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「判った、それじゃあ三人だけ部屋で。俺は馬車で寝ようと思うが、それはいいかな?」
「この街には宿がもう一軒ある。そっちを当たれよ」
「もう行ってきたさ。実は俺たち全部で六人でね、向こうは二人部屋一部屋しか空きがなくって、二人そっちに置いてきた」
宿の受付が舌打ちする。
「仕方ねぇなぁ……馬車の預かり賃を貰うが、それでもいいならそうしなよ」
「それと、食事も三人分しかダメかな?」
「食事? 宿泊客は三人だ。預かってる馬車に何を乗せてるかなんて知ったこっちゃねぇ。だから食事も三人分」
「そうか、うん、判った、そうしてくれ」
「あー、あと、馬車で寝るヤツは建物の中への立ち入り禁止。そのまま居座られちゃ堪らんからな」
「あぁ、よく判った」
クルテが何か言いたげだったのを制したピエッチェだ。
支払いを済ませ、馬車に戻る。キャビンを外すのを手伝おうというカッチーに、
「クルテとマデルを護衛してくれ。なんだかここの受付係、目つきが悪かった」
カッチーではまだ、リュネを厩に一人では入れられない。何も知らないマデルが、
「行くよ、カッチー」
カッチーを連れて行く。クルテは不安げにピエッチェを見たが、二人と一緒に宿に向かった。
マデルとカッチーには部屋が取れたとだけ言った。
「一人ずつ、別々の部屋だ。たまにはいいだろう?」
二人が疑うはずもない。
裏手の納屋はすぐに判った。中には藁が少し積んであり、掃除用具が投げ出してあった。キャビンを外し、水を飲ませ、キャビンの荷台に積んでおいた飼葉をリュネに与えた。
「中にある藁を、間違っても食うなよ。できる限り近付くな」
リュネがヒヒンと鼻を鳴らす。でもこれは笑いじゃないと思った。
リュネを納屋に入れ、自分はキャビンに戻る。どこかでフクロウが鳴いている。時おり吹く風が木を揺らし、ざわざわと音を立てている……静かだ。
小鳥たちから聞いた情報通り、タスケッテの街は森に囲まれていた。進むにつれて街道の両側に木が増えて、林から森へと変わっていった。コゲゼリテ間道を思い出す風景だが、こちらの方が森が深いように感じた。何しろコゲゼリテとは木の高さが違う。この森の木は向こうの倍はありそうだ。ただ、道幅も圧倒的にこちらのほうが広く、圧迫感はなかった。
カテール街道は森の中をまだ先まで続いていた。タスケッテの街は街道脇の木を伐採して作ったようだ。ポコンと街道から飛び出した、そんな感じだ。
この森はどこまで続いているのだろう? 明日は王都ララティスチャングに着くのだから、その直前までか? それとも入り口まで? ララティスチャングは盆地だったはず、ならば王都の際まで続いているのかもしれない。
森に道を通すのは大仕事だ。伐採し、地ならしし、そして舗装する。盆地からならそれに加えて山を越えるか、山を切り崩すかしたのだろうから、生半可なことではなかったはずだ。工法は知識としてあるが、道の建設に携わったことはない。しかし、想像するだけで身体が震える。果たして自分に勤まるのだろうか?……カテルクルストはさぞや苦労したのではないか?
むろん、実際に施工したのは労役を課せられた庶民だ。だが、その庶民が不満を感じ働くことに消極的になれば、工期は遅れ出来栄えも劣ったものになる。そうならないよう指示を出し続けるだけでも大変なことだ。
飲み干したワインの小瓶を足元に転がした。荷台に隠しておいたものを、リュネの飼葉を出すついでにキャビンに一瓶だけ持ってきた。空き瓶は朝、起きたら片付ければいい。今日はもう寝てしまおう。座席に横たわり目を瞑った。一人きりで眠るのは久しぶりだ。でも……
果たして眠れるだろうか? クルテがいないのに? それにクルテは? 一人で泣いてはいないだろうか?
ふと感じた近付く気配に慌てて上体を起こす。すぐにキャビンのドアを開け、飛び降りた。誰なのかを確かめる必要なんかない。
「クルテ!」
宿の窓から漏れる灯りにクルテの姿が浮かび上がる。逆光で顔はよく見えない。だけどクルテだ、間違いない。
駆け寄って何も考えずに抱き締めた。足元でゴソッと何かが音を立てたが、それどころじゃなかった。
「クルテ、なんでおまえ……なんでこんなところに居るんだ? 部屋に居ろって言ったのに。なんでホンの少しの間なのに我慢できないんだ? 早く部屋に戻れ」
声が掠れている。クルテを責めているはずなのに、責めちゃいけない気がする。悪いのは自分のほうだ。大切なクルテに我慢なんかさせるな!
クルテが抱き返してくる。するとピエッチェの中にあった空虚な部分が満たされて行く。
「カティ……言ってることとやってること、矛盾してるよ?」
そうだな。そうだよな。こんなにきつく抱きしめられてたんじゃ、部屋に戻ろうたって戻れないよな。でも、もう少しだけ、こうさせてくれ――ホンの少しも我慢できないのは俺のほうだ。少し離れていただけで、心にぽっかり穴が空いちまった。
「ねぇ、わたしもキャビンに居ちゃダメ?」
「それは……」
それはやっぱりダメだ。
「せっかくベッドを確保したんだ。おまえは部屋でちゃんと休め。体調を崩す」
「だって、カティは?」
「俺は少しは鍛えてる。おまえよりは随分と頑丈だ。だから心配ない」
「それじゃあ……」
クルテがピエッチェから僅かに身体を離し、見あげてきた。
「キャビンに虫よけの魔法を掛ける。今夜は蒸してる。窓を開けたくなる」
「判った。それが済んだら部屋に戻るんだぞ」
「ピエッチェがちゃんと食べたら帰る」
「食べたら、って何を?」
するとクルテがハッとする。
「サンドイッチを持ってきたのに……ない、どこ?」
「サンドイッチ?」
「そう、パンにキュウリと茹で卵を挟んで圧し潰した。紙袋に入れて持ってきたのになくなった」
圧し潰した? なんか、間違ってないか?
「あ……」
クルテが足元から何か拾い上げた。どうもキューテマの紙袋のようだ。そう言えば、ガサッて音を聞いたような?
袋を開けて中を確認したクルテがホッとする。
「大丈夫。作った時と変わってない……カティのために作ってきた」
「おまえが作ったのか? 夕食に出されたんじゃなくって? おまえはちゃんと食べたのか?」
「うん、サンドイッチを作った残りは自分で食べた。わたしに作れそうなのは、茹で卵のサンドイッチだけだった」
「おまえ、茹で卵、大好きじゃなかったか?」
「うん、大好き。カティは嫌い? 茹で卵じゃイヤだった」
「イヤなもんか……」
抱き締めたい衝動、だけど
「キャビンに行こう」
肩を抱くだけにしておいた。
荷台からワインとレモン水の小瓶を出して、レモン水をクルテに渡しキャビンに乗った。魔法を使ってキャビンの中を明るく照らす。
座席に座ると、クルテが黙って差し出してきたレモン水の小瓶を開けてやり、自分もワインの栓を抜く。ワインの香りがキャビンに満ちていく。するとクルテが虫よけ魔法を掛けたと言って窓を開けた。涼しい風がそっと忍び込んできて、酒を含んだ空気を追い出していく。
ワインを一口飲んでから、クルテがくれた袋を開ける。嬉しそうにピエッチェを見詰めるクルテ、さてクルテ作のサンドイッチは……
「ヘン?」
袋を覗き込んだピエッチェがニヤっと笑ったのを見て、クルテが不安そうな顔になった。
「いいや。個性的だなって思っただけだ」
笑い出したいのを堪えてサンドイッチを取り出した。
確かに圧し潰されている。どうやら茹で卵を丸いままパンに挟んだようだ。だから出っ張りを均そうと圧し潰した。きっとそうだ。クルテのサンドイッチはキュウリと茹で卵とパンだけ、味をつけることは思いつかなかったのだろう。そして時どきガリッと音がする。卵の殻だ。
「美味しい?」
「うん、こんなに旨いサンドイッチ、初めて食べた」
ニコニコと嬉しそうに食べるピエッチェを、クルテは信用したらしい。
「よかった……また作るね」
いろいろ難はあるけれど、旨いと思ったのは嘘じゃない。苦心惨憺しているクルテを想像する楽しさはどんな調味料よりいい味だ。しかもそれはピエッチェのためだけのもの――これほど旨い料理が他にあるだろうか?
でも、もし次に作るなら、マデルに教えて貰ってからにして欲しい……
ピエッチェが食べ終わるのを見届けてクルテは部屋に戻って行った。行くなと言ってと目で訴えるのを無視し、行くなと言いたいのを抑えた。だけど不思議なもので座席に横になり目を閉じると、今度はすーっと入眠できた。〝日課〟を果たせたからかもしれない。囁けば胸に熱いものが込み上げた。そして唇の柔らかさと優しさ……幸福感は睡眠導入剤にもなるらしい。
目が覚めたのは差し込む光のせいか? それとも視線を感じたからか? 誰かが窓から覗き込んでいる。でも殺気のようなものは感じない。危険な相手ではないと根拠もないのに信じられた。でも、
「誰だ?」
聞かずにはいられない。
横たわっていた体を起こし、座席に座る。その途中で気が付いた。キャビンの窓の高さから覗くには、かなりの高身長じゃなければ無理だ。俺でさえ背伸びしてやっと目が窓枠の下を超える程度、なのにこいつは少し前屈みで覗き込んでいる……
(おまえこそ誰だ?)
女の声、窓から覗いているのは女、ソイツの声だ。でも耳からは聞こえない。頭の中に直接話しかけてきた。
(ザジリレン王家の者だというのは判っている――ザジリレン王家の生き残りはカテロヘブとクリオテナの二人。そしておまえは男。そうなるとカテロヘブだな……王よ、なぜタスケッテの森にいる?)
(なぜザジリレン王家の者だと?)
ピエッチェも心の中で女に問う。すると女がニヤリと笑った。
(わたしはタスケッテの森の主精霊。森の女神とおまえたちは呼ぶ――カテルクルストの血の匂いと顔を知っている。おまえはヤツにそっくりだ)
顔はともかく血の匂い? カテルクルストが傷を負った時にでもそばに居たのか?
(ヤツは己の血を捧げ、森の女神に愛を誓った。わたしがヤツの血の匂いを知っているのは当然だ)
(愛を誓ったって、あなたに?)
ふふん、と森の女神は笑った。
(すべての森には別の女神、けれど女神は繋がっている。わたしは人間の男を愛したことなどない)
愛を誓ったのは別の女神、だけど連携しているからいろいろと知っていると言いたいらしい。
(それで、俺になんの用だ?)
(コゲゼリテの女神が生み出した人間擬きが、人間に成りたいと願う理由を見にきたまで)
人間擬き? クルテは身内とも言える森の女神たちに、そう呼ばれていると?
(ほう、怒りを感じたか。だが、他になんと呼べば? 成り損ないよりはマシであろうが?)
(うん? 心が読めるのか?)
(心の内で話ができるのだから、読めないはずがなかろうて)
筒抜けってことだ……




