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ぽかんとするピエッチェに
「なんだ、気付いてなかったの?」
マデルが微笑む。
「なんかさぁ、あんたとクルテから『二人の間には入り込んでくるな』って雰囲気をジンジン感じるのよね。最初はできてるんだって思った。でもどうもそうじゃなさそう。じゃあ、どっちかがどっちかを独占したがってるんじゃないか? だとしたらクルテに危険が及びそうになると血相変えて守ろうとするピエッチェの方だろう。だけど今の話を聞いて漸く分かった。クルテがピエッチェを自分のものだと思ってるんだわ」
「俺がクルテのもの?」
「そうよ、命を助けたんだもの、権利を主張したって不思議じゃないわ」
言葉にはしないが、ある意味あっているかもしれないとピエッチェが思う。何しろクルテは魔物だ。ピエッチェを自分の獲物と思っていても不思議じゃない。それにそうだ、『ほかの魔物が狙いを定めた獲物は横取りしないのが暗黙の了解』なんてことを言っていた。だが、それをマデルには言えないし、マデルが言っているのとは大きく意味が違う。
「って言うかさ、なんでそんなに色恋に拘る? クルテが俺に気があるなんて有り得ない。クルテが俺に言い寄ってきたことなんかないし、そんなの想像もできないぞ」
「ピエッチェが鈍感で気付いてないだけなんじゃないの? それにさ、クルテって本当に男? 男に化けてる女ってことはない? あの子からは男の匂いがしなかったのよね。もっとも、だからって女の匂いってわけでもなかった。まぁ、いい匂いだったけど」
「いい匂い?」
「あら、匂いには興味があるんだ? クルテの匂いはね、ちょっと甘い感じ? だけど爽やかで……何に似てるかな? 春先の新芽って感じかな」
「俺はそんな匂い、感じたことがないぞ?……蛇の時は生臭かった気がする」
「蛇ってなによ? 鼻が悪いんじゃないの?」
「いいや、こっちの話」
「クルテと一緒にいて、クルテの匂いを嗅いだこともないなんて、意識して近づかないようにしてる?」
「男同志で体臭が判るほど、べったりくっついたりなんかするかよ」
「たまにはくっ付いてみなよ。クルテって体つきも女みたいに柔らかいよ。案外十八って嘘かも? 本当に男ならまだホンの子ども、十二・三?」
「あの背の高さでそれはないだろ? カッチーが十六だ。クルテのほうがカッチーより背が高い」
「そうなのよね。でもさ、女だったら納得なのに……女にしては高いほうだけど、それだって驚くほど高いってわけでもないしさ」
「それにおまえも見ただろう? 男どもを次々に伸したぞ」
「喧嘩に強い女なんか珍しくないよ」
「あのさ、そう思うんだったら本人に訊いてみたら? クルテ、あんたは女かいって。きっと怒ると思うけどね――それにしても、どこに行ったんだろう?」
「そうねぇ……あぁ、もう帰ってくるんじゃ? 廊下で足音がする。あの足音はクルテよ」
「足音を聞き分けられるのか? 随分と耳がいいな」
「こんな時間にそう何人も歩いてたら怖いでしょ? 多分クルテだわって言ったのよ」
「ふぅん、クルテって言いきったような気がするけどな」
ピエッチェが言い終わらないうちに部屋の扉が開く音がした。ピエッチェが慌ててベッドから出て、寝室からクルテのいる居間に行く。自分のベッドにマデルが腰かけているところをクルテに見られたくなかった。
「クルテ、どこに行ってた? 心配するじゃないか」
「なんでマデルがおまえのベッドに居るんだよっ!?」
「えっ?」
部屋の扉の前に立ち尽くしていたクルテがピエッチェを見るなりイライラと言った。ピエッチェの言葉など耳に入らなかったようだ。
すると寝室の扉から覗き込んだマデルが、
「あら、クルテ、『なんでマデルが寝室にいる?』じゃないのね?」
と笑った。ピエッチェをすぐに追って出てきていた。マデルがピエッチェのベッドに腰かけていたのは、クルテには見えないタイミングだ。
「それは……」
珍しくクルテが狼狽える。
「そんな気がしたから」
苦しい言い訳に、マデルがクスッと笑う。
「ね、わたしの勘が当たってるって、ピエッチェにも判ったでしょ?」
「そんなんじゃない」
ピエッチェがムッとするが、マデルの中では確定してしまったようだ。
「で、クルテちゃん、どこに行っていたの?」
マデルが嘲るようにクルテを見る。物凄くクルテを嫌って、下に見ているような感じだ。クルテに纏わりついていたのはなんだったんだ、とピエッチェが思う。
「寝付かれないからウロウロしてた。それだけ――で、マデルはなんの用さ?」
「わたし? わたしも寝付かれなかったの。そしたらクルテ、あんたが部屋を出ていくんだもの。ピエッチェが寂しがってるだろうなと思って来てみたのよ」
「ふぅん、そりゃあご親切にどうも。でも、ピエッチェは一人を怖がるほど子どもじゃないんで、子守りは不要だよ」
「あら、大人の男にも子守りは必要よ、特に夜はね――クルテが戻ったから、わたしは自分の部屋に帰るわ。朝食は食堂よ。一緒に行きましょうね」
ニヤニヤしながら扉に向かい、廊下に出ると掌をひらひらさせてからマデルは部屋を出て行った。
「あの女、どういうつもりなんだ?」
憤るピエッチェ、
「知るもんか」
クルテが吐き捨てる。
「おまえ、心が読めるんだろう? あの女は何を企んでる?」
「ピエッチェと寝たがってる。それだけ」
「はぁ?」
「おまえ、コゲゼリテでも男に飢えた女たちに狙われてたよな。惚れた女さえ口説けない男のどこがいいんだろう?」
「その言われようはなんだかなぁ……」
「一回、寝てやれば? 纏わりついて来なくなるかもよ?」
「いいのかよ?」
「なんだ、その気があるのかよ!? フン、好きにすればいいじゃんか!」
「だっておまえ、怒ってるじゃないか」
「わたしが? 怒る? なんで?」
「いや、明らかに怒っているだろうが」
「だからなんで!? 経験すればこんなもんかって判る。度胸が据わってナリセーヌを口説けるようになるかもしれないぞ? むしろ勧めたいくらいだ!」
「だから、なんでそんなに怒鳴ってるんだ?」
「煩い! おまえなんか大嫌いだ、黙ってろ!――あ、いや、カッチーが目を覚ましそうだ。この話は終わり……まぁ、暫くあの女とは付かず離れずでいたほうがいい。適当にあしらっとけ」
「適当にって、おい こら、自分だけ言いたい放題かよっ!」
ピエッチェを無視して寝室に行ってしまったクルテを追うピエッチェ、
「話は終わってないぞ……」
ベッドに潜り込もうとするクルテの腕を掴む。
「触るな!」
「クルテ……なんでそんなに?」
そんなに、なんだ? ピエッチェ自身、続きが判らない疑問、
「どうかしたんですか?」
カッチーの声が聞こえ、ピエッチェがハッとクルテの腕を放す。
「いや、起こしてごめん……明日、どう動くかで揉めてたんだ」
クルテがすかさず言い訳をする。
「明日にしようって言うのに、ピエッチェったら執拗くって。まぁ、やる気があるのはいいんだけど――ピエッチェ、もう寝ようよ。僕、眠いんだ」
頭まで寝具を引被ってしまったクルテ、ピエッチェも仕方なく自分のベッドに横たわった――
翌朝、カッチーに揺り起こされたピエッチェ、
「クルテさんはマデルさんと先に、食堂に行っちゃいましたよ」
と言われ慌てて飛び起きる。
「なんだって?」
あんなことがあったのに、クルテのヤツ、何を考えているんだ? それともマデルに何か脅されたのか? いや待て、クルテがマデルを脅そうと考えてのことか?
どちらにしても、放ってはおけない――
カッチーを連れて大慌てで食堂に向かったピエッチェだが、どうにも違和感が拭えない。朝飯時だというのに他の宿泊客と、ただの一度も行き違わない。
「あれ?」
昨日、宿賃を支払った時に貰った食堂の場所を示した案内図を見ていたカッチーが扉を開けて立ち止まった。
「ここのはずなんだけど……」
扉の向こうには庭が広がっている。
「どこかで間違えたかな?」
宿泊した部屋は二階、階段を降りて左に真っ直ぐ突き当たり……間違えようがない。取り敢えず階段のところまで戻ろうとするが、今度はどこにも階段が見つからない。どうなってるんだ?
「どうしますか、ピエッチェさん?」
「落ち着け、カッチー」
そうは言ってもピエッチェだって動揺している。そこまで大きな建物じゃなかった。だが前方はどこまでも続く廊下が見えている。階段があり、その先には宿の受付、そして玄関があったのにそれが見えない。
「仕方ない、もう一度戻ってみるか」
再び食堂があるはずの方向へと歩く。するとどん詰まりに扉、開けると庭だ。
「庭に出て、宿の玄関から入ってみますか?」
「いや、庭に出たら二度と入れないような気がする」
宿のカラクリを暴くはずが、どうやらそのカラクリにまんまと掛かってしまったらしい。このままでは延々と廊下を行ったり来たりさせられそうだ。それに、クルテとマデルはどこに消えた? じっとりとした汗をかくピエッチェだ。
「いや、待て――反対側の終端を確かめてない」
「すっごく向こうまで続いてましたよ? 行っても行っても廊下って感じで」
「玄関を入ったら宿の受付、その横の廊下を行ってすぐに階段、俺たちが泊まった部屋はその階段を昇って二階の三部屋目、で、宿は二階建て。そうだったな?」
「はい、そうでした」
「階段と受付、そして玄関が無くなった。あり得る話か?」
「普通はあり得ませんよね」
「廊下は玄関があった場所より先まで続いている。これはあり得ることか?」
「あり得ない事です」
「だよな?――玄関があったところまで行ってみよう。本当に廊下が続いているか確かめるんだ。どうせ食堂にも泊まった部屋にも戻れない。何もしないよりはよっぽどマシ……カッチー、おまえは俺の後ろを来い」
歩き出したピエッチェ、カッチーが恐る恐る続く。
足早に進むピエッチェ、
「玄関はこのあたりだったっけ?」
と、カッチーに同意を求め、歩みを止めず首だけで後ろを向く。
ドン!
「うわっ!」
「えぇっ!」
何かにぶつかる感触、ピエッチェが勢いで押し返されてカッチーに抱き着くように倒れ込めば、カッチーも一緒に尻もちを搗く。
「お客さま!?」
声を掛けてきたのは宿の受付、
「何をなさっておいでで?」
目を丸くしてピエッチェたちを見ている。
「あ?」
カッチーを助け起こしながら自分も立って、ピエッチェが自分のいる場所を見渡した。
(玄関?)
ぶつかったのは玄関横の壁、すぐそこに宿の受付のカウンターがあり、受付係がその中にいる。
「いや、食堂に行こうと思ったんだが……」
「食堂なら、反対方向に廊下を真直ぐ、突き当りの扉の中にお入りください」
その扉は庭に繋がっていた――そう言おうと思ったが、さっきまでなかった玄関と受付がある。受付係に何か言いたそうなカッチーの口を塞ぐように、
「行くぞ、カッチー」
と歩き出したピエッチェだ。
行けば階段もある。突き当りの扉はさっきと見た目は変わらない。
「遅かったじゃないか」
扉を開けた途端、すぐそこのテーブルに席を取ったクルテの苦情が聞こえた。マデルも一緒だ。そして食堂は客で満席だ。
テーブルには二人分には多すぎる皿が並んでいる。キョトンとするカッチーに、『迷ったことを言うんじゃないぞ』と耳打ちして、クルテの隣にピエッチェが座った。自然、マデルの隣に座ることになったカッチー、いろんな意味でビクビクしながら腰を降ろした。
どこでもそうだが食事は宿賃とは別料金、メニューを見ると品数が豊富、だがやっぱり料金設定は高めだ。
「これだけの料理が出せるなら夜も営業すればいいのに」
とピエッチェが言うと、
「酒場のほうに行かせたいんだろうね」
クルテが言った。
「だけど酒場は夜しかやってない。だから朝だけは宿で出すのさ」
どうせ宿だろうが酒場だろうが、利益は持ち主に入っていく。
「それにしても……こんなに食い切れるか?」
「あら、四人で食べるには足りないくらいじゃない? ね、カッチー?」
マデルにニッコリされたカッチーが顔を赤くする。
「足りないならもっと頼んでいいよ――ピエッチェ、何か食べたいものは?」
「うん?」
クルテがピエッチェにメニューを渡す。昨夜のマデルとの話を思い出し、クルテの顔をまじまじと見そうになって慌てて視線をメニューに向けたピエッチェだ。慌てた理由はそれだけじゃない、あのクルテが自分を見て微笑んだ? マデルがクスッと笑ったような気がした。
「それにしてもピエッチェってお金持ちよね……騎士をしていた時に貯めたの?」
「旅の途中でしてきた魔物退治の礼金もあるからね」
マデルの質問に答えたのはクルテ、
「自分でも幾らあるか判ってないんじゃないかな」
とピエッチェを見る。
「え、あぁ、まぁ、金はクルテに任せているから」
ピエッチェが、頭の中に聞こえたクルテの指示通りに答えた。
「あまり金に興味ないし、クルテはしっかりしてるから路銀に困ったこともない。任せっぱなしさ」
「そうね、クルテってしっかりしてる。わたしも頼りにしちゃおうかな?」
「頼りにするならピエッチェだよ。僕は大して役に立たないからね」
プッと吹き出したマデル、
「それじゃあ、二人を頼りにしようかな――頼れる男になるのを待ってるからね、カッチー」
と、ケラケラ笑う。それにムッとしたのはピエッチェだ。
「カッチーを揶揄うな」
「ピエッチェ、食堂で揉めるな……そんな事より、今日はこれからどうする?」
「ねぇねぇ、街を散策するならわたしも一緒に行きたいな――武具屋巡りなんかどう? クルテって剣は扱えないの?」
マデルの提案に、ピエッチェとクルテが顔を見交わす。
「そうだね、ピエッチェの剣ももう少しいいものに買い替えよう。今の剣はカッチーに譲るといい」
クルテの言葉にカッチーの顔が輝く。
「だけどカッチー、まだ実践はダメだ。あくまで護身用。僕かピエッチェが剣を抜けって言うまで抜くんじゃないよ?」
「はい、クルテさん!」
「で、おまえは?」
「もちろん僕もいいのがあれば買うよ……マデル、良さそうな武具屋に目星をつけてるの?」
「大通りの東の外れにいいのを揃えてる店があったわ。クルテも剣を扱えるのね」
「貴族の子弟の嗜みだからね――マデルは今日もこの宿に泊まる?」
「あんたたちがいる間はこの街を出る気はないわ」
「それじゃ、宿を出る時、今夜の部屋も確保しよう」
「それってクルテ、さっきの話を?」
「文無しだって言われたら、出すほかないよ――いいよね、ピエッチェ?」
どうやら一足先に食堂に来て、マデルはクルテに金をせびったらしい。きっと朝食代も全部こっち持ちだ。文句を言いたいところだが、例によって『笑って了承しろ』と頭の中で言われれば、
「いいに決まってる」
としか言えないピエッチェだ。もともと金はクルテのもの、ピエッチェに何が言える?
それにしても昨夜のクルテとマデルの様子からは想像もつかない。マデルはクルテを嫌っていたんじゃないのか? いいや、クルテがマデルを嫌っていた? 食事の席とは言え、今の二人は仲良さげだ。
そしてピエッチェがマデルを盗み見る。おまえと寝たがっている――クルテがそう言った。この女と?
イヤだと思った。初めて抱く女は惚れた女がいい……ナリセーヌの笑顔を思い浮かべるピエッチェだった。




