10
カッチーの屋敷から大浴場に向かう道行はピエッチェにとって居心地の悪いものだった。ただでさえ人目を引くマデル、その横には綻びかけたバラの蕾のようなクルテ、そんな二人を連れている男は誰だとピエッチェまで注目された。そして『英雄ピエッチェだ』と指さされ……イヤ、陰口を叩かれてるわけじゃないんだから指をさされるは可怪しいか?
待て、ある意味陰口か? 英雄ともなると女も一人じゃ納まらない、なんて声も聞こえてくる。しかも
『タイプの違う二人とはなんと贅沢なこと』
『連れているのは二人だが、他にもいるかもしれない』
『そうだね、なにしろ英雄だ』
わけの判らないことを言うヤツもいる。
言ってるほうは賞賛のつもりかもしれない。だが、堅実であれ、誠実であれと育てられたピエッチェにとっては、まして事実とは違うのだから貶められているようにしか思えない。
ムスッと歩くピエッチェと違って、クルテとマデルは楽しそうに喋りながら歩いている。時おりピエッチェにも話を振って無視されるが、肩を竦めて見交わすものの、やっぱりクスクス笑っている。それが神経を逆なでし、ピエッチェの機嫌の悪さを増長した。だが、怒るのも違う。
そんなピエッチェが、とうとう不満を口にしたのは大浴場の前でだ。約束の時刻を過ぎてもカッチーが姿を現さない。
「だから! 一人で行かせるべきじゃなかった」
「そんなにイライラしない。カッチーなら忘れずに来るから」
マデルが宥めるが
「クルテなら忘れるって?」
却ってピエッチェの顔が怖くなる。
「そうだろうな! コイツは忘れっぽいから、いつか俺のことも何もかも忘れて、いきなり居なくなるかもな」
するとクルテが
「大丈夫。そうならないように離れたりしないから」
当然のことだとばかりにピエッチェを見上げた。
「ずっと一緒に居れば忘れないし、居なくなれない」
そうかい、少し離れれば忘れるってことかよ? どうせ俺はその程度さ――ピエッチェの不機嫌が治まるはずもない。
待てど暮らせど来ないカッチー、大浴場の前で突っ立っている三人を行き交う人々が不思議そうに見ていく。中には、
『まだ始まってないんですか?』
と尋ねてくる人もいた。大浴場に来た客だ。待ち合わせしてるだけだと説明すると、『それじゃあお先に。早く来るといいですね』
と中に入っていった。
ピエッチェの顔を知っているのだろう、
『ピエッチェさん、どうかされましたか?』
と声を掛けてきた人には、
『カッチーを見なかったか?』
と訊いてみた。ピエッチェの顔を知っているなら、カッチーのことも知っている可能性が高い。
『カッチーを待ってる? うーーん、見てないなぁ……ババロフのところにでも行ったのかな?』
親切にもババロフに訊きに行ってくれたようで、
『今日は来てないって言ってましたよ』
と報告があった。
怒っていたピエッチェも時間が経てば、今度は心配になってくる。途中、マデルが
「待ち合わせ場所を勘違いしてるかも」
と屋敷を見に行ったが、居なかったと戻ってきた。
「あのバカ、どこに行ったんだ?」
言葉は乱暴だが、ピエッチェの声からはカッチーを心配する響きしか感じない。怒りはとっくに消えていた。
「少し、探してみるか……」
「それならわたしも行く」
そう言ったのはクルテだ。
「わたし、忘れっぽいから、ピエッチェの顔を忘れるかも。だから一緒に行く。マデルはここで待ってて」
「あら、わたしのことは忘れてもいいの?」
「大丈夫。マデルのことは忘れない。夜は別の部屋で過ごしても朝、マデルを忘れててたことなんかない」
そーかい! 俺と同じ部屋がいいってのは、俺のことは忘れるって事かい!
なんて冗談を言ってる余裕のないピエッチェ、おまえら二人はカッチーが心配じゃないのかよ、とイラつくが、
「行くぞ」
と当てもないのに歩き始めた。マデルとクスクス笑ってから、クルテは後を追ってくる。
マデルには声が聞こえないほど離れてから
「どこ行くの?」
散歩にでも行くかのように訊いてきた。でも答えられない。行く当てなんかない。
「虱潰しに探す。コゲゼリテはそう広くない」
「それより誰かに墓地の場所を訊いて」
あ……そうだ、心を読んだクルテが、カッチーは墓参に行くって言ってたじゃないか。
「しかし……まだ墓地にいるか? ママの傍でおネンネなんてことは幾らなんでもないぞ」
寝るのが大好きなカッチーなら有り得るか?
「居るかどうかは行ってみなきゃ判らない。でも、可能性がないわけじゃない」
「判った。それじゃそのあとは、本屋にでも行ってみるか?」
「読み耽っているかもって? カッチーだったら本屋も追い出さないかもね――あ、ゴゼだ」
家の前に置いた椅子で日向ぼっこをしている老人を見てクルテが駆け寄った。クルテはババロフと、牛に薪を背負わせて街に売りに行ったことがある。それに同行した一人がゴゼだ。あの時はカッチーも一緒に行って、ピエッチェはコゲゼリテで留守番をしていた。
クルテはピエッチェと残るとは言わなかった。一緒じゃなきゃイヤだと言い出したのはいつからだ? 出会って間もないころは、こんなに親密になるなんて思いもしない。今では『一時も離れたくない』と、クルテは口にする。俺だってそうだ。
ピエッチェも近づくと、ゴゼが慌てて立ち上がった。
「これはピエッチェさま」
「どうぞ、座ったままでいてください……一別来です」
随分とゴゼは体力が落ちたようだ。
「コゲゼリテにいらしているとは聞いておりました――では、お言葉に甘えて」
ゆっくりと椅子の位置を確かめながら腰を下ろすゴゼ、クルテがそれに手を貸している。
「若い連中がいない時には気を張って頑張れもしましたが、戻ってきたら気の緩みからか……一気に年相応になりました」
ゴゼは幾つなのだろう? 牛を連れて長時間歩いていたころとは雲泥の差だ。
「ところで、こちらのお嬢さんにカッチーのことを聞かれたのですが、言っていいものやら?」
「もしカッチーがどこに居るのかご存知なら教えてください」
どうやらゴゼは、クルテだと気付いていないらしい。そのお嬢さんはクルテだと教えるべきか? いけない理由はないが、わざわざ言わなくてもいい。言えば気を遣わせるだけだ。
さすがにカッチーの居所は知らなかったが、墓地の場所は知っていた。コゲゼリテには一箇所しかないからねぇとゴゼが笑う。
「お貴族さまは墓地の南に固まって埋葬されてるんだ。奥のほうさ……今さらだけど、カッチーはお貴族さまだったんだよな。すっかり忘れてた」
墓地はすぐ判った。入り口は一つ、入ると何本かの通路に枝分かれしていた。なにしろ奥だ、と真ん中を選んで進んだ。
古い墓石が多い中、ところどころ真新しいものもある。なんとなく墓碑銘を見ながら割とゆっくりと歩く。クルテがいちいち墓碑銘を確認していたからだ。そんな必要はないと言いたかったが、ゴゼの記憶違いだってないとは言えない。カッチーの母の名はゴゼに聞いてある。スカーシレリス、いかにも貴族のお嬢さまと言った感じだ。むしろ王族でも可怪しくない。ザジリレン王家にも昔、そんな名の王女がいた。
(あれ? カッチーは、母親も貴族だったか?)
父親は騎士だと聞いている。そして母親はその愛人、でも貴族の娘を愛人に? どこか不自然さを感じる。それに、似たような話を最近したような?
ラジの母親だ。住み始めた頃、世話をしていた女に姫さまと呼ばれていたとノホメが言った――おい、世話をしていた女って、ノホメ自身のことじゃないのか?
「やっぱりノホメには会って問い詰める必要がありそうだな」
唐突に言ったピエッチェをクルテが面白そうな顔で見た。
「そうだね。でも、すぐには行けないよ」
「ララティスチャングは大きな街だ。コゲゼリテでカッチーを探すようにはいかないいのは判ってる」
「カッチーならこの先にいる」
「えっ? なんだって?」
「わたしが知り合いの心を探知できることを忘れた?」
あ、そうだった……
「おまえ、ここに居るって最初から判ってたのか?」
「居場所が判るのは近くになってからだよ。あるいは本人が自分の居る場所を意識するとかね。だから墓地に入ってすぐに判った――で、カッチーは放っておこう」
「なんのために探しに来たと思ってるんだ?」
「今、カッチーはお取込み中。邪魔しちゃダメ。マデルのところに戻ろう」
「取り込み中って……おい、待てよ」
さっさと引き返していくクルテをピエッチェが追う。
「それじゃあ、三人で大浴場に行くのか?」
「ううん、これからじゃゆっくりできないから明日にしよう」
「何日コゲゼリテに滞在する気だ?」
「気の済むまで」
「捜索はどうするんだよ?」
フレヴァンスとは言えず、単に捜索とだけ言った。
「それはカッチーの屋敷で話す。今さら焦るな」
「おまえ、本気で探す気あるのか?」
「あるに決まってる」
ところがクルテ、マデルと合流するとサロンに行くと言い出した。
「一人じゃなんだか入りずらいって言ってたよね」
どうやらマデルの気持ちを汲んだらしい。いつの間に、そんな話をしたんだ?
「そうなのよ、なんだか恋人たちご用達って感じのお店」
マデルもすぐその気になった。おいおい、とは思うものの、二人に逆らっても勝ち目はなさそうだ。
「それじゃあ、俺は一足先に――」
「もちろん一緒に行くよね」
ニッコリ微笑むクルテ、屋敷に帰ってるとは言わせて貰えない。なんでだよ、と思うが、クルテとマデルの帰りが遅ければ心配するに決まってる。やっぱり一緒に居るのが一番か……
しかし、今日はなんて居心地の悪い日なんだろう? 行きたがった店はマデルが言う通り男女二人の客が多く、それが他人目を気にすることなく囁き合ったりじゃれ合ったりしているものだから目のやり場に困る。マデルとクルテはそんな周囲が気にならないらしい。嬉しそうにメニューを見ては『これ、美味しそうだね』と、例によってクスクス笑っている。
実年齢が十四(正確にはプラス七百くらい)のクルテはともかく、何を見ても可笑しい年頃をマデルはとっくに過ぎているだろうにと思う。
趣向を凝らしたパンケーキが売り物の店だったが、
「ピエッチェは何にするのさ?」
とマデルに訊かれ、
「飲み物だけでいい。任せるから、なるだけ苦そうなのを頼む」
ムスッと答えたピエッチェだ。
マデルが頼んだのはホイップされたクリームがたっぷりと絞られ。桃とイチゴが飾られていた。クルテが頼んだものもやはりたっぷりのホイップクリーム、果物はメロンとビワとブルーベリー、さらに焦げ茶色のソースが掛かっている。パンケーキは二段重ねだ。
「カカオソースって茶色なんだ」
マデルがクルテの皿を見て呟いた。
カカオソースは別料金だが希望すればトッピングすると、注文を取りに来た給仕係が言っていた。
「ちょっと舐めてみる?」
「いいの?」
マデルがまだ使っていないスプーンの先にちょこっとカカオソースを取ると口に含んだ。




