15
言いたいことだけ言うとクルテはゼリーを口に運ぶのを再開した。ラクティメシッスがどう考えようと関係ないらしい。
ピエッチェはそうは行かない。そして、ラクティメシッスの反応を気にするのはピエッチェだけじゃない。マデルとカッチーは王太子に対する無礼と受け止めているだろう。だが、ピエッチェがザジリレン王と知っているオッチンネルテはクルテの言葉をもっともだと考えていそうだ。ラクティメシッスを冷たい眼差しで見ている。
ピエッチェやマデル・カッチーの心配は杞憂に終わる。蒼褪めたまま瞳を泳がせていたラクティメシッスがフッと力なく息を吐いた。
「わたしは……いつの間にか思い上がっていたようです」
そしてクルテに穏やかな眼差しを向け、
「ゼリー、美味しい?」
と微笑む。すると珍しく、
「うん」
クルテがニッコリ微笑み返した。カッチーが驚いてポカンとクルテを見る。
「ラスティンもゼリー食べたい?」
「自分の分はちゃんといただきました」
「それじゃ、分けてあげなくってもいい?」
「お嬢さんから貰ってしまってはピエッチェに怒られます」
ウフフとクルテが笑う。
「焼きもち妬いちゃう?」
「そう言うことです」
言ってろよ。
「ところで、どうしてわたしをお嬢さんと呼ぶの?」
「うーーん……なんとなく?」
するとクルテがニヤッとした。
「ねぇ、口先から生まれてきたって言われたことない?」
ムッと押し黙るラクティメシッス、ピエッチェが
「そうだ、金の件を話してたんだった」
慌ててラクティメシッスの気を引く。
「えっ? あぁ……そうでした」
クルテからフィッと目を逸らしラクティメシッスがピエッチェを見る。
「全額わたしが、と言うのは傲慢でした。ピエッチェを下に見るつもりなんか無かったことは判ってください」
「えぇ、言われなくても判ってる――それで……」
話し合いにクルテが口を挟むことはなかった。もちろんカッチーやオッチンネルテも黙っている。時どきマデルが質問したり提案することはあった。
結局、食費を含めた路銀は二日間ピエッチェが支払い、三日目はラクティメシッスが負担する。その繰り返しで行こうと決まった。人数で割った結果だ。ピエッチェたちは四人、ラクティメシッスはマデルと二人で配分した。食べたり飲んだり、宿泊した部屋の差額は気にしないと言う事で手を打っている。
ラクティメシッスは不満そうだったが、マデルに『妥協するのも大事よ』と言われて黙った。クルテの花と菓子や果物は別、これはピエッチェが譲らず、やはりマデルが『こっちも個人的に食べたいものとかは勝手に買うわ。互いに差し入れたり分け合ったりしても文句は言わせない』の一言で片付いた。
たらたらとゼリーを楽しんでいたクルテが
「お腹いっぱい、ごちそうさま」
とピエッチェを見上げたのは、話し合いがまとまったタイミングだ。もの言いたげにピエッチェを見ている。
「どうかしたか? 何か問題点でも?」
ピエッチェとラクティメシッスの合意に不満でもあるのだろうか?
「ううん。お腹いっぱい。だから腹ごなしがしたい」
へっ? 腹ごなしってなんだよ?
ニヤッと笑ったクルテが立ち上がり、ピエッチェにも立つよう腕を引っ張った。
「カッチー、何か歌って。オッチンネルテでもいいや」
「おい、何するつもり?」
「星がきれい。踊るのにいい夜」
「あ?」
抱き着いて来たクルテに戸惑うピエッチェ、見交わすカッチーとオッチンネルテ、歌唱を引き受けたのはオッチンネルテだ。
オッチンネルテが選んだのはザジリレンの古い民謡、ゆったりと踊るのにちょうどいい。
「あら、いい声ね。なかなかのもんだわ」
マデルが微笑み、ラクティメシッスが立ち上がる。
「わたしたちも踊りましょう」
もちろんマデルが断るはずもない。
仕方なく、クルテにあわせてステップを踏むピエッチェの頭の中でクルテの声がする。
(ラクティメシッスはなぜわたしを『クルテ』と呼ばないんだろう?)
そんなこと、俺に訊かれてもなぁ……
(正直者はオッチンネルテだけ。本当の名を名乗っているのは彼だけ)
そう言われればそうだ。ラクティメシッスはラスティン、マデルも本当はマデリエンテ、俺はカテロヘブだし、クルテは本当の名を言おうとしないから、俺だって知らない……そうだ、カッチーからも本当の名を明かして貰ってない。
(クルテって呼ばれないと何か不都合があるのか?)
ピエッチェの問い掛けにクルテが苦笑した気がした。
(お嬢さんって呼ばれるのが気持ち悪いだけ)
(じゃあ、名で呼べって言おうか?)
(いや、考えてみるとそれはもっと気持ち悪そう――今のままでいいや)
なんだよ、それ?
(しかし、なんで急に踊りたいなんて言い出したんだ?)
(あぁ、それはね、オッチンネルテが歌いたいって思ってたから)
(オッチンネルテが?)
(いい感じに酔ったって。ザジリレンではそろそろ歌い始める頃だって)
(酔うと歌い出すタイプか)
(怒ったり泣いたりよりはよっぽどいい)
そりゃそうだな。
オッチンネルテが歌い終わると
「あと二曲は歌って」
と、クルテが強請る。するとマデルも、
「そうね、あと二曲くらいは踊りたいわ」
と笑う。
「いやぁ……わたしはザジリレンの民謡しか知らないんですよ。それでもいいんでしょうか?」
遠慮がちだが表情は歌いたそうなオッチンネルテ、
「ザジリレン民謡なんですね。初めて聞きました」
ラクティメシッスが呟くと、
「つまり、もっと聞きたいって意味よ」
マデルが意訳するがちょっと無理がある。もっとも、それを否定するラクティメシッスでもない。
二曲目もゆったりとした曲、歌詞は戦地に赴いた恋人に会いたいと訴える女心、少ししんみりしているが却ってそれが踊る男女の仲を深めそうだ。抱き合ってステップを踏む二組を
「いいなぁ……俺も女の子と踊ってみたい」
カッチーはちょっと拗ねて眺めていた。
うっとりと身体を預けてくるクルテに疚しいことを考えそうになる自分を抑えるピエッチェ、ステップを踏み間違えそうだ。が、先にステップを間違えたのはクルテだった。
「ん?」
ステップを間違えるどころか、クルテの足元は覚束ない。
「おいっ!」
つい声を上げたピエッチェにオッチンネルテの歌が止まる。
「すまん、気にせず続けてくれ――くそっ! コイツ、どうやったら踊りながら眠れるんだ!?」
慌ててクルテを支えるピエッチェに、カッチーがケラケラ笑いだす。
やはりステップを止めたラクティメシッスにマデルが、
「いつものことだから気にしないでいいわ」
と笑う。
「クルテ、お腹がいっぱいになると、すぐ眠くなるのよ」
「イヤ、それにしても、随分いきなりなんですね」
「そ、いつもいきなりストンと寝ちゃうの」
マデルはクスクス笑うが、ラクティメシッスは驚けばいいのか呆れればいいのか判らないようだ。クルテを連れて寝室に向かうピエッチェを茫然と見送っている。
「彼はずいぶん彼女に手を焼いているんじゃ?」
「そうかもね。でもね、それでもピエッチェはクルテが好きなのよ――兄さんと同じなのかもね」
「チューベンデリと同じ? 判るような判らないような?」
「じゃあ、わたしがあなたを好きなのと同じって言えば判る?」
「へっ? ますます判りません」
「じゃあ、手のかかる子ほど可愛いってのは?」
「あぁ、それなら判ります」
ニコッと笑ったが、次には
「ちょっと待って、それってわたしも手がかかるってことですか?」
情けない顔になるラクティメシッスにマデルが、
「なんだ、自覚がないのね」
と、また笑う。そしてオッチンネルテが二曲目を最初から歌い出し、マデルがラクティメシッスに寄り添った――
そして夜は更けていく。
クルテがぐっすり眠っているのを確認してからバスを使ったピエッチェがベッドルームに戻ってきた。クルテはやっぱり眠っている。その傍らに腰を下ろしピエッチェが深い溜息を吐く。
寝入る寸前ピエッチェの頭の中に話しかけた来たクルテ、その声を思い出すとそのまま眠れるとは思えなかった。
ねぇ、このままベッドに行こうよ――
眠かっただけだと今になれば判る。だけどその声を聞いた時は違う意味にとってしまった。おまえが望むなら、俺はいつだって……
いつだって生涯を誓う。おまえ一人だと誓える。いいや、誓いたい。そしておまえを知りたい。俺を知って欲しい。まだ知らない喜びを分かち合いたい。
あの時、一瞬で心に火が付いた。その火はクルテが眠ってしまってもなかなか消えてくれなかった。心を落ち着かせるだけでは無理だった。
今まで何度、クルテが眠っているのを確かめてからバスを使っただろう? 身体を清めるためのバスルームで、心と身体が穢れたような気分になる。
もう一度溜息を吐いてクルテを見る。何か夢を見ているのか、ニマッと笑んだ。ピエッチェの顔にも笑みが戻る。起こさないよう気を付けて、ピエッチェもゆっくりとベッドに潜り込む。そしてそっとクルテを抱き寄せた――
翌日は曇り空、気温は低そうだがじめじめしていた。
「雨、降りますかねぇ?」
食事の席でカッチーが呟いた。ダイニングで、六人揃っての朝食だ。
「どうでしょう……できれば明日は降って欲しくないな」
ラクティメシッスがカッチーに答える。今夜はソノンセカ泊、明日は封印の岩を超える予定だ。
「そう言えば、タスケッテの道具屋が雨を言い当てた」
クルテの茹で卵を剥きながらピエッチェが不思議そうな顔をする。
「その時は雲ひとつないいい天気だった。それなのに『明日は雨』って。で、その通り雨が降った。なんで判ったんだろう?」
ラクティメシッスとマデルが顔を見交わす。
「風読み人、だったのかも」
マデルが言った。
「ローシェッタ王家には風読み人って言うのがいてね、昔からたまに生まれるの。たまぁにだからザジリレンの人は知らないかもね。でも、まぁ、フレヴァンスがそうよ」
「でも、街の道具屋だぞ?」
「先祖が王族じゃなかったって言いきれないでしょ?」
僅かに残った王家の血が能力を目覚めさせる……あるかもしれない。
「それで、その風読みって?」
「そのものずばり。風がどっちから、どれくらいの強さで拭くかがなぜか判っちゃうの。で、ついでに少し先の天気も判っちゃう。昔は種を蒔いたり収穫の日を決めるのに役だったみたい。だけど稀にしか生まれないから、いつの間にかそんな能力があることすら忘れられちゃった」
ふっとラクティメシッスが笑う。
「フレヴァンスがなぜか温和しい日って、必ず翌日に雨が降るって気がついてましたか?」
マデルに問いかける。
「そうそう。昔は雨が好きだったわ」
「あれ? マデルはフレヴァンスが嫌いだった?」
「違うわ。そんな時はね、凄く可愛かったのよ」
マデルが懐かしそうに遠い目をした。




