19
玄関扉の前で待っていたババロフが、ピエッチェの顔を見てほっと息を吐いた。
「誰かがガタガタ扉を動かしたんだ。こっちからは何も言うなって言われてたから黙ってたら、そのうち止まった」
娘像の仕業に違いない。
「ババロフに任せてよかった」
クルテがニッコリすると、ババロフが『それくらいはな』と顔を赤くした――
女神の娘像に憑りついた魔物を娘像から追い出して退治した。魔物は霧と化して消えたと説明した。
大浴場の前には、村の自警団団長と浴場の管理責任者も来ていた。
「来るなって言われたけどさ、どうしても気になっちゃってね」
三人は持て成したいから自宅に来いと口々に誘ってきたが、そんな接待は不要と断った。
「騎士病の時も大したお礼をしていない。それなのに今度は大浴場を救ってくださった」
「ピエッチェさまとクルテさまはコゲゼリテの大恩人です」
「気持ちは嬉しいが、そう言ってくれるだけで充分だ。むしろ心苦しいくらいだ」
コゲゼリテのためと言うよりも、フレヴァンス救出の手掛かりを求めての行動だ。
「そうだ!」
と、手を叩いたのは浴場の管理責任者だ。
「大浴場の前にピエッチェさんとクルテさんの銅像を建てよう!」
「はぁ?」
「おお! それはいいアイデアだ。二人の功績を称えて――」
「ダメだ、そんなの絶対やめてくれ!」
断固拒否の姿勢を見せるピエッチェに、コゲゼリテの三人が困惑する。
「何しろそれは許可できない。迷惑だ」
「迷惑とまで仰いますか……」
管理責任者はしょげるが、
「奥ゆかしいのはこの人のいいところ」
クルテがニッコリすると、
「それもそうだな。ピエッチェさんはそんな人だった」
ババロフも頷く。
「派手なことは性に合わないんだ。察してくれ」
コゲゼリテの銅像が実はザジリレン王だったなどとあとで知れてみろ、問題になるだけだ。どんなに気まずくたって回避するしかない。
「それじゃあ……」
新提案はババロフだ。
「これで大浴場は夜も営業できるようになった。お祝いのパーティーを開こう。ピエッチェさんとクルテさん、それにマデルさんにカッチーも招待するよ。それでいかがかな?」
「これからカッチーの屋敷に戻って仮眠を取ったら、夕方にはギュリューに着くよう出立する予定だ」
ピエッチェがそう答えると、クルテが
「ギュリューは明日でいい」
とピエッチェを見上げた。日付は既に変わっている。
(マデルもカッチーも大浴場にまだ行ってない)
(温泉に入らずコゲゼリテを発ったんじゃ、何しに来たんだって思われるな)
それでも、
「急にパーティーなんかできないだろう?」
とピエッチェが言えば、
「前祝いってことで、今夕やろう」
ババロフが他の二人に同意を求めた――
カッチーの屋敷には厩から入った。
「リュネ、起こしてごめんね」
クルテが首に抱き着くと、いつもなら鼻を鳴らして喜ぶリュネが物音を立てないように気を遣っている。
「大したもんだな」
「出かけるとき、音をたてないようにって、わたしが言ったのを覚えてるんだ。いつ帰るんだろうって心配してたかも」
帰りは厩で様子を窺う必要もない。と思っていたのに、
「マデルがキッチンにいるな」
厩から中庭に出でたところでピエッチェの足が止まる。しかしクルテは構わずどんどん先に行く。
「構わない。このまま入って、ババロフが考えた村人たちへの説明をマデルにも言えばいい」
マデルには魔物の封じ・魔法封じのことは言えない。だから別の話を聞かせるしかない。ババロフたちには娘像に憑りついた魔物を追い出したと話したが、マデルがそれを聞けば『どうやって追い出した?』と、きっと追及してくる。それもなんだか厄介だ。だから、ババロフたちが考えた『村人たちへの説明』を借用しよう。
パーティーは今夕と決まった。コゲゼリテの三人は朝から準備するぞと大張り切りだ。しかし……と三人は顔を曇らせた。
大浴場通常営業開始の前祝いはいい。困るのは、女神の娘像に魔物が憑りついていたなんて噂が広まれば、客足が遠ざかるんじゃないかってことだ。だから娘像が動いたのは、悪戯だったことにできないか?
『最初に娘像が動いているのを見たククトスが黙ってないぞ?』
『なぁに、夢でも見たんだってことにしとけ』
女神の娘像が動くのは数人の若者による悪戯だった。話題になって客を呼べると思ったらしい。ピエッチェがソイツらを捕まえて説教した。彼らは二度としないと誓った。だから、もう娘像は動かない。誰が首謀者だったかって? 浅はかだったと反省してるから、今回は名を明かさずに勘弁してやれ――少しばかり無理があると思ったが、そんな話をでっち上げることにしていた。もともとババロフたちに聞かせた話も真相ではなかったし、さらに真実からは遠ざかった。だが、それはこの際どうでもいい。コゲゼリテの住民が平穏に暮らせるのが一番だ。
「どこに行ってたのよ?」
勝手口を入るとすぐにマデルが詰め寄ってきた。
「なんだ、ずっとここに?」
「居るわけないでしょ。厩が開く音がしたからダイニングからこっちに様子を見にきたのよ」
「じゃあ、ずっとダイニングに居たの?」
「だってあんたたち、出てったっきり帰って来ない。心配するじゃないの」
勝手口から出て行ったのには気付いていた。リュネの様子でも見に行ったのだろうと思っていた。ところが暫くすると厩から外に出て行く気配がした。二人で夜の散歩と洒落こんだ? まぁ、あの二人なら心配もないだろう。そう思っていたのに散歩にしては長すぎる。
「まぁ、あんたたちなら心配する必要もないだろうけどね――咽喉も乾いたから、一人でお茶してたのよ」
ダイニングには飲み干したティーカップが一つ、テーブルにあった。
「わたしも咽喉が乾いた――マデル、お茶淹れて」
甘えるクルテに
「仕方ないわねぇ」
マデルが微笑んだ。
お茶を飲みながら娘像の移動は若者の悪戯だったと話すと
「若いって幾つくらいの子だったの?」
マデルが訊いてきた。
「二人は十九、もう一人は十八だって言ってた」
「三人がかりで娘像を運んだんだ?」
クスッとマデルが笑う。
「三人とも十七になってすぐ騎士病で村を離れた。村が衰退したのは自分たちにも責任があるって感じてたらしいね」
「魔物に眠らされてたんだっけ?」
「あぁ。だから、村が廃れたのは誰かのせいってわけじゃない」
マデルは疑うことなく信じたようだ。
「パーティーを開くんだ?」
「必ず来てくれって言われてる。村人や観光客も参加できるけど、入場料を取るらしい――俺たち四人は招待だってさ」
「有料だと人が集まるかしら?」
「大浴場整備の資金集めを兼ねるらしい。有料って言っても任意の金額、寄付って考えたほうがいいかもしれないね」
「なるほど、チャリティーね」
黙っていただけのクルテがポットを手に立ちあがった。
「空になった」
「おまえが三杯も飲むからだ」
「飲んじゃダメだった?」
「ちょっと、揉めないでよ?」
マデルが立ち上がり、
「わたしが淹れてくる。クルテも疲れたでしょ?」
クルテからポットを受け取った。
「うん、疲れた。夕方まで寝てるかも――明日はコゲゼリテを発つから。そのつもりでいて」
「そうなんだ?」
「だから大浴場に行くなら今日中に行って。マデル、一人でも行けるよね?」
「クルテは行かないの?」
「ピエッチェ以外とは入浴しないって約束した」
おい、ここでそんなこと言うなよっ!
「そうなんだ?」
ニヤっとマデルに盗み見られ、顔を背けるピエッチェ、クルテは気にする様子もなく大欠伸だ。
「もう寝るね。疲れたから」
「お茶は?」
「三杯も飲んだ。飲み過ぎだって」
顔を顰めるピエッチェに、マデルが笑いを噛み殺す。
「それじゃ、わたしも寝ようかな。早くしないと太陽が顔を出すわ」
「マデル、カッチーにも伝えて。明日にはコゲゼリテを出るって事と、パーティーのこと。パーティーは大浴場の営業が終わってからだからね」
「うん、判った。カッチーが起きたら言っておく――それじゃオヤスミ」
マデルが『わたしが片付けておくから、二人は早く休んで』と言ってくれ、ピエッチェとクルテは自分たちの部屋に戻っていった。
ピエッチェが揺り起こされたのは昼を過ぎた頃、夕方まで寝てるんじゃなかったのかよ? 無理やり開けた目の前に
「お腹が空き過ぎて死んじゃうかも」
涙目のクルテ、泣くほど腹が減っちまったかと思わず笑う。
「カティはわたしが死にそうなのが楽しい?」
「バカ言うな。可愛いヤツだなって思って笑っただけだ」
「可愛いって誰が?」
「おまえに決まってるだろう?」
抱き締めると珍しくクルテが抵抗する。
「ダメ、お腹と背中がくっつきそう」
くっ付きゃしないよ。
何か食べようと一階に降りて行く。
「マデルとカッチーは出かけてるね」
クルテの呟き、二人の気配を屋敷の中に感じない。
「大浴場にでも行ったんじゃないのか?」
キッチンを探ると買い置きの丸パンとブドウ、鍋にスープがあった。スープを温めながら湯を沸かし茶を淹れた。
「果物はブドウだけ?」
「いやなら食うな」
「意地悪言わないで」
意地悪じゃない。
パンを千切りながらピエッチェが欠伸を噛み殺す。
「食べたらまた寝ようと思ってる?」
「使い慣れない魔法を使ったからかな? まだ疲れが取れてない」
「それじゃ、わたしも一緒に寝る――マデル、昨夜もラクティメシッスと交信できなかったみたい。婚約した翌日からぷっつり鏡に出なくなった」
「そんなにずっと? 王太子さまは何がそんなに忙しいんだ?」
「マデルに判らないものが、わたしに判るはずもない」
「なんか、気になるな。ギュリューは後回しにして先にセレンヂュゲに行くか?」
「セレンヂュゲに行くにはギュリューを通るけど? でも、そのほうがいい?」
「うーーん……まぁ、マデルはどうせ今夜も鏡を覗く。ラクティメシッスが今夜も応答しなかったら先にセレンヂュゲにしよう。明日の朝、決めればいい」
どんなに忙しくても何日も眠らないとは考えられない。ピエッチェが受けた感じでは、ラクティメシッスはマメだ。こんなに長く恋人を放っておくようには思えない。僅かな時間、鏡を覗き込む時間が取れないほど忙しい? ラクティメシッスの周囲で何か起きたと考えるのが順当だ。
もっとも、あのラクティメシッスだ。卒なく問題を解決するだろう。マデルだってそう思っているはずだ。それでも心配せずにはいられない。それが人情というもの、恋人ならなおさらだ。
「ま、何かがあったってことはないさ」
気休めだと思いながらそう言えば、
「気休めも大事」
クルテがブドウの粒を数えながら言った。
「ブドウは十四粒。幾つ食べたい?」
「俺か? 俺は要らないからおまえが食べろ」
「多すぎるから、四粒はカティが食べて」
クルテが嬉しそうに言った。




