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クルテがニヤッと笑い、
「僕はさ、あの庭はこの宿の庭じゃないってことなんじゃないかと考えてるよ」
と言った。
「うん? 意味がよく判らんぞ?」
ピエッチェの指摘に、
「踊り場の窓から見える庭と、一階の階段前の扉から出た庭は別の場所だってことだよ。そしてこの宿の本当の庭は踊り場の窓から見えている庭だと思う」
と説明した。
「相手は魔法使い、魔法を使ったんだ。つまり魔法で階段下の扉を、どこかの庭に繋げた……どう思うマデル?」
なんでマデルに意見を求めるんだ? 面白くないピエッチェだが、これと言って何を言っていいか判らないので黙っておく。
「そうね、そう言われるとなるほどって思うけど、宿の庭じゃないとしたらどこなのかしら?」
「多分カジノのある建物の庭……かなぁ? そこはよく判らない。ピエッチェとカッチーが食堂に入れなかった時に見えた庭も同じ庭だって話だったね。案外、どこにあるか判らない地下室ってのに繋がってるのかもしれない」
「地下室も実はこの宿の中じゃないってこと?」
「はっきりそうだとは言いきれない。加えて、カジノと地下室が同じ建物の可能性もある――建物の中に入れればはっきりするのに」
「どこの庭だか探しましょうか?」
と、これはカッチーだ。
「庭は高い塀で囲まれてたよね? 外から覗き込むのは実質無理だし、あてもなく街中探すのは効率が悪いよ」
クルテが優しく諭すように言った。
「それじゃあ、庭じゃなくてカジノを探すか?」
「どうやって? ピエッチェ、考えなしに提案するなよ」
「宿の庭には入れない。だけど入れる庭があるなら、そこで建物を探したらいいんじゃないのか?」
やっぱり俺には冷たいと凹むピエッチェ、拗ねるように言った。
クスッと笑ったクルテが、
「そう単純に行けばいいけどさ、さっき庭に出た時、塀以外は宿の建屋しか見えなかったよね? それともピエッチェには別の建物が見えた?」
と馬鹿にしたように言う。
「それじゃあどうするの、クルテ?」
マデルがピエッチェを庇うわけではないだろうが横から口を挟み、クルテの注意を引いた。
「そうだねぇ……まぁ、宿の庭に無理やり突入する方法がないわけでもない」
「それって?」
「宿の庭が見えてるところから入ればいいのさ」
ニヤッとクルテが笑った。
と言うわけで、翌朝――
「ふざけんな!」
ピエッチェが窓の踊り場で呻いた。
「窓から飛び降りろって? 下は花壇だかなんだか知らないが、滅茶苦茶ごつごつした石がごろごろしてるんだぞ? 足場が悪すぎるだろうが。下手すりゃ足の骨を折るぞ。よくて捻挫だ」
「ピエッチェなら心配いらないよ」
無責任にクルテが太鼓判を押す。
「丈夫だもん」
すでに朝食を終え、暫く時間が経っている。他の宿泊客はそれぞれの目的のため、宿に居残ってはなさそうだ。
さらにクルテがピエッチェを煽る。
「それとも何? 英雄ピエッチェがこの程度の高さを怖がってるの? そんなはずないよねぇ?」
マデルとカッチーには部屋で待つよう言ってある。踊り場にはピエッチェとクルテだけだ。
「そりゃあ俺だって、下がもう少し平坦なら、せめて着地点の様子が判りゃあ、飛び降りようって気にもなる。でも、見る限り草が生えてるし庭石もごろごろしてるんじゃ、無事でいられると思えない」
窓からクルテが下を覗き込む。
「庭石って言うより、ロックガーデンってやつだね。岩石を積み上げて、より自然に近い形の植栽にしてるんだよ」
「庭石だろうが、岩石だろうが似たようなもんだ」
「いや、庭石ならそこに降りなきゃいいだけ。ロックガーデンだとどこに降りてもデコボコで、しかも崩れる可能性が高い。危険だね」
「おいッ!」
「怒るな。わたしがおまえに怪我をさせるわけがないだろう?」
いきなりクルテの雰囲気が変わる。秘魔の本性を現したと感じるピエッチェだ。
「仕方ないな――わたしが梯子に化けてやる。それを使っておまえは庭に降りろ」
「なんだよ、そんなことができるなら始めからそうしろ」
「いや、できるかどうかは未知数だ」
「えっ?」
「扉の向こうを別のところに繋げるってのは高等魔法だ。相手の魔法使いはやり手、梯子に化けたわたしを魔物だと見抜くかもしれない」
「見抜かれたらどうなる?」
「うーーん、まぁ、あまり楽しいことにはなりそうもない。大抵の人間は魔物を目の仇、早い話、駆除対象と見る」
「でもクルテ、おまえ、姿を消して回避できるんじゃ?」
「ピエッチェを乗せたまま消えていいのか? わたしが消えたらおまえは?」
「あ……」
確かにクルテの言うとおりだ。急に消えられたら、足場も掴まりどころもなくなり落下するしかなくなる。
「そう言えば、シャーレジアもおまえが魔物だと見抜いたんじゃないのか?」
「あぁ、そうだな。あのジジイ、わたしを脅した。フン! 脅し返されてビビるなら最初から脅すな」
「うん? おまえ、アイツを脅したのか?」
するとクルテがフフンと笑った。
「わたしを誰だと思っている? そして誰でも、なんとしてでも他人に知られたくない秘密を一つや二つ持っている――ピエッチェ、おまえだってそうだろう?」
「ん、まぁ、俺のことはどうでもいい。なぁ、あのマデルって女も脅して追っ払ちまえよ」
「随分マデルを嫌うんだな」
「いや、なんか目障りって言うか、なんて言うか……あの女の秘密は旨いのか?」
またもクルテが鼻で笑う。
「妬くなピエッチェ、おまえの秘密も負けず劣らず美味だ――マデルのことは我慢しておけ。秘密を食らうとかでなく、アイツは利用価値がある。必ず役に立つ」
「その利用価値ってのも、どうせ彼女の秘密に関係してるんだろう?」
「そんなところだ――で、どうする? 飛び降りる? わたしが梯子になる?」
ピエッチェが窓から身を乗り出すように外を見る。よくよく見れば昨日、階段前の扉から出た庭とは明らかに違う。あの扉からはきっとこの庭に出ることは叶わないだろう。そして、庭に降りないという選択肢はなさそうだ。
「この庭に、昨日の扉はないんだろうな……」
ピエッチェが呟いて、クルテを見る。
「帰りはおまえが梯子になって、この窓に戻ってくることになるのは確実だな」
「庭に降りて無事で居られればそうなるね」
「無事では居られない確率は?」
「そんなの相手次第、あるいはピエッチェ次第」
ピエッチェが考え込んだ。そして溜息を吐いた。
「少なくともマデルの指輪を回収しよう。母親の形見の指輪を失うのはさすがに可哀想だ」
「マデルの指輪なんて、最初からないよ」
「えっ?」
クルテの言葉にピエッチェが目を丸くする。
「形見の指輪を落としたってのは嘘?」
「庭に出る口実……誰もマデルが指輪をしてたかどうかなんて知りゃあしない。落としたって言われれば信じるしかない。落とした証拠を出せとも言えない」
「俺まで騙したのか?」
何事もないかのように答えるクルテに怒りを感じるピエッチェ、いっそ殴ってやろうか? でも、姿を消されて逃げられるのがオチだ。なんだか泣きたくなった。涙が出そうだ。
「騙していない。ピエッチェがこんなに鈍感だとは思ってなかっただけだ――だから指輪は探さなくていい。魔法使いが出てきたときはわたしが交渉する。いつも通り、ピエッチェ、おまえはわたしの指示に従え」
威圧的なクルテにムカつくピエッチェだが、いつもの事かと思い直して苦笑する。クルテが一緒ならなんとかなるだろう。
「よし、判った! 行こう、クルテ。梯子になれ。下に降りるぞ」
ピエッチェが腹を括った。
クルテがピエッチェを見詰めニッコリ笑う。その笑顔にドキリとしたピエッチェ、なぜドキリとしたのか考える暇もなくクルテの姿が消える。
「クルテ!?」
どこに行ったのだろう? と、思わずクルテの名を呼んだピエッチェだ。
(梯子になれって言ったのは誰だ?)
頭に響くクルテの声、ピエッチェが慌てて窓の外を見る。すると窓枠から庭に向かって傾く梯子が見えた。が、ここに来てピエッチェが迷う。
梯子を使って降りるには、梯子の向こう側に行かなければならない。窓枠に立ってから梯子に移ればいいのか? だが窓は横幅が大きく、梯子は窓の中央、窓枠には掴まれない。掴まりもせず後ろ向きに梯子を下りるなんて曲芸に近い。後ろ向きにしゃがんで足を延ばすか? 窓枠は指二本ほどの厚みしかない。しゃがんでバランスを崩せずにいられるだろうか? そもそも立つのも難しそうだ……
(面倒なヤツだ。梯子になれって言ったのはおまえだろうが?)
(うぬ……階段になれって言えば良かった。梯子の外側に出られる自信がない。あ、でも、階段って選択肢はなかった。なれないか?)
すると梯子が消えて、まばたきの間に階段に変わった。
(手間のかかるヤツだ。おまえってホント、先のことを考えてないよな?)
梯子にするか飛び降りるかって迫ったヤツは誰だよっ? 階段にもなれるなら、最初から言えと思いながらも窓枠に立ち、階段を降り始める。
(ちょっと、そこ、擽ったい。あ、そこは痛いって! ダメ、そこはヤメて!)
頭の中に響くクルテの声に悩まされながら、足早に階段を降りる。降り切ったところで振り向くと既に階段は消えていた。
「魔法使いは庭を放置してるのかな? わたしたちに気付いた様子がない」
後ろから聞こえるクルテの声、振り向けば、いつもと同じ姿のクルテが庭を見渡している。
「ここまではピエッチェが怪我をすることなく済んだ、良しとするか」
「おまえ、擽ったいとか痛いとか、俺を揶揄ったな?」
「なんでそう言い切れる? おまえ、階段になったことがあるのか?」
「いや、ないけど……」
「いいか、階段になったらジッとしてなきゃならないんだ。でないとおまえが落ちてしまう。どれだけ退屈かおまえに判るか?」
「退屈って……大した時間じゃないだろうが」
「おまえって、相手の身になって考えられないヤツだったんだな」
「いや、その……悪かったよ」
なんとなく騙された気分のピエッチェだが、クルテとやり合っても勝てる気がしない。不本意だが謝るしかなさそうだ。あれ? でもやっぱり、擽ったいとか痛いってのは嘘だった気がする……ま、いいか。深く考えても疲れるだけだ。
「判ればよろしい」
そう言いながらクルテはかなり面白くなさそうな顔だ。
「なんで窓枠に立とうなんて考えるのか? 窓枠を跨いでしまえば梯子に乗るのもそう難しくないのに」
とボソッと呟いた。
ギョッとしたが黙っていたピエッチェだ。何か言えばもっと罵倒されるのが見えている。クルテはチラッとピエッチェを見たが、ピエッチェの知らん顔に少し残念そうな顔をしてから話題を変えた。
「しかし、庭に降りたはいいが、これからどうするかな」
「なんだ、考えなしか?」
「おまえに言われたくない」
「取り敢えず、建物沿いに行ってみるか? 宿の従業員は食堂の方向から来たって言ってたよな?」
「たまにはまともなことを言う……いいぞ、先に行け」
「俺が先かよ?」
「お手て繋いで並んで歩くか?」
ムッとしたピエッチェが食堂の方向に歩きだす。キョロキョロしながらクルテが続いた。
「食堂ってこのあたりだよな?」
ピエッチェが立ち止まる。
「そうだな……そして扉がある」
クルテがピエッチェに並んで立つと、建物を見て言った。
「食堂に、庭へ出られそうな扉なんかあったか?」
ピエッチェがクルテに尋ねる。
「いや、わたしの記憶では食堂には廊下への扉と厨房への扉しかなかった」
「だとしたら厨房に入れるのかな?」
「厨房の構造までは探ってないからよく判らない――位置的には食堂だと思う」
「外を通ると距離感が曖昧になるな。ここの廊下、窓がないから余計にそう感じるんだろう」
「考えたって埒が明かない。ピエッチェ、扉の中を覗いてみろ。扉の向こうに人の気配はない。今のうちだ」
また俺かよと思いながらピエッチェが扉に手を伸ばす。が、ビクとも動かない。
「ダメだ、クルテ。鍵がかかってる」
するとクルテがチッと舌打ちした。
「鍵も開けられないのか。力づくで開けたらどうだ?」
「扉を壊したら後々面倒なんじゃないのか?」
「わたしはおまえが面倒だ――まぁいい、退け」
「おい……」
ピエッチェを押し退けて扉に手を伸ばすクルテ、その腕をピエッチェが掴む。
「そんなに面倒なら、なんで俺と一緒にいるんだよ?」
「あ?」
クルテがマジマジとピエッチェの顔を見てから自分の腕を掴んだピエッチェの手をそっと外す。
「そんなに強く握ったら痛いじゃないか」
それから目を扉に向けて、引手に手を伸ばしてから言った。
「手のかかる子ほど可愛いって言葉、知ってる?」
「あぁ?」
「おまえは世話が掛かるけど、わたしは自分の意思でおまえの傍にいる。おまえの傍に居たくて居るんだ。それではダメか?」
「いや……」
なぜだか切なさを感じたピエッチェ、返答に困り言葉に詰まる。そんなピエッチェを気にすることなどないクルテ、
「ん?」
と動きを止めた。
扉に向かい首を傾げたかと思うと伸ばしていた手を戻し、足元を見る。
「ピエッチェ、昨日、階段前の扉を出た時、庭に降りるには二段あったな?」
とピエッチェを見もしないで問う。
「えっ? あぁ、そうだな、二段あった」
「ここにはその段差がない。向こうより地面が上がっているのか?」
「んん?」
ピエッチェが建物にへばりついて、降りてきた窓の方向を透かして見る。
「うーーん、草が邪魔をしてよく判らない。歩いてきた感じだと、昇ってきた感じはしなかった」
「食堂に繋がる廊下は水平だったよな?」
「少なくとも上り下りがあるようには感じなかった」
「食堂と廊下に段差はあったか?」
「いや、それはなかったと断言できる」
「と、言うことは?」
「この扉、下が地面とほぼ同じ高さ。扉の内側は食堂や廊下より低い位置……食堂には繋がってないと思ったほうが良さそうだ」
「それならどこに繋がっているか?――扉を開けるのが楽しみだ」
再びクルテが扉に手を伸ばす。
「鍵は開けられたのか?」
ピエッチェが心配するが、クルテは気にせず扉の引手を掴んでガタガタ揺すった。そして――ガチャっと開錠の音が聞こえた。クルテがそのままゆっくりと扉を引いた。どうやら中は薄暗い空間が広がっているようだ。
「開いたようだね……行こう、ピエッチェ」
クルテがピエッチェを見上げニッコリとした。




