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お陰で大盛りの皿は零れんばかりとなった。
「おまえ、そんなに欲張って食えるのか?」
ピエッチェは呆れるが、クルテはフフンと鼻で笑うだけだ。
大盛りの皿を慎重に持つと
「レモン水、二本持ってきて」
と言い置いて、さっさとベッドルームに行ってしまう。
居間のテーブルにはお茶のカップが置き去りだ。片付けてから行こうかと思ったが、すぐにレモン水を持って行かないと催促される。部屋のすみに置いておいた木箱からレモン水を二本引き抜くとベッドルームに向かった。
ベッドルームではわざわざ壁際に運んだテーブルに、クルテが肖像画を乗せているところだった。壁際に運んだのは絵を立てかける都合らしい。何を始める気だろうと見ていると、絵の前に菓子の皿を置き、ピエッチェに手を伸ばす。
「レモン水」
「はいはい」
レモン水を二本、皿の横に置くと、絵を覆っていた布を払った。
「お供え?」
「馬鹿っ! 見てないで、菓子の皿と、わたしのお茶! トレイに乗せてきて」
はいはい、他人使いの荒いことで……苦笑したピエッチェが居間にもう一皿残った菓子と、クルテと自分のティーカップを取りに行く。
ベッドルームに戻ると、今度は椅子を運んだらしい。ベッドぎわに二脚並べた椅子の一つに腰かけている。
「トレイは、ここ」
すぐ横のベッドの上に置けという。
「カティはこっち」
肖像画から見るとクルテの後ろになる位置の椅子に座れと言う事らしい。逆らう理由もないので言うとおりにする。腰を下ろす時、チラリとフレヴァンスの肖像画を見た。すると向こうもこちらを見ていたらしく、サッと澄まし顔に戻った。そんな気がしただけかもしれない。
なるほどね……きっとフレヴァンスは腹を空かしているはずだ。目の前に置いた菓子で釣ろうってことか? フレヴァンスに外界が見えているのは判っている。だけどそこにはピエッチェとクルテがいる。絵から出れば即刻二人に捕らえられることになる。彼女からすればそれは屈辱、飢えとプライドの狭間で、さぞかし悔しがっていることだろう。ニヤリと笑うピエッチェだ。
でも可怪しい。菓子皿はフレヴァンスの目の前だ。そして自分たちは少し離れたベッド際だ。昨夜フレヴァンスは、菓子袋やレモン水を持って絵の中にサッと逃げ込んだ。この距離だと、絵から出てきたところですぐに戻られたら捕まえる余裕はなさそうだ。いや、それどころか、フレヴァンスが出てきたら、菓子皿がひっくり返るんじゃないのか?
「ねぇ、フレヴァンス」
不意にクルテが言った。
「遠慮しなくていいよ。あなたのために用意した。お腹、空いてるよね?」
すると、フレヴァンスがチラリと菓子皿を見た。けれどそれは澄まし顔の肖像画のまま、気のせいかもしれないと思えるほどの微かな動きだ。さっき、こっちを見ていたと感じたのも気のせいじゃなさそうだ。
「で、昨日の菓子袋とレモン水の瓶を返して」
クルテが続ける。
「絵から、手だけ出すこともできるんでしょ?」
驚いたのはピエッチェだ。でも、なるほど、クルテにフレヴァンスを捕らえる気はない。ただ何か食べさせ、飲ませたかった……ついでに話しができたらいい、そんなところだ。
フレヴァンスはなかなか動かない。でも飢えに負けたのだろう。
「ふん!」
悔し気に鼻を鳴らした。そしてその途端、絵に奥行きが出てフレヴァンスは立体的になった。
「あんたさー、誰よ?」
クルテを睨みつける。しかし、フレヴァンス、声は恐ろしく可愛らしい、と思うピエッチェの脇腹にクルテが思いっきり肘打ちを入れた。はい、ごめんなさい……
「言ったじゃん、わたしはクルテ」
「嘘吐きは嫌い――でも、まあいいわ。お菓子に免じて許してあげる」
額縁の中から腕が伸び、皿の菓子を摘まんだ。それから思い出しのか、菓子袋と空瓶を額縁の中から出してテーブルに置いた。
「袋の菓子はまだ残ってるわよ――何あれ? あんまり甘くないし、まっずいったらありゃしない。まぁ、お腹が減ってたから半分以上食べちゃったけどね」
どうやらローシェッタの王女さまはザジリレン菓子がお口に合わなかったようだ。
「袋と瓶をお下げしても?」
「あんたじゃなく、そっちの男が取りに来るなら――でも、わたしに触れたら許さない」
なんで俺?
クルテがムッとフレヴァンスを睨みつける。
「なぜわたしではダメ?」
「あんたは嘘吐きだから。そっちの男も嘘吐きだけど、身元が判ってるだけマシ」
「身元が判ってる?」
「ザジリレン王カテロヘブ、違うとは言わせない」
「なぜそれを?」
つい呟いたピエッチェ、
(馬鹿者っ!)
頭の中でクルテが叫び、
「だって、お父さまが言ってたもの。カテロヘブはカテルクルストにそっくりだって」
フレヴァンスがニンマリ笑う。
「代々の国王の肖像画は王宮に飾られてるけど、それとは別に宝物殿があってね、そこにカテルクルスト王子の肖像画があるの。あんたの戴冠式から帰ってきたお父さまが生き写しだって驚いてたわ」
ピエッチェが思わずクルテを見る。クルテは生きている頃のカテルクルストに会っているはずだ。
クルテは怖い顔のままフレヴァンスを見詰め、ピエッチェを見ようともしない。心の中で話しかけても反応がない。
「ザジリレン王カテロヘブには、わたしに近寄ることを許す。でも、あんたはダメよ」
ニヤニヤしながらフレヴァンスもクルテを見ている。二人の間に火花が散りそうな雰囲気だ。
フレヴァンスを睨みつけたまま、クルテが強い口調で言った。
「他人のものに手を出すな」
するとフレヴァンスが鼻で笑う。
「ザジリレン王が嘘吐きなおまえのものだと? どうせ嘘だ」
へっ? 俺? ピエッチェがギョッとする。
「あいにくこれは嘘じゃない」
「ふふん、名が偽りなのは認めるのね」
再びジリジリとした睨み合いが始まる。
「イヤ、ちょっと待て!」
思わず口を挟むピエッチェ、
「黙ってろ!」
クルテが怒鳴り、
「なにを待てばいいのかしら?」
フレヴァンスが嫣然と微笑む。
「あ、いや……」
ついフレヴァンスに見惚れてしまいそうになったピエッチェ、が、すぐに気を取り直す。
「なんだか、俺の取り合いになっていないか?」
自分でも情けない声、クルテがキッと立ち上がる。
「うっさい、向こう行ってろ!」
「あ、いや、クルテ?」
「早く、立てったら!」
ピエッチェの腕を掴んで立ち上がらせようとするクルテ、フレヴァンスがクスクス笑いながら、クッキーを口に放り込みレモン水をラッパ飲みしてる。
「落ち着けって。それにそんなに怒るな」
「落ち着いてる! それに怒ってない!」
完全に怒ってるだろ? 苦笑いしてピエッチェが立ち上がる。そして背中を押すクルテの腕を引いて胸の中に抱き込んだ。
「誰に何を言われても気にするな。俺はおまえのものだ」
「カティ……」
やっとクルテが少し温和しくなる。俺を信じろ、俺はおまえだけだ……ピエッチェがそう思ったのを読んでもいるだろう。
「なるほどね……あんた、カテロヘブ王の恋人なんだ?」
額縁の中でフレヴァンスが呟いた。
「でもさ、今まで何人も王さまがいて、その王さまにはそれぞれ恋人がいて……その恋人の中で何人が王の配偶者になったことか。王の恋人になるのは簡単。だけど配偶者にはなかなかなれないの」
「黙れ」
言ったのはピエッチェ、低い声音、怒鳴っているわけではないが凄味があった。
「あなたには王室魔法使いの恋人がいると聞いている。なんで、俺や俺の大事な娘を揶揄う?」
するとフレヴァンスが少し考え込んだ。
「魔法使いの恋人? チューベンデリのことかな?」
何人もいるのかぁ?
「マデリエンテの兄上のことだ」
「あぁ、やっぱりチューベンデリでよかったみたいね――うん、彼と結婚しようと思ってたのよ。身分も不足ないし、なにしろ王室魔法使い、何かあったら必ずわたしを守ってくれると信じてた。でも守れないどころか探しに来てもくれない」
「彼は探し回ったらしいぞ。でもって心労で倒れたらしい」
「って言うかさぁ、なんでチューベンデリとわたしの仲を知ってるのよ? お兄さまにも言ってないのに」
「マデリエンテから聞いたよ、彼女の兄上とあんたは恋仲だって」
「またまたぁ、なんであんたとマデリエンテが知り合いなのよ? まあさ、確かにマデリエンテは彼の妹だけどさ」
「マデリエンテはあんたを心配して探してたんだ。しかも、あんたが誘拐されたことに責任を感じてる――国王に休暇を貰って、個人として国内を探して回ってた。その途中で知り合ったんだよ」
「個人で探し回った?」
「あぁ、俺たちの知ってるマデリエンテはマデルって名乗ってて、コイツはお姉さんって呼んで慕ってる」
ピエッチェが抱き締めたままのクルテをチラッと見る。クルテはもうフレヴァンスのことはどうでもいいようだ。ピエッチェの腕に包まれて満足そうな顔でニンマリしている。
「もう!」
癇癪を起したのはフレヴァンス、
「なんでチューベンデリじゃなくマデリエンテなのよっ!?」
叫んだかと思うとワッと泣き伏した。
「なんだかんだ言ってチューベンデリが好きなんじゃん」
ピエッチェの胸元でクルテが呟いた。それがフレヴァンスにも聞こえたようだ。
「うっさい! うっさい! うっさい!」
顔を上げ、喚き散らす。
「なんであんたたち、まだ〝くっ付いてる〟のよっ? いい加減離れなさいっ! わたしに見せつけて、いい気分なんでしょ? 目障りよ!」
ふふんと鼻で笑うのはクルテ、
「目障りなら、布で覆って見えなくしようか?」
ニヤついている。ギョッとしたのはフレヴァンス、
「待って! まだ食べ終わってない」
慌てて菓子を口に詰め込んだ。
「皿を絵の中に持ってけばいいじゃん」
「あ、それもそうね」
「でもさ、その前に、ちょっと話を聞かせて」
「話? あんたたちの惚気話ならまっぴらごめん」
「もしそうなら聞かせてとは言わない。聞いてって言う」
フレヴァンスが少しだけ首を傾げてから、
「それもそうね」
と皿に伸ばしていた手を引っ込める。戻すついでにブドウを数粒掴み取って、もう片方の掌に置いた。
「で、何が訊きたいわけ?」
掌に置いたブドウを一粒ずつ口に運びながらフレヴァンスがクルテを見た――
フレヴァンスが
「お腹いっぱい、眠くなったわ」
と言い出したのは真夜中のことだった。
「判った、オヤスミ」
クルテがそっと魔法の布を肖像画に掛ける。
ピエッチェが声を潜めてクルテに確認する。
「もう大丈夫か? 聞こえないか?」
「大丈夫、聞こえないし――」
クルテが答え終わる前に笑いだすピエッチェ、クルテが呆れるが止まらない。
「だってさ、なんだよ、あれ?」
「ふぅん、そんなに面白かった? 気に入った?」
冷たく言い放つクルテにギョッとして、やっと笑いを止めた。これ以上笑い続けたら、クルテがまた妬きそうだ。




