔攻めは村長だけじゃない。村人の、きっと全員だ。
「お食事の用意が整うまで、お仲間だけでごゆっくりお過ごしくださいませ」
村長が部屋から出ると、クルテを除く五人が一斉に溜息を吐いた。ギョッとして顔を見交わし、つい吹き出す。
「なんだか疲れましたね」
ラクティメシッスが苦笑いする。
「ホントよねぇ。なんだか頬っぺたが痛いわ」
マデルが嘆く。相手に合わせて作り笑顔でいたんだろう。ラクティメシッスが不思議そうに
「なんで頬が痛いんですか?」
と尋ねている。
「だって、村長ってずっと笑顔だったわよ。こっちだって笑顔で返さなきゃ」
「あぁ……そう言われればそうですね。なるほど、そう言うことでしたか」
ラクティメシッスも気が付いたらしい。
「何か奇妙に感じたのはあの笑顔だったんですね――表情がズッっと変わらない。それが笑顔だから気付けずにいたようです」
「言われてみるとそうかも……笑顔だっていろいろあるけど、今にも大声で笑い出しそうな、これ以上もない笑顔だったわ。それがずっとよ」
「魔法で強制的に笑わされているとか、なにか魔物に支配されているとかなんでしょうか?」
怖そうに訊いたのはカッチーだ。
「そんなんじゃないと思うよ、カッチー。むしろその反対かもしれませんね」
ラクティメシッスが答えた。
「宿の廊下室には確かに何か居ました。でも、宿の倒壊とともに消えてしまった。同時に村全体を覆っていた何か陰鬱な圧力のようなものも消えた――無関係とは思えません」
「何かってことはラスティンさんでも特定できないってことですか? でも、どうして『反対』なんでしょうか?」
「えぇ、魔物のようでもあったし、違うようでもありました。残念ながら、なんだったのかは判りません。反対って言うのは、今までソイツのせいで圧迫されていたものが取り払われたってことです。意識はしてないと思うんですけど、開放感で笑いが止まらないのでしょう」
「じゃあ、ずっとあのまま笑い続けて?」
「きっと大丈夫ですよ、落ち着けば普通に戻るでしょう。ところで……お嬢さん、どうかしましたか?」
さっきからクルテを気にして、チラチラと見ていたラクティメシッス、とうとう声を掛ける。クルテは姿勢を正して椅子に座り、じっとテーブルを睨みつけていた。
クルテはチラッとラクティメシッスを見たが、すぐにマデルに視線を移した。
「お茶菓子、何が出た?」
「へっ?」
「お茶のカップが置いてある。菓子皿もある。でも空っぽ」
「え、えぇ。クッキーだったわよ」
戸惑いながらマデルが答える。するとクルテは菓子皿に視線を戻した。
「美味しかった?」
「そうね、普通に美味しかった」
「そう……」
そしてクルテはまた、じっと動かなくなった。
不安げにクルテを見るマデル、ラクティメシッスは興味深げに眺めている。カッチーはニヤニヤと、オッチンネルテは驚いているのをなんとか隠そうとしている顔だ。ピエッチェが溜息を吐いた。
「どうした? 腹が減ったか?」
訊いたところでどうにかしてやれるものでもないのに訊いてしまった。買いこんできた菓子類は宿の部屋に持ち込んでいて、倒壊で食べられる代物ではなくなってしまっている。
「もう腹ぺこ。そろそろお腹と背中が一つになる」
泣きそうな声でクルテが答えた。
「話しかけないで。話せばもっとお腹が減る」
あー、そうですか。
「それに花籠もダメになった――花たちが泣いてる」
クルテには本当に花の泣き声が聞こえていそうだ。
「カッチー、悪いんだけど、お茶と何かお茶請けを貰ってきてくれない?」
マデルが気を利かせ、カッチーがすぐさま席を立とうとする。が、ピエッチェが引き留めた。
「いいよ、すぐに食事が運ばれてくる――それまで我慢しろ」
声を立てて笑ったのはラクティメシッスだ。
「まるで子どもですね――そう言えば、年齢を聞いていなかった。お嬢さんは十五くらい?」
するとなぜかカッチーが慌てる。
「十八です!」
そして小声でラクティメシッスに
「クルテさんは子どもって言われると怒るんです。小柄なのを気にしてます」
耳打ちした。
ホッとしたのはピエッチェとマデルだ。ラクティメシッスにクルテの年齢を訊かれただけでもギョッとしたのに、カッチーが勢い込んでそれに答えた。まさかクルテの齢に気が付いていてカッチーは隠そうとした? 二つのことに焦ってしまったが、カッチーの説明に安堵していた。
「なるほど……確かに小柄ですよね。って、これも言っちゃあダメだった?」
カッチーに合わせて声を潜めたラクティメシッスが耳打ちすると
「もちろんです」
真面目な顔でカッチーが答え、聞こえていないだろうかとクルテをチラッと見た。
カッチー、クルテは聞こえてると思うぞ。俺とマデルにもしっかり聞こえてるんだから……苦笑するピエッチェ、クルテは抗議する気力も体力もないのだろう。じっと菓子皿を見詰めたままだ。
ほどなく運ばれてきた料理で部屋はいい匂いに満たされた。食欲が呼び覚まされて、ピエッチェでさえも急激な空腹を覚えた。いろいろなことに紛れて、自覚できなかっただけかもしれない。
運んで来たのは村長と、村長には勿体ないような美人の妻、そしてカッチーと同じ年ごろの娘、この娘もなかなか美しい。が、三人とも例の満面の笑みで、理由も判っているがやっぱり奇妙に感じた。村長の娘に見惚れていたカッチーだけは、そう感じなかったかもしれない。
「みなさんだけのほうが気を遣わなくていいでしょう」
村長の妻が絶えない笑顔で言うと、三人とも部屋を辞していった。
「俺も腹ぺこ! クルテさん、早く食べましょうよ!」
カッチーがクルテに声を掛ける。
食事が運び込まれてもじっと動かないクルテを気にしていたのはカッチーだけじゃなかった。
「クルテ、どうかしたの?」
マデルが覗き込むが、反応を示さない。拗ねているのか? ピエッチェが
「おい、しっかりしろ。食うぞ」
少し怒り気味に言っても無反応だ。聞こえていないのか? 食品チェックをしているようでもない。
「おい、どうかしたのか?」
ピエッチェがクルテの肩に手を置いた。するとクルテの身体が椅子の向こうにグラッとゆっくり倒れていく。
「おいっ!」
腰を浮かせ、ピエッチェが慌ててクルテを支える。クルテを挟んだ向こうにいるカッチーも急いで手を出すが、こちらは遠慮からか羞恥からか、触れるのを躊躇っている。ピエッチェの対面に座っていたラクティメシッスも立ち上がり、
「熱はどうです? どこか具合でも悪くなったかな?」
テーブルを回り込み、ピエッチェに抱えられたクルテを覗き込む。
「イヤ、なんだ……」
口籠るピエッチェ、
「あれれ? これって?」
呆気にとられるラクティメシッス、マデルも立ち上がりテーブル越しに覗き込む。
「どうしたって言うのよ?」
オッチンネルテは心配そうに見守っている。ピエッチェがしっかりクルテを支えているのを確認してカッチーが手を引っ込めて言った。
「これって、クルテさん、眼を開けたまま……寝てますよね?」
一瞬息を止めたマデル、
「これじゃあ、子どもを通り越して赤ちゃんだわ」
そして座り直すとクスクス笑い始めた――
ピエッチェがいくら揺すってもクルテは目を覚まさない。一度はフワッと覚醒したものの、ピエッチェの顔を見ると何かムニャムニャ言いながらピエッチェの首に腕を回してしがみつき、今度は目を閉じて眠ってしまった。カッチーが、寝室を訊いてくると言って部屋を出て行った。
「昨夜、まったく寝ていないから」
なんとなくピエッチェが言い訳する。
「そう言えば、わたしも眠いや」
マデルが欠伸を噛み殺す。
ピエッチェに『気にせず食事を』と言われたラクティメシッスとオッチンネルテは黙々と食べている。オッチンネルテは優しく微笑んでクルテを見ているが、ラクティメシッスは呆れかえっている。
笑い出してから、どうにも笑いが止められないマデルは、思い出してはニヤニヤしながら二人分の料理を取り分けている。ピエッチェとクルテの分だ。
「どうせそのうちクルテは目を覚ます。そしたら言うわよ、『ピエッチェと一緒に食べたい』ってね――ほんっと! クルテって飽きないわぁ」
カッチーと一緒に来た村長がピエッチェに支えられたクルテを見て、
「こりゃ大変だ! はい、部屋は用意できてます。ついて来てください」
相変わらずの満面の笑みで言う。言っていることはありきたりと言うか普通だが、ニッコニコの笑顔では馬鹿にされているようにしか感じない。
ムッとしたものの『なに笑ってるんだ!』と怒鳴りつけるわけにもいかない。黙ってクルテを抱き上げるピエッチェ、村長について行く。マデルが取り分けた皿をトレイに乗せてあとに続く。カッチーはテーブルを見渡して、なみなみとお茶を注いだティーカップを二つ持つとマデルに続き、オッチンネルテまでワインとレモン水の瓶、それにグラスを二脚持ってカッチーに続いた。
「おーや、わたしだけ持って行く物がない」
ラクティメシッスが苦笑した――
通されたのは屋敷の裏手にあたる部屋だった。
「この部屋は雨漏りしませんからご安心を――もちろん、他のみなさんの部屋も雨漏りはしません」
ニコニコ言う村長に生返事をし、マデルたちから料理や飲み物を受け取ると、
「ありがとう――俺も少し寝るよ。心配ないから、食事の続きを楽しんでくれ」
早々に追い出したピエッチェだ。
マデルたちが食事のための部屋についた頃を見計らってピエッチェが言った。
「おい、そろそろ寝たふりはやめろ」
するとベッドに横たえられたクルテがモゾモゾッと動いた。




