20
ジランチェニシスが言っていた通り、屋敷を出ると見覚えのある小道だった。すぐそこに見えているのは大通り、角にレストランがあり、その斜向かいが泊っている宿だ。
ジランチェニシスは玄関までピエッチェを送ると、レストランでの待ち合わせ時刻を気にした。
「間に合うように、あの人たちに夕食を摂らせなくては……では、忙しいので」
さっさと屋敷の中に戻って行く。
(ちゃんと来るかな?)
クルテの心配する声が頭で聞こえた。
(来るさ。なにしろアイツはおまえにご執心だ)
(変なヤツに好かれた。いい迷惑)
(お陰でフレヴァンスを取り返せたと思えばいい)
(本当に大丈夫? 約束は違えられないから、代償としてアイツと一緒に行けって言わない?)
(言わないさ。俺はおまえが居なけりゃ生きていけない。ヤツに渡すモンか)
ピエッチェの言葉にクルテがウフフと笑い、
(知ってる、判ってる、信じてる)
と歌うように言った。それとも、ピエッチェが知らないだけで、そんな歌があるのだろうか?
(ま、心配するな――それより、宿に着くまで俺は何人に笑われるのかな? そのほうが心配だ)
背中に大きな額縁を背負って手にはクマのぬいぐるみ、ピエッチェが自分の姿を嘆いた。
(アルは大歓迎しそうだね)
クルテがクスクス笑う。いろいろな意味で機嫌がよさそうだ。
(大通りまで我慢してろ。ジランチェニシスがまだ見ているかもしれない)
なるほど、大通りに入ってしまえば額縁やぬいぐるみを消せるってことか。
屋敷の前の道は裏路地で、誰とも出くわさずに通り抜けられそうだ。あと五・六歩で大通りにぶつかる。きっとその先は、大勢の人が行きかっているだろう。
(おい、そろそろ通りから見えちまうぞ)
見えてしまうのは自分の姿、誰かが額縁やぬいぐるみが消えるところを目にしてしまうかもしれない。
(早く額縁と人形を消してくれ)
焦るピエッチェをクルテが笑った。
(消したりしないよ?)
(それじゃあ、どう――)
頭の中で言いきれないうちに
「うぉっ!?」
叫ぶピエッチェ、急に消えたのは額縁を括りつけている紐、背中の荷物が落下する感覚に、慌てて振り返り受け止めようとするが間に合うもんか!
「あぁあ?」
「そんなに焦らなくても大丈夫」
ピエッチェの後ろには人間の姿のクルテ、手に額縁をしっかり抱えていた。
「おっまえなぁ! それならそうと言っとけ」
「それより額縁、持ってて。あーあ、ぬいぐるみ、放り出しちゃ可哀想」
やや強引にピエッチェに額縁を押し付けて、落ちる額縁に慌てたピエッチェが放りだしたぬいぐるみを拾って埃を払う。
「普通のぬいぐるみ……怖い顔してるって言ったのは誰だった?」
「凄みのある顔、だったかな。ジェンガテクの宿の主人だ」
「あぁ、この子と対のぬいぐるみをサービスでくれたっけ。貰ったぬいぐるみ、どこ行った?」
「マデルに預けただろうが」
コイツ、やっぱり忘れっぽい。
クルテはぬいぐるみの脇のあたりに両手を添えて、前に掲げて持っている。改めてジランチェニシスから受け取った人形を見るとクルテが言うとおり、ごく普通のクマのぬいぐるみに見えた――まぁ、見た目だけだが。
「マデルに預けたものより、少しだけ凛りしい感じ。こっちが男の子で向こうが女の子って設定だよ、きっと」
クルテが言う通りかもしれない。が、
「まさかジランチェニシス、偽物を寄こした?」
ピエッチェが不安になる。
「んーん、この子からは魔物の気配を感じる。間違いない」
これまたクルテの言うとおり、ピエッチェだって感じていた。それがなければマントルピースの上に置かれているのを見た時点で疑っている。
「可愛いよね。なんでデッセムは凄味があるって言ったんだろう?」
「デッセムは『親父がそう言っていた』って言っただけだ。実際に見たわけじゃないんだろうよ」
「親父さんは見たんでしょう? それじゃあなんで、そう言った?」
クルテの質問に、ピエッチェがムッとする。
「母親の言いつけなんじゃないか?」
デッセムの父親の母はノホメだ。デッセムはともかく、父親の方はノホメの密命を知っていたかもしれない。
「それよりいったん宿に戻ろう、マデルにこの絵を見せたい」
「マデル、元気になったかな?」
心配そうに呟くクルテ、ピエッチェが
「どうだかな。体力は取り戻したと思うけど……でも、この絵を見ればきっと心も元気になる」
答えれば、
「そうだね、きっとそう。マデル、喜ぶよね」
しみじみ嬉しそうな顔になる。安請け合いし過ぎたか……後悔するのはピエッチェだ。
フレヴァンスを取り返したと言っても、絵の中からどうやって開放するのか見当がついてない。却ってマデルを泣かせはしないか……でもそれは言わなかった。せっかく嬉しそうなクルテを悲しませたくない。
自分の前にぬいぐるみを掲げ持ったまま歩きだすクルテ、ピエッチェは大きな額縁をやはり両手で持っているが、膝が当たってなんとも歩きにくい。
「頭の上にあげちゃえば?」
「それは不敬に当たらないか? 丁重に運ばないと」
「相手は絵だよ? 大丈夫なんじゃないかな、額に入ってるし。そんなポンポン膝で蹴るよりマシ」
それもそうか。頭の上に乗せても運びにくそうだったので、肩に担いだピエッチェだ。するとクルテがダメだしする。
「頭の上に乗せなって……他人に見られるリスクを少しでも減らせ」
「えっ?」
「そう、絵! 誰が描かれているのか、知られるのはまずいと思う」
「あ……」
そうだ、フレヴァンスは王女、顔が知られている。王女の肖像画を持ってウロウロしているヤツが居ると、警備兵を呼ばれるのは避けたい。首が痛くなりそうだなと思いながらピエッチェは頭の上に額縁を乗せた。宿はすぐそこだ――
居間で本を読んでいたカッチーが、部屋に入ってきたピエッチェを見てちょっと驚く。
「ピエッチェさん、それ、絵ですよね? 買ったんですか?」
どうやら興味津々だ。
「絵の趣味があるなんて知らなかったなぁ……どんな絵を買ったんですか?」
「あとで見せるよ――マデルは?」
「それが部屋に籠りっきり……寝てるんだと思ってそっとしてます」
「そうか、それでいい。カッチーは読書してたようだな」
伏せてテーブルに置かれた本に目をやって、ピエッチェが微笑む。
「はい、例によって女神の娘の物語です――今、読んでる物語は『人間の男に恋した女神が男を守るよう娘の一人に命じて剣に変えた』って話です」
グレナムの物語? だけどピエッチェからそれを言い出すわけにはいかない。
「あれ、そのクマ、どうしたんですか?」
カッチーの関心はあっけなく、クルテが抱いているぬいぐるみに移った。好都合、と口にはしない。何も言わず、ピエッチェが寝室に入っていく。フレヴァンスの絵はここに置いて出かけるつもりだ。だがその前に一仕事、マデルにもカッチーにも知られずに終わらせたい。クルテは巧くカッチーをやり過ごせるか?
居間でニンマリしているクルテ、カッチーがぬいぐるみをマジマジと見た。
「デッセムさんに貰ったクマとよく似てますね」
「あの子のお友達なのかもね」
クルテが微笑む。
「それよりお茶。咽喉が渇いてる。受付に行ってティーセットを貰ってきて。取りに行くって宿の主人に言ってあるから」
「はい! 大至急!」
「ゆっくりでいいよ」
カッチーが部屋を出るのを確認してからクルテも寝室に入っていった。
壁際に立てかけた絵を椅子に座って眺めていたピエッチェが、クルテを見て立ち上がる。
「始めるか……」
ピエッチェが呟けば、頷くクルテ、
「どっちからにする?」
ぬいぐるみをベッドに放り出し、サックをガサゴソ探る。
「ん? 何を探してる?」
「布、フレヴァンスの絵に掛けておく」
「向こうからはこっちが見えてるのかな?」
「どうなのかな?――あった、魔法を遮断する布。これで見えないし聞こえない、気配も通さない」
「それも道具屋で?」
「ふふん、察しがいい」
「いったいどんな道具屋でそんなものを?」
「畑の雑草を魔法で一掃するときに使う布だよ。作物をこの布で隠して周囲に除草魔法を掛ける」
「なるほど、作物に影響を出さずに雑草だけを枯らせるってことか」
「街人や農家のお手伝いをするような下位魔法使いが使う道具だからね。ピエッチェやマデルは知らないだろうね」
「しかし、道具屋になんか行ったっけ?」
「一人で行った。ピエッチェは洞窟で寝てばかりで暇だったし、食料とかを買いに行ったついでに寄った」
「ほかにも何か買ったのか?」
「何か買ったっけ?」
訊いているのはこっちなんだが?
「上げ底靴を買ったね。魔法で背を高く見せる靴で、本当は底を厚くしてあるのはバレないはずだった……でも騙された。けっこう高価だったのに、思ったよりも早く魔法が切れちゃってマデルにバレた」
俺が上げ底に気付くのが遅れたのは魔法の効果が切れていなかったからか。
「市中にはそんな魔法道具が出回っているんだな」
「大商人や上流貴族・王族、そんな金持ちは高位魔法使いを雇えるけど、庶民には無理さ。魔法使いって言っても力が弱い者は生活するのもやっと。ちょっとした魔法を切り売りすれば庶民の手助けにもなるし、自分の生活も安定する。でもしょせんはその場しのぎの魔法だから、効果は弱いし消えるのも早い」
「その布は大丈夫なのか?」
(わたしが魔法を上掛けする――フレヴァンスに知られたくないだろ? 声に出すなよ)
頭の中で聞こえたクルテの声に、耳から聞こえるクルテの声が重なる。
「まぁ、大丈夫なんじゃないかな? もしだめでも、大した問題じゃないよ」
そしてフレヴァンスが布に覆われた。
「準備はこれで良しっと……まぁ、ぬいぐるみが先だね? 早くしないとカッチーが戻ってくる」
「そうだな、ぬいぐるみから行くか。夜になって暴れ始めたら困る」
ピエッチェがぬいぐるみに手を伸ばした――
多少の抵抗はあったものの、ぬいぐるみの魔物封じは無事終わる。が、ピエッチェの顔は晴れない。
「どうした? 消失魔法を使うんじゃなかった?」
クルテに促されてもぬいぐるみを見詰めて動かない。
「なんだったらわたしが――」
「イヤ、やめとけ……念が強すぎて、新たな魔物を生み出しそうだ。気付いてるんだろう?」
「それじゃあ、どうする? また魔物になったら、その時はまた封じればいいじゃないか」
ピエッチェがクルテをチラリと見る。
「勝てないと思う」
「勝てない?」
「このぬいぐるみに宿っているのは母親の念だ。我が子を守ろうと必死な母親に、勝てるヤツなんかいない。無理に決まってる」
「またかよ? 戦う前から負けてら。ってか、勝つ気がない――で、どうする?」
「説得してみる」
「世を去った者の思念と話す気?」
クルテがピエッチェの顔を見てクスッと笑った――




