12
クルテ以外は食べ終わっていて、お茶を楽しんでいるところだった。キュウリの青臭い匂いが漂ってくる。
「いったい俺の何を心配してくれてるんだか知らないが」
ややあってピエッチェが言った。ラクティメシッスはローシェッタの女神伝説を鵜呑みにしているとクルテは感じていたようだが、きっとそれは正解だ。
「干渉されたくないというのが正直なところだね」
お道化た表情で肩を竦め、ラクティメシッスが
「だ、そうです」
マデルを見るが、フンッと顔を逸らされて苦笑する。
「まぁ、とにかく用心してください。何かあれば助力しますから」
って、いったい何を用心しろって言うんだ? けれど、そうは訊けない。この男はクルテの正体を平気で口にしそうな気がする。
ところがカッチーが、
「いったい何を用心しろと仰るのですか?」
怒ったような口調で言った。するとラクティメシッス、
「大人の話ですよ。あれ? 違うか。子どもの話なのかな?」
含みを持たせてニヤリと笑う。少し考え込んだカッチーが、ハッとして真っ赤になった。ピエッチェが
「あんまり揶揄うもんじゃない」
と、これは軽くラクティメシッスを窘めた。
ラクティメシッスが話をすり替えたのは判っていた。大人の話うんぬんは、きっと『妊娠に気をつけろ』と言う意味だ。だけどカッチーにそう思わせたかっただけで、そんな話をしていたわけじゃない。
ラクティメシッスはピエッチェに、『おまえは女神の娘に誑かされているぞ』と遠回しに言っている。そうじゃないと否定したところでラクティメシッスは理解しようとすらしないだろう。理解して欲しいとも思わない。自分とクルテの関係は誰かに理解して貰わなきゃならないものじゃない。
今のところラクティメシッスに、クルテの正体を暴く気はなさそうだ。それにはホッとした。しかし時間の問題なんじゃないか?
いずれヤツはクルテの正体を暴く気だ。そしてそれが同盟国ザジリレンの王を守ることになると信じている。だからローシェッタ・ザジリレン両王家の転覆を企てる連中を突き止め断罪し事が治まったら、ラクティメシッスはクルテを放っては置かないはずだ。
「ふぅ、お腹いっぱい」
やっと食べ終えたクルテがお茶を飲み干して言った。
「ブドウ、食べきれなかった。食べて」
一粒残ったブドウをピエッチェの口元に持ってくる。
ラクティメシッスが絡み始めてからずっと心で話しかけているのに、クルテは反応しなかった。食べるのに集中しているとよくあることだが、今朝は夢中で食べるようなメニューじゃない。
(大丈夫。なんとかなる)
クルテの声がやっと聞こえた。頭の中でだ。
(ラクティメシッスはカティを守りたいだけ。それはわたしも同じ。だから何も心配しなくていい)
クルテが口に入れてくれたブドウはピエッチェには甘すぎた――
朝食のあと、ラクティメシッス・マデル・カッチーは旅支度を整えるからと、いったん自室に戻っている。出立予定時刻までに宿の前に馬車を回す。そこでの待ち合わせにした。
リュネの世話のため、ピエッチェとクルテは早めに部屋を出ている。手伝いたいだろうとカッチーに声を掛けて一緒に厩に行った。
「キャビンに乗るのは気が重いです」
リュネの身体を藁で擦ってやりながらカッチーがボヤいた。気が重いのはラクティメシッスのせいだと判っていながらピエッチェが言った。
「オッチンネルテは打ち解けてくれないのか?」
「えっ? あぁ、やっと王さまのふりをしなくって良くなったんで肩の荷が下りたって言ってました……ずっと夢を見ていた。気が付いたら目の前にピエッチェさんがいて、カテロヘブ王に間違われてたって聞いてびっくりしたって」
オッチンネルテには目が覚めてからもカテロヘブ王を演じるよう命じていた。そのことはマデルとカッチーには言っていない。明かしていい時が来るまで、秘密を知る人数はたとえ味方でも最小限にとどめるのが常道と言うものだ。
「ジランチェニシスの手前、カテロヘブ王のふりをして欲しいって言われた時は腰を抜かしそうだったって。いつバレるかと生きた心地がしなかった、なんてことを言ってました。今まで偉そうにしていて申し訳なかったって、俺、謝られちゃいました。でもね、やっぱりラスティンがいるから遠慮がちでした」
打ち合わせ通りのことをオッチンネルテはカッチーに話したようだ。それはキャビン内で、つまりラクティメシッスとマデルも同じ話を聞いている。
ピエッチェが苦笑する。
「結局、どうしてカテロヘブ王に間違われたのかは判らずじまいだ。ジランチェニシスはオッチンネルテをカテロヘブ王だって信じてたから聞いても無駄だろうからな」
「ザジリレンに行くから、故郷まで送るって言って貰えたって。凄くピエッチェさんに感謝してましたよ。でも、貴族に仕えてたんだけど、戻ってまた雇って貰えるのか心配してました」
「そうだよなぁ。本人に記憶がないから出奔した理由を説明できないし、難しいかもしれないな。だけど、今回の仕事で役に立てばラスティンが口をきいてくれるんじゃないかな?」
「ラスティン……」
カッチーの表情が曇り、ピエッチェが『しまった』と思う。せっかく話を逸らしたのに、迂闊にも自分で戻してしまった。
カッチーが忌々しげに言った。
「なんでピエッチェさんとクルテさんのこと、あんなに妬くのかなぁ?」
そっか、カッチーはそう受け止めてたか。
「自分にだってマデルさんがいるのに、しかもそのマデルさんの前でクルテさんを気にするなんて最低ですよね」
「うん?」
ラクティメシッスはクルテに気がある? そんな発想はなかった。
「マデルさんが可哀想だし、クルテさんとピエッチェさんにとってはいい迷惑ですよね――キャビンではマデルさんにベッタリで目のやり場に困るくらいなのに」
「ラスティンがクルテに? それはないんじゃないかな。マデル一筋だろ?」
「俺もそう思いたいです。でも、さっきのってクルテさんのことが気になってしょうがないって感じでしたよね。ピエッチェさんを心配してるなんて言って、誤魔化してたけど」
確かに誤魔化してたけど、誤魔化したのはそこじゃない。だけどカッチーには言えないことだ。
「なにしろ、クルテさんに近付けちゃダメですよ。クルテさんがアイツにフラッとなることなんかないけど、アイツがどんな手を使うか判らないですから」
「それは心配し過ぎだよ」
「いいえ! みんながみんな、ピエッチェさんみたいに善良って訳じゃないですから!」
俺は善良なのか……なんとなくカッチーの信頼が痛い。確かに悪事を企んでいるわけじゃないけれど、騙してないわけじゃない。
(騙してるわけじゃない。打ち明けてないだけだよ)
クルテの声が頭の中で聞こえた。
クルテはピエッチェとカッチーがリュネの世話をしている間、なぜかリュネの首に抱き着いたまま動かずにいる。リュネと何か話しているんだろうか? そんな気がしていたピエッチェだ。
ピエッチェの視線を追ったカッチーが、クルテを見てニッコリする。
「クルテさん、リュネはぬいぐるみじゃありませんよ」
ウフフと少し笑ったがカッチーには答えず、クルテはあっちを向いてしまった。リュネがクルテの頭を鼻で撫でる。なんとなく慈愛と言う言葉を思い浮かべた。
「そう言えば、凛りしい顔したクマのぬいぐるみ、あれ、どうしたんですか?」
「あぁ、あれか。あれはクルテの衣装箱に入ってる」
カッチー、ごめん。やっぱり俺は善良って言えないや……クマのぬいぐるみはクルテのサックの中だ。でも、そうとは言えなかった。どうしてあの大きさのぬいぐるみがあのサックに入ってしまうのか? 魔法だと言えば済む話だけれど、どんな魔法か訊かれると、特にマデルに訊かれると厄介だ。だから咄嗟に衣装箱に入っていると言ってしまった。下着が入っているかもしれない衣装箱の、中を見せろとは言わないはずだ。
キャビンに不具合が無いか点検すれば、準備完了となる。
「おい、クルテ。行くぞ」
カッチーがキャビンに乗り込み、すぐ使うタラップもキャビンに乗せた。
「おい、クルテ」
リュネがクルテの頭をそっと小突いた。
「ん? もう終わった? 気持ちよく眠ってたのに」
立ったまま寝てたってか?
ふらふらしているクルテの後ろに立って、御者台に乗り込むのを見守ってからピエッチェも御者席に上った。
宿の表に馬車をつけると、約束の時刻はまだだがオッチンネルテが待っていた。他を待たせてはいけないと早く来ていたようだ。
キャビンからタラップを降ろしセットするとすぐにカッチーが降りてきた。
「なんか、今日も暑くなりそうですね」
「そろそろ夏本番か」
「クルテさんに貰った扇子が活躍しそうです」
「あ、あれ、まだ魔法の効果は続いてるか?」
「え? どうでしょう? あんまり使ってないから何とも……魔法って効き目が切れるもんなんですか?」
「いつまでも効果があったら、道具屋が儲からないからなぁ」
「そう言うことなんですね」
カッチーが自分の荷物から扇子を出してパタパタと煽り始めた。
「うん、まだ風は涼しいです。でも、なんか、前よりは冷たくないかも」
いっぽうクルテは御者台で立ち上がり、キャビンの屋根を調べていた。
「どうした、屋根が気になるのか?」
ピエッチェが声を掛ける。
「貨物台、もういっぱいだから屋根にも乗せる」
「あとはラクティンとマデルの分だけだぞ?」
「食料とかはどうする?」
そっか、まだ増えるってことか。
「わたしの衣装箱とマデルの衣装箱を屋根のキャリーに乗せよう。落ちても汚れるだけ」
「食料は重いしな。それじゃ、持ってくる――カッチー、手伝え。クルテは降りてこい。カッチーと交代」
ピエッチェが貨物台でクルテの衣装箱を降ろそうとするとオッチンネルテが飛んできた。
「お手伝いします!」
ピエッチェから衣装箱を受け取ろうとする。
「あぁ、大丈夫だ――キャビンに乗って座ってるといい」
「そんな……わたしにも何かさせてください」
そっか、見てるだけじゃ居心地が悪いのか。
「じゃあ、こっちの箱を持ってきてくれ」
「はいっ!」
クルテと交代して御者台に立っていたカッチーに箱を渡すと、カッチーがキャビンの屋根のキャリーに乗せる。をれを眺めていたクルテ、手にしているのは荷物止めの細いロープだ。クルクルと先端を回している。
「あ、マデル! 衣装箱はこっち」
時刻通りにラクティメシッスとマデルが現れる。
「屋根に乗せるの?」
「そ。貨物台の空いたところは食料用」
「それって、明後日でも良かったんじゃ?」
そう言ったのはラクティメシッスだ。
「今夜、また降ろすんでしょう? 食料を買い込むのは明後日ですよ」
「あ……」
クルテが息を飲み、恐る恐るピエッチェを見た。




