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念のためピエッチェがクルテに訊いた。
「ヤンネがその大物だと思っているわけじゃないんだろう?」
「そうだね。曲がりなりにも飲食店を経営する堅気、悪党ってことはない。だけど善人でもない。巧く行かなくて手放した店をジョインズが繁盛させたからって取り返そうとした。自分勝手で小狡いヤツ――これはブルーベリー、角切りにしないで丸まま」
今度はゼリーから取り出した丸い粒を口に入れた。クルテ、おまえの最大の欠点は気が散りやすいところだ。ピエッチェが心の中で唸る。
「もし関わっているとしたら、どんなふうに?」
「悪巧みをする許可を貰い、知恵を借りた」
「何か悪さをするにはソイツの許可が必要?」
「牛耳ってることを前提にするなら、許可は必要」
「知恵を借りるってことは、大物は知に長けている?」
この質問はお気に召さなかったようだ。スプーンを持つ手を動かすのをやめて、クルテがニコリともせずにピエッチェを見た。
「ラクティメシッスが、ドンクみたいな小者を泳がせてでも捕えようとしている相手がおバカさんだと思う?」
まぁ、そりゃそうか……
クルテは再びスプーンを動かし、ゼリーを睨みつけた。
「閉じ込められた果物たちは開放した。お陰でゼリーはグチャグチャ」
イヤな予感にピエッチェが震撼する。予感は当たり、クルテがピエッチェを見上げた。
「なんでゼリー、グチャグチャ?」
おまえがスプーンでほじくり返したからだろうが!
「中の果物が無くなったからだ」
「なるほど。切れば姿を変え、中身を抜けば姿を保てないほど力を無くす」
えっ?
クルテがニヤリと笑う。
「正体を見せない大物が、自分の立場を保っていられるのはなぜか? そいつを恐れ従い支える小者たちがいるからだ」
手下どもをバラして、体制を崩せって?
「中身を抜けばの意味は判った。で、切れば姿を変えるの意味は?」
「いつでも同じ姿じゃないってこと――そいつを倒すには中身を抜いてグチャグチャにしてからのほうがいい」
クルテがスプーンを口に運ぶ。乗せられているのは形の定まらないゼリーだ。
「こんなゼリーでも美味しい。いろんな果物の味と香りが混ざり合って、油断ならない旨味がある」
クルテがニンマリする。
本体は場に応じて姿(見た目とか立ち位置とか)を変えるから心しておけ。そして、駒として使っている連中を切り離して弱体化させろ。だけど油断するな。弱体化したって力を全て失するわけじゃない――クルテの言いたいことは判った。
ドンクはこの先も執念深く追ってきそうだ。それを振り切るために、ラクティメシッスが追っている悪党の元締めと遣り合えってか? いろいろと有益だろうが、しかし……本来の目的、フレヴァンス救出から遠ざかりそうだ。
ピエッチェと同じ不安をマデルも感じたらしい。
「まさかクルテ、その陰の大物をあぶりだそうなんて考えてないよね?」
マデルの声には困惑よりも怒りを感じる。
「彼の仕事の邪魔はしないで欲しいし、フレヴァンスさま救出を忘れないで」
「忘れてないよ?」
クルテがニコッとマデルを見た。
「忘れてないからギュリューに来た。明日は清風の丘に行く。それにラクティメシッスの邪魔なんかしない。多分ね」
ここで『多分』はマデルをイラつかせるぞ。
「多分なんて言ってないで、絶対にしないで」
「絶対なんて世の中にあるのかな?」
「そんな問題じゃない」
「だってさ、その大物がラジだったら?」
息を飲んだのはマデルだけじゃない、ピエッチェも、カッチーさえも動くのを忘れてクルテを見た。
「コテージを出たのが十八年前、ギュームから絵を譲られたのが十年前――それだけ時間があれば悪党を牛耳るほどの力を持つに至っても可怪しくない」
「そりゃそうかも知れないけれど……根拠はそれだけ?」
マデルがクルテに問う。クルテの言うとおりだったとしたら、フレヴァンス救出が困難になるのか容易くなるのか? それがマデルを困惑させる。
「可能性を言っただけなのに根拠が必要? でも、まったくないわけじゃない――わたしたちがラジの行動で知っていることはなんだ?」
クルテの問い掛けにカッチーが答えた。
「ぬいぐるみに魔法を掛けて動かし、フレヴァンスさまを誘拐した。ギュームからコテージの絵を譲って貰った……これだけですよね?」
ピエッチェが唸って、あとを続けた。
「デレドケでセンシリケの娘と妻を連れ去り、センシリケを支配した。そしてデレドケの街人たちから仕事を奪い街を荒廃させた」
ピエッチェに頷いてからクルテがマデルに目を向ける。マデルがやっぱり迷いながら言った。
「ギュリュー、街人を唆して建物に色を塗らせた。その時はギュームの妻を騙る誰かがいた。ギュリューの街人全員が、いわば税金逃れの悪党に成り下がった……」
頷いてクルテが言った。
「セレンヂュゲを牛耳る悪党が、もし他の街にも影響を与える人物ならば、デレドケやギュリューを変えてしまったラジを放っておくかな? その大物がラジだと考えた方が合理的だ。そしてコゲゼリテ……」
「コゲゼリテ!?」
驚いたカッチーが悲鳴を上げてクルテを見た。それにクルテが頷く。
「ヤギ男を魔物に変えたのがラジだとしても不思議じゃない。それに、女神の娘像はなぜ魔物に憑りつかれた?」
「娘像は若者の悪戯なんじゃ?」
「評判を落とさないための建前」
溜息をつくマデル、どうやって娘像の魔物を退治したか、マデルは追及してきそうもない。ピエッチェがホッとする。
「ヤギ男を魔物にした誰かが居るなら、コゲゼリテの騎士病が納まり温泉が復活したと聞いたら、気になるんじゃ? 様子を見に来たついでに娘像に魔法を掛け、再びコゲゼリテを廃村に追い込もうと企んだ。そう考えたほうが辻褄が合う」
「そしてその〝誰か〟はラジって可能性が高い?」
考え込むマデルにクルテが優しく微笑んだ。
「だけどすべて仮説。根拠は不要かも知れないが証拠は必要。証拠や証言がなければ断定できない。見えない敵に慄くより、見えないなら見えるようにする」
「そうだな」
ピエッチェがマデルとカッチーを見渡して言った。
「だからできることからしていくしかない――明日はクルテの言うとおり、清風の丘に行く。そこでラジを見つけることが真相への早道だ」
「結論が出たところで、宿に戻ろう」
クルテが欠伸を噛み殺す。そしてピエッチェを見上げた。
「眠くて倒れそう。運んでくれる?」
「すぐそこまでだ、自分で歩け」
つれないピエッチェにクルテが頬を膨らませ、
「クルテさん、いつもの〝食べると眠くなる〟ですね」
カッチーがクスッと笑う。でもその笑顔には不安の匂い、コゲゼリテに思いを馳せているのだろうか?――
宿の受付ではアルが待ち受けていた。噂話を披露したいのだろう。
「ジョインズの店、大盛況だったでしょう?」
ピエッチェたちが宿に入るなり大きな声で話し始めた。
「ピエッチェさんたちとラクティメシッスさまのお陰だ、次回のご来店ではお礼にご馳走するって言ってたけど、どうでした? 旨かったでしょ?」
どうでした、と訊いたのは、ご馳走してくれたかじゃなく、料理の感想を訊いたらしい。まるで自分の手柄のように得意満面の笑顔だ。
「そうそう、あの夜、ラクティメシッスさまはマデリエンテ姫とご一緒だったんだって? あんたたちも姫ぎみと会ったんだろう? 羨ましいこった」
どうやらジョインズはマデルがマデリエンテだと、誰にも言わなかったようだ。
なんと答えたものかと思っていると、アルがピエッチェに凭れてウトウトするクルテに気付く。
「あー、お疲れだよね。お部屋にどうぞ――噂話がしたくなったらいつでも言っとくれ」
結局ピエッチェたちは何も答えないうちに解放された。
部屋は前回と同じ六人部屋、二人用の寝室が三部屋ある部屋だ、通りに面してバルコニーがある二階、バルコニーからはレストランが見降ろせる。
「ほかにも寝室が三つある四人部屋もあるって言ってたのに、どうしてこの部屋?」
部屋に入ってマデルがクルテに尋ねた。
「ここならお茶が無料サービス。お茶請けは有料」
「まさかわたしのため? 宿賃の方が高くつくよ」
「そうなのかな? そうかもしれない」
惚けるクルテにピエッチェは、きっと別の理由があると思ったが言わずにいた。
「バルコニーがあるのも気に入ってる」
ピエッチェの手を引いてクルテがバルコニーに出る。
「おい、眠いんじゃなかったのかよ?」
戸惑いながらも逆らわないピエッチェを
「二人で星を眺めようよ」
クルテが見つめる。
チラリと部屋の中に目をやってからピエッチェがクルテの肩を抱き寄せた。ついでのようにバルコニーの外にも僅かに視線を向けたが、そのままクルテを抱き締める。どう見たって恋人同士が愛を囁き合っているようにしか見えない。道を通る誰かが、何かの拍子に上を見てバルコニーに気付いたら、『そんなところでイチャついてないで、さっさとベッドに行っちまえ』そう言いたくなりそうだ。
居間からだって当然バルコニーの様子は丸見えで
「はん! なんでバルコニーで?」
不快感をあらわにするマデル、
「もう、寝るわ!」
呆れているのか怒っているのか、さっさと寝室に行ってしまった。一人残されたカッチーもボケッとピエッチェたちを眺めている気なんか、さらさらない。何も言わず寝室に入った。きっと趣味の読書でも始める気だ。
星を眺めると言ったクルテ、甘えるようにピエッチェに身体を寄せていたのは少しの間、居間の二人が寝室に消えると表情を硬くした。
「判った?」
「レストランにいた客だって?――あ、歩きだした。帰る気になったらしい」
クルテがピエッチェに回していた腕を解いてバルコニーの外を見る。ゆっくりとした足取りで、坂に向かって歩いて行く男がいた。
「わたしたちの部屋が確認できたから満足したようだね」
「店に居る時から気になってたのか?」
「あんなレストランに一人客は珍しいと思っただけだ」
「アイツ、俺たちに敵意を持ってるって言ったな?」
「敵意を感じたのは宿に戻ってから。まぁ、視線は感じてたけど……わたしたちが宿に向かうのを、レストランの窓から見てた」
「誰かに見られてるような気がしたのは、アイツが窓越しに見ていたからか?」
ピエッチェが苦笑する。
「しかし、なんで俺たちに敵意を向ける?」
「レストランを潰す邪魔をしたのはこいつらかって思ってた」
「なるほど――でも、ヤツがヤンネってわけじゃさそうだ」
「ヤンネだったらジョインズが店に入れずに追い返すだろうね……ヤツの髪の色は見えた?」
「暗いからなぁ……金髪っぽい感じだったけど?」
ピエッチェが俄かに緊張し、クルテがニヤリと笑う。
「わたしはレストランではっきりと見た――ヤツは金髪で碧眼だった」




