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通常、この宿では一階の食堂で朝食を摂ると決まっていたが、センシリケが気を利かせて部屋食にしてくれた。至れり尽くせりでピエッチェは恐縮するが、なぜかジランチェニシスは当然という顔をしている。それが気に食わないピエッチェだ。が、マデルやカッチーはピエッチェよりもっとイラついたようだ。
『なにさまのつもりなんだか?』とマデルは呟き、カッチーは『どこまで愚かなんですかね』と嘲笑った。二人ともわざわざジランチェニシスに聞こえるように言っている。
ピエッチェが二人を窘めるより早く、
「わたしのことかな? 子どものころから『お坊ちゃま』と呼ばれてました。それと、カッチーさん、愚か者はどこまで行っても愚かですよ。恩を受けたからって、一度礼をしたらそれで始末がついたと忘れてしまえばいいのに、いつまでも忘れない。きっと、自分は義理堅いんだと思い込みたいんでしょうね。半分以上は見栄ですな」
ジランチェニシスが笑った。
皮肉を言われたことすら気付いていない。なにさまの意味が通じていないし、愚か者をセンシリケのことだと思っている――ジランチェニシスの育ちの良さから来たものと、言ってしまえばそれまでか?
夕食にしても
「こんな田舎にしては頑張ったようだけど、沿岸でもないのに魚介類ですか? どうせなら近郊でとれるものにしたらいい」
などと言いたい放題、聞かされるほうは気分が悪いのに、言っている本人はニコニコと上機嫌だ。
この宿は夕食は提供しない、本当なら宿の外の飲食店を利用するが出掛けなくて済んだ、この料理は心の籠った持て成しなんだとピエッチェが教えると
「だったら、ここで料理を食べる必要はありませんね。外に行きましょう。居酒屋ならもっといろいろな酒や料理があるかもしれません……あぁ、でも、こんな田舎じゃ無理かな?」
平然と言って、ピエッチェをうんざりさせた。疲れているから出かけたくないと言うと、
「仕方ありません。まぁ、節約は大切ですな」
部屋での食事を了承した。
ジランチェニシスを同行者として連れてきたのは失敗だったかもしれない。捕らえて縄を打ち、目隠しをし、猿轡を噛ませて引っ張ってくればよかった。だが今さらだし、それではきっと改心させられない。
「改心するのかねぇ……ってマデルが言ってた」
センシリケの宿を発ち、デレドケの街中をコゲゼリテ間道に向かってリュネを歩かせている時、クルテがポツンと言った。
「アイツは性根が腐ってる、だって」
少し考えてからピエッチェが答えた。
「教えてくれる人がいなかったんだと思う。それに……」
「それに?」
「きっと、まともな愛情を受けたことがないんじゃないか?」
「母親はあいつを愛してたんじゃないの? 自分で人形をこさえるほどには」
「それなんだけどさ、工房にあった型紙の表に書かれた手紙を読んだだろう?」
ジランチェニシスの父親あてと思われる手紙には、人形を作って息子に贈って欲しいと書かれていた。工房が返そうとしたら、送り返された手紙など不要と受け取って貰えなかったらしい。
「あの手紙さ、息子のために特別なプレゼントを作って送って欲しいって書いてあったよな?」
「うん、で、裏に型紙や作り方が書いてあった」
「裏の型紙とかって、手紙を送る時に書いたのかな? 送り返されてから書いたってことはないか?」
クルテがピエッチェを見上げた。
「なんでそう思った?」
デレドケの街を出るとリュネの足を少しだけ早めた。もうすぐ、左に行けばグリュンパ、右に行けばコゲゼリテに繋がるコゲゼリテ間道にぶつかる。
「んー、『なんとなく』としか言えない――裏と表じゃインクの色が違ってた。それを見て、別の人が書いたのかもって感じてた」
「別の人って、ノホメとか?」
「あの時はノホメを知らなかった。知ってたら、もっとよく見て筆跡を確認してただろうね。それに、人形の作り方の指示が細かすぎるとも感じてた」
「ここからここまでなん目で縫えとかってあったよね」
「呪術、かな?」
「呪術? 魔法ではなく?」
クルテの問いに、ピエッチェが少し考え込む。
「あの時は『母親が自分の子に渡す人形に呪いをかけるなんてありえない、思い違いだ』って打ち消した。でもさ、もしそうだとしたら、ぬいぐるみが魔物になったのも納得だし、ジランチェニシスがどこか不自然なのも説明できる気がする」
「母親に呪われた子?」
「あるいは別の誰か……母親はその誰かに騙されてあの人形を作った」
「別の誰かって、ノホメかノホメのお仲間しかいないじゃん」
「まぁ、そうなんだけどね……で、別の視点から見ればこうも考えられる。ジランチェニシスじゃない誰かを呪うためのものだった」
「ふぅん……もしそうだとしたらその相手が誰かってのも判ってるね。ジランチェニシスの父親だ」
贈り主を呪うために人形を強請るなんて、考えるだけでも恐ろしい。きっと効果は絶大だ。だが、願いは拒絶され、手紙さえも戻された。呪おうと思っていたのなら、その気持ちはさぞや増長された事だろう。
「その頃には、あのコテージに来なくなっていたんだろうね。来ると判っている相手に、わざわざ手紙で強請ったりしない。会って顔を見て、甘えたほうがいい」
「うん、じゃ、そうする」
クルテはピエッチェの腕に絡みつく。
「グリュンパに着いたら、果物買って」
またかよ? ピエッチェがニヤっと笑う。
「どうしようかなぁ。甘やかすとロクなモンにならないからな」
「いいじゃん、どんどん甘やかして」
「てか、手綱を捌く邪魔になる。危ないから離れろ――その結果がジランチェニシスなのかもしれないぞ?」
話が元に戻っている。クルテがピエッチェの腕を放して座り直した。
ピエッチェがニヤリと言った。
「いくらでも俺はおまえを甘やかしたい。今だって、腕に絡んできたおまえを可愛いと思ったし、嬉しくもあった。甘えるのも甘やかすのも心を酔わせてくれる。でも、それだけじゃダメだ。おまえと自分を甘やかせば、もし何かあった時、咄嗟にリュネをコントロールできなくなる。結局は拒むことが良い結果に繋がるってことだ――愛情ってのは無責任に与えていいもんじゃない」
「んー、躾ってやつ?」
「ちょっと違うかな? 教育ともまた違う。なんて言えばいいかなぁ……やっぱり『責任』って言葉がしっくりくるな」
「ふぅん……ピエッチェの言うことはいつも小難しい。でも、なんとなく判るような気もする」
「はいはい、頭で考え過ぎってやつだろ?」
「うん、理屈っぽいとも言う」
「理屈っぽくって悪かったね」
「あらあら拗ねた」
クルテがクスッと笑う。
「いくら拗ねてもいいよ、甘やかしたげる」
「これって甘やかしなのか?」
「カティは甘えるのが下手だから、わたしが甘やかす」
「そりゃご親切にどうも」
「どーいたしまして」
なぜかご機嫌のクルテ、手綱を引きながらピエッチェの顔も綻ぶ。道はコゲゼリテ間道にぶつかっている。リュネを左、グリュンパに向かわせた――
カテール街道に出る前に休憩することにした。キャビンのマデルとカッチーをジランチェニシスから少し解放してあげたい。
「マデルとカッチーはクルテと一緒にお茶して来いよ。ヤツは俺が引き受ける」
ピエッチェの言葉にマデルとカッチーは嬉しそうだが、クルテは俯いた。
「果物、なんでも好きなもの買っていいから。それにあいつと一緒はイヤだろ?」
ピエッチェが宥めても『うん』と言わない。それでもマデルに
「美味しいお菓子のある店に行こう」
微笑んだ。
「で、夢見人の様子は?」
ピエッチェが尋ねると、
「あぁ、一人分の席を占領してるから邪魔だけど、温和しいって言うか、そもそも喋んないし動かないしね」
苦笑するマデル、カッチーは
「正気に戻るんでしょうか?」
それが心配らしい。
偽カテロヘブを一人で残すわけにもいかず、ピエッチェはジランチェニシスと、三人が戻るまでキャビンで過ごすことにした。
ピエッチェがキャビンに乗り込むと、
「どうして馬車をこんなところに止めたのですかな?」
ジランチェニシスが苦情を言ってきた。
「あぁ、少し休憩さ――三人はサロンに行った。戻ったら、馬にも水を飲ませて出発するよ」
「なんでわたしはピエッチェさんとここで留守番なんでしょう?」
それを訊くか? 舌打ちしたいがジランチェニシスの前だ。ぐっと我慢する。
「サロンなんて、女子どもが行くところだろ?」
ほんの少しもそんな事を思っちゃいないが、ジランチェニシスが納得しそうな答えを選んだ。
「まぁ、そりゃそうですが……」
思ったよりは納得できないようだ。
『それじゃあ今度休憩するときは一緒に』なんて言いたくない。そんなことになったら、マデルになんと罵倒されることか。
と、
(酒の小瓶を買ってく)
不意に頭の中でクルテの声がした。離れても俺が心配で、こっちの様子を窺っていてくれたらしい。
「酒の小瓶を買ってくるよう言っておいた。ジランチェニシスさんの分だ――次は事前に用意しておくよ」
「ほう、それは喜ばしい」
なんだかジランチェニシスの言葉遣いが御大層と言うか偉そうなものに変わってきているような気がする――
グュリンパからカテール街道に入る。最初の街モリモステに到着したのは日没直前だ。花を買うと言い出したクルテが、ついでに宿の評判を聞いてきた。
「マデルの情報通り宿は三軒。一軒は併設のレストランで食事だって。ルームサービスをやっているのは一番規模の大きい宿、そこならちゃんとした厩も車寄せもあるって」
「もう一軒は?」
「ジランチェニシスが文句言いそうな安宿」
すぐ、一番大きな宿に向かった。
が、思い通りにはいかないものだ。四人部屋と二人部屋にしか空きがないと言われた。
「じゃあ……四人部屋を一部屋と二人部屋を二部屋。八人分の宿賃を払うからなんとかならない?」
宿の受付係に、クルテが甘え声で言った。ムカついたが黙っているピエッチェだ。
「ん、まぁ、こちらに文句はないんだけれど……六人なんでしょう?」
「そうよ、それに一人は病人。医者に診せにララティスチャングに行くの」
「えっ? 病人?」
受付係がギョッとする。
「染つる病気じゃないから、そんな顔をしないで……怖い思いをして自分を見失ってるだけよ。ねぇ、その人を部屋に運ぶのを手伝ってくださらない?」
「あぁ、そう言うことなら、何人か連れてきます――一泊ですね? 宿賃は前払いでお願いします。食事はどうされますか?」
ルームサービスも事前に注文しなくてはならず、代金も宿賃と同時に払って欲しいと言われた。夕食・朝食のメニューをピエッチェが決めている間に『マデルたちに言ってくる』と、クルテは馬車に戻った。
すぐにマデルとジランチェニシスが宿の受付に姿を現した。クルテはカッチーと二人でリュネを厩に連れて行ったらしい。




