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クルテの次に降りてきたのはラクティメシッスだ。木立の中を眺めている。
「チューベンデリにも来るよう言ったんだけど……体調はどうなんでしょうね?」
独り言だ。
暫くすると木立の中の地面がモゴモゴと蠢き盛り上がる。そしてバッと向こう側に倒れた。蓋が開いたのだ。
「来たようです」
ラクティメシッスが森の中に踏み込んで行く。
地面から生えてきたのは栗色の頭、まるでキノコみたいだ。腰を屈めて見下ろすラクティメシッスが小さな声で何か言ったが、ピエッチェのところまでは聞こえない。マデルが両腕を上にあげ、ラクティメシッスがそれに応えた。
隠し通路から引き上げ、暫くの抱擁、マデルの足元から出てきた栗色の髪の男の咳払いでやっと二人は離れた。が、男が地上に出てきて隠し通路に蓋をすると、安心したのかマデルが急に怒り出した。
「なんで、ずっと連絡してくれなかったのっ!?」
これははっきりピエッチェにも聞こえた。
「いきなり鏡に出てきたと思ったら、隠し通路を使って出てこい? しかも兄さんを連れて!? 言いたいことだけ言うとまた音信不通、言われたとおりにするしかないじゃないの!」
ラクティメシッスがなにかゴニョゴニョ言い訳した。
「もうっ! 馬鹿っ! どれほど心配したか……」
泣き崩れるマデル、それを再びラクティメシッスが抱き寄せ、チューベンデリが咳払いする。パッとマデルを放すラクティメシッス、再びマデルが怒り始め……
ピエッチェたちのところへ来たものの、マデルの怒りは収まらない。
「なんで迷惑かけるだなんて思うのっ?」
プリプリ怒っている。
「まぁ、ラクティだっておまえを――」
「兄さんは黙ってて!」
チューベンデリが取りなそうとするが反対にマデルに怒鳴り付けられた。
「あなたの怒ってる顔も素敵――」
「騙されないわよっ!?」
ラクティメシッスの気障なセリフも、今日は逆効果だ。
マデルを落ち着かせたのはクルテだった。そっとマデルの背中に寄り掛かり
「マデル……そんなに怒らないで」
呟いただけで、マデルがハッとして黙る。
「マデルが無事でよかった」
「ごめんね、連絡できなくて」
自分がラクティメシッスを心配したのと同様、自分もクルテたちを心配させていたことを思い出したのだろう。フン! とラクティメシッスから顔を背けたものの、責めるのをやめた。
ラクティメシッスの苦笑い、チューベンデリも苦笑いして肩を竦めるが、
「で? わたしはなんで呼び出されたのかな?」
ラクティメシッスを見る。
「あ、そうでした。うっかり忘れておりました」
あんた、そのセリフ、好きだよね……口にしないがピエッチェが思う。
「チューン(チューベンデリの愛称)にはフレヴァンスを連れて行って貰お――」
「フレヴァンス!? 見つけたのか? 無事だったんだな? それでどこに?」
「落ち着けって!」
チューベンデリの矢継ぎ早の質問に引き気味のラクティメシッス、ピエッチェがカッチーに頷く。頷き返したカッチーが、貨物台から布に包まれた板状のものを運んで来た。
「フレヴァンスは絵の中に逃げ込んでいました。その布に覆われ――チューン!」
ラクティメシッスの制止は間に合わない。聞くが早いか絵を覆う布を取り払うチューベンデリ、
「フレヴァンス……」
肖像画を覗き込んで呆然とする。絵の中からはフレヴァンスの声、
「なによ、ここ、どこ? あれ? チューン?」
少し驚いているようだ。が、すぐに額縁の中からニョキッと頭が出てきて上半身が現れて……
ピエッチェの頭の中でクルテの声、
(今日はいろいろ生えてくるね)
面白がっている。
「会いたかった、フレヴァンス……無事でよかった」
涙ぐむチューベンデリ、ところが
「ふん! なんで助けに来ないの!?」
フレヴァンスはお冠、
「今日は女性が怒る日なんでしょうか?」
ボソッと呟くカッチーに、クルテが
「ううん、今日は生える日」
ポツンと言った――
フレヴァンスにはマデルにとってクルテのような存在がいなかった……いや、誰がいても同じか? フレヴァンスはフレヴァンスだった。マデルが取りなそうとしても『うん、マデルの言うとおりね』と微笑むものの、すぐにクルッとチューベンデリに向き直り、責め続ける。
「ああなると放っておくしかありません」
兄のラクティメシッスもお手上げのようだ。
「しかし、いつまでも付き合ってなんかいられない。二人を置いてわたしたちは出発しましょう――マデル、馬車に乗って」
「出発って、どこに?」
不思議そうなマデルにラクティメシッスが微笑む。
「わたしたちは駆け落ちするんです」
「はあっ!?」
マデルの素っ頓狂な叫び、そしてフレヴァンスは耳ざとい。
「駆け落ち? なにそれ? 面白そう」
面白がってするもんじゃありませんよ。
「わたしも駆け落ちする」
「チューンにはララティスチャングで――」
「誰がチューンと駆け落ちするなんて言ったのよ?」
「それじゃあ誰と駆け落ちするって?」
呆れるラクティメシッス、ニヤッとフレヴァンスが笑う。
「カテロヘブがいい。わたしを救ってくれた隣国の王――なんてロマンチック!」
「はあっ!?」
驚くピエッチェ、
「却下!」
怒りに満ちたクルテの声、
「フレヴァンス……」
今度こそ泣き出しそうなチューベンデリ、
「我が妹ながら呆れてものが言えない」
ラクティメシッスが頭を抱えた。ピエッチェの後ろではカッチーが笑いを堪え、展開について行けないオッチンネルテは、ただただ黙って見ているだけだ――
どんなに美人だろうが、どれほど政略的意義があろうと、世の中にあんたと二人っきりになったって、なにしろ断る――ピエッチェにそこまで言われたフレヴァンス、さめざめと泣き始めた。慰めるのはチューベンデリ、他の男と駆け落ちすると言われても愛想を尽かしていないらしい。フレヴァンスの魅了の魔力にとことん嵌っているんだと、気の毒になるピエッチェだ。
それにしても、とカッチーが疑問を口にした。
「ピエッチェさんのこと、カテロヘブ王だと思ってますよね」
あぁ、とピエッチェが苦笑いする。
「彼女、絵から抜け出して、盗み食いしてたんだ」
「盗み食い?」
驚くのはラクティメシッスだ。クルテがフフンと笑う。
「王女さまでもお腹は空くさ――で、落ち着かせるためピエッチェをカテロヘブだと思い込ませたんだ」
「そう言うことだったのね」
マデルもこの嘘で納得してくれた。泣くのに忙しいフレヴァンスに、この話は聞こえなかったようだ。まだ泣いている。
「この隙に逃げましょう」
キャビンに乗り込むラクティメシッス、マデル・カッチー・オッチンネルテと続く。するとタラップがひとりでに貨物台に飛んでいった。ラクティメシッスの魔法だ。それを見てピエッチェも急いで御者台に向かう。途中チラリとフレヴァンスの様子を窺うと、まだ泣いている。クスリと笑って御者席に座り、隣の席に先に座っていたクルテの顔を見てギョッとする。カッチーの言うとおりだ。今日は女性が怒る日、要注意だ――
カテール街道門からララティスチャングに別れを告げる。ラクティメシッスはキャビンに乗り込むとすぐに栗色のウイッグをつけた。それだけで、誰にも気づかれない自信があるらしい。
走る馬車の中ならば、たとえ窓越しに見られても気づかれることはなさそうだ。馬車から降りるときにはきっと女装する気だと、ピエッチェは考えていた。
まずはグリュンパを目指す。その先は……国境を越え、ザジリレンに入国する。
あの夜、グリムリュードの目の前で読んだラクティメシッスの手紙には、ピエッチェが予測もしていないことが書かれていた。
『ローシェッタ王家転覆を画策する者がいる。その者はザジリレンの有力者と結託し、ローシェッタ・ザジリレン、両王家を潰そうとしている――ローシェッタ国内の対策は済んだ。暫くは大丈夫だ。わたしはザジリレンに渡り、ローシェッタに害をなそうとしている者の正体を暴こうと考えている。ぜひとも協力して欲しい』
そこにはカテロヘブ送還を巡って臨戦態勢にあるという噂の真相なども書かれていた。
ザジリレンに王家転覆を画策する者がいる……足元を掬われた気分のピエッチェ、俄かには信じられなかった。そんなピエッチェの頭の中でクルテが呟いた。
(ネネシリスだけじゃないってことか……)
その言葉で現実に目を向けようと思えた。親友ネネシリスが裏切ったんだ、他にも裏切るヤツが居たって不思議じゃない。
まずは真実を確かめるのが先決だ。一緒にザジリレンに行って欲しい……ラクティメシッスのその申し出を受けることにした。
最初の宿はララティスチャングから半日の街ヤッパリイネで取る予定だったが、三つ手前の街ゴイングウッドに変更した。フレヴァンスにてこずって時間を取られたのが最大の要因だ。宿はすぐ見つかったが食事は朝だけと言われる。
ラクティメシッスが着替えたのは厩に入れたキャビンの中、他の者は降りて待っていた。ピエッチェとクルテは驚きもしなかったが、他の三人は絶句するほど驚いた。ピエッチェの予測通り女装だ。
「栗色の髪はマデルとお揃い?」
ニッコリ微笑むクルテに、ラクティメシッスも微笑む。
「よく判りましたね」
「お揃いって嬉しいし楽しいよね。わたしとマデル、それにリュネはリボンをお揃いにしたことあるよ」
「リュネ?」
「そう、キャビンを牽いてくれてる」
するとブフフとリュネが鼻を鳴らした。
ラクティメシッスはジロジロとリュネを見たが、苦笑してからクルテに言った。
「ピエッチェの周囲には〝才能あるもの〟が集まる傾向があるようですね」
ラクティメシッスの言葉にクルテがニヤッとする。ピエッチェはラクティメシッスの言葉の『集まる』にヒヤッとしたが黙っていた。〝集まる〟にはクルテが含まれる、そう感じていた。そして〝才能あるもの〟は人ならざるものを指していると思った。ラクティメシッスはクルテをなんだと思っているのか?
「そう、溢れんばかりの才能。いいものでしょ?」
「はい、才能は巧く生かすものです」
ラクティメシッスはリュネを認めた。クルテがリュネの首筋を撫でると、嬉しそうにリュネがクルテに馬面を寄せた――
王都からそう遠くないゴイングウッドはそれなりに賑わいのある街だった。それでも日没には閉まる店が多い。が、飲食店は別だ。夕食や酒を求める客のため、深夜まで開いているらしい。
種類も豊富で居酒屋、高級レストラン、パスタやピザの専門店、サロンの中には夜も営業してる店もあった。クルテが興味を示したのはサンドイッチの専門店、だが、果物を単品で頼めないと知って興味をなくした。
どう見ても美女としか見えないラクティメシッス、そしてマデルとクルテ、この三人が並んで歩けば擦れ違う人々、中でも男の視線をいやでも引いた――




