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クルテが選んだのは四足、そのうち三足は低いヒール、色が違うだけで同じ靴のようにピエッチェには見えた。だが店番と話しているのを聞いていると、この辺りのカーブを出すのに苦労しただの、爪先の形状が洒落ているだの言っている。どうやらすべて違うデザインらしい。
もう一足は表面を真珠のように加工したもので色も真珠に似て、白でもピンクでもなく不思議な味わいだ。柔らかな光沢がなんとも美しい。店番が、うちで一番高価だと言った。
「いい靴でしょう? だけど貴族さまでもちょっと考えちまうような値段なんで、なかなか売れなかったんだ」
「あなたが作った?」
クルテが尋ねると店番がシミジミとその靴を眺めた。
「渾身の一足さ。この靴で、やっと一人前って認めて貰えた。でも『もう作るな』とも言われちまった。気に入らない客には売りたくないだろう? だからこいつはいつまでも売れ残る、材料が勿体ないだけだってね」
「なんだ、売りたくないんだ?」
「うん、本音を言えば売りたくない。ずっと店に飾っておきたい。でもさ、靴は履いてくれる人がいてなんぼだ。お客さんのような人が履いてくれるなら、この靴も喜ぶだろうさ――試し履きでも当たるようなところはなかったんだよね?」
「ええ、わたしのために作ってくれたみたいだった」
店番が視線を靴からクルテに移す。複雑な表情だ。
「コゲゼリテは森の女神の恩恵で持ってる村だ。親父に認めされる靴を作ると決めた時、女神の娘に似合うようなものをと思った。大浴場に女神の娘の像があるんだが、あんたにどことなく似ている。きっと今まで売れ残っていたのは、この靴があんたを待っていたからだ。なんだかそう思えてきました――勝手な思い込みです。ヘンなことを言いました。気にしないでくださいよ」
おい! 『お客さん』から『あんた』に呼び名が変わっているぞ? ムッとしたがやっぱり黙っているピエッチェだ。
クルテは買った靴をさっそく使いたいと言い、履いてきた物は箱に入れて他の靴と一緒に包んで貰った。履いたのはヒールの低い靴で、今日の服装によく合っている。
言われた金額をそのまま支払ったが思いのほかの高額、とは言え靴など自分で買ったことのないピエッチェはそんなものなのかと思うしかない。
「靴って思ってたより値の張るものなんだな」
店を出てからなんとなくそう言った。この時も荷物を持たされている。
「高かったのは一足だけ。支払いの三分の二はあの靴の代金」
クスリとクルテが笑う。
「ってことは三足を合わせた二倍? 六足分……いったいいつ履くんだ? あの靴に合うような服は持ってないよな?」
「王宮に行くことになっても困らないように、だよ? あの靴なら恥ずかしくないでしょ?」
そう来たか!
「なんだよ、服に合わせるんじゃなくって靴に合わせて服を作る気か?」
「それじゃダメ?」
見上げてくるクルテにダメとは言えない。それにしても……
「女物の靴ってみんなあんなに小さいのか?」
「なに馬鹿を言ってる? 人によって足の大きさは違う。知ってるよね?」
そりゃそうだろうけどさ。
クルテの足があんなに小さいなんて知らなかった。ずっと見落としていたってことだ。他にも見落としていることがたくさんありそうだ――
村の外れから延びるコゲゼリテ間道は、入るとすぐに女神の森、森を抜けて真っ直ぐ行けばグリュンパ、途中で曲がればデレドケへと通じる。
前回はコゲゼリテに騎士病を蔓延させた張本人(張本魔物?)ヤギ男が置いた道標を目印にし、そこから道を逸れて森に入ることで女神の居場所へと行けた。
いくら通常使われている道だと言っても、森の中の一本道だ。同じような景色が続いている。どこから森に入れば女神と遭遇できるのか、ピエッチェに推測できるはずもない。
クルテは足取りも軽く、吹き抜ける風を楽しんでいるようだ。いつものように腕に絡みつくわけでもなく、少し先を歩いてはピエッチェがちゃんとついて来ているかを確かめるように、時どき立ち止まって振り返った。あるいは囀りを真似ては小鳥を誘き寄せる。女神はどこに? そう尋ねているように思えた。
とうとう道を逸れることなく女神の森を抜けてしまった。
「女神の居場所が判らないのか?」
ピエッチェの苦情に、クルテはムッとしたようだ。
「小鳥に探して貰ったが、見つからないって言ってる」
「お出かけとか?」
「女神が自分の領域から出るなんてない。この森はまだ見捨てられちゃいない」
「姿を消してて小鳥でも見つけられないとか?」
「小鳥が呼べば出てくる――あっ?」
何かを思いついたようでクルテが鳥の鳴き真似をする。唇をチョコンと尖らせる様子が可笑しくて、つい笑いそうになって慌ててソッポを向くが
「何を笑っている?」
見咎められてしまった。だがクルテは飛んできた小鳥のほうに気を取られる。お陰でピエッチェは言い訳を考えずに済んだ。
小鳥はクルテの指示を聞くと飛び去って行った。
「小鳥になんて言ったんだ?」
「クルテが会いに来たと女神に伝えろってのを、クルテではなく真の名でって言った」
「女神はおまえが『クルテ』と名乗っているって知らないのか?」
「そんなはずないんだけど……忘れっぽいから」
この親にしてこの子あり。頭痛がしてきそうだ。
ここに居ても仕方がないと、来た道を引き返す。来た時も感じたが、ゴゼリュス退治で滞在中に何度か通った道なのに、初めての道ような気がする。季節が移り、植物の様子が変化したせいだろう。帰りが行きとは違って見えるのはよくあることだ。
と、一斉に小鳥が囀り始めクルテが立ち止まる。
「女神が見つかったのか?」
「そうみたいだね。ここから森に入って適当に進めだって」
クルテが藪を掻き分けて道を外れていく。
「適当に、って……」
いい加減な道案内だと呆れるが、ついて行くしかない。クルテに続いて、藪に入った。
適当に行くと言っていたが、本当に適当に歩いているようだ。ふらふらとあっちに行ったりこっちに行ったり、不規則な木立を縫ってゆっくりと歩くクルテ、気が向くと見上げたりするのでピエッチェもつい上を向く。それに気づいてクルテが笑う。
「女神が木の上に居るってことはない」
「じゃあ、なんでおまえは上を見るんだ?」
「この子も大きくなったなぁと思って」
「うん? 七百年も前からここに生えていた?」
「そんなの知らない――そろそろ寿命かなって思ってた」
木の寿命ってどれくらいなんだろう? 訊けば馬鹿にされそうだ。種類によって違うに決まってるとでも言われるのがオチだ。
そう言えば前回、クルテは姿を消してしまった。
「おまえも女神に会う気なんだな」
「コソコソ隠れるんじゃないと、怒られたから」
あとで小鳥の伝言でもあったのだろう。
「女神って、怒ると怖いのか?」
「怒られるのは好きじゃない」
そりゃそうだ。
それにしても女神はどこに居る? 道から見えるようなところに出てくるとは思えないが、そろそろいいんじゃないか? ひょいっとウサギが顔を出し、高い枝から小鳥やリスが見下ろしているが、見渡す限り木々と木漏れ日と苔や下草しか見えない。
なぁんて思っていると、先に行っていたクルテが急に駆け戻りピエッチェにしがみついた。
「出るよ、出るよ……」
怖がっているようだ。クルテは少し震えている。幽霊でも出てくるのか? いや、ここはやはり女神のお出ましか? だけどなんの気配も感じない。
つい笑ったピエッチェが、クルテから視線を前に向ける。すると、そこには女神の姿、『居た!』とも言えず息を飲む。さすが女神、ピエッチェごときに気取られるヘマはしないのだろう。
今日の女神は光を発していない。ごく普通の、美しい〝大女〟に見える。身長がピエッチェの優に二倍はあった。こっそりクルテに囁く。
「女神って、その日によって姿が違うのか?」
「滅多に人間の姿にならないから、ちょっと間違えたんだと思う」
なんだかなぁ、と思ってもう一度女神を見る。すると、普通の美しい女の姿に変わっていた。クルテのほうを見ている間に縮まったらしい。ピエッチェと同じくらいの身長だ。
「それで? 用事って何? 森に帰る気になった?」
迷惑そうに女神が言った。クルテに向けた言葉だ。なのにクルテはピエッチェの後ろに隠れたまま答えようとしない。女神がそっと溜息をつく。
「その様子じゃ、帰る気はさらさらなさそうね」
クルテが森に帰ることを女神は望んでいる……心臓がキュッと締め付けられたような気がした。悪いがコイツをあんたに返す気はない、そう叫びたい。
「今日はお礼を申しに来ました」
クルテを後ろ手に庇うようにしてピエッチェが言った。
「ババロフへの支払いではご面倒をお掛けしております。本来なら――」
「あんた、誰?」
ピエッチェを遮って女神が言った。
「あ……」
そうか、女神も忘れっぽいんだった。
「えっと……わたしは――」
「ああ、思い出した。英雄だ。ヤギ男退治の」
「あ、はい、そうで――」
「でも、名前は覚えてないし、興味ない。どうでもいい」
覚えてないってのは忘れたってのと微妙に違う――あんた、俺を祝福したじゃないか。それなのに、どうでもいい? ってか、なんで俺に最後まで言わせないんだよ? いやいや、そもそも俺の言うことなんか聞いちゃないよな! 来るんじゃなかった。
女神はクスクス笑っている。
「ま、ザジリレン国王だってのは判ってるよ、カテロヘブ」
って、名前、覚えてるじゃないか! コイツ、大丈夫なのか?
「で、用事はなぁに? この季節、忙しいのは知っているでしょ? 早くしてよ」
伝説でも春から夏の中頃まで女神は忙しいと言われている。咲き乱れる花々に受粉させるためだ。だから『女神が手抜きした年』は凶作になると言われている……って、本当のことだった?
ピエッチェにしがみつくクルテの手に力が籠った。
「コゲゼリテ大浴場の女神の娘像が動くらしい。あれは母さまの仕業?」
ふん! と女神が鼻を鳴らした。
「言ったでしょ? わたしは忙しいの」
「じゃあ、何か知ってる?」
「そうねぇ……少し前、コゲゼリテ間道を嫌なヤツが通ったわ。人間だけど、魔物になりたいと願ってた。薄気味の悪いこと……ソイツの仕業じゃないかな?」
「そっか、判った――ありがとう。もう行くね」
クルテがピエッチェの手を引いて女神に背を向けて歩き出す。
「待ちなさい!」
女神が叫ぶが無視している。女神も追ってくる気はないようだ。
どこをどう歩いて行ったのか、ピエッチェは覚えていないがクルテには判るようだ。藪の向こうに道が見えた。クルテが藪に踏み込んだ時、
『シャルスチャテーレ!』
とピエッチェの頭の中に響いた。誰かがシャルスチャテーレを呼んでいるようだった。クルテの声のようでもあり、違うようでもある。
「今、頭の中で声がした。おまえか?」
「何も話しかけてない。空耳か、気のせいだろ」
そうかもしれない。だけど……どこかで聞いた名だ。




