18
『むゅ……ぢゅわぁ……ぐぇい……どぁう』
口を動かしているし声(?)も娘像から聞こえるが、聞こえてくるのは女神の娘には似つかわしくない『くぐもった』だみ声だ。しかも
「なんて言ってるんだ?」
ピエッチェが呆れるほど聞き取りずらい。
「さぁ?」
「おまえにも判らない?」
「そのおまえにもってのは、わたしとアイツが同類だと思っているからか?」
「同類って、女神の娘のほうか? それとも魔物のほうか?」
「なっ! カティの馬鹿っ!」
どうやらかなりクルテの機嫌を損ねたようだ。
「どうせ自分は人間で、おまえらとは違うって思ってるんだろ!」
「おい、何を言い出す? そんなこと思ってない」
「じゃあなんで、全てはわたしが人間になってからだ、なんて思うんだ!?」
「へっ?」
どうしてそれをここで持ちだす? と言うか
「俺はおまえにそんなこと、言った覚えはない!」
勝手に心を読んで判った気になるな!
「言わないだけで、そう考えているよね?」
「それなら、なんで俺がそう考えているかも判っているのか?」
「魔物のままじゃダメだって思ってる。だからだ」
「ダメな理由もちゃんと判っているか?」
「そんなの知るか!」
「おまえが魔物のままじゃ、今の姿を保てないって言ったからじゃないか」
「なるほど、見た目が大事? おまえが好きなのはわたしの見た目か」
「なんでそうなる?」
言い争いをしているうちに娘像はじわじわと近づいてくる。それを目の端で見ているピエッチェ、クルテを庇うように腕を広げ、娘像との距離を確保できるよう後退を続ける。
「いいか、よく聞け!」
ピエッチェの声に力がこもる。
「俺はおまえが好きだ。それはおまえが魔物だろうが人間だろうが、おまえが人間以外の姿になろうが変わらない。どんな姿になっても、俺はおまえを抱いて眠る。おまえがそう望んだからな」
娘像が手をゆっくりと前にあげる。動きが緩慢過ぎて、却って何がしたいのか推測できない。
「それで、だ。おまえ、人間じゃないとしたら、どんな姿になるんだ? 箱や梯子か? それとも鳥になるのか? できればシャボン玉はやめて欲しい。抱き締めたら割れちまいそうだ」
少しだけ口籠ったクルテ、
「おまえが本来の場所に戻ったら、わたしはきっと剣になる」
と答えた。
「きっとってことは確定ではないってか? でも、まぁいい――おまえが剣になっても、おまえがイヤだと言わない限り、俺はおまえを抱いて眠る。抜身の剣なら布を巻けばいい。毎日の手入れも怠ったりしない。大事にする。問題なのは……」
ピエッチェが娘像から目を逸らし、クルテを見た。
「おまえはそれでいいのか? 剣になったら俺に抱きつけなくなるぞ? 今のように抱き合えなくなる。それでいいのか?」
ピエッチェを見上げるクルテ、その瞳でずっと俺を見詰めていて欲しい、ピエッチェが心の中で願う。
「それに、できることなら抱き締めたら抱き返して欲しい。そう思える相手はおまえだけだ。俺はおまえと抱き合いたい。だからおまえには人間に成って欲しい。それじゃあダメか?」
クルテの返事を待たずにピエッチェが右手をあげて娘像に向けた。娘像の手はすぐそこ、触れそうな近さだ。
「退け」
手と手が触れ合う寸前、ピエッチェが娘像に命じた。するとよろめいた娘像が動きを止めた。
「思ったよりも効き目があった」
「何をした?」
「魔物封じの魔法だ。グレナムの剣を携帯していないから効くかどうか判らなかったが、イチかバチか試してみた」
「ザジリレン王家、秘密の魔法?」
「知っている癖に訊くか? おまえは唆魔の封印に立ち会った。知らないとは言わせない」
「うん、知っている」
クルテが娘像を見詰めて言った。
「ザジリレン王家に伝わる秘密の魔法は魔物封じだけじゃない。魔法封じがある。これは魔法使いが力を持つローシェッタ国には知られるわけにはいかない」
「ローシェッタとは争いたくない。だからザジリレン王家は魔法が使えることを隠した――グレナムの剣があればどんな魔法も無効にできる。そんなことが知られればグレナムを奪われる。もしくは最悪、暗殺されかねない」
「どちらも特殊な魔法、鍛錬で習得できるものではない。なぜザジリレン王家の者のみ使えるか知っているか?」
当り前だろう? とピエッチェが苦笑する。
「森の女神に授かった力だ。悪用しないことと秘密を守ることを条件に、グレナムの剣とともに授かったのだと聞いている。もっとも、伝説だと最近までは思っていた」
「女神は約束が好き……もし約束を破ったらどうなるかも知っている?」
「国が亡ぶとしか知らないよ――それより、娘像はどうする? 動きを封じただけだ。少し眠っているに過ぎない。すぐに動き出すぞ」
するとクルテがクスリと笑った。
「魔物封じが使えたのなら、魔法封じも使えるんじゃないのか?」
「魔物封じより魔法封じのほうが難しいのは知っているだろう? それにあの魔法はグレナムがなければ無理だ」
「やってみる価値はあるんじゃないのか? でもその前に、娘像には元の場所に戻って貰おう」
クルテが娘像に近付いて正面に立つと、真っ直ぐ前に伸ばされた娘像の手を握る。
「おまえの願い、わたしが果たす。安心して元の場所に戻れ」
フワッと娘像が輝いたようにピエッチェには見えた。
クルテがピエッチェを見て頷く。魔物封じを解けという意味だと思い
「もとの場所に」
ピエッチェも娘像に命じる。微かに身体を振わせて娘像がピエッチェを見た。ほんの少しも表情を見せないその顔を、なぜか悲しげだと感じた。
ゆっくりと動き出した娘像、背を向けて階段へと戻っていく。
「ついて行くぞ」
歩き出すクルテ、もちろんピエッチェも続く。
ぎくしゃくと階段を下り、待合室に入っていく。途中で転ばないかと心配になったが、無事に台座の前に辿り着いた。転べば石膏像はきっと割れる。
どうやって台座に上るのだろうとピエッチェが見ていると、クルテが手を差し出し娘像に触れた。すると宙に浮かんだ娘像、台座の上で両手を上げて体をくねらせ動かなくなった。
「ポージングも完了した。魔法封じを」
なるほど、グレナムの鞘に掘り込まれた娘像や、森の聖堂に安置された娘像と同じポーズだ。
「しかし、さっきも言ったがグレナムの――」
「ここにある」
ピエッチェの言葉を遮ってクルテがサックから黒い革袋を出した。
「グレナムの精霊が宿っているのはこの宝石だ。これを持っていればグレナムを持っているのと同じだ」
「……だから魔物封じも効力があった?」
「かも知れないね」
うっすら笑むクルテに何かが違うのだと感じたが、追及しても答えないと思った。
「すべての魔法を退けよ」
ピエッチェの声が待合室に重く響いた。同時に女神の娘像から魔物の気配が消える。
ふぅと息を吐いて椅子に倒れ込むピエッチェ、
「疲れたか?」
クルテが隣に座って覗き込む。
「あぁ、疲れた。ちょっと火を熾すような魔法とは全く質の違うものだからな」
「少し休もう」
「ババロフが心配してるぞ?」
「無事に娘像が戻ったんだ。心配なんて安いもんだ」
「それで、娘像の願いってなんだ? それから、娘像に魔法を掛けたのが誰なのか判ったのか?」
クルテの肩を抱き寄せながらピエッチェが問う。クルテは擽ったそうな顔をしたがピエッチェに身体を寄せた。
「魔法の内容は判っている?」
答える前にクルテがピエッチェに尋ねた。
「悪意のないものだった。魔法を掛けたヤツは娘像に願いがあるなら叶えるよう命じている。何かを要求したものではなかった」
「そうだね……娘像は恋しい男のもとに行きたがっていた。だから魔法が効力を発揮する夜になると男の所へ行こうとした。が、建物から出られない。夜の間、彷徨い続けていた。で、朝、魔法の効力が消えた場所で動けなくなった」
「なんだか哀れだな――で、おまえが娘像の願いを叶えるってのはどうやって?」
「そうだね、どうやって? なんとかなるよ、多分」
「おい、安請け合いしたのか? 嘘吐きめ」
「嘘じゃないよ……今は言えない。いつか教える。あるいは気が付く」
この件も追及したって無駄らしい。
「で、魔法を掛けたのは誰だ?」
「判らない。カティも判らなかったんでしょ?」
「術者の痕跡は消してあった」
「高度な魔法だね」
「ローシェッタ流の魔法なのは間違いなさそうだった」
「それ、ローシェッタ王家流って意味だよね?」
クルテの言うとおりだった。
どんな魔法もそのままだと術者の気配が残る。それを消す魔法はローシェッタ王家のいわばお家芸だ。だがこれは、ザジリレンの秘密の魔法と違って鍛錬次第で王家の血筋でなくても使える。
痕跡を消したい魔法を掛けるときに同時に施術するこの魔法は、ピエッチェにも使える。娘像に施術した魔物封じ・魔法封じにも使った。
マデルが娘像を見て、ピエッチェが魔法を使ったと気づくかもしれない――マデルに魔法は使えないと言った。どんな魔法を使えるんだと探られたくなかったからだ。それに……もしラクティメシッスが娘像を見たら? 魔物封じはともかく、魔法封じを知られ、それがピエッチェによるものと知られれば一瞬にして彼は敵になる。それは避けたい。
「ローシェッタ王家流の魔法……ラジは王家に恨みを持っていた」
クルテが呟いた。
「でも何かがヘン。もしラジが王家に恨みを持っているなら、ローシェッタ流の魔法を教えたのは誰?」
「どっちにしろ、娘像に魔法を掛けたのはラジだと思ったほうがよさそうだな」
「王室魔法使いってのは考えにくいからね。彼らの誰かなら、彫像を魔物に変えるような高度な魔法をローシェッタ王の許可なく使ったりしないから」
「王室魔法使いの中に、彫像を魔物に変える魔法を使えるヤツが居るかな?」
「どうなんだろうね? ラクティメシッスあたり、使えるかどうかはともかく研究はしてるんじゃない?」
そんな魔法を掛けられたクマのぬいぐるみに妹を連れ去られたのだ。どんな魔法なのか調べずにはいられないだろう。
「使えるようになるかな?」
「なったって使い道はなさそうだけどね」
「そうだな」
あるものはあるままに、それが一番だ。
「そうだよね。だから、花は自然のままに咲いているほうがいい。きっとそのほうが幸せ」
そう来ましたか。でも、そうだとしたら……
「おまえは魔物のままでいるのが幸せなのか?」
「わたしはもともと魔物じゃない」
あ、そうだった。
「じゃあ、魔物になる前に戻りたい?」
「そうかもしれないし、そうじゃないかもしれない。どちらにしろ戻れない」
「戻れるとしたら?」
クルテがピエッチェを見上げた。
「よく判らない。でも……カティを抱き締めて眠れる身体でいたい」
「そうか、判った」
それは要するに、人間に成りたいってことだと受け止めていいよな?




