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そんなピエッチェにクルテがニヤリとする。
「カッチーを寝かせる口実?」
「ああでも言わないと、アイツ、自分の部屋に行かなかったんじゃないか?」
食器を乗せたトレーを持ってキッチンに向かえばクルテもついてくる。
「リンゴも口実だろう?」
「なんのこと? リンゴは食べた」
「俺のも食べてよかったのに」
「お腹空いてなかった」
ってことはやっぱり口実か。
マデルは怒りを抑えきれずカッチーにぶつけてしまった。それほどカッチーを心配していたってことだ。引っ叩いたくらいじゃ腹の虫が収まらない。けれどこのまま思いをぶちまけてもカッチーが委縮するだけだし、言葉はすべて自分の感情に染められたものになると知っていた。だから何も言えなくなった。しかし、見せてしまった怒りの納めどころが見つからない。
クルテはそれを見越していたんだろうか? 食べたいわけでもないリンゴの皮を剥き、食べやすく切り分けるなんて不慣れなことをなぜわざわざしたんだろう? マデルに矛を収めるきっかけを提供するためだったんじゃなかったのか?
片付けを終え、自分たちの部屋に戻る。
「やっと横になって眠れる」
すぐにベッドに潜り込み抱き合えば、ピエッチェが囁く。
「好きだよ、クルテ」
この先きっと、もっと好きになる。一緒に居れば居るほど、俺はおまえに魅了されて行く――クルテは嬉しそうに微笑んで目を閉じた。
目が覚めたのは正午過ぎ、クルテはまだ眠っていた。起き出すかどうか迷いながらクルテの顔を眺めてみる。睫毛が長いんだなと思い、その睫毛が濡れていることに気が付いた。
涙? よくよく見ると、頬にも濡れたような形跡がある。気が付かないうちにコイツは泣いていたのか? でもなんで? 夢でも見たんだろうか?
起こさないよう気を付けたつもりだったのに、頬に触れたピエッチェの指先でクルテの目が覚める。ぼんやりとした眼差しがピエッチェを見付けると、嬉しそうに微笑んだ。
「よかった……」
クルテの呟きにピエッチェの心が揺れる。
「俺が居なくなる夢でも見たか?」
「そうなのかな? きっと違う。ちゃんとカティを覚えてた」
何を言ってるんだ。朝から冗談か?
ピエッチェに構わずさっさと起きだしたクルテ、
「お腹ペコペコ。朝食は何?」
とサックからブラシを出してピエッチェに渡して椅子に座った。後ろに立って髪を梳かしてやりながらピエッチェが言う。
「もう少しいい服を用意しよう。貴族が着ても可怪しくない服も必要だぞ」
「昨日買った服じゃ不満?」
「不満って言うかさ、あれじゃあ王宮では浮いてしまう」
「王宮に行けるのはまだ先になりそう」
「急に行くことになるかもしれないじゃないか」
「そうなのかな?――で、髪、編める?」
「えっ? いや、それは俺には無理だな」
「判った。マデルにやって貰う。起きてるかな?」
いきなり立ち上がったクルテ、やっぱりピエッチェを気にすることなく部屋を出て行く。
服はどうするんだ? 返事を忘れてるぞ……いや、逃げられたのか? そう思ってから、クルテのブラシを持ったままだと気が付いて、ピエッチェが苦笑した。
身嗜みを整えて居間に降りて行くと、先に来ていたカッチーがピエッチェを見て慌てて立ち上がる。
「昨日はすみませんでした」
「朝からデカい声だなぁ」
「あ、すみません……二日酔いですか?」
「んー、二日酔いに見えるか?」
「ババロフたちが二日酔いの時、大きな音を出すなってよく叱られました」
「なるほどな。でも違うと思うぞ? 昨日は一滴も飲んでないからなぁ」
「あ……俺のせいですよね? 本当にすみません!」
「おいおい……」
冗談のつもりだったのに、この状況だと皮肉に聞こえたか? クルテじゃないが、冗談は難しい。
「もう気にするな。何かトラブルがあったんじゃないかって心配してただけだ。おまえが無事なら、それでいいんだ」
「でも……」
「まぁ、マデルにはもう一度謝っとけ。アイツもただ心配しただけだ。多少の説教は我慢しろよ」
「はい。俺が悪いんです」
「そんな事より、朝食はどうするのかな? クルテが腹減ったって言ってたぞ」
「そう言えば、クルテさんは? 一緒じゃないんですか?」
「マデルに髪を編んで貰うって言ってた……来たみたいだな」
廊下からクスクス笑いが聞こえ、続いてドアが開いた。
「クルテが腹ぺこだって泣いてる――カッチー、食事の支度手伝って」
「あ、はいっ! いや、あの、マデルさん!」
カッチーを見るなりキッチンに向かうマデル、あとを追うカッチー、クルテはピエッチェに駆け寄って、ちゃっかり隣に座って撓な垂れかかる。
「マデル、何か言ってたか?」
ピエッチェの問いに
「とっちめるって言ってた」
クスッとクルテが笑う。
「もう怒ってないんだろう?」
「最初から怒ってない――カッチーが誰かに連れ去られたんじゃないか、それが怖かっただけ」
「そうか……まぁ、カッチーを連れ去る物好きもいないだろうけどな」
帰って来ないカッチーに、一人で行かせるんじゃなかったと後悔したんだろう。フレヴァンスの時にあれほど悔やんだのに、同じ過ちを繰り返した。そう感じたのではないか。それほどフレヴァンスの件はマデルの心に深い傷を残している。
「今日は錠前屋が勝手口の鍵を直しに来るって」
「うん? 時刻は?」
「そろそろだってマデルが言ってた――大浴場、何時にする?」
昨日は大浴場に行くはずだったから今日、錠前屋に来て貰うことにしたか。
「錠前屋が来るなら留守にするわけにもいかないな」
「マデルとカッチーに留守番して貰って、森に行こうか?」
「いいのか?」
「会いたいんでしょう?」
「おまえがいいなら、行きたいね」
するとクルテが身体を起こしてピエッチェを見た。
「マデルに髪を編んでリボンを結んで貰った。女に見える?」
真面目な顔で訊いてくる。
僅かに金ラメの入った薄いピンク色のリボンと一緒に、両サイドの髪を編みこんで、残りの髪ともども後ろに垂らしている。服はやはり薄いピンクのワンピース、ふわっとしたデザインで、古着屋で買った中で一番似合うとピエッチェが思った服だ。
「うん、とても似合ってる」
顔と心が熱くなるのを感じながらピエッチェが答えた。
「似合ってるかどうかじゃなく、女に見えるか聞いたのに」
拗ねるクルテ、声を潜めて
「あんたは男にしか見えないって、いつも言われる」
と愚痴る。森の女神の小言だろうか?
「だったら今日は言われない」
クルテにあわせて声を潜め、ピエッチェが微笑む。
「どう見たって可愛い女の子にしか見えない」
ちょっとだけ嬉しそうな顔をしたが
「可愛いかどうかなんて訊いてない」
ツンとするクルテ、だけど満足したようだ。元通り凭れかかってくる。その肩を抱き寄せようとしてやめた。食事の用意ができたのだろう。マデルとカッチーが料理を運んでくる気配がした――
コゲゼリテにいる間、調理担当はカッチーにするとマデルが言った。
「これくらいの罰則は当然」
ニンマリするマデル、
「謹んで務めさせていただきます」
罰だというのにカッチーはどことなく嬉しそうだ。必要とされていると感じているのかもしれない。
昨日の荒れ模様はどこへやら、すっかり機嫌を直したマデル、カッチーからビクビクも消えている。しかしこうなると、今さら昨日の行動をカッチーに訊くのは気が引ける。下手に訊けば蒸し返して、事を荒立てることになりそうだ。
食事を終えるとクルテがピエッチェを見上げた。
「靴を買いに行こう」
女神の森に行くんじゃなかったのかよ?
買い入れた服に合う靴がないとクルテが言う。女神の森に行って女神に会うとは言えないのだから、ピエッチェに反論できはしない。錠前屋の支払いには少し多めの金をカッチーに預け、クルテと二人屋敷を出た。
今日はいつものサックではなく手提げ袋、中から赤い革袋を出すとピエッチェに渡してきた。支払いはおまえがしろと言うことらしい。
「そう言えば、まったく金が減っていないようだけど?」
ずっしりと重い革袋を懐に仕舞いながらピエッチェが問う。するとクルテがニヤリとした。
「革袋の内部は〝とある〟金蔵に繋がってて、自動的に補充される」
「魔法か? それにしても〝とある〟金蔵ってどこの?」
「心配ない。盗んでいるとかじゃないから。そのうち判るよ」
「盗んでいないって言ったって、所有者がいるはずだ。その所有者は?」
「前から言っている。わたしの持ち物はおまえの物だ」
「それ、答えになってないぞ?」
「あ、あの店にしよう」
目に付いた靴屋に入っていくクルテ、話しは打ち切るしかない。
服屋と同じですぐに店番はピエッチェに気が付いたようだ。が、女物の服を着たクルテのことはまったく気づいていない。
店番は、背は高いがひょろっとした中年の男でとうてい腕力も根性も強そうには見えない。ピエッチェを前に委縮しているのが見て判る。それでもクルテからどんな靴が欲しいのかを聞くと、はつらつと商品の説明を始めた。
「うちの靴は職人が丁寧に作り上げたもので、履き心地がいいって評判なんです。あ、それは雨の日にお勧め。表面に水を弾く加工がしてあって、中がぐしょぐしょになったりしません。そちらは軽量、まるで履いていないかのような軽さで――気になる商品がございましたら遠慮なく試し履きをなさってくださいな」
生き生きとした表情から、店番がいかに靴が好きなのかが判る。こんな男でさえも騎士になりたいと言い出したことがあるなんて信じられない。もちろん、魔法のなせる業だ。だからこそ魔法は恐ろしい。容易く使っていいものではない。
クスクス笑いながら靴を眺めるクルテ、
「ひょっとして、ご自分でも靴を?」
店番に話しかける。
「判りますか? 今日は店番ですが、靴職人でもあるんです。まぁ、家業を継いだんですけどね」
「そうなんですね。家業と言っても、あなた自身、靴がお好きでしょう?」
照れ笑いをして店番が答える。
「子どものころから父に憧れていました。お客さんの足に合わせた靴を作っては感謝されている。地味な仕事ですが、そんな父を子ども心に誇りに感じていました」
「じゃあ、好きなのは靴じゃなくってお父さん?」
「あれ? そう言うことになりますかね?」
俺も父を誇りに思っていた。常に穏やかで臣下からも民からも慕われていた。
『どうしたら父上のようになれるの?』
『建国の王の訓えを実践することだよ、カテロヘブ――わたしは今までそうしてきた。これからもそうするつもりだ』
落ち着いた優しい声、けれど威厳に満ちていて……威風堂々とした佇まいと相俟って、誰よりも強い人だと思っていた。そんな父に自分は少しでも近づけているのだろうか? まだまだ足元にも及ばないことは判っている。
クルテの靴選びが終わったようだ――




