10
断りたいが断る口実が思いつけない。できれば今日中に、せめてどれが空き家かくらいは調べておきたい。どれほどかかるか判らないのだから、不要なことに時間は使えない。
(ちょうどいい、休憩しよう)
頭の中でクルテが言った。
(ここで時間を使うのはなぁ)
(坂を上ってきたし汗も掻いた)
もう疲れたのか? これくらいで疲れるなよ。そうは思うが途中で動けなくなられても困る。ここはクルテに従っておくか。断るのも面倒だし、お茶くらいご馳走してくれるだろう。
「会えるかどうか判らなかったんで今日は手土産がないんです」
申し訳なさそうに言うクルテ、
「そんなの気にしちゃいけません。お話しできるだけで、わたしは嬉しい」
相変わらすギュームは話し相手に不自由しているらしい。
通されたのはギュームの自室、居間では嫁になぜかバレてしまうと笑う。
「先日も、懐かしい知り合いが前を通りましてね。いやあ、十年ぶりでしたか」
十年ぶり? ピエッチェが思わずクルテを見、クルテはそんなピエッチェに目配せする。
「近くに住んでいるんだとか……十年経つと随分と雰囲気も変わるものですな」
と、ここでギュームがお茶を淹れる手を止めた。
「そうそう、あなたがたが探していた男ですよ。わたしの絵を譲った……ほら、似顔絵を描いて差し上げたでしょう?」
ラジ……やはり清風の丘に居たか。
「そんな偶然もあるんですね」
クルテがニッコリ笑んだ。
「近くって、どのあたりですか?」
「訊いたんですけどねぇ、どう説明したらいいか判らないと仰って。そのうち招待してくれるそうです――しかしあの似顔絵は失敗でした。見るからに穏やかな、優しい感じの男になっていたんです」
「十年の間にご苦労されたとか?」
「いろいろ学ばれたと仰っていましたね――まぁ、少なくともこの丘に屋敷を構えられるほどですから、経済的な苦労はなかったんじゃないでしょうか?」
「それで、お名はお訊きになりました?」
「それがね、訊いたら笑って冗談を仰いました……『最近はラクティメシッスと呼ばれている』なんてね」
ギュームは笑うがピエッチェとしては笑うどころじゃない。それなのにクルテは涼しい顔で笑っている。
「王太子さまと同じだなんて大きく出ましたね」
「いえいえお嬢さん、周囲が揶揄って彼をそう呼ぶって話だと思います」
「揶揄うって?」
「よく似ているんですよ。王太子さまがもう少しお年を召したらあんな感じでしょうな。印象もよく似ていました」
「印象まで似るなんて、あの似顔絵からは想像もつきません」
「きっと幸せに暮らしてらっしゃるんでしょう。豊かな暮らしは人を温厚にしますからね」
ゆったりとした笑顔を見せるギューム、ティーカップをそれぞれの前に置く。似顔絵を描いてくれたときはラジへの敵意を感じたが、今は微塵も感じられない。
そのあとは、もうすぐ生まれてくる孫の名を何にするかで揉めているとか、レムシャンは職場で役職についただとか、ギューム一人で話している状態が続いた。クルテが巧く相槌を打ったり、話しを膨らませてくれたから助かったピエッチェだ。一人じゃとうてい間が持てない。しかも聞いているふりをしていればいいだけだから、いろいろ考えることもできた。
そんなピエッチェが話に引き戻されたのは
「ご結婚の日取りは決まったんですか?」
と、ギュームがクルテに尋ねた時だ。
「なんですと、まだ全然決まっていない? ピエッチェさん、なにをグズグズしてるんですか?」
「えっ? あ、いや……」
今、この二人は何を話していた? 焦るピエッチェ、クルテが
「わたしがなかなか決断できないでいるんです」
と苦笑した。
「だってクルテさん……ピエッチェさんでは不足ですか?」
クルテが出した助け舟をギュームは鵜呑みにしたようだ。
「でもまぁ、結婚は人生を左右する。迷うのももっともです」
しかもクルテの返事に納得した。
なんだよ、俺のことは責めるのに、クルテのことは責めないんだな……納得できないのはピエッチェだ。
「ところでグレーテさんは、今日はどちらに?」
クルテのこの質問に
「胎児の様子をチェックして貰いに医者に行ってるんです――いけない。そろそろ戻る時刻です」
ギュームが慌てた。
「もっとお話ししていたいんですが、そうもできないようです。嫁が戻る前にお帰りになったほうがいい」
「妊婦さんを不必要に興奮させちゃダメですよね」
クルテとピエッチェが同時に立ち上がる。
「ご馳走になりました――いずれまた、立ち寄らせていただきます」
玄関まで見送った後、ギュームはすぐ家の中に引っ込んだ。来客の証拠隠滅を図るのだろう。助かったのはピエッチェたちだ。ギュームが見ていては、坂を下るしかなくなる。
隣同士の干渉を防ぐ目的か、清風の丘の道は緩くカーブしていた。お陰で隣の屋敷の門前まで来るとギュームの家は見えなくなった。そこでクルテが立ち止まり、当然ピエッチェも立ち止まる。
「ギュームが見てそっくりならば、間違いなく似てるってことだな」
溜息交じりにピエッチェが言った。ラジとラクティメシッスのことだ。
「おまえが言ってた、ノホメの話の信ぴょう性が出てきた」
ラジの両親が前国王の隠し子と王女だって話のことだ。迂闊に前国王だのラクティメシッスだの声に出せない。
答えないクルテ、門の奥を覗き込んでいる。
「丁寧に磨かれた門扉、植栽も整えられている――空き家ではない」
そして振り返り
「他人の空似って言葉もある」
道を先へと進んだ。
並んで歩きながらピエッチェが溜息をつく。
「ここまで来てそれはないだろう?」
「もしノホメの記憶の通りだとしても、それを本人が知っているかどうかはまた別の話だ」
「あぁ、それはそうかもしれないな」
なんとなく、クルテから怒りを感じる。ラジの出自など関係ないとでも言いたいのだろうか?
二軒目・三軒目と見て回ったところで本道から延びる脇道に出くわした。その道に入るか、それとも本道を真っ直ぐ行くか?
「きっと、この先には一軒あるだけ……な気がする」
屋敷に誘導するための道のように見える。
「そんな感じの作りだな。で、敷石には傷みがない」
「じゃあ、こっちに――」
突然言葉を切るクルテ、ピエッチェも俄かに緊張し、クルテを後ろ手に庇うように振り返った。急に感じた視線、すぐそこに佇む男はいったいいつの間に、どこから現れた?
「その先にあるのはわたしの屋敷ですが……何か御用でしょうか?」
ゆったりと笑みを浮かべる男がピエッチェたちに問いかける。金髪に碧眼、
(この男が、昨日、レストランにいた男だ)
クルテの声が頭の中に聞こえた。
「家を探しているんです」
ピエッチェが男に言った。
「さては迷子になられましたね。なんと仰るかたのお屋敷ですか?」
男は微笑みを消さない。
「いいえ、誰の、と言うわけではなく……いい家があったら清風の丘に住みたいと思いまして。この辺りに売りに出された屋敷があると聞いたのですが?」
「それでしたら、この道を真直ぐです。わたしの屋敷のことだと思いますよ」
「あなたの? 売りに出されてるんですか?」
「えぇ、なにしろ不便で……家に他人が居るのが好きじゃないんで召使を雇っていません。一通りのことは自分で出来ますが、パン一切れを買うにも丘を下りて行かなくてはならない。初めの頃こそ物珍しくって良かったんですけどね」
「売りに出されているのは大きなお屋敷と聞いていますよ?」
「そうなんです。一人暮らしにはいささか広すぎる屋敷です――部屋数が多いので掃除も行き届かず、蜘蛛の巣だらけになっています。そんな状態でよろしければ、屋敷の中をご覧になりますか? 早く買い手がつかないかと、心待ちにしているんです」
嘘だ……嘘に決まってる。屋敷を売りに出しているなんて嘘だ。こっちの嘘を見抜いたうえで、こちらにあわせて吐いた嘘だ。
「とつぜん押し掛けたのによろしいんですか?」
「わたしは構いませんよ。どうせ暇を持て余しています」
そしてこちらがその嘘に気付いているのも承知している。判っているぞと言う代わりに、屋敷を見に来いと挑発している。その挑発に乗るか? それとも?
「持ち主のわたしが言うのもなんですが、なかなか立派な屋敷です。舞踏会も余裕で開けるほど大きな広間、地上部よりも広い地下室もあります。もっとも水が溜まってしまったので、汲み出さなければ使えませんが」
クスリと男が笑った。
舞踏会を開く広間、地下の水溜まり……デレドケで迷い込ませた屋敷のことを言っている――レストランの件だけじゃなく、その時の二人が俺たちだとコイツは判っている。
迷うピエッチェの頭の中にクルテの声がした。
(いつも歩いて出かけているのか訊いてみろ)
「お出かけはいつも徒歩ですか?」
一瞬男が首を傾げた。が、
「えぇ、馬の世話をするのはおっくうなので――それより、どうしますか? いらっしゃるのなら、お茶くらいお出ししますよ。もちろんお茶菓子もご用意いたします」
と再び笑みを浮かべた。
「安心して召し上がるといい。ちゃんと食べられるものですから……今日はお一人なんですね。いつも一緒に居る精霊のような女性はご一緒じゃない?」
(黙れ! 話しをあわせろ!)
久々に頭に響くクルテの叫び、
(アイツにはわたしが見えていない)
とつぜんの頭痛に俯いて顔を顰めるピエッチェ、
「どうかされましたか!?」
親切ごかしにピエッチェを覗き込む男、
「いえ、ちょっと頭痛が……」
他に言いようがないピエッチェに
「それはいけませんね。やはり屋敷においでください――肩をお貸ししましょうか?」
ニヤリと笑う男、
(ついて行け)
クルテの涼しい声がピエッチェの頭に響いた――
頭痛は一瞬のこと、だがピエッチェは納まらないふうを装って男について行った。それでも肩を貸すというのは固辞する。コイツになんか触られたくない。
「そうだ、お名をお教えください。わたしはジランチェニシス、あなたは?」
「ピエッチェと……」
「ピエッチェさん? もしやコゲゼリテで魔物を片付けたと噂の?」
「まぁ、そうです……あの、すみません、頭痛が」
「あ、これは気が利かなくって。着きました。すぐに門を開けますね」
ジランチェニシスが右手をあげる。するとガラガラと開く門扉、魔法を使ったのは明白だ。まぁ、存在に気付いた時から強い魔力は感じていた。それにしても、クルテの姿がヤツには見えていないって? 俺の腕にぶら下がってニヤニヤしているのに?
(わたしの魔法でカティにしか見えなくしたんだ)
クルテがピエッチェを見上げ、頭の中で話しかけてきた。
(カティ相手にだけ使える魔法。ほら、わたしはカティのものだから、他の人の陰には隠れられない)
(俺の影に隠れてるってことか?)
「どうぞ、こちらへ」
ジランチェニシスが敷地の中へと入っていった。




