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再びクルテが皮肉を込めてフフンと笑う。
「それが判っていながら、彼女を見てニヤついてたんだ?」
やっぱり焼きもちだ。ピエッチェの顔がつい綻ぶ。ちょっと揶揄ってみたい衝動、でもやっぱり今はそれどころじゃない。
「そんな事より、この絵はギュームが描いたコテージの居間の絵で、フレヴァンスは自ら絵の中に入ったってことなのか?」
ピエッチェの質問に、クルテがムッと答える。
「わたしがこの絵を確認した時、絵の中にフレヴァンスは居なかった。向こうの居間でカティと遊んでいたのはこの絵の中のフレヴァンスだと思っていい。で、戻ってきて、わたしを押し退けてこの絵に飛び込んだ――肖像画が本物のフレヴァンスなら、水を飲んでたフレヴァンスも本物」
遊んでたわけじゃないぞ? それにしてもさっきから、なんだか回りくどい言いかたをするんだな。
「それで、遊んでみてどうだった? 本物の王女さまだった?」
だから! 遊んでたわけじゃない。
「魔法を掛けられた形跡は見つからなかった。感じたのは本人の魔力だけだ。そして魅了の魔力はローシェッタ王家特有のもの。強さには個体差が出るけれど、あの王家の血が流れていない者には出ない。だからフレヴァンス王女に間違いない。おまえの見解は?」
「わたしも同じ」
「じゃあ、なんでわざわざ俺に訊く?」
「偽者が流行ってるらしいから」
流行っちゃいない……と思う。偽カテロヘブが大勢いるのはちゃんと理由があることだし、偽フレヴァンスは今のところいない。
「魅了の魔力って、どうしてローシェッタ王家特有なんだろう?」
「知りたい?」
ピエッチェの呟きにクルテがニヤリとする。それを見てピエッチェが鼻白む。きっとまた、森の女神が出てくる。
「いや、今はどうでもいいことだ。フレヴァンスをどうするのか、そっちを先に考えよう」
「そっか。知りたいって言われても、わたしも知らない」
なんだよ、それ? しかも嘘っぽい、おまえなら知っていそうだぞ?
「それにしても……」
クルテがジロリとピエッチェを見る。
「フレヴァンス、フレヴァンス、って王女さまに夢中だね」
「はぁ?」
また始まった。こう執拗いと焼きもちも可愛くなくなる。うんざりだ。
「いい加減にしろよ。さっきからなんなんだ? ヤケにフレヴァンスに対抗心を持ってるみたいだけど、度が過ぎるぞ。なんのためにここに居るのかを考えろ」
「そーだよね、フレヴァンスを助けに来たんだよね。大事な大事なフレヴァンスさまにやっと会えたね、良かったね」
「だからっ! いい加減にしろって言ってるだろ!」
「あ、怒った……」
「おこ……怒ってない! 呆れてるだけだ。おまえだって、一緒にフレヴァンスを探したんじゃないか」
「そうだよ、それがあなたのためだと信じてた」
あなた? おまえでもカティでもなく〝あなた〟?
「それなのになに? フレヴァンスに見惚れて、わたしのことなんか忘れた!」
「そりゃあ確かに見惚れたかもしれない、でも、おまえを忘れてなんかない」
言ってから『しまった』と思うがもう遅い。見惚れたことも否定すべきだった。
「見惚れたってのは否定しないんだね――魅力的な人が現れれば、わたしのことなんか簡単に忘れる」
「な! 忘れてなんかいないし、おい、なんで泣く?」
クルテが目に涙をいっぱい溜めているのに気付いたピエッチェが狼狽える。
「俺がおまえを忘れる? そんなことがあるもんか!」
「そりゃあ記憶には残るだろうね。でもそれだけ。他の誰かを好きになる。フレヴァンスみたいに綺麗で可愛い人に心は移る」
「馬鹿な……おまえ、俺が判ってない」
なんだろう、この気持ち? 悲しいような情けないような?
「俺は……初めて結ばれた相手だけを守りたいんだ」
両親がそうだった。妻に先立たれた父は、時おり寂しそうに見えるときもあった。が、それは亡き妻を思い出してのことだ。寂寥の中に居ても父は幸せそうだった。いつもよりずっと、満たされた穏やかな顔をしていた。それに……
『たとえパートナーが死ぬようなことがあっても、別の相手を探したりしないの』
飼っていた白と黒、二羽の小鳥を眺めて母が呟いた。いったん番になったら、その絆は深くて強い。
『羨ましいわ。そんなふうに愛されたら幸せね』
愛する人を幸せにしたい。それが自分自身の幸せに通じる――
「結ばれる? それって一心同体?」
クルテの頬を大粒の涙がこぼれ落ちていく。
「守りたいって? ほかの人とは一心同体になったりしないってこと?」
そうだよ、クルテ。おまえの言っている『一心同体』が心を重ね、身体を重ねることを指すのなら、まさしくその通りだ。
「だから……あなたはわたしに触れようとしないの? わたしがその相手じゃないから?」
クルテがそっとピエッチェに腕を伸ばす。クルテを見詰めたまま、その手にピエッチェが触れる。そして引き寄せる。
そうじゃない。俺はおまえと決めている。おまえは? 俺でいいのか? それを確かめるのが怖くって、ずっと訊けずにいるだけなんだ。だけど、確かめる必要なんかあったんだろうか?
「クルテ……」
頬に触れ涙を拭う。
「俺はおまえがいい。おまえと結ばれたい」
声が掠れるのは自分を抑えているからだ。心と身体の高まりが暴走しそうでそれが怖い。だから必死で抑えている。冷静でいろと言い聞かせる。
「それって?」
クルテが期待に瞳を輝かせてピエッチェを見る。
「それってつまり?」
俺はなんと答えればいい? いったいどんな答えをクルテは待っている?
おまえが好きだと何度も言った。だけどそれだけじゃクルテは不安だった。いつか他に行ってしまうんじゃないか、そんな恐れを抱いていた。フレヴァンスを目の当たりにして、その不安が爆発した。きっとそうだ。だったら……
「クルテ、おまえが好きだ。俺はおまえだけを、一生ま――」
「こほん」
ピエッチェの言葉が咳払いで途切れた。咳払い?
「えっ!?」
「もうっ!」
思わず咳払いの源を見たピエッチェ、突き放すようにピエッチェから離れたクルテが床に落ちていた布を拾い上げる。咳払いの源は、ピエッチェの視線に慌てて視線を元に戻した、ように見えた。
「フ、フレヴァンス?」
ここでピエッチェの声が掠れたのは驚きからだ。チッとクルテが舌打ちをし、バサッと肖像画に布を掛ける。
「やっぱり、向こうからは見えてるし聞こえてるってことか?」
ピエッチェが質問とも独り言ともなく言った。
羞恥で顔が熱くなる。が、クルテを見て今度はサッと蒼褪める。怒りを隠そうともしないクルテ、爛々と燃える目でフレヴァンスを布越しに睨み付けている。そしてピエッチェを見ようともしないし答えない。
まずい。今度こそ、クルテを本気で怒らせた。告白しようとしたのに、それをフレヴァンスの咳払いで中断してしまった。どうやって宥めたらいい?
「さっさと目隠ししておけばよかった」
フッとクルテが溜息を吐く。
「お陰で邪魔された……もう少しだったのに」
えっ? もう少しって?
「いいよ、寝直そう。朝食が来るギリギリまで寝てよう。寝たりないでしょう?」
「えっ? あぁ、いや、その、なんだ……」
言い淀むピエッチェを気にもせず、クルテはベッドに潜り込む。
魔法を掛けた布で肖像画は覆った。ならばもう、フレヴァンスには見えないし聞こえない。それなら今の続きを……そう言いたい。クルテの期待に潤む瞳が思い起こされてやるせない。
「あぁあ……」
クルテが再び溜息を吐く。
「やっぱり手順は大切。焦るとロクなことにならない」
独り言? それとも俺に言ったのか?
「そうだな、寝るか……」
諦めてピエッチェもベッドに横たわる。
クルテが言う手順が何を示すのかは判らない。だけど焦っても失敗するってのは当たってそうだ。クルテを人間にする。まずそこからだ。それから『一心同体』になったって遅くはない。
「好きだよ、クルテ」
いつものように囁けば、クルテが嬉しそうな顔で抱き着いてくる。唇を重ねるだけのキスは、今日は少しだけ物足りない。だけど、今はそれでいい。クルテが寝息を立て始め、ピエッチェも目を閉じる――
布を被せたままの肖像画をクルテが睨み付けていた。
「問題は、これをどうやって、どんな理由をつけて王宮なり、マデルの父親の屋敷なりに運ぶか、だ」
朝食は既に済んだ。マデルからの手紙が来るまで動けない。空いた時間は好きに過ごそう……カッチーは本を読むと言って自分の寝室に戻った。
絵の中のフレヴァンスが周囲を見聞きできるのは判った。そして絵への出入りは本人の意思によるもの、それなら信用できる誰かが居れば、絵から出てくるんじゃないか?
「マデルに来て貰うか?」
ピエッチェの提案はすぐさま却下された。
「父親の屋敷に戻ったマデルは、マデリエンテ姫として行動するしかない。国王との謁見自由な姫ぎみが、気軽に街を歩けると思うか?」
「家人の目を盗めばいいだけでは?」
「貴族の令嬢の格好じゃなきゃ、フレヴァンスが怪しむぞ? 第一、もしそれでフレヴァンスが出てきても、さすがに誰が見たって王女だと判るフレヴァンスを連れ回せない」
なるほど、フレヴァンスが姿を現しても心配のない場所まで、肖像画のまま運んだほうがよさそうだ。
「だったら、やっぱりマデルに来て貰えばいいんじゃないか? 来て貰って、屋敷に招待して貰おう」
「招待……それはいいかもしれない。旅でいろいろ世話になったわたしたちを、お礼に招待する、それなら理屈が通る。わざわざマデルに来て貰わなくていい」
「なんだか、マデルがここに来るのを嫌がってるみたいだな」
「嫌がってるわけじゃない――でも、よく考えたらやっぱりわたしたちがマデリエンテ姫の住まいに招待されるのも巧くない」
「はぁ……ダメですか? 何が問題?」
「わたしたちがマデリエンテ姫と繋がっていると、ノホメに知られるのがまずい」
ノホメ……ララティスチャングで一番用心しなくてはならない相手。
「ジランチェニシスたちは、ラクティメシッスとわたしたちが顔見知りなのは知っているかもしれないが、マデルの正体には全く気付いていないと思う。いわばマデルは切り札だ。ノホメの正体も目的も判らないうちはマデルのことも知られないほうがいい」
「なぁ……ジランチェニシスがローシェッタ王家を恨んでいるのは、実はノホメの企みなんてことはないか?」
いいや、おまえはそう考えているんじゃないのか?
フフンとクルテが鼻を鳴らす。
「そうと決まったわけじゃない。だけど充分あり得る話……だからわたしたちは慎重に動かなくてはならないんだ」
少年が養育係に大きく影響されるのは当然のことだ。本人と接触し行動を共にした結果、ジランチェニシスの性格や考え方の偏りは人為的に作られたものだと感じている。もし推測通りなら、ノホメの狙いはローシェッタ王家――




