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ピエッチェの頭にクルテの爆笑が響く。
(おい! 怒鳴られるのよりは全然マシだけど、煩すぎるぞ)
窘めると少しは鎮まったが、クスクス笑いは止められないらしい。
(ジランチェニシスの間抜け面ったら)
人間の姿でいたなら腹を抱えて笑い転げていたことだろう。しかし今は紐、笑い声は周囲に聞こえないし、フレヴァンスが閉じ込められている絵をピエッチェの背に括り付けているだけでモゾともしない。
笑うどころではないピエッチェ、読み違いをしていたんじゃないかと思い始めている。ぬいぐるみやヤギ・鐘・アリジゴク・女神の娘像を魔物に変えたのは、本当にこいつなのか? 本人も自分の仕業だと認めるようなことを言ったが、なにしろハッタリが多い。要望に応えた姿にしてやると言ったが、少し突っ込んだだけでクルテを大笑いさせるほど狼狽えた……コイツにそんな魔法は使えない。
強い魔力は感じる。だけどそれを使いこなしていると思えない。目くらましは間違いなくコイツの魔法だ。アプローチの入り口で声を掛けてくるまで気付けなかったのは目くらましと気配消しの併用だと、今なら判る。湯を沸かしたり、舟の渡り板を動かしたり、そんなものは初歩の魔法だ。驚くほどのもんじゃない。
ぬいぐるみ・ヤギ・鐘・アリジゴクが魔物になったのはリュネ同様、彼らが自らそう望んだからじゃないのか? 魔物になって得た魔力で、自らを巨大化するのも可能だ――判らないのは女神の娘像だ。ジランチェニシスの魔法でないなら、なぜ娘像は俺を探したんだろう? 百歩譲って俺に思いを寄せていたとしても、いったいいつから? あの娘像とはあの時が初見だ。
そんな事を考えている間もピエッチェは、驚きと悔しさと怒りが入り混じった顔で睨みつけてくるジランチェニシスから目を離さない。
焼けるような視線のジランチェニシス――が、フッと息を吐き、なんとも言えない笑みを見せた。
「ピエッチェさん。この国の王太子の顔はご存知ですよね? 利用価値があるから残しておいた。それだけです」
本音か? それとも悔し紛れか? どちらでもない気がする。この笑みは諦めだ。
「ところで、カテロヘブ王が偽者だった場合のことを考えたのですが……」
ジランチェニシスの表情が元の不敵なものに戻った。
「その場合は、あなたを魔物に変えるというのはいかがでしょう? えぇ、姿はそのままで――魔物になれば魔力を得る。魔法が使えるようになるのです。悪い話ではないでしょう? 今まで精霊に頼っていた魔法を、自分で使えるようになりますよ。精霊の対価に見合うのではありませんか?」
ふぅん、なるほどね。でもそれはジランチェニシス、おまえが本当に何かを魔物に変える魔法が使えたら、の話だぞ。
ピエッチェがフッと笑う。
「なんだか、カテロヘブが本物だとしても取引に応じたくなくなった」
慌てるのはジランチェニシスだ。
「話が違う!」
「だっておまえの言う通りじゃないか。彼女の魔法には随分と助けられている。それを失うのは惜しくなった」
「そんな……」
「安心しろ、取引には応じてやる。条件の追加だ。カテロヘブが偽者でも本物でも寄越し、そして俺を魔物にしろ」
グッと目を閉じるジランチェニシス、が、どうしても精霊が欲しいのだろう。
(いいのか、そんなことを言って?)
心配したクルテがピエッチェの心に話しかける。
(どうせヤツは俺を魔物になんかできやしない)
(うん? ぬいぐるみはヤツの魔法じゃない?)
(ヤツは毎日のようにぬいぐるみに話しかけたんだろうよ。そんなヤツの念がぬいぐるみに宿った。そんなところだ)
(そんなことが起こるのか?)
(グレナムの剣って、実は魔物だって伝説がある。建国の王がまだ王子だったころから、大事にしていた剣がグレナムだ。それがある日、『大切にしてくれる恩に報いて、この先の不敗を約束しよう』って声がした。そしてその後、グレナムは王子に助言を与え続けた。そんな剣が普通のはずはない。魔物だって話だ――まぁ、伝説だから真実は判らない)
クルテは何も言わなかったが、笑ったような気がした。
「とにかく、カテロヘブ王を名乗る男に会ってみよう……尋問はできるか?」
ドアノブに手を伸ばすピエッチェ、今度はジランチェニシスも邪魔をしない。
「尋問は無理でしょう。彼も自失しています」
「ん? 自分をカテロヘブだと言っていたのでは?」
「それは、ここに来る前の話です」
なんだかな……ま、どうでもいいか。正気に戻ってから幾らでも話は訊ける。
男は自分に似ていないのは判っている。もしカテロヘブ王に似た誰かなら、ジランチェニシスはピエッチェを見て、こうも平然としていない。
(いいや、もう少し慎重に――知っていて惚けている可能性がないわけじゃない)
クルテが頭の中で言った。
(俺がザジリレン王だと気が付いているかもって?)
(絶対にないと言い切れないってだけだ。それと、まったく違う話だけど気付いたことがある)
(何に気が付いた?)
(アイツの情報源、特にわたしたちのことについての情報をどこから得てるんだろうって考えた。センシリケやギューム、ドンク……あのあたりかと最初は思ったんだけど、なんかしっくりこない)
(ジランチェニシス本人が俺たちに貼りついてたってことは?)
(姿を消して? 連れてきた人たちの世話があるからそれはないよ。他人に世話は任せない。秘密が漏れるのは避けるはずだ)
(それじゃあ、どうしてると?)
(レストランでの出来事はギュリューで噂になってる。コゲゼリテや森の聖堂の魔物退治の話も。だから情報源は必要じゃない)
(それで?)
(可怪しいと思ったのは、ラクティメシッスの顔を知っているかと訊いたことだ。コイツ、レストランでのことは店の前で騒ぎがあったってことしか知らない。わたしたちが店で王太子と一緒に食事をしたとは知らないんだ)
(そのどこが可怪しいんだ?)
(さっき、宿で連れが待っていると言った時、ヤツは何も訊かなかった。マデルとカッチーの存在を知っているってことだ。カッチーはともかく、アイツはラクティメシッスに拘りを持っている。なのにマデルについて一言もない。皮肉くらい言いそうだと思わないか?)
(マデルがマデリエンテだとは知らないってことだろう?)
(我々が四人で旅をしていると知っていて、マデルがマデリエンテとは知らず、そして魔法が使える人物は?)
(なぜ魔法を使える必要がある?)
(ジランチェニシスは魔法が大して使えないと、さっき思ってたじゃないか。王宮に手引きした人物がいるはずだとも。ソイツが情報源なら、説明がつく)
(そうなると……)
ピエッチェが唸る。
(該当するのは一人だな)
「どうかされたのですか? また頭痛でも?」
ドアノブを掴んだまま動かなくなったピエッチェを、ジランチェニシスが訝った。
「いや、魔物になったらどんな魔法が使えるんだろうと考えていた。どんな魔法が使えるんだ?」
「望みの魔法が使えるように調整します。わたしが使える魔法をいくつか、あなたも使えるようにしましょう……ただ、魔物にする魔法と姿を変える魔法は除外させて貰います」
「なんだ、その魔法が使えたら面白そうなのにな」
ニヤッと笑ったピエッチェ、やっとドアを開けた。
広さは他の部屋と同じ、だがここにベッドは一つ、だから広く感じる。空いた場所にはソファーセットが置かれ、男はそこに姿勢よく座っていた。だが瞳は何も見ていない。
「国王を街人と同様に扱うわけにはいかないので、ソファーを用意しました。朝、ベッドからソファーに、夜になったらベッドに戻らせます。もちろん食事もソファーで摂らせています」
国王だから特別扱いと言ってはいるが、命じている匂いがプンプンする。ベッドに戻って『いただいてる』と言うところじゃないのか?
「どうです、カテロヘブ王ですか?」
少しばかり不安そうなジランチェニシス、自信満々で高慢なのがこの男ではなかったか? それほど精霊が欲しい? いや、カテロヘブが偽者でも精霊は手に入る。なぜだろう?
さてどうする? クルテと小舟のうえで打ち合わせたのはここまでだ。偽カテロヘブを偽者だというか本物だというか相談しているところで対岸に着いた。
(まったく似てないね)
クルテが笑う。
(どうして自分はカテロヘブだなんて言ったんだろう?)
(さぁねぇ……それより、本物だって言うか? それとも偽者だと?)
(年頃は二十歳くらい、さすがにそこまで似てないんじゃ騙れない――どっちにしたい?)
(したいか訊くって、俺の希望?)
(どっちにしたって結果は同じ。ヤツは魔物に変える魔法を使おうとする。チャンスはその時だ)
「どちらなのですか? まさか判らないなんて、今さら言わないですよね?」
焦れるジランチェニシスを、偽カテロヘブから視線を外したピエッチェが見る。
「その前に質問がある――本物だろうが偽者だろうが精霊を手に入れられるのに、なぜ真偽を気にする?」
「えっ、いや、それは……」
ここでも狼狽えるジランチェニシスに、この質問はきっちり答えさせなきゃならないとピエッチェが思う。コイツ、何かを隠してる……
「そりゃあ、気になるじゃありませんか。王さまになんて『めったに』会えるもんじゃない。せっかくだからじっくり顔を拝見しておこうかな、とか」
「今まで毎日世話をしてきたんだ。今さらだろう?――誤魔化しは効かないぞ。正直に話して貰おうか?」
「いや……もし本物だとしたら、ここに軟禁した罪に問われはしないか心配で」
ジランチェニシスが顔を顰める。
「ローシェッタ国王のところに連れて行くと言っていたじゃないですか? ローシェッタとザジリレンは王家同士が親戚。親戚に酷いことをしたと、ローシェッタ国王がわたしを責めはしないか、それが心配で……」
「なんだか、ローシェッタ国王と知り合いみたいなことを言うんだな」
「いいえ、とんでもない! 王族に無礼を働けば罰せられるのはどこの国も同じ、それを言ってるんです。国王がわたしなんかを知るはずがない!」
最後は悲鳴だ。自分の存在をローシェッタ国王に知られたくないか?
『少年は誰を呪った?』
『王家に連なるすべての者ども』
ピエッチェの脳裏に、再び人魚の言葉が蘇る。
『怒りのままに呪い、そして愛を欲しがり愛してもいた――愛憎の源はしょせん同じ』
ジランチェニシスはローシェッタ国王に自分の存在を本当は知って欲しいんじゃないのだろうか? だけど知られるのが怖い。肉親として扱って貰えるのか、それとも闇へと消されるのか? きっとヤツは王家の体面のため、自分は闇の中へと追いやられたと感じている。それに――
ヤツが心の底から憎んでいるのはどこの誰でもない。自分自身だ。




