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それにしたって、人間に成りたい理由が俺?
(クルテが人間に成りたがってるって?)
(クルテ? そんな名は知らない)
(コゲゼリテの女神が生み出した娘の名だ。少なくとも俺にはそう名乗っている)
(あぁ、あの娘は切に願っている――おまえ、願いを叶えてやれるのか?)
(俺も願っている、アイツには人間に成って貰いたい!)
(ならば……同じ轍を踏まぬことだな)
(同じ轍とはなんだ?)
(ふむ……知らないのか忘れているのか?――わたしが言えるのは、誓うものを間違えるな、と言う事だ。血は身体中を駆け巡ってはいるが、おまえそのものではない。おまえの部分に過ぎず、日々生産され消費される。時を経れば入れ替わる)
『カテルクルストは己の血を捧げ愛を誓った』
それを言っているのか?
(だったら? 何に愛を誓えばいい?)
(思い出せ、そして考えろ――そろそろ雨が降る。さらばだ、カテロヘブ)
フッと、女神の姿が消える。そしてハッとピエッチェが目を覚ます。座席に座って話していたはずなのに、横たわったままだ。
今のは? 夢を見ただけなのか? それにしてはリアルだった……
ざっと風の音がして、窓から冷たいものが飛び込んできた。雨粒だ。やっぱり雨が降った。なんでジランチェニシスや道具屋には判ったんだろう? いや、今はそんな事を考えるより、小降りの内に外套の用意をしておいたほうがいい。キャビンから飛び降りて荷台に回った。道具屋に箱ごと渡された外套をキャビンに運ぶ。夜明けはまだ遠い。約束の時間はまだまだ来ない――
起きだすころには土砂降りになっていた。外套を着込み、納屋に行くとリュネがヒヒンと笑った。ピエッチェを見て笑ったのだ。古めかしいデザインの外套はジジむさく不格好だった。
「濡れるよりはいいんだよ。おまえと違って濡れると後が厄介なんだ」
言い訳しながら箱の蓋を開ける。外套が入れてあった箱だ。飼葉を入れてきた。外側はべっちゃりだが、中身はさして濡れずに済んでいる。
リュネがむしゃむしゃ食べる横で、バケツに皮袋から水を注ぐ。リュネが食べている間にも雨脚は強まっていく。
「どうする? この街にもう一泊するか?」
するとリュネがブフフッと鼻を鳴らした。心配ないと言ったのだと思った。
外套をキャビンに運ぶついでに荷台には幌を掛けておいた。荷物が、特にフレヴァンスの絵が濡れる心配はない。雨はいつまで降るんだろう? 案外、昼には止むかもしれない。だったらここでもう一泊は時間を無駄にするだけだ。
ヒヒン! リュネが嘶いて、納屋の出口を見た。行く気満々らしい。
「そうだな、行こう」
馬車を宿の入り口に横付けし、御者台を降りて中を覗く。あの不愛想な受付が、クルテに近寄ろうとするのをカッチーが阻んでいるのが見えた。
「早く馬車に乗れ! 急ぐぞ!」
ピエッチェの声が響く。
すぐに出てきた三人、
「遅いじゃないのよぉ!」
まずはマデルの苦情、クルテはニッコリ微笑んだだけ、カッチーが、
「俺、ちゃんと二人の護衛、しましたから」
と怒ったように言った。
「アイツ、何を絡んできたんだ?」
「土砂降りだから、もう一泊してけって」
クルテはそう言ったが、
「あんただったらただで泊めるてやる。ただし俺の部屋ってクルテに言ったのよ。馬鹿にしないで欲しいわ」
マデルはプリプリ怒っている。
「まさか、夜中に部屋に来たりは?」
「さすがにそれはなかったわよ」
「なんでマデルに判るんだよ?」
「食事の後、クルテと部屋を交換したから。もし来るならわたしが居る部屋。でも誰も来なかった」
それでも心配でクルテを見ると、
「大丈夫。誰も来なかった」
とピエッチェを見上げた。それでやっと落ち着いたピエッチェだ。
マデルがピエッチェの食事の心配をする。
「どうせどこかでティータイムだろう? その時でいいよ」
「お腹が空いたでしょう?」
「カッチーとは違うからな。飢え死にするなんて騒がないから安心してくれ――それよりジランチェニシスだ」
御者台に乗ると言い張るクルテをピエッチェは許さなかった。
「どこかでおまえが着れるような外套を買ったらな」
雨に濡れて熱を出したのを忘れたかと言われれば、クルテも従わざるを得ない。
ジランチェニシスは宿の受付でボーっとしていた。病人を運んで貰うのは馬車が来てからと、話はついていたようだ。キャビンに乗っていた三人はいったん降りて、ジランチェニシスと偽カテロヘブを奥に行かせた。
そのあとマデル、カッチー、最後にクルテが乗り込み、ピエッチェがタラップを荷台に積む。
「さぁ、リュネ。頑張ってくれよ」
御者席から声を掛けるとリュネがヒヒンと笑った――
街らしい街に辿り着いたのは昼近く、さすがに空腹で『助かった』と心底思う。雨も幾分小降りになっていて、マデルが御者席後ろの覗き窓を開け、
「買い物がしたいんだけど」
打ち合わせ通りピエッチェに言った。
街の名はヤッパリイネ、あと半日で王都ララティスチャングだ。さすがにそこそこ賑わっていた。軒を連ねた商店は客のためだろう、オーニングを引っ張り出している。中でも大きな店の前に邪魔にならないよう気を付けて馬車を停めた。オーニング伝いに行けば濡れずに目的の店を探せるだろう。
マデルとカッチー、クルテが角を曲がって見えなくなってから、キャビンのドアを開けてジランチェニシスに話しかけた。
「あんたはどうする? どこかで休憩してくるか? 病人は俺が看てるよ」
「そうですねぇ……」
ジランチェニシスが勿体つけて窓の外を見る。
「えぇ、少し外の空気を吸ってきますよ」
出立の予定時刻を言うと、
「随分ここに長居するのですね」
と不審がられた。
「何を買いに行ったんだか知らないが、それが終わったらどこかでお茶でも飲むつもりだろうからな」
「あぁ、そう言うことなんですね。では、わたしもゆっくりしてきますよ」
ジランチェニシスが降りてから、外套を脱いだピエッチェがキャビンに乗った。
ほどなく戻ってきたのはマデル・カッチー・クルテの三人、キャビンに乗り込むとパンのいい匂いが漂ってくる。
「また随分と買い込んだなぁ」
三人が三人とも、大きな袋を抱えている。カッチーにいたっては三袋だ。
「ララティスチャングは宿は多いけど食事を出してくれるところは少ないから大目に買っておこうって、マデルさんが。明日の朝も困らないように見繕って買ってきました」
「カッチーに好きなのを選べって言ったらこの量よ。パン屋さん、夕方まで商品が持つかしらって心配してた」
「すぐに焼くから大丈夫ですって言ってくれました」
「この袋はお菓子」
袋を覗き込みながら呟いたのはクルテ、
「パンとお菓子、どっち? カスタードプディングのパイがある」
ピエッチェを見上げた。
「パンを二・三個食べてから、プディングパイを貰うよ」
ピエッチェが答えると、
「判った」
ニンマリして袋からクッキーを出して食べ始めた。プディングパイを食べたがっているんだと思ったのに、これは意外だ。
「クルテさん、俺にも! カスタードプディングのパイってどんなでしょうね?」
「プディングパイは一人一個。四個しかなかったから――はい、カッチー。はい、マデル。わたしは後で一緒に食べる」
「はいはい、ご馳走さま」
もちろん『一緒』はピエッチェと一緒ってことだ。
「マデル、それヘン。ご馳走さまは食べ終わってから」
真面目に言うクルテにマデルが苦笑し、カッチーがニヤッと笑った。
程よい甘さとカッチーは言ったが、プディングパイは甘かった。クルテと見交わしながら、一緒に食べたからかもしれない――
ララティスチャング到着は日没ごろを見込んでいた。
「街は防壁で囲まれてて、門はカテール街道口とモフッサ街道口、それとココナンザッブ街道口の三か所、それぞれ門兵がいるけど、ココナンザッブ街道口以外は飾りみたいなもんね」
ココナンザッブ街道はザジリレンとは別の隣国ミラカプヤグとの国境の街ココナンザッブに繋がる道だ。この門だけは通行証や身分証が必要で入都する者を厳重にチェックするが、他はほぼ素通り状態だとマデルが言った。
「門兵が立っているだけ? うーーん」
ピエッチェがマデルを見る。
「だが、それは今も? 街の噂が真実なら……ザジリレンと開戦の可能性があるなら、ひょっとしたら警備が厳重になってるなんてことは?」
「ザジリレンに備えるとなると、王都の出入りを固めても意味ないわ。街道とは言えない細い道を使えばいくらでもザジリレンから入って来られるんだから、関所を開設するより街の警備を強化したほうが早い――そう言えば、ピエッチェたちはどこから入国したんだった?」
しまった、と思うピエッチェだが、クルテは平然と
「川を下ってきた」
とマデルを見た。
「コゲゼリテの横を流れる川があるでしょう? あそこを舟で下ってたんだけど、休憩しようとして陸に上がった隙に、舟、流されちゃったんだよね」
「杭の打ち込みが甘いからだってババロフが笑ってましたね」
そうか、カッチーはその話を知っているんだった。ここで別の話をでっち上げるわけにはいかない。
「そうなると、モシモスモネン川の支流かな? あの上流はザジリレンのはずよ」
「ケケロッテって山村。少しばかりの畑と、あとは山ばっかり。カテロヘブ王が落ちたところよりずっと下流」
「へぇ……カテロヘブ王が落ちたのはあの川なんだ。ザジリレンが、下流に流れ着いたのではって考えるのも滅茶苦茶なことでもないんだね。でもさ、居るはずだから返せ、返さなきゃ戦だ、なんて、ちょっと乱暴すぎるわ」
「まぁ、正気を失ってはいるがカテロヘブ王を連れて行く。なんとかなるんじゃないか?――ところでマデルはどこで馬車を降りる?」
クルテがうまく切り抜けてくれ、ホッとしたピエッチェだ。が、これ以上カテロヘブの話をされるのは居た堪れない。何しろカテロヘブ王については偽りしか言っていない気がする。
「王都に入ったら、すぐに降りたほうがやっぱりいいかな?」
マデルは決め倦ねているようで、ピエッチェに意見を求めてきた。だが、答えたのはクルテだ。クッキーで口をモグつかせている。
「マデリエンテ姫の顔を知っている人に見られたらまずい。だからなるべく早い方がいい――門兵はマデルの顔は知らないよね?」
「それは大丈夫、カテール街道口に立つのは新兵って決まってるから。せいぜい入隊して二年。もちろん上流貴族の子弟はいない」
「騎士もいないってことですか?」
横から聞いたのはカッチー、好奇心をそそられたらしい。
「えぇ、王宮の警備に当たってるから、騎士たちは滅多なことじゃ街に出てこないね」
マデルが少し寂しげに言った。




