13
ピエッチェの額に脂汗が滲む。
「人間が魔物になるなんて……」
そんなことがあり得るのか?
「ふん。魔物を人間にしようとしているヤツが言うセリフ?」
嘲笑されて、ハッとクルテを見た。そうだ、コイツは魔物で、俺はこいつを人間にしようとしている。ならば反対だってできるってことだ。でも、本当に?
「まあさ、ラジが魔物になったかどうかなんて考えてみたって判らないよ。言いたいのは、この先ドンドン危険が大きくなるってこと」
「うん……」
そうだ、カッチーの覚悟について話していたんだった。
「ところで彼女はどうなんだ? カッチーのことを?」
「カッチーに『立派な騎士の旦那を持つんだろう?』って言われて、そんなことを言ったのは騎士病のせいだから許してって泣いてた。必死でカッチーを引き留めてた」
「引き留めたってことは、カッチーに行かないでくれって言ったんだな? だけど心はカッチーにない?」
「そうとも言い切れない。だって彼女が頼れるのはカッチーだけだ。母親の病は重篤で、もうじき一人で生きていかなきゃならなくなる。目の前に幼馴染で憎からず思っている相手が現れれば、心細いのか恋しいのか、本人だって判らなくなる」
「だとしたら、もしカッチーが彼女のためにコゲゼリテに残ると決めた場合、彼女が心の落ち着きを取り戻したら捨てられる可能性もあるな」
「そうならないとは言い切れない。でも、案外うまくいくかもしれない」
「ふむ……」
少し考えてから、ピエッチェが覗き込むようにクルテを見た。
「それでカッチーはコゲゼリテに残るのか?」
そんなピエッチェをマジマジと見てからクルテが言った。
「残ったほうがカッチーのためとは限らない」
クルテから視線を外してピエッチェが苦笑いする。考えたことの声に出していない部分まで読み取るコイツと話すのは、慣れれば意外と便利かもしれない。巧く表現できなかったところをちゃんと汲み取ってくれる。手間が省けるってもんだ。
「どちらがより良い選択か、それはカッチーの考え次第……アイツは残るって言うような気がする」
少しばかり寂しげにピエッチェが言えば、クルテがピエッチェの胸に顔を埋めてニヤッとする。
「なんでそう思った?」
「見捨てられないから帰って来ない。俺たちとの約束もすっぽかした――それほどカッチーにとっては彼女が大事ってことだ」
「カティはわたしがザジリレンに行きたくないって言ったらどうする?」
「はん! 俺を嗾けたおまえがそんなことを言うはずがない」
「だからさ、『言ったとしたら』だよ」
「俺が本来の場所に立たなければ、おまえは消えてしまうのだろう? だからなんとしても俺は行く。そしておまえを――」
ここでピエッチェは言葉を切った。人間に成ったおまえを妻にする、そう言うつもりだった。けれど、言えばクルテにはぐらかされそうで言えない。
「わたしを?」
懐でクルテがピエッチェを見上げた。ピエッチェもクルテを見る。
「おまえが今の姿のままで、俺と一緒に居られるようにする」
ピエッチェの言葉に少し間をおいてクルテが微笑んだ。それからピエッチェの胸に顔を押し付ける。
「一緒に行こうって、説得する?」
「ん? それはおまえを? カッチーを?」
話の流れが読めなくなったピエッチェが戸惑えば、
「あぁ、そっか」
とクルテが笑う。
「今の訊き方じゃ、ザジリレンに行きたくないって言い出したわたしも説得対象の候補だ」
悪いな、俺はおまえのように相手の心をつぶさに読んだりできない。
「コゲゼリテに残るとカッチーが希望したら、判ったっておいてく?」
「本人が残りたがれば無理強いしてまで連れて行けないさ。でも、理由は訊くし、説得する真似くらいはする」
「真似なんだ?」
「考え直せって言われなきゃ、カッチーだって寂しいだろ? まぁ、カッチーの説明にも依るけどね」
「理由を言えなかったり?」
「まぁ、そんなところだね」
「そっか――なんか眠くなった」
「俺と話してると疲れるんだっけ?」
ピエッチェがニヤッとする。
「うん、でもカティと話すのはイヤじゃない。どんな話題でも楽しいっていうか嬉しい……寝室には行かないよ」
そりゃあ、深刻な話が楽しいわけないよな。嬉しいって言うのは、俺の考えを聞けるからか?
「なぜさ? 眠いならベッドで寝たらどうだ?」
「だってわたしが眠ったら、ここに戻ってカッチーを待つつもりでしょう?」
クルテを誤魔化すのは無理だ。
「じゃあ、二人で待つか?」
クルテがギュッとしがみ付いてきた――
玄関の扉が開錠される音が聞こえた。扉が開き、誰かが入ってきて扉を閉めた。今度は施錠する音、音を立てないように気を遣っているのが判る。そろそろ日の出の時刻、屋敷の内も外も静まり返っている。入ってきた誰かの溜息さえ聞こえた。
「あっ!?」
足音を忍ばせて、居間に来た誰かが立ち止まる。もちろん誰かとはカッチーだ。
「朝帰りとは大したもんだな」
ピエッチェが皮肉った。
燭台の蝋燭が燃え尽きて、部屋は薄ぐらい。寄り掛かって眠るクルテを起こすまいと蝋燭を付替えなかった。ぼんやりとした部屋で、カッチーが蒼褪める気配がした。
「ピエッチェさん……なんで居間に?」
「馬鹿タレが。おまえを待っていたに決まってるだろう?」
ピエッチェが舌打ちする。
「無事ならそれでいい。とりあえず寝よう。おまえ、少しは寝たのか?」
「俺を心配して?」
「約束はすっぽかされる、夜になっても帰って来ない。心配しないでいられるとでも? 最初は腹立たしかったけどな――クルテ起きろ、寝室に行くぞ」
「ピエッチェさん……」
揺り起こされて目を擦るクルテを見ながら
「あとでじっくり話を聞かせて貰う――とりあえず昼頃まで寝よう」
とピエッチェが言うと、
「そうもいかないみたいだよ?」
ボケッとした口調でクルテが天井を見上げる。また寝ぼけてる? いや、違う。マデルが階段を駆け下りる音が聞こえた。
乱暴に居間のドアが開けられ、マデルがずかずかとカッチーに近付いた。
「この馬鹿!」
「マデルさん!?」
振り上げられたマデルの手が勢いよく降ろされて、カッチーの頬を打つ。
「あんたね、あんた……心配かけるんじゃないよっ!」
「す、すいません!」
不意に部屋に明かりが灯る。きっとクルテの魔法だ。明るくなった部屋でマデルが涙ぐんでいる。見渡したクルテが、
「ドア、開けっぱなし」
ポツンと言った――
咽喉が渇いたと言ってフラッとキッチンに向かったクルテ、人数分のお茶を淹れて戻ってきた。しかも切り分けたリンゴを乗せた皿が用意してあり、それぞれに配る。
マデルはカッチーを睨みつけたまま、ソファーに座っては居るものの、わなわなと身体を震わせている。睨みつけられるカッチーは対面に腰を下ろしているが、俯いて硬くなっている。口出しもできずピエッチェは、少し離れたところに置いたスツールで二人を見守るだけだ。お茶とリンゴを配り終わったクルテがやっぱりスツールをピエッチェの左隣に置いて座ると、いつも通り嬉しそうな顔でリンゴを食べ始めた。
リンゴのいい香りが部屋に漂い始めてもマデルはカッチーを睨みつけたままだ。ティーカップに手を伸ばそうともしないし、リンゴの存在に気が付いてもいなさそうだ。それはカッチーも同じだ。
ピエッチェはお茶にもリンゴにも気づいていたが手を出す様子はない。二人に気を取られ、それどころではなかった。窓の外から聞こえる小鳥の囀りのほかは、クルテが立てるリンゴを噛むシャクシャク音だけが静かな部屋に響く。
マデルは何も言わず、怒りを滲ませた目に涙をためてカッチーを睨んでいた。溢れてきそうな罵声を視線に変えてカッチーに浴びせているようだ。カッチーは身体を縮めてそれに堪えているように見える。
自分を見ている視線に気が付いてピエッチェの気が逸れる。隣に座ったクルテが見上げていた。ピエッチェの注意が自分に向けられると、目を皿に向けた。
「食いたいなら食っていいぞ」
リンゴは一人二切ずつ、クルテの皿にももう一切れ残っているのにと思いながら、小声で言うピエッチェ、するとクルテが頬を膨らませた。
「誰もわたしが淹れたお茶を飲んでくれない。わたしが切ったリンゴを食べてくれない」
アッと思ったのはピエッチェだけじゃない。マデルもカッチーもハッと自分の目の前のテーブルに視線を向けた。
「わたしが淹れたお茶なんて、きっと不味くて飲めないって思ってる。どうせわたしのリンゴはガタガタで美味しそうに見えない」
今度はクルテが泣きだしそうだ。
「そうじゃないって」
慌ててカップに手を伸ばすピエッチェ、
「うん、いい具合だ。リンゴだって初めてにしては綺麗にできてる」
お茶を一口飲んで言い繕う。
マデルとカッチーもピエッチェに倣ってお茶を飲み、リンゴに嚙り付き、何やら誉め言葉を口にしてクルテを宥め始めた。
「ホント? 本当に美味しい?」
「まぁ、リンゴは誰が切っても同――」
「ピエッチェ! クルテが切ったから美味しいのっ!」
「はい、クルテさんが俺のために淹れてくれたお茶、最高です!」
「カッチーのためだけに淹れたわけじゃない!」
「ここで焼きもち妬かない!」
しどろもどろの三人にクルテの機嫌も直ったようだ。三人がカップを傾け、リンゴを平らげるのをニコニコと見ていた。
すぐにお茶は飲み干され、リンゴは食べ尽くされる。それを見計らってクルテが立ち上がった。
「片付けるから、マデルとカッチーは眠って」
「いや、俺が片付けます」
「いいよ。わたしとピエッチェで片付ける」
俺もかよ?
「だから眠って。寝てないんでしょ?」
「でも、まだ何も話してないし」
マデルを盗み見るカッチー、すると片付けの手を止めてクルテがマデルの後ろに立った。
「マデル……お姉さん」
マデルの頭を後ろから抱え込むようにクルテが抱き着いた。
「マデルも寝ていないんでしょう? 話しはたっぷり眠ってからにしようよ。お願い、今はカッチーを許してあげて」
「狡いよ、クルテ……あんたに言われたらイヤって言えない」
うっすら笑うマデル、クルテの腕を解いて立ち上がる。
「カッチー、あんたも眠らなきゃ。でないと〝いい〟言い訳を思いつけないよ」
「はい、すいません」
カッチーがまたも小さくなる。
マデルが居間を出て行っても、残ってクルテを手伝おうとするカッチー、食器に手を伸ばそうとするのをピエッチェが遮った。
「いいから、おまえはさっさと寝ろ」
「でも、だけど……」
「さっさと部屋に行け。俺とクルテの邪魔をするな」
「えっ? あ、いや、すいません」
慌てて自分の部屋に戻っていくカッチーを、ピエッチェが笑う。
「カッチーが居ても邪魔じゃないよ?」
不思議がるクルテ、
「そうだな、邪魔じゃない」
ピエッチェがニヤニヤと答えた。




