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が、すぐ後ろにいるピエッチェを見てがっかりしたような顔になる。あんな護衛が居ては近寄れない、そう感じたのだろう。きっとどこか〝いいとこ〟のお嬢さまだ……カッチーとオッチンネルテも一緒に歩いているが、この二人を三人の美女の連れだとは誰も思っていなさそうだった。
クルテはララティスチャングに着くまでマデルの特訓を受け、自分の髪を三つ編みのおさげにできるようになっていた。できるようになると楽しいらしく、毎日三つ編み、もちろん服は女物、困るのはピエッチェやカッチーの髪まで三つ編みにしたがることだ。が、二人の髪は短すぎて無理、『伸ばして』と無茶を言う。
街に出たのはいいものの、どこで食べるか決まらない。ラクティメシッスは何を食べるかなんて興味がなさそうだし、マデルはラクティメシッスを見詰めるのに忙しい。カッチーはなんでも大好きとしか言わないし、オッチンネルテは委縮してしまって一緒に居るだけで精いっぱいだ。そしてピエッチェはクルテさえよければどうでもいい。クルテが決めるしかない。
落ち着いたのは魚介類の料理が自慢のレルトラン、看板にオレンジの輪切りの絵が描いてあるのを見てクルテが決めた。ピエッチェは『オレンジを置いてるとは限らない』と忠告したが『歩き疲れた。なきゃないでいい』と入って行く。
案の定オレンジはなかった。それでも果物の盛り合わせはメニュにあったのでホッとしたピエッチェだ。しかし柑橘類は料理に添えられたレモンだけ、物欲しそうなクルテを見てマデルが、
「レモン、食べてみる?」
ニヤリとする。ちょっとした悪戯だ。生のレモンはレモン水とはわけが違う。
マデルから櫛形に切ったレモンを貰い、嬉しそうなクルテ、ぱくっと口に放り込んだ。ニヤッとするマデル、ところがクルテは
「美味しい……」
うっとりと微笑む。コイツ、味覚がどこか可怪しい。
いつも通り点検するクルテ、最初は驚いていたラクティメシッスも、そのうち面白がってニヤニヤし始める。オッチンネルテは自分が口出ししていいことだとは思っていないのだろう、初めて一緒に食事をしたときから見ないふりをしている。
貝を眺めていたクルテがクルッとピエッチェを見上げた。
「これ、きっと食べられない」
貝殻のことだ。
「うん、食べられないよ。誰も食べてないだろう?」
「食べられないのに、なんで料理に入れている?」
「剥き身にすることもあるけど、この料理は殻つきのままだな。理由はいろいろだが、いい出汁……ンっとエキスが出て旨味が増すからだな」
「殻から出汁が出る?」
と、ここでピエッチェがちょっと考える。
「殻にはなさそうだな。そのあたりはよく判らないけど……剥き身にすると貝の体液がどうしても零れる。殻のままならその体液も使える」
「ふぅん……なるほど。剥き身にする手間も省けて丁度いい」
漸くクルテが食事を始めた。
ニヤニヤしていたラクティメシッスがマデルに訊いた。
「彼女はいつもこんな感じ?」
「気にすることない。気にしてたら疲れるだけよ」
「彼はよく耐えてるね」
「あら、耐えてるわけじゃないと思うわよ? 楽しそうだもの」
「そう言うことなんですね」
いいや、楽しんじゃいませんが?
スープを飲み終えたクルテがフライを食べようとして手を止める。ラクティメシッスと目が合ったようだ。慌てて目を逸らすラクティメシッスに
「なんて呼べばいい?」
唐突に訊いた。
「わたしのことですか?」
「そう。他に誰? ピエッチェにマデルにカッチー、オッチンネルテ。あんただけ呼びかたが判らない」
ま、確かにラクティメシッスとは呼べないな。
「そうですねぇ……」
ラクティメシッスがニヤリと笑う。
「シャルスチャテーレ、なんてどうですか?」
シャルスチャテーレ? どこかで聞いたような……
「女神の娘の名……」
パンを千切りながら呟くカッチー、
「おや、ご存知で?」
微笑むラクティメシッスに、
「は、はいっ!」
俄かに緊張する。相手は王太子だ。
クルテはムッとしたらしく、
「却下! それは女性名」
トゲトゲしい言いかただ。
「あら、わたし、女に見えない?」
ラクティメシッスがお道化る。
「何しろその名はダメ」
「お嬢さんが気に入らないなら別にしますか。割と気に入ってたのにな」
ニヤニヤ笑うラクティメシッスを睨みつけるクルテ、険悪な雰囲気だ。
「それじゃあ、お嬢さんが決めてくれませんか?」
「わたしじゃなく、マデルに決めて貰ったら?」
ザクッと音を立ててフライにフォークを突きさすと、切り分けもしないでパクっとそのまま口に放り込む。そしてピエッチェを見上げる。
「これ、魚?」
いつものクルテだ。だけど、食べ始めてからの質問は珍しい。
「あぁ、タラのフライ、自分で頼んだじゃないか」
「タラって魚だったんだね」
なんだと思ってたんだろう? だけど、機嫌は直ったようだ。いや……無理にでも直したのか?
ラクティメシッスの呼び名は『ラスティン』とマデルが決めた。そのあとは何事もなく食事を終えて宿に戻る。明日以降の行動をどうするかは宿で話し合うことにしていた。他人の耳がある場所ではできないないことだ。
今夜の宿は二人部屋にピエッチェとクルテ、あとの四人は一人部屋にした。
「一緒ではダメですか?」
ラクティメシッスがマデルに言ったがきっぱり断られている。
ピエッチェたちの部屋は全員が集まれるよういつものように居間付きだ。
「問題はグリュンパからどうするか、ですね……」
地図を眺めてラクティメシッスが言った。宿に入るとそのままピエッチェたちの部屋に来たから女装のままだ。地図はラクティメシッスが用意した。ローシェッタ国全土に周辺諸国の一部が記されたものだ。
「通常ルートを通るならモフッサ街道からゼンゼンブ街道、デレドケとギュリューの間で分岐して山間を抜ける道です。国境の町ゼンゼンブまで続いています。国境を出るとザジリレン国コッテチカ……まぁ、街道とは名ばかりの細い道ですが、それなりに整備されています。ゼンゼンブもそんなに小さい街ではない」
ラクティメシッスの説明にピエッチェが考え込む。
コッテチカは王領だが、グリアジート卿領に隣接している。ピエッチェがオッチンネルテを見た。急に見られたオッチンネルテがどぎまぎする。
「コッテチカに何か変化は?」
「あ……」
オッチンネルテが顔色を変えた。言い難いことがあるようだ。
「カテロヘブ王の不在で国軍は多少、その、統率が乱れまして……現在、コッテチカの治安維持をしているのはグリアジート卿の私兵です」
「王領に私兵を入れたか」
唸るピエッチェ、ラクティメシッスが気の毒そうにピエッチェを見る。
「そうなると別のルートがよさそうですね」
再びラクティメシッスが地図に目を落とした。
ネネシリスに狩りに誘われ、そこで襲われた。そのあたりはラクティメシッスに打ち明け済みだ。
ローシェッタと呼応して両王家打倒を目論んでいるのはネネシリスではないだろうか? そう言ったらラクティメシッスは
『いいえ、グリアジート卿ではありません』
根拠を示し否定した。やはりクルテの想像通り、他にも裏切り者がいる……気持ちが重苦しく沈むのを感じたピエッチェだ。
今回の対象がネネシリスではないとしても、カテロヘブ王を狙っている以上ネネシリスへの警戒を解くわけにはいかない。
「いっそ、街道を避けて山越えルートはいかがですか?」
地図から目を上げ、ラクティメシッスがピエッチェを見る。
「コゲゼリテには川を下ってきたのでしょう? その反対に川を上り、途中で陸に上がり滝をやり過ごすのはどうですか? そのまま尾根伝いに王都カッテンクリュードの背後、サワーフルド山から直接王都に入る、なんてどうです?」
少数で国内に入り込まれ、そのルートでいきなり王都・王宮を襲われることを想定して警備を強化したほうがよさそうだ……自国警備の盲点を突かれた気分のピエッチェだ。が、クルテが笑う。
「無理、あの山には魔物がうじゃうじゃいる。カッテンクリュードは魔物に守られてる。人間が襲撃しない限り、魔物たちは山から出てこない。だけど、山に入った人間に容赦はしない――昼間はともかく、夜間、山中に居るのは自殺行為」
「昼間なら危険はないと?」
ラクティメシッスが食い下がる。
「あのあたりの魔物は夜行性が多い。陽の明るいうちに行動する魔物は大した魔物じゃない。だけど夜行性のヤツらは森の女神も迂闊には手を出せない」
「ふむ……では、移動は昼間、夜は結界を張って野営、ではどうですか?」
「ダメ、リュネは崖を上れない」
「崖が途中に? 地図だけでは判らないものですね……その時はわたしがリュネを崖の上に運びますよ」
「キャビンもある、それに何日もかかる。食料も相当必要」
「あぁ、食料・飲料が必要なのを忘れてました。この季節、そう長持ちしないし、そうですね、山伝いにカッテンクリュードまでと言うのは無理そうですね」
再び地図に目を落とすラクティメシッスをピエッチェが静かに観察する。
森の女神も迂闊に手を出せない……クルテの発言にラクティメシッスはなんの反応も示さなかった。森の女神の存在を認識していると言う事か? それとも単に聞き漏らしているだけか?
マデルとカッチーはジェンガテク湖・森の貴婦人で認知しているが、一般常識として森の女神は聖堂に祀られ、誰もが知っているが誰も信じていない。伝説だと思っている。その女神が手を出せないとクルテは言った。
女神が実在すると前提しての発言だ。オッチンネルテは不思議そうにクルテを見た。森の女神? そう言いたそうな顔だった。それなのに、あの鋭いラクティメシッスがなんの反応も示さない。
ラクティメシッスは森の女神も女神の娘も実在すると知っている……
「ゼンゼンブから入れないとなると、ジェンガテク湖から回り込みますか?」
今度は地図から顔を上げずラクティメシッスが言った。
「封印の岩の上部を抜けた向こう側はザジリレン、山を降りれば……トロンバ」
「トロンバか……」
ピエッチェ呟く。
「ど田舎で、昔ながらの小さな村だ。だが、宿もあればいろいろな店もある」
ピエッチェが怪我で寝込んでいる間、クルテがたびたび買い物に行った村の一つだろうとピエッチェは考えている。あの滝の周辺の村はトロンバ、ケロスポッチ、ジャムハニ、それ以外は村と言うより集落だ。井戸水くらいは分けて貰えるかもしれないが、民家が数軒あるだけだ。
「だが、王都カッテンクリュードまで、かなり遠くなる」
ピエッチェの呟きに、ラクティメシッスが答える。
「カッテンクリュードに行かなければ話になりません。それにはまずザジリレンに入らなくてはね」
王都への道は遠い。それでも行くしかない――




