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森の女神から聞いた話を考えると、大浴場の女神の娘像を動かしているのはラジに思える。だが、ラジの魔法だとして目的は?
「薄気味の悪いヤツがラジとは限らない。そもそもラジが魔物になりたがっているって誰が言った?――物質や生き物を魔物に変え巨大化する魔法が使えるのは間違いなさそうだけど、ラジが自分を魔物に変えるというのは、そんなことも可能なんじゃないかってだけの話だ」
クルテはそう言うが、ラジじゃないとしても得体の知れない誰かがいるのは確かだし、魔物になれる〝かも〟しれない人間が何人もいるとは思いたくない。
「どっちにしろ女神の像を見ない事には話しにならない。大浴場にはいつ行く?」
「今夜にでも行こう」
「夜は営業してないぞ?」
「忍び込むか、それが後ろめたいなら、ババロフに言って便宜を図って貰う」
温泉には興味がないってか。まぁ、休暇は口実、コゲゼリテに来た目的は動く女神像だ。昼間ではなく、動いている夜に行くほうが、使われている魔法も判り易いかもしれない。
村に戻るとこのままババロフに会いに行くと言い出したクルテ、
「マデルとカッチーはどうする?」
とピエッチェが問えば
「二人には内緒で。挨拶に四人で行くけど、わたしとピエッチェが来たなんて、言わないでおくようババロフとも口裏を合わせて貰らう」
クルテが答える。
「女神の娘像に二人は関わらせない?」
「マデルとカッチーには見せられない状況になるかもしれない。だから連れて行けない」
いざとなったらクルテが持つ魔物の力を使う。そう言う意味だろう。それとも魔法を使うのはクルテではないと考えているのか?
ババロフには宿の外に来て貰った。大浴場の女神の娘像に対処するなんて、従業員には聞かせないほうがよさそうだ。
「約束の時刻じゃないが、どうかしたのか?」
不思議そうな顔で出てきたババロフに用件を伝えると、すぐ話に乗ってきた。
「ピエッチェさんが乗り出してくれるなら心強い」
なにしろピエッチェにはヤギ男退治の実績がある。
「ただ気味悪いってだけで実害はない。でも、いつ、何が起こるか判らない。だから変な事象は解消しておいた方がいい。だけど、村の連中だけじゃ、何をどうしていいものか?……王都に訴え出るにしても実害がないんじゃ、動いてくれると思えない」
ほとほと手を焼いていたとボヤくババロフ、一緒に行くと言い出した。
「それじゃあさ、大浴場の前まで一緒に行ってよ。で、外で待ってて」
ニッコリ微笑むクルテに、ババロフも顔を綻ばせる。
「いやぁ、クルテさん。あんた、見た目は随分と変わったけど、人柄は前のまんまだ。お上品なお姫さんに見えるのに、俺なんかとも気さくに話してくれる」
「こんな安物の服を着てるお姫さまは居ないよ?」
笑うクルテにピエッチェが思う。さも貴族と言った服を着ていたら、なるほどクルテは近寄り難くなってしまうかもしれない……
屋敷に戻ると錠前屋が仕事を終えて帰ったばかりだとカッチーが言った。
「勝手口の鍵を替えて貰って、ついでだから厩にも鍵を付けて貰いました」
厩の道路に面した出入口には錠前を使っていた。その錠前も新調したほうがいいと言っておいたが、どうせならと鍵を付けることにしたようだ。
「これで表に回らなくても、厩の中から外に出られます」
リュネを厩に入れた時は、そのまま厩から出て、玄関から屋敷に入っることもできたが、どうせなら勝手口も見ようという事で、勝手口から屋敷内に入り、玄関から外に回って錠前を掛けに行った。その手間がなくなる。
「勝手口と厩の鍵の予備はあるのか?」
クルテからの脳内指示でピエッチェがカッチーに問う。そして勝手口と厩の合鍵を預かった。
カッチーが作ったハンバーグで夕食を済ませ、ババロフに会いに行った。打ち合わせ通り、昼間にピエッチェとクルテと会ったことは匂わせもしないババロフ、その代わりというのもヘンだが、やたらとピエッチェとクルテの〝仲〟を冷かしたがる。ババロフの女房が
「あんた、ピエッチェさんが困ってるよ」
と顔を顰めるほどだ。
「酒も飲んでいないのに酔っぱらってるのかい!?」
「飲んでもないのに酔うもんかね? 俺はなぁ、なんだかとっても嬉しいんだよ」
何が嬉しいのかよく判らないうちに、ババロフの宿を辞することになる。
「明日も早いでしょうから、そろそろお暇しようかな」
言い出したのはマデルだ。
「齢かしら、眠くなったわ」
マデルの冗談にババロフが
「マデルさんが齢のせいで眠くなるなら、俺は棺桶に入りたくなっちまうな」
と冗談で返す。が、
「馬鹿お言いでないよっ!」
女房に怒鳴られ縮こまった。
帰り道、クルテがピエッチェに頭の中で話しかける。
(マデル、わたしとカティを見ててラクティメシッスが恋しくなった)
(それで寂しそうに沈んでるのか?)
(屋敷に帰ったら魔法の鏡を使おうと思ってる。でも応答してくれるかが心配)
(相手も鏡を見てくれなきゃダメなんだっけ?)
(そう。でもこのところラクティメシッスは忙しいらしくてなかなか出てくれない)
クルテがギュッとピエッチェの腕にしがみつく。
(今夜、娘像の件は決着をつける。明日、コゲゼリテを出よう)
(それはいいが……次はどこに?)
(ギュリュー経由でセレンヂュゲに。ギュリューでもう一度ギュームに会う)
(セレンヂュゲに行けばラクティメシッスに会えるかもしれないな)
(彼に会うのはマデルだけでいい……と思う。わたしは会いたくない)
(ヤツが嫌いか?)
苦笑するピエッチェにクルテが頬を膨らませる。
(こっちが心を読めると気が付いてて、わざと読ませようとする。嫌味なヤツだ)
(何か言われたのか?)
(いいや、何も。明白に話しかけてなんか来ない。だからよけに厄介。顔色を変えたりしたら『どうかしましたか?』ってあの澄まし顔で声に出して訊いてくるに決まってる。質が悪いったりゃありゃしない)
面と向かって言われれば、反論も言い訳もあるいは喧嘩を売ることも買うこともできる。陰でコソコソ言われたら何もできない。そしてこの場合、聞こえるはずのない心の中で言っているのだから反応すれば向こうの思う壺、クルテが悔しがるのももっともだ。
屋敷に帰ったあとはそれぞれ自分の部屋で過ごすことにした。着いた途端『オヤスミ』とマデルが部屋に引っ込んでしまったからだ。だが、これはピエッチェとクルテにとっては好都合だった。もちろんピエッチェとクルテも自分たちの部屋で暫く過ごしている。
「そろそろだな」
ピエッチェが立ち上がったのはババロフと約束した時刻が迫る頃だ。もちろんシャーレジアの剣を携帯している。
「そろそろだね」
クルテも立ちあがった。昼間と違っていつも通りの服装、男物の服だ。こちらも腰には細身の剣、弦を張った弓と矢筒を背負っている。
マデルとカッチーに気付かれないよう部屋を出て階段を下りキッチンへ向かう。万が一見咎められたら『リュネがなんとなく気になる』と言うつもりだった。
(厩も鍵にしてくれて助かった)
クルテの声がピエッチェの頭の中に聞こえた。
カッチーの部屋からは鼾が聞こえていた。問題はマデルだ。勝手口から出て暫く厩で待ったが、マデルが気付いた気配はなかった。
(ラクティメシッスが鏡を覗くのを待ってる)
頭で聞こえたクルテの声が悲しげだった。
厩を出て大浴場まで急ぐ。待っていたババロフが
「時刻ギリギリかと思ったらまだ少し間がある。早めに来ていてよかったよ」
と、大浴場の鍵を開けながら言った。
「今夜、俺たちが中に入るのを知っているのは?」
「俺とコゲゼリテ自警団の団長、大浴場の管理責任者の三人だ」
「判った……まぁ、中で悪さをしようってわけじゃない。誰に知られてもいい。だけど大勢に知られて騒ぎになるのはまずい」
「じゅうじゅう承知してる。野次馬に邪魔させたりしないさ」
「助っ人に行くって誰が言っても、けっして中に入れちゃダメ」
釘を指すのはクルテだ。
「それに昼間も言ったけど最悪、女神の娘像は諦めて貰うことになるかもしれない。それは覚悟しといて」
「おうさ、像が魔物になってるんじゃ諦めるしかないよ」
「なるべくそうならないよう善処する」
ピエッチェが大浴場の中に入った。
「俺たちが中に入ったら、必ず施錠を。戻った時の合図は覚えているな?」
「もちろんさ。そのあたり、信用してくれていい」
続いてクルテが中に入るとババロフが扉を閉めた。薄闇に照明が入り、扉の内側は広間だと判った。灯をつけたのはクルテの魔法だろう。施錠する、乾いた音が広い空間に微かに響いた。
女神の娘像の定位置は男湯と女湯を分ける待合室だと聞いている。
『今朝は女湯に浸かっていたらしい。重いのを四人がかりで持ちあげて、台座に戻して拭き清めたんだってさ』
ババロフからそう聞いた。つまり、営業を終えるときには定位置にあったはずだ。
『入ると大広間、そこで待ち合わせる客もいる。で、奥に受付が有って代金を支払えばさらに奥に行ける。そこが女神の娘像を置いてる本来の待合室、で、右に行けば女湯、左は男湯って作りになってる』
まずは像が定位置にあるか確認することにして待合室に向かう。広間と同じ程度の部屋にはいくつかの椅子やテーブル、向こう正面がカウンターになっている。飲み物やちょっとした食事を提供するのだろう。
「女神の娘はお出かけだ」
クルテが面白くなさそうに言った。中央にある台座は空っぽ、何も乗っていない。
ふん! とピエッチェが鼻を鳴らす。
「さてと、どこにお出かけになったのやら?――この建物からは出られない。玄関の扉はもちろん、従業員が出入りする裏口もきっちり施錠するって、ババロフが言ってた。娘像が姿を消したり、壁を擦り抜けるとは思えない」
「そうだね。だけどドアの開け閉めはできるんだろうね。館内を移動してるんだから……あ、閉められない? それとも故意に閉めてない?」
クルテの視線の先を見ると女湯の扉が開いている。温泉は流しっぱなしのようだ。水が流れる音がそのドアから微かに聞こえてくる。
「もともと閉めていないのかも?」
「どうだろう? あのドアの中が脱衣所で、さらに奥が浴場だって言ってたね」
「取り敢えず入ってみるか?」
「そうだね……」
迷うことなどないだろうに……行って中を見て、居るか居ないか、それだけだ。
考え込んだクルテがふと振り向いた。
「ねぇ、男湯のドアも開いてる」
えっと思ってピエッチェも振り返る。クルテが言う通り、男湯のドアも女湯同様開けっぱなしだ。意識を向けると、そこからも水の音が聞こえた。
「営業を終えてから掃除して……ドアは閉めないのかな?」
クルテは拘るが、ピエッチェにはどうでもいいとしか思えない。
「とにかく! 男湯か女湯か? 中を見てみようじゃないか」
焦れるピエッチェにクルテがムッとする。
「判ったよ……それじゃあ男湯からにしよう」
しぶしぶ男湯の入り口にクルテが向かった。
「向こうのほうが僅かだけど水の音が大きい」
そうなのか? 俺には違いが判らない――




