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人間に成れなければクルテは永遠に生き続ける。人間である俺は寿命が来ればどんなに頑張ったってこの世を去る。残ったクルテは俺がいなくなったらどうなるんだ? クルテを一人にしないためには俺が魔物になればいい……だけどクルテはそんなことは望んでいない。むしろ、そんなふうに考えて欲しくないと願っている。
「そっか。つまり、おまえは俺に魔物になって欲しくないってことなんだな」
「なにそれ? 魔物になりたいような口ぶり」
「なりたいわけじゃない――おまえは人間に成りたいんだろ?」
するとクルテが拗ねてソッポを向いた。口の中で『あの女神、余計なことを……』と呟いている。タスケッテの森の女神がピエッチェに、クルテは人間に成りたがっていると教えたことを言っている。
ピエッチェが軽く笑った。
「だからさ、おまえは俺が人間にするし、俺も人間のままでいる。そして一緒に生きていく。それでいいよな?」
クルテは擽ったそうな顔をしたが
「どうしたらわたしを人間にできるか、見当もついてないくせに」
すぐに悲しそうな顔に変わった。
そしてピエッチェ慌てさせた。
「ザジリレンに帰るってことは、カティが王として再び玉座に座る可能性もある。もしそうなったら、次の夜明けまでに人間に成っていなければわたしは消える。朝陽を浴びれば、身体が溶ける」
「えっ? なんだって?」
今さら驚くことでもない。前にも同じようなことを言われている。
「女神との約束だよ。わたしが人間の姿でいるのは、カティを王位に戻すのが目的。目的を果たせば、人間でいる必要はなくなる」
だけど、やっぱり訊いてしまう。
「それは、本当なのか?」
「嘘を言っていると思うか?」
「……いや。思わない」
話し声が途切れた中に、すすり泣きだけが続いている。通気口が時おりゴウッと唸り、屋外の匂いと音を運んで来ていた。
「そんな顔をするな」
クルテがピエッチェから目を逸らす。
「今までも言ってきたが、わたしが無くなるわけじゃない。今の身体を維持できなくなるだけだ」
「それは……」
掠れる声でピエッチェが問う。
「空気に成ってしまうってことじゃなく?」
「空気には成れないよ。もう、空気には成れないんだ」
「どういうこと?」
「何かモノになることはできるけど、姿を消せなくなった。だからバンクルに成ったりしてる」
「おまえ、そのほうが俺が落ち着くだろうって」
「姿を消せなくなったって打ち明けたら、心配すると思った」
「どうしてそんなことに?」
ピエッチェの質問に、クルテが複雑な表情になる。悲しんでいるのか喜んでいるのか、読み取れない。
「それは、わたしが消えてしまうことを訊いてる? それとも自分の意思では姿を消せないこと?」
「姿を消せなくなった理由を訊いてる」
「んー……はっきりとは言えない。わたしにもよく判らない」
「なんにも思い当たらない? ひょっとしたら、とか」
「ひょっとしたら……人間に近付いているのかもしれない」
「それって、このままいけば人間に成れるってことなんじゃ?」
期待でピエッチェの心が弾む。が、
「ううん、それは違う」
一瞬で沈み込んだ。
「女神の娘たちの体験は生み出した森の女神に筒抜けになる」
ボソッとクルテが言った。
「わたしは少し他の娘たちとは違って、わたしが見たり聞いたりしたことだけが伝わってるらしい。わたしには純粋な化身じゃないからだって母さまが言ってた」
母さま……コゲゼリテの森の女神か。
「うん、それで?」
「わたしが人間に成る魔法が発動される条件は幾つもあって、その中のいくつかが達成されたんじゃないかな?」
「ふむ……推測なのはその条件を知らないからか?」
「知ってるものもあるし、知らないものもある」
「知ってる条件にはどんなものがある?」
「それは言えない。誰にも言わないのも条件の一つ」
廊下室のすすり泣きが、号泣に変わった。わんわん泣きじゃくっている。
「どうしたんだろう?」
ピエッチェが廊下室を見やる。
「泣いているのは女神の娘のほうだよな?」
「きっと身に抓された」
「ってことは、あの娘もおまえと似たような境遇なのか?」
「うん。女神の出す条件はいつも似たり寄ったり」
「だったら、なぜ魔物とあの娘が封印されたか、詳しく聞かせてくれないか?」
するとクルテがムッとした。
「あの二体が封印されたのは六十年前だ」
「うん、この建物ができたのが六十年前だからな」
「わたしは封印されていた」
「あぁ、その封印を解いたのは俺だ。どうやって解いたのかまでは知らないが」
フンとクルテが鼻で笑う。
「ジェンガテク湖周辺のどこかに、魔物に恋をした女神の娘が相手の魔物とともに封印されている。わたしが知っているのはそれだけだ。母さまが『可哀想よね』と同情するフリをした」
「フリなのか?」
「女神たちはね、見た目は少しずつ違うけど本質はみんな同じ。ソノンセカの女神の判断を支持してないはずがない」
「ソノンセカの女神がやり過ぎだったって後悔してるってことは?」
「そんなの判らない」
「そうか」
ついピエッチェが苦笑し、クルテがまたムッとする。
「馬鹿にしてる?」
「してないよ」
「心が読めないのは思ってたより不便だ」
「俺が信用できなくなったか?」
「そうじゃないけど……不安になる」
「人間に成ったら、心が読めなくなるんだろ? 成りたくなくなったか?」
「それはまた別の話。それに、人間にも魔力を持つ者がいる。わたしの魔力だって人間になったからって消えるとは限らない」
「ん? じゃあ、人間に成っても心は読める?」
「ラクティメシッスくらいは読めるかも」
あぁ、アイツがいたか。だけど『かも』なんだな。
「でも今ほどじゃなくなりそう。鳥や獣や植物の心はダメかもしれない」
「植物とも話せるんだ?」
「もちろん。森の女神は森に生きる全ての命と意思の疎通が可能。恵みを守る役目を果たすのに必要」
なるほどね。植物にも心があるとは知らなかった。
「なぁ」
ピエッチェがさっきから考えていることを口にした。
「ザジリレンに行くのを先に延ばしちゃダメか?」
ラクティメシッスには悪いがここで別れよう。
「おまえが人間に成れる方法がはっきりしてからザジリレンに行こう」
でもきっと、クルテはダメだと言うだろう。そんな気がした。
思った通りクルテは首を横に振った。
「言ったはずだ。カティが王座に戻るのを諦めたら、そこで終わるって」
「諦めたわけじゃない。必ずザジリレンに帰り、王座も取り戻す。もうちょっと準備を整えたいだけだ」
「ラクティメシッスの助力を得られる好機を逃して?――そんなの、森の女神は認めてくれない。放棄したと見做されるに決まってる」
「でも――」
「じゃあ訊くよ。準備するって何をどう準備する? プランなんかないよね? 問題を先送りにしたいだけだ」
クルテの指摘にぐうの音も出ない。
「でも、だけど……おまえが消えたら俺は、どうしたらいいんだ?」
項垂れるピエッチェ、クルテがそっと囁きかける。
「わたしを人間にするってさっき言ったばかりだよ?」
「うん……そうしたいと思ってる。だけど、自信があるわけじゃない」
「それに、わたしは消滅するんじゃない。もしも目の前から消えたら探して。カティならきっと見付けられる」
「探せってどこを?」
「それは言えない――見つけてくれれば、また一緒に居られる。多分、きっと」
おまえが『多分』って言うのを聞くのは久しぶりだ。今日は『きっと』が付いてるんだな。
「おまえ、姿を変えてもずっとそばを離れないんじゃなかったのか?」
「そうだよ、わたしとしてはそうしたい。でも状況が変わってきてる。自分の意思では姿を消せない。朝陽に溶けてしまったら、おそらく自分の意思で何かになることはできない」
「それじゃあ何になる?」
「それは言えない、でも、カティは知ってる。わたしがなんになるか」
「えっ? なぜ俺が知っている?」
「なにしろ探して。そして思い出して」
「あ……」
思い出せ――何度クルテに言われたことか? でも、未だに判らない。何を思い出せばいい? それにクルテが何に変わるか俺が知っているだって? 今は秘魔、変わるのだとしたら女神の娘?……違う。なぜだか判らないが、違うと感じる。
クルテが廊下室を見て言った。
「この話はこれで終わり。これ以上は何も言えない――それよりも、そろそろどうするのか決めないと」
廊下室から聞こえる号泣は少し納まってきて、嗚咽混じりに変わってきている。
ピエッチェとしては、クルテを人間にする話を打ち切りたくない。もっと話を煮詰めたい。だけどクルテはもう何も言わないだろう。今は諦めるしかない――いつの間にか忘れていたが、思い出す努力をするしかない。
ピエッチェが廊下室に目をやって言った。
「おまえが空気になれないのなら、通気口を使って誘導するのは無理だな」
「だからさぁ、心だけを解放してもダメって言ってるのに」
「あぁ、心が離れると身体が朽ちるんだったな。でも、身体に心を戻したら、二体の戦いが始まるんだろ?」
「困った……」
困ってるのはこっちだよ。いったいおまえ、どうしたいんだ?
そう言えば……
「なぁ、アイツら、笑ったり泣いたりしてるけど、これって俺たちがこの部屋にいるからなのか?」
「そうだと思うよ。彼らが検知できるのはこの会議室だけなんだろうね」
「だから会議室は封鎖されたってことか」
「奇妙な音が聞こえてくるんじゃ、閉鎖したくもなるだろうね」
奇妙な音? 笑い声や泣き声ではなく?
「廊下……廊下室の向こうの廊下に音漏れしてないのかな?」
「寝室前の廊下から行けたって、ラクティメシッスたちに言ってなかった? 音が漏れるようなら、向こうの廊下も閉鎖するよね」
コイツ、自分の寝室で聞き耳を立てていたのか。
「また笑った。わたしを馬鹿にした」
「あぁん? 聞き耳立ててるおまえを想像しただけだ。可愛いもんだなって」
「聞き耳を立ててると可愛いのか?」
「そう言うわけじゃない。意地を張ったり、素直になれなかったり……そんなときは面倒だと思うけど、なんて言うかな。そんなおまえでも許せる。そんなおまえでも可愛い。大好きだってことだ」
「よく判らないけど、まぁ、いいや」
素っ気ない口調の癖に、クルテの顔は嬉しそうだ。
会議室を使いさえしなければ実害はなさそうに思える。だったらこのままにしておけばいいんじゃないのか? だけどそれだとクルテの気が済まないのか? 二体が可哀想だと言っていたし、そうだ、クルテが二体を知っているのはコゲゼリテの森の女神から聞いたからだと言っていた。二体の救済はクルテに課せられた使命なのか?
だとしたら――この問題をスルーしたままソノンセカを離れられない。解決するしかない。




