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翌朝、いつもの時刻に居間に行くと、マデルもカッチーもまだ起きだしてはいなかった。
「マデルを起こしてくる」
欠伸しながらクルテが言った。今日のクルテは男物の服、背中で髪を束ねている。
「じゃあ俺はカッチーを――」
起こしてくるよとピエッチェが言いきる前にカッチーの部屋のドアが開いた。
「あっちゃあ……今日もピエッチェさんとクルテさんより後だ」
カッチーが額を手で押さえた。
朝食が済んだらすぐにギュリューに向かうと言うピエッチェに、マデルは複雑な顔をしたが反対しなかった。ただ、チラッとカッチーの顔を見て、
「あんたの勘が当たったね」
と呟いた。そして、
「カッチーの勘?」
訊き咎めたピエッチェを
「こっちの話」
笑って誤魔化した。
レストランに行くと、今朝のメニューはサンドイッチかハムエッグだと言われ、四人ともハムエッグを頼んだ。
「昨日買ったのが部屋にある」
クルテがポツンと言ったのは果物のことだろう。それは良しとしても、どうしても食べ物は点検したいらしい。付け合わせのサラダに使われている野菜を一つ一つ確認していた――
支払いを済ませ、リュネが待つ厩に行った。
「何か箱がありますよ?」
キャビンの内部を見て驚くカッチー、ピエッチェが
「あの箱、どうするんだ?」
クルテに訊いた。
「キャビンに箱? なんの箱?」
コイツ、忘れてやがる。
「あぁ、思い出した。カッチー、それ、卵だから。足元に置いといて」
「卵って生卵ですか? 揺れで割れるんじゃ?」
「緩衝材を入れてあるから大丈夫」
本当に大丈夫なのかなぁ……カッチーがボヤく。クルテが小さな声で『多分』と呟いたのは、すぐ近くにいたピエッチェにしか聞こえなかった。
モフッサ街道を使えば、いくつかの村や小規模な街を通って王都ララティスチャングに行ける。だが今日は王都とは反対方向、ギュリューが目的地だ。徒歩で一日がかりの行程だが、今のリュネなら夕刻にはギュリューに着くだろう。
宿からモフッサ街道をギュリュー方面に向かうまで、昨夜の青シャツに尾行されていた。シャツを青から赤に変えていたが、アイツに間違いない。ピエッチェたちがギュリュー方面に行くのを見届けて、セレンヂュゲの街中に戻って行った。
(ドンクに報告に行った)
(街から出て行けば見逃してくれる、なんてことは?)
(いつでもわたしたちを追えるよう、仲間を集めて待機中)
だろうね……懲りないヤツだ。
空には薄雲が広がり快晴とは言えないが、雨は降りそうもない。当然、雷を心配する必要もない。だが、変に気温が高く、湿度も高い。ムッとした空気を吹き飛ばしてくれる風もない。窓を開け放しているが、キャビンは随分と蒸している。
セレンヂュゲを出て大して経たないうちに御者席後ろの覗き窓が開いた。
「ごめん、少し休憩させて」
マデルが音を上げた。困った……ピエッチェがクルテをチラッと見ると、少し考えてからクルテが言った。
「森の聖堂への間道、あそこで休もう」
(おバカさんたちは真っ直ぐギュリューに行ってくれると思う)
(やり過ごすってことか? ジェンガテクの時と似たようなパターンだ。待ち伏せされるのがオチだ)
(あの時と違ってわたしたちの目的地がギュリューだと、ヤツらは知らない。ギュリューまでに追いつけなければ、その先はどうするか迷うだろう。選択肢は三つ、ギュリューの街中を探すか、それともデレドケに行くか? あるいは森を抜けてグリュンパに向かえばいいのか? きっと、どれも選べず諦める)
(ヤツらが轍に気付いたら森の聖堂へ追い込まれることになるぞ?)
(おそらくヤツらは馬で来る。乗り慣れない馬、轍なんか気にする余裕はない)
(じゃあ、休憩を終えて間道から出てきた途端の鉢合わせは?)
(その危険は……充分にある)
クルテが苦笑した。
まあさ、とピエッチェが
(どちらにしろモフッサ街道で遣り合えば、無関係の人に迷惑が掛かる。聖堂の森の中なら少しはマシだ)
と心の中で言えば
(だったらむしろ……)
クルテがニヤっと笑った。
追っ手の気配が感じられないまま、森の聖堂への別れ道が近づいてくる。リュネの速度をあげて急激に曲がるよう手綱を捌く。道に轍をくっきりと残すためだ。行きかう人たちが乱暴なと眉を顰めた――
聖堂の森に出没していた魔物は退治され、女神の娘像に祈りを捧げることもできるようになった。が、まだ調査中と言う事で、王室魔法使いが聖堂への出入りを禁じていた。だからこの間道を通る者はいない。ドンクのことがなければちょうどいい休憩場所だ。充分に進んで、緩い角を曲がったところでリュネを停めた。街道からは遠く、絶対に見えない場所だ。
「うん、外のほうが涼しいわ」
キャビンから降りてマデルが息を吐く。
「窓を開けてるのに中は蒸し風呂、どうにかならないかしら?」
するとクルテがサックの中をごそごそ探って、黄色い革袋を出した。
「扇があるから使って」
棒状の物を二本出し、マデルとカッチーに渡した。
「扇?」
「骨を片側で止めてある。反対側を開いて使う」
「なるほど……あら、風が冷たい。これ、魔法ね」
「道具屋で見つけて買った」
「クルテの魔法じゃないんだ?」
喜んだカッチーが、バタバタと力任せに煽っている。そんなに腕を動かしたら余計に汗を掻きそうだ。
「ところでマデル。魔法でキャビンを森の中に移動させられない?」
扇子で涼を取るマデルにクルテが訊くと、チラッとキャビンを見てマデルが答えた。
「誰も乗ってない、リュネも繋げられてない、つまりキャビン本体だけならいけると思うけど……どうして?」
「実は――」
そこから先はピエッチェが説明を引き継いだ。
ドンクの本拠はセレンヂュゲで、ヤツは釈放されていた。そして性懲りもなく俺たちへの復讐を企んでいて、あとを追ってくるのが目に見えている。この際、徹底的に懲らしめようと思うが、モフッサ街道は人が多いから避けたい。この道に入る時、わざと派手に轍を付けて誘導することにした。さすがにヤツも気付くだろう。
作戦はこうだ――森の中に隠れて聖堂までヤツラを行かせる。その間に俺たちは間道に出て、反対に待ち受けよう。そして……
「任せてください!」
ピエッチェから話を聞いてカッチーがゲラゲラ笑った。早速、リュネからキャビンを外し、マデルが魔法で森の中に隠した。リュネはカッチーが手綱を引いて、キャビンの近くまで連れて行った。
ドンクたちを待ったのはキャビンの中、森に入れたからかマデルが嘆いたような暑さはなかった。むしろヒンヤリと涼しい。
朝食後すぐに宿を出たから果物を食べていないとクルテが言い出し、キャビンの中でブドウを食べ始める。それじゃあ俺もとカッチーはリンゴだ。
だが、二・三粒食べたところでクルテがイヤそうに言った。
「来たみたい」
マデルは扇子で仰ぐのをやめ、カッチーはリンゴを咀嚼するのをやめた。そこまでしなくても、蹄の音が近づいてくるのは聞こえるぞと思うのはピエッチェ、そのくせ耳を澄ましている。
馬はおそらく八頭、すぐそこの間道を通り抜け、森の聖堂へと向かっていった。少し遅れて馬車の音も聞こえ、やはり通り過ぎていく。それが最後尾、後続は居なさそうだ。
「よし、間道に出るぞ」
慌ただしく全員がキャビンから降り、キャビンとリュネを間道に戻し、馬車を仕立て直した。もちろん進行方向はモフッサ街道、背中をドンクたちに向けることになるが、それでいい。
「馬車には何人乗ってたのかしらね?」
「あの音だと、御者も入れて八人から十人ってところだな」
「総勢十六から十八?」
「二人乗りの馬もいると思ったほうがいい」
タラップをキャビンの入り口の前に置いてカッチーが笑う。
「キリよく二十人じゃないですかね?――マデルさん、準備が済みました。乗ってください」
マデルが座るのを見届けると、カッチーはタラップを持ってキャビンの後部、貨物台に向かった。貨物台と言っても蓋のない箱だ。高さもカッチーの腰ほどしかない。荷物を積みやすいよう、側面に戸が付いている。
荷物を貨物台に乗せていたピエッチェが、カッチーからタラップを受け取って貨物台に置いた。それからカッチーに手を貸して貨物台に乗り込ませる。
「無理はするな、間違っても落ちるなよ」
「はい、命綱、しっかり結びました……タラップ、椅子にすると楽そうですね」
「座ってる暇はなさそうだぞ?」
貨物台の戸を外から閉めて、ピエッチェが御者台に向かう。先に座っていたクルテが、
「戻ってくる気配がない……アイツら、まさか聖堂の中を調べてる?」
とピエッチェを見た。いつもの席だ。
「聖堂は立入禁止だ」
「でも、門衛が付いてるわけじゃないんじゃ?」
「閂くらい掛けてあるさ」
「壊してしまえばないも同じ」
「王室魔法使いへの反逆と取られるが?」
「わたしたちの仕業だって主張すればいい」
まったく、面倒なヤツに目をつけられたもんだ。
思ったよりも時間はかかったが、後方から『居たぞ!』と声が聞こえた。
「そろそろ動くか」
ピエッチェが手綱を握る。ゆっくりとリュネが歩き始め、追手の蹄の音が近づいてくる。
「何か言ってますよ!」
貨物台ではカッチーが面白そうに声を張り上げた。
「待てぇ!」
「待ちやがれ!」
どんどん大きくなってくる声にリュネを停めて御者台を降りたピエッチェ、カッチーのいる貨物台に飛び乗った。
「俺たちになんの用だ!?」
ピエッチェが大声で答えているうちに、キャビンの屋根に乗ったのはクルテ、手にした弓をこれ見よがしにふらふらと降る。
「ぬう!」
先頭で追ってきた男が慌てて馬を止めた。その男には見覚えがある。ドンクに間違いない。ドンクが小声で子分たちに何か言った。『これ以上近付いたら射抜かれるぞ』とでも言ったのだろう。睨み合ううち馬車も到着し、バラバラと男たちが飛び出してくる。敵はカッチーの予測通り、総勢二十人だ。
「やい! グリュンパでは巧くやったと思ったんだろうが、あいにくだったな」
ドンクが叫んだ。
「俺はセレンヂュゲの王室魔法使いの御用を承っている。おまえみたいな若造の手に負える相手じゃねぇんだよ!」
ドンクの周囲で『おーー!!』と声が上がる。
吹き出しそうなのを堪えるピエッチェ、クルテはキャビンの屋根でクスクス笑っている。よくカッチーがゲラゲラ笑い出さないもんだ。
ドンクの演説はまだ終わらない。
「今日はな、王室魔法使いさまに命じられ、おまえたち詐欺師を捕らえにきた。温和しく従ったほうが身のためだぞ!」
王室魔法使いの命令? ハッタリか、それとも真実か? それに詐欺師って何を言い出した?
「高位魔法使いの名を騙ったそうじゃないか。いい度胸してやがる」
ふぅん、なるほどね……
さて、どうする?




