13
ピエッチェが軽く笑う。
「言われてみればそうだな。まぁ、いいじゃないか。せっかく乗せたんだ、おまえのはそこに乗せとけ」
「……マデルのは貨物台でいいよ」
気まずげなクルテ、手にしていたロープをポンと投げた。ロープはスルスルとキャビンの屋根に伸びていき、キャリーの留め具を行ったり来たりしてクルテの衣装箱を固定していく。
クスッと笑ったラクティメシッス、
「ところで」
とピエッチェに向き直る。
「宿の払いをしようと思ったんですけど、清算済みだと言われました」
「あぁ……厩に行く前に払ったよ」
それがどうした? ピエッチェが怪訝な顔をする。
「わたしとマデルの分まで?」
「連れの分も一緒でいいかって訊かれたから、いいぞって答えた」
「なんで!?」
「なんでって……どうして?」
「訊いているのはわたしだ!」
ラクティメシッスの怒声を初めて聞いた。『この男、怒鳴ることができたのか』とピエッチェがポカンとする。いや、そうじゃなかった。
「なんで怒ってる?」
「怒るに決まってる! 旅に出るのにわたしが路銀を用意していないとでも!?」
「あっ?」
なんだ、そんな事か。どうやらラクティメシッスのプライドを傷つけてしまったらしい。ついニヤッとしてしまったピエッチェ、それが余計にラクティメシッスを怒らせたようだ。
「レストランの払いもそっち持ちだった。初日だったし、これくらいならと黙っていたが、もう黙っていられない。わたしに施すつもりか!?」
「そんなんじゃない。ただ俺は――」
「自分が上に立った気でいるなら大間違いだ。ふざけるな!」
「だから――」
「なんでも、ララティスチャングに着くまで、マデルの分もあんたが出したらしいが、それもわたしがきっちり返す!」
「イヤ、それはマデルとの――」
「マデルを呼び捨てにするなっ!」
「いい加減にしてっ!」
マデルの金切り声、
「クルテが怯えて震えてるじゃないのっ!」
ハッとしたピエッチェとラクティメシッス、見るとマデルの背中にしがみついたクルテは顔面蒼白だ。
「クルテ……」
慌ててピエッチェがクルテに駆け寄る。クルテがしがみ付く相手をピエッチェに変えた。ぱぁっと明るくなるクルテにホッと微笑むマデル、が、次にはくるりと振り返ると、
「あんた、王都に帰りなさいっ!」
ラクティメシッスに詰め寄った。
「わたしはね、ピエッチェとクルテとカッチー、この三人に救われたの。三人に酷いことを言うあんたなんか大っ嫌い!」
「マ……マデル?」
今度はラクティメシッスが青くなる。
「イヤ、ちょっと待って。誤解だから」
「言い訳なんか聞きたくない、さっさと消えろ!」
見かねたピエッチェが
「マデル、ちょっと落ち着いて」
口を挟むが、
「ピエッチェはクルテを慰めてればいい。黙ってて!」
ラクティメシッスを睨みつけたままピエッチェを見ようともしない。そんなマデルを止めたのはクルテだ。
「マデル、怒っちゃイヤ」
ピエッチェの腕の中から涙目でマデルを見ている。
「あ……」
「誰も怒らないで。怖いし悲しい」
ピエッチェがクルテを抱き締めて、頬を摺り寄せる。クルテは小刻みに震えている。雷を怖がっている時と同じだと思った。雷鳴が引き起こす振動で、心と身体が震えて消滅しそうだと毛布に包まって震えていた――強い感情は勝手に流れ込んでくる。ギュリューではレムシャンの激情にも震えていた。怒りの振動が押し寄せてくるのを自分じゃ防げない。
ピエッチェが深く息を吐いた。
「大丈夫、もう誰も怒ってない。雷は去った」
「うん……」
すっかり毒気を抜かれたマデルは心配そうにクルテを見、ラクティメシッスは忌々しそうだがそれでも黙っている。
クルテを抱き締めたまま、ピエッチェが静かに言った。
「……金のことは配慮が足りなかった。悪気はなかったんだ。あとでどうするのかじっくり話し合う。だから、今は馬車に乗ってくれ。先を急ごう」
ピエッチェの言葉に、カッチーが動き、先に乗るようオッチンネルテを促した。そして自分もキャビンに乗り込んでいく。マデルとラクティメシッスの荷物は貨物台に乗せ終わっていた。
ラクティメシッスはマデルの顔色を窺ったが、フンとソッポを向いただけでマデルはタラップを上った。ホッとした顔でラクティメシッスもキャビンに乗り込み、魔法を使ってタラップを貨物台に乗せ、キャビンのドアを閉めた――
クルテは御者台に乗り込むと左腕に絡みついて離れなかったが、今日はピエッチェも苦情を言わなかった。どうせキャビンを牽いているのはリュネ、手綱さえ持たなくていいくらいだ。それでも念のためと、他人の目を気にして右手で手綱を握ったが、左では時おりクルテの肩を抱いたり頬を撫でたりしていた。擦れ違いざま、口笛を吹いて揶揄ってくるヤツもいたが気にしなかった。
途中の街で休憩のためサロンに寄った。その頃にはマデルとラクティメシッスも仲直りしていた。カッチーが
「ラスティンが平謝りしたんです」
ニヤつきながら、こっそりピエッチェに耳打ちした。
「オッチンネルテはずっと寝たふりしてました」
一番の被害者はオッチンネルテかもしれない。
止めることも、どちらかの肩を持つことも、もちろん意見することもできない。家臣の前で姉弟喧嘩をするなと父によく怒られていたことを、なぜか思い出して懐かしく感じた。
クリオテナとはよく言い争いになった。言い争いと言っても、一方的にクリオテナがガミガミ言っていたような気がする。その原因が何だったのか、考えたが一つも思い出せない。思い出せないほど些細なことだった……感情的になっていたってことか。日常に起きる小さな言い争いなんて、言い争う価値さえないのかもしれない。
モリモステについたのは夕刻だ。
「先に花屋に寄る」
クルテがポツリと言う。どう言うわけかクルテの花籠は枯れ切ってしまっていた。出発の際、御者台に置いた時はまだまだ綺麗だったのに不思議だ。
最初に花を欲しがったのは、グリュンパから魔物の森を抜けてギュリューに向かう直前だ。あの花は魔物の森の女神への捧げ物に使って手元に残らなかった。
それからもクルテは花を欲しがり、気が付くと絶やさなくなった。夜は寝室のどこかに置き、昼間は許される限り持ち歩いている。馬車では御者台の足元に置いたり膝に乗せたりで、眺めてはニマニマしている。花を『生きていくのに必要』とクルテは言い切ったが、知り合った頃はそうじゃなかった。
最初は男か女かも判らない、そんなクルテが今ではどう見たって女にしか見えなくなった。それは男物の衣服を着てても変わらない――きっと、顔つきが変わったからだ。
中でも目つきが全く違う。冷静と言うか冷たいというか、そんな目つきが柔らかなものに変わっている。いつから? それは判らない、いつの間にかとしか言えない。
体つきも変わってきた。ギスギスした感じだったのに丸みが出てきた。これは成長したってことで納得できる。
七百年も封印され続け、やっと解放された。解放はある意味、成長の始まりだったのかもしれない。心と人間としての身体、クルテはどんどん成長しているのだろう。その中で、花を必要不可欠なものの一つとして選んだ言う事か?
花籠を作って貰うついでに枯れてしまった花籠の処分を頼むと快く引き受けてくれた。
「美味しいお菓子のお店、知らない?」
クルテが花屋に訊いている。
「このあたりじゃココットさんのところだね。桃の瓶詰が一番人気。秋口には売り切れちゃうけど、今ならまだ間に合う」
「他にはどんなものがあるの?」
「ピーチパイにドライピーチのクッキーやケーキ、かな」
「桃ばっかり?」
「店の裏を桃畑にしてるから安く桃が手に入る――もちろん一般的なお菓子も置いてるよ」
場所を訊くと宿泊予定の宿のすぐ近くだ。
馬車に戻り御者台に上ると花籠をニマニマ眺めながら
「桃ポン桃ポン、桃の花はポンポン」
クルテが久しぶりに歌い始めた。
「ポンポン咲いて散ってもポンポン。桃の実もポンポン」
調子っぱずれってわけじゃないが、クルテの歌はいつもどこか可笑しい。ピエッチェがニヤニヤするのを見てクルテが嬉しそうに笑んだ――
花屋を出るとすぐに宿に行った。往路と同じ宿だ。今回は空いていて、一番広い十人用の部屋も空いていた。広い居間付きだ。十人部屋のほかは六人・四人・二人・一人用とあるがどれにすると尋ねられ、ピエッチェがラクティメシッスを見る。
「いつもはどうしているのですか?」
「俺とクルテは同じ部屋、カッチーとマデルは一部屋ずつ必要だけど、別々の部屋より一緒がいいからできれば同じ部屋。なんで六人部屋を選ぶ。けど、今はオッチンネルテもいるから迷わず十人部屋になるね。部屋が余るのは仕方ない」
居間付きの部屋の寝室は二人用だ。
「十人部屋となると寝室は五室……ふむ、わたしも一緒なら寝室も余らない。いいでしょう、そこにしましょう」
宿賃の配分計算が面倒そうだと思うものの、それをここでは言い出せない。ラクティメシッスの言うとおり十人部屋を頼んだピエッチェだ。
部屋は一階、広い居間が自慢と宿の受付が言っていたが、ソファーとダイニングテーブルが二セットずつ置かれ、十人で利用するとなればこんなもんだろうと思った。入り口のドアの前に衝立が置かれているだけだし、調度も特別豪華と言うわけでもなかった。
居間に続くドアが五枚、その奥のバスルーム付きの寝室はベッド二台に小さなテーブルと椅子が二脚、鏡台にスツールと他の宿と変わり映えない。けれど、居間のどん詰まりはテラス窓になっていて外に出られた。居間と同じくらいの広さのテラス、さらに庭に降りられる。
「一階のお部屋はここだけなんです。お庭はお客さまたちの貸し切り、お望みならお食事をテラスで召し上がることもできますよ」
宿の案内係が、テラスを喜ぶクルテを見て微笑んだ。
夕食はテラスに運んで貰うことにした。
「食事の用意ができる頃は星空になっていそうね」
マデルが茜色になりつつある空を見上げて言った。
「あっ! お菓子屋が閉まっちゃう!」
たいていの店は日没と同時に閉店だ。運び込んだ荷物の片付けもそこそこにピエッチェの手を引っ張ってクルテが部屋を出て行った。
「お菓子?」
首を傾げるラクティメシッスにマデルが笑う。
「クルテの主食はお菓子と果物なのよ」
「なるほど、甘いものが好きってことですね。だからピエッチェもお嬢さんを甘やかしてばかりなのかな?」
「ねぇ、ラクティ。そんなにクルテとピエッチェが気に入らない?」
「っと、ごめん。二人に干渉しないって約束したんでしたね」
「わたしはね、健気なクルテを応援したいのよ」
怒り気味なマデルを複雑な顔で見るラクティメシッスだった。




